天使の図書館ブログ

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アバドのたのしい音楽会。

2013-01-16 | 

 届きました♪(^^)

 いえ、前にも「アバドの~」は記事中に取り上げてるので、感想とかは特にいいかな、とも思ったんですけど……以前書いたことと若干違いのある箇所があったので、まあその点を修正するのと同時に、少し感想みたいなことも書こうかな、なんて(^^;)

 というのも、前に記事に書いた時に「日本で訳されるのを嬉しく思う」みたいにアバドが言ってたのが嬉しかったって書いた気がするんですけど、今回再び本を読んでみたところ、>>「日本における出版を心待ちにしておられる」とのこと――の間違いでした

 大体のところ意味は同じなんですけど、なんとなく気になったので、ここで訂正してお詫びしますm(_ _)m

 そんでもって、以前読んだ時にはまったく気にならなかったことが、今回読み直してみてちょっと気になったという(^^;)

 まずは、「アバドの~」のまえがきより抜粋。


 >>私は今でも、14才から23才までの若者たちでつくる、あのヨーロッパ管弦楽団などの、若い人たちばかりのオーケストラを指揮することがあります。
 その時にいつも強く感じるのは、若者たちの、音楽に対するひたむきな態度、プロ意識や生活にいまだ毒されていない彼らの、音楽そのものに対する情熱なのです。彼らは真実、やる気充分です。その限りない情熱と演奏の新鮮さから、私はたくさんのことを学んできたし、今でもたがいに教えたり教えられたり、実に生き生きとした関係を持ち続けています。


 いえ、↑の赤文字で示した部分が、自分的にめっちゃ気になりました(笑)

 そして、次はこちらも以前に取り上げた「マエストロに乾杯」よりアバドのインタビューを抜粋。


 >>そういえば、アバドさんは若い人たちによるオーケストラをいくつも組織なさいましたね。

 アバド:「一つはヨーロッパ・コミュニティ・オーケストラ(略してECYO。EC九カ国の若者たちで組織)という全員が学生で、十四歳から二十三歳までのオーケストラ。もう一つはその卒業生の中からよい人を選んで、八十一年にヨーロッパ室内管弦楽団を組織しました」

 ――それと、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラも組織なさった。

 アバド:「それはまた別の計画です。学生のオーケストラなんですが、第一次世界大戦前はチェコ、ハンガリー、オーストリア、ユーゴスラビア(当時)は一つの国だった。いまはそれぞれの国が国境で仕切られているわけですが、マーラー・ユーゲント・オーケストラでは、その国境を新たに取り去ろうというわけなんです。ウィーン周辺諸国に住む若い優秀な音楽家たちをウィーンに集めて、古い伝統にのっとってその各国を回ろうというわけです」

 ――なぜそんなにも若いオーケストラに力を注いでおられるのですか?

 アバド:「ユニオンとかそういうものに関係なく、時間に制限なく練習ができるでしょう。それに若い人にはなぜか非常に引きつけられるものがある。多くのプロのオケよりも上手に心をこめて弾くでしょう。だから若い音楽家の方が素敵な音楽ができる。それに、私にとっては若い人たちと一緒にいると、いつも新しいインスピレーションがそこから得られるんです」


 う゛~ん。何を言いたいかというと……アバちゃんはたぶん、気質的に若い人と演奏したほうが百戦錬磨の楽団員たちよりもすごくぴったり来るのかなっていうこと(^^;)

 いえ、同じ本の中には、ウィーン・フィルとは>>「まさに心までも一体になって演奏する。ウィーン・フィルとはそう言えるんです」みたいにアバドは語ってます。

 んでも、このインタビューは1987年のものなので、今ウィキを読むと、>>「ウィーン・フィルとは、同団特有のローテーション制(リハーサルと本番で違う奏者が出てきたりする)に関する意見の相違から、疎遠となっている」って書いてあったり

 そんでもって、これはネットのどこかで読んだことなんですけど――指揮者というのは本当に大変な仕事で、何が大変といって、楽団員と呼ばれる人たちは、ようするにそれでごはん食べてる職人気質な人たち。そんな玄人たちに自分のやり方、演奏方法を納得させ、やる気を出させるだけでなく思ったとおりにするというのはまさしく至芸と言って良いことである……とのこと。

 まあ、ある意味「そりゃそーだろ☆」っていう、常識的なことなのかもしれないけれど、単純にテクニックっていうことでは、高い技術を持った楽団員の方々から「欲しい音」をもらうっていうのは、そんなに難しいことではないのかもしれません。

 でも、「心」をもらう、「本当に心をこめた音をもらう」っていうのは――プロになればなるほど、ある意味少し難しくなってくることなのかもしれませんよね(^^;)

 実際にはそういうことはないとは思うんですけど(楽器を奏でる人があくまで人間であって機械でない場合)、まったく感情のこもらない音の機能美といったものは確かに存在しうるものだと思います。

 けれど、「その違いって、一体どこから生まれてくるの?」っていう演奏の違いの不思議さがあればこそ、クラシックを好きな人は色んな楽団・ヴァイオリニスト・ピアニストのCDを聞き比べたりするのかな~と思ったり。

 ちなみに、わたしがアバド指揮のモーツァルトの交響曲をきっかけに、疑問に思ったことの答えっていうのは、この本の中に全部書いてありました(^^;)

 モーツァルトの40番(&41番)を聞いて、これを演奏してる人は心が綺麗に違いない……という、前に書いたアレです(笑)


 >>自分の好みや、主催者の要望、音楽的表現の方法などをよく考えて曲目を決定したら、指揮者にとって大切なのは、楽譜を徹底的に勉強することである。シンフォニーでも、コンチェルトでも、オペラでも、指揮者は、個々の楽器や声の役割と性質を知りぬいているだけでなく、作曲者の意図もよく理解していなければならない。楽譜を完全に暗記していて、歌い手や奏者全員を目で追いながら、細心の注意と集中力をもって、指示を与える指揮者もいる。ここまでくれば、指揮者がその曲を<演奏する>、その曲のすべての秘密を、自分なりの解釈で明らかにしているといってよい。


 とどのつまりは、ということのようです(笑)

 この本はたぶん、アバちゃんが、「これから指揮者、あるいは音楽家になりたいと思っている小さい人たち、あるいは若い人たちへ」との思いがこもってると思うので、最後にアバドの「日本のみなさんへ」という言葉を記して終わりにしたいと思いますm(_ _)m


 >>日本の小さい人たちが、ヨーロッパの音楽を愛し、常日頃、なれしたしんでいるのを、よく耳にします。日本のみなさんが、ヨーロッパの文化に対し、大いに関心を持っておられるのは、すばらしいことだと、思っています。


 アバちゃんって、一体どこまでいい人なんですかねえ(笑)

 それではまた~!!





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