今年の「母の日」は、淋しい日になりました。
昨年の「母の日」は、私が、この世にいる実母を見た最後の日でした。
もっと孝行しておけばよかった、もっと会いに行ってやればよかったと、後悔ばかりしています。
あの日、
広島の施設にいる母と数時間を過ごした後、
「また、来るからね!」
と、一旦はエレベーターまで向かったものの、
何となく、後ろ髪を引かれ
また引き返してガラスドアの手前から
こちら側を向いて中央のテーブルにポツンと1人で座っている母に笑いながら
「バイバイ!」と小さく手を振った時、
母は大きな眼で、じっと無言で私を見ていました。
あの日の光景が、今でも脳裏に焼き付いています。
80を過ぎた頃から認知症を患い、晩年はすっかり無表情になってしまった母でした。
それが不思議な事に一度だけ、昔の母に戻った事がありました。
あれは、23年の5月7日、
2年前の「母の日」前日のことでした。
広島郊外の病院に肺炎で入院した母を見舞うため、
駅から20分の登り坂をゆっくり歩いて行く途中の道で、
山藤がそよ風にゆらゆら揺れて、とても良い香りを放っていたのを覚えています。
あの日の母は、珍しく冴えていました。
震災から二ヶ月が経ち、
直後の津波が街を飲み込む映像がTV画面に流れているのをたった今、知ったというように
「いったい、何があったん⁈」
と、驚いた顔で私に訊いたのです。
「東北で大きな地震があってね。
津波でたくさんの人が亡くなったんよ」
そういう私に
「まぁ‼」と、絶句した母。
それから、数時間後にはTVの娯楽番組を見ながら、笑う母の姿…それは認知症を患う以前の母と全く同じでした。
昔から喜怒哀楽の激しい人でした。
( きっと、今日の事は神様がプレゼントしてくれたんだ… 明日も、この調子なら嬉しいな。)
そう祈りながら病院を後にしたものでした。
翌日、再び病院を訪ねてみると、
母は、布団を頭から被って、怒ったような顔で私を睨む、いつもの無表情な病人に戻っていました。
その日の事は忘れもしません。
23年の5月8日、「母の日」に
私は、悔やんでも悔やみきれない事をしてしまいました。
病院の食事が不味いといってスプーンを放り投げた母の手を、思わずピシャリと叩いてしまったのです。
叩かれた手を引っ込めて布団をかぶって拗ねている母に、
「ごめんね、ごめんね」
と何度も謝りましたが、結局、
その日は不機嫌なままの母を置いて
病院を後にせざるを得ませんでした。
帰り際、駅に続く坂を下りて行く途中
向かい側から、自転車を立ち漕ぎしながら登ってくる男子高校生とすれ違いました。
自転車の前カゴには、
細いサテンの赤いリボンと透明のセロファンでラッピングされた
赤いカーネーションが一輪、大切そうに入っていました。
それを見た途端、
( 私は母の日に母を叩いてしまった…)
…と、とても悲しくなったものです。
( 本当にごめんね )
私にとって「母の日」は、
“母に謝る日”です。
清水由美
昨年の「母の日」は、私が、この世にいる実母を見た最後の日でした。
もっと孝行しておけばよかった、もっと会いに行ってやればよかったと、後悔ばかりしています。
あの日、
広島の施設にいる母と数時間を過ごした後、
「また、来るからね!」
と、一旦はエレベーターまで向かったものの、
何となく、後ろ髪を引かれ
また引き返してガラスドアの手前から
こちら側を向いて中央のテーブルにポツンと1人で座っている母に笑いながら
「バイバイ!」と小さく手を振った時、
母は大きな眼で、じっと無言で私を見ていました。
あの日の光景が、今でも脳裏に焼き付いています。
80を過ぎた頃から認知症を患い、晩年はすっかり無表情になってしまった母でした。
それが不思議な事に一度だけ、昔の母に戻った事がありました。
あれは、23年の5月7日、
2年前の「母の日」前日のことでした。
広島郊外の病院に肺炎で入院した母を見舞うため、
駅から20分の登り坂をゆっくり歩いて行く途中の道で、
山藤がそよ風にゆらゆら揺れて、とても良い香りを放っていたのを覚えています。
あの日の母は、珍しく冴えていました。
震災から二ヶ月が経ち、
直後の津波が街を飲み込む映像がTV画面に流れているのをたった今、知ったというように
「いったい、何があったん⁈」
と、驚いた顔で私に訊いたのです。
「東北で大きな地震があってね。
津波でたくさんの人が亡くなったんよ」
そういう私に
「まぁ‼」と、絶句した母。
それから、数時間後にはTVの娯楽番組を見ながら、笑う母の姿…それは認知症を患う以前の母と全く同じでした。
昔から喜怒哀楽の激しい人でした。
( きっと、今日の事は神様がプレゼントしてくれたんだ… 明日も、この調子なら嬉しいな。)
そう祈りながら病院を後にしたものでした。
翌日、再び病院を訪ねてみると、
母は、布団を頭から被って、怒ったような顔で私を睨む、いつもの無表情な病人に戻っていました。
その日の事は忘れもしません。
23年の5月8日、「母の日」に
私は、悔やんでも悔やみきれない事をしてしまいました。
病院の食事が不味いといってスプーンを放り投げた母の手を、思わずピシャリと叩いてしまったのです。
叩かれた手を引っ込めて布団をかぶって拗ねている母に、
「ごめんね、ごめんね」
と何度も謝りましたが、結局、
その日は不機嫌なままの母を置いて
病院を後にせざるを得ませんでした。
帰り際、駅に続く坂を下りて行く途中
向かい側から、自転車を立ち漕ぎしながら登ってくる男子高校生とすれ違いました。
自転車の前カゴには、
細いサテンの赤いリボンと透明のセロファンでラッピングされた
赤いカーネーションが一輪、大切そうに入っていました。
それを見た途端、
( 私は母の日に母を叩いてしまった…)
…と、とても悲しくなったものです。
( 本当にごめんね )
私にとって「母の日」は、
“母に謝る日”です。
清水由美