京都で仕事をしていた頃でしたか、
永井路子さんの講演を聴きに行ったことがありましたが、
永井路子さんの著書
「歴史を騒がせた女たち」には、
日本編、海外編ともに多くの“悪女”や“毒婦”が取り上げられていますね。
その中で興味深く読んだのが
やはり中国の歴史に登場してくる女たちです。
則天武后や楊貴妃、西太后…中でも、ほんの100年ちょっと前まで実在していた西太后は極めつけですね。
俗説なども多く、彼女自身を主人公にした映画も作られ、浅田次郎さんの長編小説にも度々登場していますが、
最近では、悪女というより非常に優れた政治家であったとする見方が多いようです。
その西太后に興味を持って彼女のコレクションを観に北京故宮博物館を訪れたのは20年近く前ですが、
その頃、同時にもう1人、歴史に翻弄された中国女性に興味を持ち、しばらく図書館通いをした事がありました。
ラストエンペラーで知られる満州国皇帝、溥儀の最初の妻である
「婉容」です。
どことなくデビューしたての頃の山口百恵さんに似た横顔、スラリとした肢体、
あの映画ラストエンペラーに登場した婉容とは似てもにつかわない?憂い顔の美人です。
婉容が生きた時代は、満州国が日本の傀儡国家であると言われた時代ですから近代なのですが、
なぜか、とても資料が少ないのです。
図書館で見つけた彼女の事を記した数少ない資料は、客観的でありながら同情的なものばかりでしたが、
驚くべきは、皇后という立場でありながら夫の留守中に出産した赤ん坊が、
“溥儀の子”ではなく“不義の子”だったことです。
(~_~;)
婉容には、信じられない程に奔放で型破りな一面があるのです。
私が、そんな婉容に興味を持ったきっかけは、
紫禁城での豪華な生活とは、あまりにもかけ離れた哀れな最期でした。
彼女が若かりし頃を過ごした思い出の地が、上海にあります。
かつて上海にあったフランス租界です。
以前、訪れた時には、その名残の洒落たカフェやフランスの街角のような雰囲気が残されていましたが、
年々、取り壊され今では近代的なビルが建ち並び、街の様相も変わっていると聞いています。
その婉容を、満州国が崩壊した時に背負って逃げたという元日本陸軍兵士の手記も読みましたが、
その頃にはアヘン中毒で随分と悲惨な状況だったようです。
彼女が最期を何処で迎えたのかすらわかっていません…。
一時は清朝皇帝の皇后であった女性のお墓さえ、所在不明だということが
その不幸な運命を物語っているように思えて、
哀れで哀れでなりません…。
婉容のお墓は何処にあるのでしょうか…
ウワサでは旅順辺りだとも…。
いつか、悲劇の皇后・婉容のお墓参りに行きたいものです。
清水由美