歩き日記

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高鍋大師と湿原を訪ねる。

2014年07月06日 | Weblog

 石像公園(高鍋大師)は、岩岡保吉氏が、香川県から7才の時高鍋に移住し、文具の行商など経て、19才で米穀販売業として、成功を収めます。その彼が、四国88箇所の巡礼を機に、高鍋88箇所を造ることを思い立ち、1928年、39才の時、石材調達、土地の取得整備に着手しました。※石像公園は、便宜上の名称です。

 その後、大分より石工(いしく)を招き、石材彫刻を学び、共に製作に励みました。1933年、彼が44才の時、88体の石像が完成し、高野山で得度し大師堂を一般に公開しました。その後、地元民と製作を続け、1977年、87才の生涯を閉じるまで、700体以上の石像を製作しました。

 石像公園の、石像の大きさに驚かされました。たくさんの石像、ひとつ、ひとつに名前が付けられています。また、民家風の高鍋大師堂があり、中に入れます。大師堂の中は、大師様(?)が鎮座され、お参りできます。

 弘法大師、水戸黄門、観音像など、そのひとつ、ひとつの石像が、ユニークで、思わず、笑みがこぼれました。でも、何故か、惹きつけられる、石像で、心がほっかりしました。水戸黄門一行の格さんの頭にカラス留まっていました。最初は石像かなと思って撮影するとカラスでした。「無礼者」と怒られそうです。(^o^)

 石像公園は、散策道が整備中で、立入禁止でした。残念、無念、ヒヤ素麺。石像公園は、平成21年3月宮崎県観光遺産に指定されました。

 高鍋湿原は、高鍋防災ダム堤体材料の土砂を採取した跡にできた、窪地に湧水が溜まり、人工的にできた湿原です。湿原には、サギソウやミミカキグサなど、約300種もの植物が自生しています。また、ヨシトンボ、ハッチョウトンボ、ネアカトンボなど、珍しいトンボが、数多く、生息していることでも有名です。ネムノキの多さに、吃驚しました。

 高鍋防災ダムは、農業用防災施設で、豪雨時の出水を調整し、下流の農地や民家を守る、ダムです。高鍋防災ダムは、穴あきダムで、その穴は、通常の河川水量を流す、大きさです。大雨の時、通常河川水量を越える分は、ダムに貯留し、洪水調整をします。それにより下流域の洪水を防ぎます。

 ・工期 着工:昭和37年3月/完工:昭和43年4月 ・工事費5億3千万円・河川名 小丸川水系宮田川・型式 均一型アースダム・ダム管理者:高鍋町

 8時高鍋湿原着。正面入口前にタカナベカイドウが、でんと、迎えてくれました。開園は8時30分と聞いていたが、ゲートが開いているので、遠慮無く入りました。高鍋防災ダム記念碑は、駐車場近くに建立されています。

 まず東部湿原を歩きました。たくさんの植物には、それぞれに、銘板が設置されていました。東部湿原から「とんぼのはし」を渡り、西部湿原へ、西部湿原は、サギソウで有名な地、今は、まだ咲いていない。8月中旬頃が見頃。西部湿原には、沢山のトンボが、飛んでいました。
 今回は、植物でなく、昆虫をメインに撮影しました。 沢山のトンボが、飛んでいたのですが、トンボは敏感で、人間が近づくと、飛んで逃げます。よって撮影できたのは、ベニトンボハラビロトンボン(都城では、シオカラトンボ)のみでした。可愛い、バッタの赤ちゃんも撮影できました。
 ナミテントウ(テントウムシ)と、コガネムシが交尾をしていました。モンシロチョウも飛んでいました。

 声はすれど姿は、見えずの野鳥を、撮影できました。200倍ズームですので、鮮明ではないですが、ヒヨドリです。写真左2枚は、帰りに立ち寄った、都於郡城跡で撮影した、バッタです。右のバッタは、交尾中に死んでいます、同じように、死んでいる、バッタがたくさんいました。農薬、病気・・・ちょっと、不気味で、悲しい風景です。

 ◆何故バッタは死んだか→バッタを殺す菌(07/08)

 帰りに舞鶴公園堀跡のヒツジグサの花を見て、高鍋ロールキャベツ丼(980円)を食べて帰りました。美味しかったです。

 高鍋町は、宮崎県一のキャベツ生産地で、キャベツを使った、ロールケーキ、シュークリーム、大福、チーズ饅頭など、いろいろな、スィーツ(たかなべ町屋本家)が、販売されています。

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