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歩き日記

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逆さ植木鉢に慨嘆する。

2013年04月10日 | Weblog
山の案内 歩き日記

 UMKニュースで逆さに吊られた、植木鉢を販売している、ニュースを見た。ニュージーランドのデザイナーパトリックモリスが考案したスカイプランターである。販売店の店員(記憶が曖昧で正確ではないが)が、「逆さに吊られた植物が、真っ直ぐ上に伸びようする形が、ユニークで、楽しめます」と、言っていた。

 ニュースを見て、無性に腹が立った。ユニークでもなく、美しくもなく、ただ、ただ、「植物が可愛そう」で、異様な光景に見えた。植物は、自然の摂理で、太陽に向かって、真っ直ぐに上に伸びるのが、本来の姿である。

 私は、山に登っているとき、土砂崩れで、逆さになった植物が、必死に真っ直ぐ上に伸びようと、体をねじ曲げている情景に、涙することがある。それは、自然の試練と、生死をかけ、必死に戦っている姿である。

 逆さ植木鉢を販売し、飾る、人間の身勝手な行動。そこには、自然の摂理に対する畏怖の念もなく、ただ自分たちの、金儲けのため、楽しみのためであって、植物に対する愛情もなく、虐待としか思えない。

 人間の手で、逆さに吊られた植物は、必死で、体をねじ曲げ、太陽に向かい、上に伸び、花を咲かそうとする。それは、植物にとって、苦痛以外のなにものでもない。それを見て楽しむ、人間の身勝手さに慨嘆する。 

 切り花を虐待行為という人が、いるかもしれないが、それは違う。切り花になるまで、人間は、植物を愛で、水をやり、慈しみ育て、美しく咲いた、花を切り、花瓶に飾り、楽しんでもらう、それが、花の持って生まれた、運命なのだ。

 この考えは、人間の餌(肉)になるために生まれてきた、牛、豚、鶏の運命と同じである。人間は肉になるまでは、快適な環境で大事に育てる義務がある。

 この考えは、「家畜福祉と、言われている。植物に家畜福祉の考えを、適用しても、なんら不思議ではない。


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