天使の図書館ブログ

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動物たちの王国【第二部】-3-

2014-02-25 | 創作ノート
(密林さんの商品ページよりm(_ _)m)


 ここから話がなかなか進まなくて、ちょっとイライラする感じかもしれません

 でもこの第二部、結局第一部以上に長いので、気長に読める方くらいしか最後まで読もうっていう気にそもそもならないような気がしたり(^^;)

 そんなわけでまあ、ここの前文もすぐに書くことなんか尽きるだろう……ということで、今回もまたかなりどうでもいいことについて(またか☆笑)

 ↓に出てくるラバーシーツっていうのは、病院や介護施設などではお馴染みのものかもしれません。↑と同じように、大体患者さんの腰のあたりにセットするもので、簡単にいえば「おねしょ防止☆」というか、仮に失禁してしまっても下のマットレスまで浸透するのを水際で食い止めるものといっていいと思います。

 尿道カテーテルが入っててさらにオムツをしている場合だと、尿漏れって考えなくていいと思うんですけど……そうじゃない場合、男性はいわゆるお○んちんに尿とりパッドを巻きつけてオムツをする感じだと思うんですよね。

 でもたまたま出た量が多かったりすると(あと、オムツの閉め方がちょっと緩かったとか、そういうこともあるかもしれません)、パッドで受け止めきれなかったものがオムツから横もれしたり、横もれじゃないんだけど、オムツでも量的に受け止めきれずシーツにおしっこが漏れてしまったりとか、あると思うんですよね。

 そういう時、シーツだけちょっと染みてるだけでラバーはセーフかな??っていうこともあれば、シーツもラバーも取り替えるっていうことがあったりと、ケースバイケースかなと思ったり(笑)

 ラバーシーツ(防水シーツ)は、ものによって素材がちょっと違うかなって思うんですけど、わたしが昔いたことのある病院のラバーシーツはなんとゴム製でした(^^;)

 んで、ある時患者さんのご家族にこう言われたんですよね。「こんな冷たいものの上に寝てたら腰が冷えるから絶対やめてほしい」みたいに。

 意識不明状態の方が多いせいもあるにしても、そう言われた時に初めて「いや、本当にそのとおりだな」って初めて気づきました。

 もちろん、ラバーシーツの上にはシーツとかちゃんとかけてあります。でも自分があのゴム製マットのラバーシーツに寝てみたいかと言えば、絶対やだよな~というか(いえ、夏は涼しいかもしれないんですけどね^^;)

 たぶん、自宅介護用のものとしては、ポリエステル100%とか、表がポリエステルで裏がちょっとゴムっぽいものとか、そうした感じのものをお使いの方が多いのかなって思います。あと、ある程度通気性があることの他に、洗濯しやすいっていうのも結構重要な気がしたり。

 そして洗濯というと、自分的に気になるのが洗剤&柔軟材です(笑)

 老人介護福祉施設などだと、柔軟材は衣類を柔らかくするためというよりは、おしっこ臭の染みついた衣類をいかに柔軟材の臭いで誤魔化すか☆みたいなところがありますよね(^^;)

 いえ、もう普通に洗濯しただけじゃ、毎日洗濯機まわしてても洗剤だけじゃちょっと……みたいなところがある気がします。そして自分的に、どの洗剤がおしっこの黄ばみを一番落としてくれるのかがすごく気になったり(笑)

 あと、柔軟材は個人の好みもあるので微妙なんですけど、今は色んな香りのものがあるので、どれが一番老人の方に受けるのだろう……と思ったりもします。

 わたしが昔いたことのある施設では、ナノックス&某柔軟材のヒヤシンスの香りを使ってたんですけど、その時思ったのは「CMで色々言ってるほど、ナノックス大したことねえな☆」という感じで、おしっこの黄ばみが圧倒的勝利を収めていました(^^;)

 どうでもいい話が長くなったんですけど、なんにしても↓に出てくるラバーシーツっていうのはそういうものらしい☆っていうことでよろしくですm(_ _)m

 それではまた~!!



       動物たちの王国【第二部】-3-

「さーて、そいじゃあ今日もボチボチ清拭からいってみるとすっぺか」

 朝の申し送りが終わると、看護師たちは熱々の清拭タオルをカートに積み、ぞろぞろと廊下を歩いて1号室から15号室まである部屋を順に回っていった。

 誰がどの部屋の担当になるかは、あらかじめ決められている。といっても、無作為にではなく、K病院の十三階にある病棟は少し特殊で、常にある種類の<配慮>がなされることになっていた。つまり、1号室の頚椎症の七十一歳の患者、鈴木芳徳氏には看護師の今里千里が、2号室の半身麻痺の六十八歳の患者、加藤和実さんには看護師の新倉真奈美が……といったように、それぞれの患者が気に入っていたり、特に贔屓にしている看護師が担当することになっている。

「羽生さんは今日が勤務初日だから、とりあえずわたしと一緒に1号室に来てくれる?まあ、紹介がてらあなたは横で仕事の手順を見ててくれれば、それでいいから」

 唯の脳内にインプットされた情報によると、この鈴木芳徳氏は某証券会社の証券マンを六十歳までしており、自身も相当株で儲けただけでなく、今も病室では常にパソコンと向き合い株価の変動をチェックしているとのことであった。

 唯は今里主任が部屋のノックをすると、向こうが返事するのを待ってから、室内に足を踏み入れた。これも先にレクチャーされていたことなのだが、他の忙しい病棟でのように、ノックと同時に病室へ入ったりするようなことは絶対に厳禁だと言われた。向こうが返事をし、なおかつ一拍遅れるくらいで部屋には入るように、と。

 特別室と言われるだけあって、十三階の病室はどの部屋も広く、窓からの眺めがとても良かった。唯もまたほんの一瞬ではあるが、窓外の海辺の景色に、心癒されるものを強く感じる。

「おっと、千里ちゃん。随分可愛い子を連れてるねえ。もしかして新人さんかい?」

 鈴木芳徳氏は七十一歳とのことであるが、せいぜいいって六十五歳くらいではないかというような、若々しさの漂う患者だった。上には襟のところで裏地の見えるワイシャツ、下にはグレイのズボンを履き、ダンヒルのベルトを締めている。

(きっととてもお洒落に気を遣う人なんだわ)と、唯は第一印象でそんなふうに感じた。

「そうでしょ、鈴木さん。前は救急部で働いてた、バリバリのキャリアナースなのよ。鈴木さんも何か健康のことで相談したいことがあったら、彼女に聞くといいかもよ。救命センターの面白い話なんかが聞けるかもしれないし」

「そうかい。そいつはすげえなあ。ま、俺はそんなうるさいタチじゃねえから、安心してくれていいよ。ところであんた、名前は?」

 鈴木はワイシャツを脱ぐと、ランニングシャツ姿になった。そして今里が熱々のタオルを何度かはたいて冷まし、彼の肩のあたりにのせる。

「羽生唯って言います。こちらの病棟に慣れるまで少し時間がかかるかもしれませんけど……一生懸命なんでもお手伝いしますので、よろしくお願いします」

「そうだな。人間、なんでも一生懸命なのが一番だ。俺が唯一うるさいのはあれだよな、千里ちゃん。朝に新聞が遅れて届くってのが頭にくるっていう以外は、そんなに注文つけることのない、大人しい患者だよな?」

「そうねえ」と、今里はよく日に焼けた彼の背中を清拭用のタオルで拭きながら言った。「羽生さん、鈴木さんって凄いのよ。朝日新聞、読売新聞、日経新聞……と、全部で六紙も毎日新聞を読んでるの。羽生さんも世界の経済ニュースなんかについて詳しくなりたかったら、鈴木さんになんでも聞くといいわ。びっくりするくらい色んなことが聞けて勉強になるし、それだけじゃなくて面白いのよ」

「ははは。こんなジジイの話でよかったら、いくらでもただで聞かせてやるよ」

 肩の血行が良くなって、コリがほぐれた気がすると、鈴木は嬉しそうに言いながら、今里にタオルを返していた。そしてワイシャツを着、ボタンを留めはじめる。

「鈴木さん、今日はお風呂どうする?」

「そうだなあ。そいつは株価の奴とも相談しなきゃなんねえから……返事するのは午後からでいいかい?」

「うん、わかった。それじゃ何かあったらいつでもナースコールで呼んでね」

 再びオーバーテーブルの上のパソコンに向き直り、鈴木は唯の理解できない数字の羅列を睨みはじめた。クイーンサイズのベッドには、彼がある程度目を通したと思しき新聞が散らばっている。
  
 患者がすでにこちらを見ていなくても、「失礼します」と軽く礼をしてから今里と唯は1号室を辞去していた。

「まあ、ざっとこんな具合よ」

 今里は病棟の廊下の半ばほどまで移動したカートに向かうと、カートの下のバケツに使用済みのタオルを捨てて、軽く溜息を着いた。

「そうね。鈴木さんは確かに本人の言うとおり、口うるさい人ではないのよ。でもなんていうのかしら……見てないようでこっちの仕事をしっかり見てる人だから、「こいつは手抜き仕事をする看護師だな」みたいに分類されちゃうと、そういう相手にはちょっとひねくれた質問をしたりするわけ。計算の速い頭のいい人だから、時々そういう罠にこっちを引っ掛けようとすることがあるの。まあ、あなたに対してはそういうこと、たぶんしないんじゃないかって思うけど……」

 ここで今里は、唯のことを頭の先から足の爪先までしげしげと眺めやり――そして彼女のことを脇の廊下へ連れだした。リネン室と書かれた場所に唯のことを引っ張りこむと、後ろ手にそのドアをそっと閉める。

「あの、今里主任。お仕事……」

 他の看護師が一生懸命仕事をしているのに悪いと思い、唯はそう言いかけた。

「いいの、いいの。っていうか、これもわたしの主任としての大事な仕事なのよ。そのことはみんなもわかってるし、わたしとあなたの姿がなくても、ここに替えの枕やシーツがあるだの、主任は新人さんに教えているに違いないって思ってるだろうから大丈夫。それより羽生さん。あなた、ここの病棟のこと、佐藤師長や宮原総師長からどのくらい聞いてるの?」

「えっと、別名気難し屋病棟って言われてるくらい、一癖ある患者さんが多いし、そういう意味で神経を使うところだみたいに聞きました」

「そうなのよ。気を遣うのよ」

 今里はそう言って、綺麗に整理整頓されてあるシーツや枕カバー、包布といったものを、あらためてチェックしながら続けた。リネン室もそうなのだが、ナースステーションにある医療器具も含め、病棟内の物品管理については主任である今里に責任がある。

「さっきあなた、わたしと鈴木さんが話すのを見て、どう思った?ふたりとも感じよく仲良く話してるなと思ったんじゃない?ところがそうでもないのよ。というより、ここまで来るには紆余曲折があったというべきかしらね。鈴木さんは主任のわたしか佐藤師長じゃないと、ああいうざっくばらんな話し方はしないのよ。あなたと同い年の夏目ちゃんなんて、「あんた、看護師なんて辞めて今すぐ結婚したいって顔してるな」なんて言われたりね……まあ彼女の場合、それが事実だっていうのが、なんとも微妙なんだけど」

「あの、そういうふうにはわたし、思ってません。総師長にも面接の時に言われたんですよ。つきあってる人がいて一二年後には辞めたいと思ってるのかどうかって。でもそういう予定はまったくないし、救急部の頃に覚えたことを生かすためにも、脳外科とか体力のいる科を希望してますって言ったら、何故かここに来ることになって」

「総師長のババアらしい選択だわね」

 ここで今里は屈託なく笑った。彼女は今三十五歳で、これまでに内科に四年、外科に三年、それから手術室に二年いたというキャリアがある。背が低く小柄ではあるが、そのかわり動きが俊敏で、どことなくコマネズミを思わせるところがあると、唯はなんとなく連想していた。

「正直いってうち、もうひとり看護師が必要なほど人員については大して困ってないのよ。ということはたぶん、近いうちに<天の声>が響くことになりそうね。若干怠け気味の嫌いのある看護師をあえてキツイ部署に異動させたりとか、大好きなのよ、あの総師長は」

「でも、そんなことをしていたら、人の心が離れていきませんか?それじゃなくても、どこの病院もナース不足なのに……」

「ううん、そういうこともきちっと計算した上であのババアはそういうことをするのよ。なんにしてもわたし、あなたのこと気に入ったわ。これからよろしく頼むわね」

 にっこりと笑って握手を求める今里の手を、唯は若干ためらいがちに握り返した。

(なんだか性格のさっぱりした、つきあいやすそうな主任さんだわ。新しい職場で少し不安だったけど、これならうまくやっていけるかも)

 そんなふうに思っている唯に対し、今里は棚に寄りかかりながら、2号室以下の患者の病状、性格、これまでの人生史というのか、生活暦のようなものを順に説明していった。2号室の加藤和実さんは、日舞の師範で生花の資格も持っている、一緒にいると背筋のピシッとする女性であること、またひとり息子とはなんらかの確執があって縁を切っており、彼女の前で「息子・孫・嫁」といったキィワードは一切NGであること、3号室の米谷忠士さんは脳梗塞で左半身麻痺。奥さんが毎日八時から面接終了時間の七時まで常にほとんど張りついている。なんて夫婦仲が良いのだろう……最初看護師たちはみなそう思っていたが、なんのことはない。米谷さんはとんでもない女たらしで、これまで奥さんは泣きに泣かされてきた。彼の女好きはほとんど病気の域に達しているので、看護師さんにまで手を出すか何かして、ここから追いだされては堪らないから常に見張っているのだという。5号室の澤龍一郎さんは認知症を患っているが、元は高名な脳外科の先生である。彼の元にも奥さんが毎日面倒を見にくるが、看護師の見ていないところで澤さんは相当つらく奥さんに当たっているらしい。「看護師さんにはそうでもないんですけど、わたしとふたりきりになると何故か、認知症の症状が強く出るみたいなんです」と、奥さんは涙ながらに語っている。6号室の牧睦美さんはパーキンソン病で……。

「まあね、結局患者はたった十二人しかいないわけだし、それなのに日勤の看護師は今日、八人もいるわけ。夜勤の時は三人体制なんだけど、なんていうか、びっくりするくらい楽よ。他の病棟に比べたらね。ただそのかわり、ここの特別病棟は患者さんひとりひとりが結構な額の入院費を毎月支払ってるから、看護はサービス業とでも思ってもらうしかないっていうか。1号室の鈴木さんは「今株価から目が離せねえから、売店でコーラとお菓子買ってきて」とか、そういう注文が多いし、6号室の牧さんは一階の美容室とかカフェのあたりをぶらつくのが大好きなの。でもそういうのにも介助が必要になるわけじゃない?あなた、パーキンソン病の患者さんは診たことある?」

「いえ、ありません。学校で病気の症状を学んだことくらいしかないっていうか……」

「まあ、ちょっとしたコツがあるんだけど、牧さんはまだそれほど症状が進んでるわけじゃないから、難しく考える必要はないわ。なんにしてもここに一か月か二か月もいれば、十二人の患者の十二通りのつきあい方は嫌でも覚えるから大丈夫。看護師同士もね、つかず離れずまあまあ仲が良いっていう雰囲気かな。あ、それともうひとつ忘れてたけど、ここの特別病棟はプライヴァシーに関してはすごくうるさいから、注意してね。あなたも前の職場で経験したかどうかわからないけど、ナースの休憩室で患者の悪口言ってたら、その家族が聞いてて憤慨したとか、たまにあるでしょう?うちはね、他の病棟以上にその点についてはうるさいの。自分が気に入らない看護師のことも、病棟内では絶対悪く言っちゃいけないって、佐藤師長に言われなかった?」

「はい、言われました。『佐藤師長の奴め~!!』と思うことがあっても、病棟では絶対悪口禁止みたいに。ストレス解消したいと思ったら、家に帰ってから仲のいい同僚にでも電話して、愚痴を聞いてもらいないさいって……その、ようするにそれも、患者さんのためなんですよね。誰も聞いてないだろうと本人たちは思ってても、うっかり患者さんが耳にしてしまった場合、自分たちもそんなふうにこっそり陰で悪く言われてるんじゃないかって不安にさせないための……」

「そういうこと。他にもね、たとえばここのシーツ類なんかをこんなふうにぐちゃぐちゃにしたりとか、しないでもらえるとさらに助かるわ。主任の立場としてはね」

 今里は緑色のラバーシーツの形を一度乱してから、もう一度元の形に整えて言った。

「時々、総師長のババアが腰巾着の副師長と一緒に、何気に巡回に来るのよ。で、汚物庫が整理されてないだの、病棟のどっかに欠点を見つけては軽く注意して去っていくわけ……うちって、他の病棟と違って人員も手厚く補充されてるし、神経は使うかわりに体力はそれほど使わないから、言い訳できないのよね。『すみません、忙しくてつい……』なんて言おうもんなら、宮原総師長に何言い返されるかわかったもんじゃないわ」

「気をつけるようにします。じゃああとは、清拭の終わってない患者さんのお手伝いをしてきますね」

 唯がそう言ってリネン室から出ていくと、今里は「じゃあ一緒に手伝ってもらおうかな」と、再び熱々の清拭タオルを何本か手にし、唯のことを15号室に連れていった。

「交通事故で植物状態になった、十九歳の男の子なの。バイタルも安定してるし、意識障害があるっていう以外では、特に問題はないのよ。ただ、もうこの状態で一年にもなるから……最初の頃はいざ知らず、今ではお見舞いに来る人もめっきりいなくなってね」

「あの、この子……じゃなくて、大野くんのお父さんやお母さんは?」

 唯はベッドの上のほうにかかったプレートを見、そう言い直した。一年前ということは、事故に遭った当時は十八歳だったのだろう。体が針金のように細く、色白の童顔なので、大野翔平は実際の年齢よりもなんとなく幼いような印象だった。

「お母さんは小さい時に病気で亡くなってて、その後大野くんが中学生だった時にお父さんが再婚したの。で、大野くんはグレて無免許で高速ぶっとばして交通事故に遭ったわけ。なんか話だけ聞くと、昭和の積み木崩し?って感じなんだけど、現実問題としては、事故の原因がすべて彼にあって、相手のトラック運転手も重症だったってこと。父親が某大手通信会社の重役でね、お金だけは結構持ってて、相当賠償金を積んだらしいわ。でも、ここへ息子を見舞いに来たことは、ただの一度もないのよ」

「そうなんですか」

 唯は慣れた手つきで今里と一緒に大野翔平の体を拭き、オムツとパジャマを交換すると、体の位置を変え、ベッドを上げると体を起こすことにした。

「この抱き枕、すごく可愛いですね。もしかして大野くんの家族か友達が持ってきたものなんですか?」

 唯が端正な顔立ちの翔平の顔を、フェイスタオルで拭きながら聞いた。口の中も軽く歯ブラシをあてて磨くということにする。

「ううん、違うの。前にうちの病棟を辞めていった看護師がね、最後にプレゼントとして置いていったのよ。最初の頃は友達が来ることもたまにあったんだけど、そのうち本当にみんな足が遠のいちゃったみたいで、誰も来なくなって……『これをあたしだと思ってね』って言って、置いていったものなの」

 そう言って今里は、細長い猫のプリントされた抱き枕を、体を起こした翔平の太腿に置き、その上に両手をのせた。

「本当だったら今ごろ、青春真っ盛りってやつよね。翔平くんのことをお見舞いに来てた女の子って、みんな可愛い子ばっかりだったし、たぶん結構もてたほうだと思うのよ。顔もジャニーズ系だしさ」

「確かにそうかも。格好いいもんね、翔平くん」

 今里と唯がそんなことを言って笑っていても、当の大野翔平は無表情に目を閉じたままであり、まわりで誰が何をしようとまるで頓着していない。唯はR医大の救急部で、今の大野翔平のような状態の患者が転院していくたび、その後どんな運命が彼らを待っているのだろうと思っていたのだが――こういうことだったのだと、なんともいえない寂しい気持ちになった。

 しかも大野翔平の場合はむしろ、この状態でもまだ「恵まれている」ほうかもしれなかった。見舞いに来なかったにしても、父親が結構な財産家であり、金を出した分手厚く看護してもらえる病棟に彼はいることが出来るのだから……。

 唯はこの日の午後、この大野翔平と、隣の13号室の二十七歳の頚椎損傷患者を、四人の看護師でチームを組み、お風呂に入れるということになった。ふたりとも、自分の意志では指一本動かせぬ状態であるため、何もかもすべてを介助するという形だったが、他の三人の看護師たちとも呼吸があい、その作業を「大変」というようには唯はあまり感じなかった。

 二十七歳の大林智子は交通事故が原因で首から下が動かなくなっていたのだが、大野翔平ともっとも違う点は彼女がはっきりとした意識を持っているということだった。意識さえ戻れば、リハビリ次第でもしかしたら社会復帰が可能かもしれない青年と、もう何をどうやっても首から下は動かないが、意識だけははっきりしている若い女性――対照的なふたりを診ながら、唯は少しばかり複雑な気持ちにならざるをえなかった。

 とはいえ、夕方に大林智子の病室を訪れ、コミュニケーションボードを使って会話した時にはやはり嬉しい気持ちが強かった。大林智子は気管切開しているため、声を出すということが出来ないが、五十音の書かれたボードを目で追い、ウィンクすることで、自分の意思表示をすることが出来たからである。

「あ・り・が・と・う。こ・れ・か・ら・も・お・ね・が・い・し・ま・す」

 唯が智子の髪の毛を13号室に戻ってきてから乾かすと、ちょうどそこに言語聴覚士の女性がやって来て、彼女とどうコミュニケーションを取ればいいかを教えていってくれたのだった。

 R医大病院からK病院に移ってきた初日、唯はこんなふうにして、嬉しい気持ちで十三階の特別病棟――別名気難し屋病棟をあとにしていた。



 >>続く。





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