以下は、7年前のblog記事からです。
島根の生家を解体する際に、仏壇を整理していて見つかった兄の遺髪を私は、長い間、大切に保管していました。
兄は死産児で、私の生まれる丁度一年前だったそうです。
兄が死産だった事で命を授かったかも知れない私には、
この遺髪を、その当時、軽い認知症が始まり、兄の事さえ忘れてしまっていた母に渡さなければいけないという義務感がありました。
その「兄」を伴った旅行中、不思議なことがありました。
群馬に帰る前日、広島で妹の家族と、母と私とで連れ立って焼き肉を食べに出 かけた時の事でした。
妹の家は、広島の中心部から山陽本線・呉線で約10分の海田に近い静かな町にあります。
夕方になって、やや涼しくなった頃、ヒグラシの鳴く線路沿いの道を
妹夫婦と大学生の甥二人そして母と私とで、連れ立って6人 でてくてくと歩き、目的の焼き肉店に向かいました。
赤提灯が燈るその店に着くと、入り口で妹の夫が
「7人なんですけれど・・」と
店員に人数 を告げています。
ところが店内を見渡すと6人用のテーブルしかありません。
妹夫婦も母も私も「ひとり分足りない」と瞬時に席を探したのです。
誰も疑う事もなく、真剣に「7人掛けの席ってないよねぇ・・」と。
そしてハッと思ったのも同時でした。
「あれ?なんで6人なのに7人だと思ったんだろう・・」と妹が言 いました。
「でもさっき歩いて来る時に振り向いたら確かに7人いたよ」と
妹の夫が不思議そうな顔をして言いました。
「私もそう思ってたよ」と母も首をひねっています。
席に座って私は笑いながら
「だれか首から肩の辺りが痛い人いない ?」
と訊くと
誰もが「ううん」と否定しました。
犯人は私だったのです 。
(私の肩に乗ってついて来たに違いない…)
実はその時、私は「兄の遺髪」の入ったバッグを母の部屋に置いて出かけたのです。
私の肩には子供をおぶったあとのようなだるさが残っていました。
食事を終えて帰った私はすぐに母の部屋の仏壇の前に座り手を合わせました。
そのとたん、うそのように肩のだるさがスーッと引きました。