声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

教官のホンネ

2012-12-23 08:05:04 | 自衛官時代の想い出
婦人自衛官教育隊の教官達は、
とても個性的です。

福島出身の教官でM二等陸尉は、小柄で色白、
目鼻立ちもハッキリしていて
東北弁のイントネーションが強くて
ざっくばらんな、芸能人で言えば、
あき竹城さんのような印象の人です。

産休から復帰してきたばかりという
M二尉の座学を受けている時に、こんなことがありました。

自衛隊法の講義だったように記憶していますが、
有事のことが話題になったのです。

Mニ等陸尉は言いました。

「全員に訊く、お前らはお国の為に死ねるか?!」
…と。

教室がシーンとなり、
答えられるものは一人もいなかったのです。

M二尉は続けました。

「私は死ねる。」

彼女には生まれたばかりの3ヶ月の乳児がいるのです。

私はふと、母親に死なれた乳児がオッパイを欲しがって
泣いている光景を思い浮かべました。

そして
(わが子を守れない親に、国防はできるのか?)
という疑問が湧いたのです。

誰も死にたくはない、
正直なところ、
自衛隊に入ったのは「平和な日本」だからです。
憲法第九条に守られた自衛隊だからこそ、安心して入隊したのです。
そう思う私は、自衛官ではハズレモノに違いないと思いました。

M二尉は、自衛官の鑑です。

彼女の講義は、まるで洗脳に近いものがありました。
高校を卒業したばかりの同期たちは、皆疑う余地もなく彼女の
思想を受け入れているのです。

5年前、市ヶ谷で30年ぶりに会った時のM二尉は、
そんなことはとっくに忘れたとでも
言うように柔和な顔つきに変わってい
ました。

思想教育は自衛隊には必要なことですが、もしかしたら、
あれは建前論にすぎなかったかともと、今になってみれば思えてきます。

拘っていたのは私だけだったのかもしれません。(ー ー;)

なぜなら、当時のM二尉と言えば、「子供の産み方」を思い浮かべる同期もいるのです。

「わたすが生んだとき、えいんせっかいをしてね・・」

と言う話しを別の区隊でM二尉はしたのだとか…。

これは初耳でしたが、案外、面白い人だったのかも知れません。(^^;;



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