天使の図書館ブログ

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スウ姉さん。

2014-05-16 | 
 ※エレナ・ポーター著「スウ姉さん」についてネタバレ☆があります。未読の方は、これから読むことがあった時にせっかくの面白さが損なわれるので、閲覧しないほうがいいかもしれませんm(_ _)m


 HKの花子とアンを毎日見てるうちに、花岡先生のお訳がすっかり恋しくなり……まずはスウ姉さんを取り寄せて読んでみることにしました♪(^^)

 花子とアンの放映に合わせてかどうか、河出文庫さんから復刊されていたのでそちらを購入してみたのですが、オビのところには、


 >>『赤毛のアン』の村岡花子がすべての女性に捧げた物語。


 とあります。

「スウ姉さん」は村岡先生ご自身、相当熱情と愛着のあった物語のようで、「少女パレアナ」のほうのあとがきにも、>>私個人の好みとしてはこの「スウ姉さん」を深く愛しています。これには人生のいわゆるすいも甘いも知りつくした人の声があるように思われます。しかも、若々しい気分がみなぎっている点から、若い女性たちへの示唆に富んでいると思います……と書き記されているんですよね(『少女パレアナ』角川文庫あとがきより)

 ポーターの作品の中ではやはり、『スウ姉さん』よりもパレアナ(ポリアンナ)物語のほうが有名とは思うんですけど、村岡先生は『スウ姉さん』がなんといっても一番のお気に入りだったのかなという気がします。

 というのもこの「スウ姉さん」、14歳の時に母親に先立たれて以来、妹と弟の面倒をそれぞれ見、父親のことも何くれとなく面倒を見てきたという女性で……けれど、この父親が頭取を勤める銀行が倒産してしまい、一家はブルジョアからど貧乏へと大転落してしまうのでした!

 銀行が倒産したショックで父親のジョン・ギルモア氏は、今でいう認知症のような状態になるし、ブルジョア育ちで贅沢三昧をしてきた妹のメイと弟のゴルドンは、我が儘放題のことをスウ姉さんに対して言い募るという始末でした。

 そうなのです。スウ姉さんにしても、それまでも母親がわりを勤めてきたとはいえ、それは家政婦をふたりも立派な屋敷に雇った上でのこと、これからは都会のボストンを離れ、どうにかこうにか残った田舎の別荘へ引っ越さねばならなかったのでした。

 都会暮らしに慣れていた妹や弟は、毎日ブーブー不満を言うし、スウ姉さんもこれからは自分で料理を作って家族に食べさせねばなりません(お手伝いをひとり連れてきてはいたのですが、彼女は「こんなところに暮らせない」と言ってすぐ帰ってしまいました)。

 その他に、すっかり呆けてしまったというのか、幼児帰りしているような父親の相手もしなければならず、経済的な負担ものしかかってくるしで、スウ姉さんはすっかりくたびれ果ててしまいます。

 実をいうと、父親の銀行が倒産しなかったとしたら、スウ姉さんにはあるひとつの大きな野心があったのでした。それはピアニストとしてひとり立ちするという、音楽の才能豊かなスウ姉さんにとって、学ぶ機会とお金、そして自由になる時間がありさえすれば、十分実現可能な夢だったのです(そのように、音楽の教授も太鼓判を押してくれていました)。

 ところが突然にして一家が没落したことで、父親の介護と妹と弟の面倒を見なければならないようになり――スウ姉さんはほとんど孤軍奮闘しています。

 というのも、作家志望の妹は我が儘だし、これから大学へ入るという年頃の弟もブルジョア家庭の甘やかされたお坊ちゃまであったため、ふたりとも十八以上の働いていておかしくない年齢に達して以後も、自分が<労働>をして稼ぎだすなどという現実的なことはやってみもしないのでした。

 そこでスウ姉さんは、越してきた先のギルモアビルの町で、ピアノの生徒を出来るだけたくさん取り、レッスン料をいただくことで、どうにかこうにか生計を立てていくということになります。

 スウ姉さんはとても優しいです。「なんて気の毒なお父さま!」という言葉は作中になかった気がしますが、常にそのような心持ちで辛抱強く父親に接し、出来るだけのことをしてあげています。また、自分よりも幼い年で母を失くした妹や弟のことが不憫でもあったのでしょう。どうしようもない我が儘や無理をいう妹・弟の要望にも次から次へと応えてあげるのでした。

 もちろん、読者の方の中には、そんなスウ姉さんに不満を覚える方もあるかもしれません。実際わたしがスウ姉さんなら、ある時プッツンと切れて、父親のことを出刃包丁で切り殺し、次に妹のメイの部屋、弟のゴルドンの部屋をまわり、最後には精神病院に入っていたんじゃないか……という気さえします(笑)

 まあ、わたし個人は読んでいて、妹のメイや弟のゴルドンの勝手に腹が立つということはそれほどなく(物語として読む分には、ということですけど^^;)、「確かにいるよね、こういう人」と思いながら読む感じでした。

 やがて、妹のメイも弟のゴルドンも、我が儘放題の好き勝手をしつつ言いつつ、最後には結婚することになって家を出てゆきます。ある意味、「どうにかこうにかうまく片付いた」ともいえる状態になるスウ姉さん。

 書き忘れていましたが、物語の冒頭より、スウ姉さんには小説家の婚約者で、マルチン・ケントという人が出てきています。けれどこのケント氏、結局のところスウ姉さんとは結婚にまで至りません。

 家の事情とか、その他なんのかのとあってケント氏とは駄目になってしまうのですが、これは読者として割合最初の頃から「悪い奴じゃないけど、スウ姉さんの相手はこいつじゃないな☆」と直感されるような、彼はそんな人物です。

 そのかわりとして、お話の途中から出てくるのが、鬼才のヴァイオリニストであるドナルド・ケンダル。

 スウ姉さんが彼と合奏するシーンを読んだだけでも、最終的に結ばれるのは絶対こっちといったように、読者にはすぐわかります(笑)

 けれど、彼はあまりにスウ姉さんを愛しすぎていて、彼女のプロピアニストになるという夢を挫くことはとても出来ないと思い、自分の想いを心に秘めたまま、町を去っていくのでした。

 このケンダル氏、天才肌のヴァイオリニストということもあり、かなりのところ一癖も二癖もある超我が儘な人物。でも、自分的には読んでいてそんな彼の一筋縄ではいかぬ性格もすごくツボ☆でした(笑)

 スウ姉さんとドナルドは愛しあっていながらも、微妙なところですれ違ってしまい、その焦れのようなものもまた、読んでいてとても快かったと思います♪

 なんにしても、ここまでが大体のあらすじであるとして――感想としては、少し別のことに焦点を当てたほうがいいのかな、という気がしたり。。。

 というのも、解説で川端有子さんが、この結末では納得できないというか、何かそうした趣旨のことを書いておられて、まあ、わたしもそれはわかる気がするんですよね(^^;)

 バルト二教授という、音楽の教授としてはとても優れた方がスウ姉さんの才能を認めてくれており……彼女は面倒を見るべき父親の死後に、彼を頼ってボストンへ戻るのですが、生活の苦労に追われた六年の間に彼女の指は固くなっており、今からプロを目指すのは遅すぎるというのが、彼の判断でした。

 もっとも、彼の口からその言葉を聞く前に、スウ姉さんはかねてより憧れていたピアニストより、ある言葉を聞いて――すっかり生きる方針を変えてしまうのでした。

 そのピアニストの女性は、スウ姉さんの身の上も知らず、自分の友人のことを引き合いに出してこう語ります。「この世界で誰かひとりでも自分を必要としてくれるということ、それは犠牲というより、素晴らしい機会と捉えることも出来るのじゃないかしら」といったようなことを。

 つまり、自分はプロのピアニストはあるが、その才能を伸ばすために他のすべてを犠牲にしてきた結果として……そのように「あなたをこそ必要としている」と言ってくれるような人間は誰もいないのだと。

 ここは、読む人によってはもしかしたら「感じ」が違うかもしれません。

 六年前にスウ姉さんがそのまま、多少強引にでも進学を押し進めていたら、彼女の天分はもしかしたら花開いていたかもしれないのに……その機会を彼女は自分を殺して投げやったのだと思う方もあるかもしれませんし、自己犠牲の道を選んだスウ姉さんであるからこそ素晴らしいのだ……といったように感じる方もあるかもしれません。

 あるいは、ただ物語として捉えて、結局最後はハッピーエンドなんだから、それでいいじゃないか、という方もあるかもしれません(わたしなどはこの単純なタイプかなという気がします^^;)

 というのも、わたし自身は<機会>ということでいったなら、スウ姉さんがケンダルに自分の伴奏者になって欲しいと求めた時に、それを断ったのが一番残念な気がしています。

 彼女は父親の面倒を見ねばならないし、妹や弟のこともあるので家を離れることは出来ない……そのような理由でケンダルの申し出を断っています。

 でももしこの時プロのヴァイオリニストの彼について演奏旅行に出ていたとすれば、非常な目利きというか、この場合は耳利きでしょうか(笑)、そのような方たちの目にとまることで(また演奏旅行のお給金もいただけることで)、スウ姉さんの天分は花開いていたような気がするからです。

 もちろん、最後はケンダルのプロポーズに応えたスウ姉さんなのですから、これからまたそのような素晴らしい<機会>は巡ってくるに違いありません。それはもしかしたらバルト二教授の言うようなプロピアニストとしての栄光とは、少し違うかもしれません。

 けれどいずれにせよ、同じように音楽を愛する心で結ばれたケンダルの伴侶となることで、スウ姉さんの望みは最終的には果たされることになるのではないでしょうか。

 まあ、ひとりの女性して<自立して>とか、そうした形での達成ではないかもしれませんが、スウ姉さんがもし最初の志を苦労の末に貫徹していたとして――それはもしかしたら彼女が望んだとおりでの「成功」では実はなかったという可能性は大いにありえたと思います。

 自分がこの道を無理に選んだことで、父のことは病院へやり、妹にも弟にも不自由をかけている……だからこそ自分はなおのこと頑張らねば……そうして掴みとった「成功」がひどく孤独なものであり、その頃には妹のメイの心も弟のゴルドンの心もすっかり冷たく離れさっていた……ということは、実際物凄くありうることだという気がします。

 つまり、スウ姉さんは――物凄く遠回りしたかもしれないけれど、最終的には幸せな結婚とピアニストとしてのキャリアという、その両方を手に入れたのだと、わたしはそう思いました(だって、これからケンダル夫人として音楽にうるさい方々の前で何百回となく演奏することになるんですから、成功しないわけがないではありませんか♪^^)

 実際のところ、妹のメイと弟のゴルドンがあんまり勝手すぎるので、スウ姉さんの行く末よりも彼らの末路のほうが心配だったのですが、それぞれ思った道を選んで幸せになり、なんとなくほっとしました(というのも、もしそうじゃないならスウ姉さんの心労が増えるばかりなので^^;)

 そしてこのふたりも、最後にはスウ姉さんが「どんなにか自分たちに良くしてくれたか」ということに気づき、真心のこもった手紙を姉さん宛に書いているのですよね

 父の、そして妹や弟の「疑似母」としての役割を終え、これからはドナルド・ケンダルの妻として生きるというところで、スウ姉さんの物語は終わるのですが――読み終わった時に感じたのはとにかく、「めっちゃええ話やあ」ということでした。

 パレアナも良いですが、スウ姉さんもまた、村岡先生が熱愛されたことがよくわかる、とても素晴らしい物語だと思います。読んでる間、わたしもとても幸せでしたし、<村岡節>ともいえる村岡先生のお訳はやはり最高だと、あらためて感じ入った次第ですm(_ _)m

 それではまた~!!





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4 コメント

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Unknown (べの)
2014-05-16 18:53:32
 学生時代に読みました。自己犠牲…で済ませられるのかと、途中であまりにも弟妹の行動に腹が立ち、飛ばし読みしようかと思いましたね。殊に、ケント氏とメイがああなるかと。なっても仕方ないにしても、結婚後の愚痴なんか言いに来るなよと思ったものです。 
 スウ姉さんには、心の底を打ち明けられるあのおばさんがいて、本当に良かったですよね。じゃなかったら、ある日一家心中になってもおかしくなかったはずです。苦言もためらわず、スウ姉さんの心の悲鳴を確実に組み取ってくれる人です。ケンダル氏もこの人にはかなわないし。スウ姉さんが、ギルモア氏が亡くなって、これからどうするつもりか語った時も、無理な引き止め方はせず、厚顔無恥(って言ってもいいですよね)な弟妹を引き受け、ケンダル氏を諭す。 
 ケンダル氏とスウ姉さんが、お互い思いあいながら、告げられずにスウ姉さんが椅子?に突っ伏して泣き、ケンダル氏が己の思いに苦悶するシーンがあったと思うんですけど…。そこの話が好きです。
 バルトニ教授はちょっと無責任だと思いました。あそこに、あの人いなかったらどうしてたのか。丸投げじゃないのと。片言の英語という設定だからか、調子いいなあ、この人と思ったものです。
 アンシリーズで、これより、自己犠牲というには激し過ぎる「没我の精神」という話もありましたね。
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Unknown (ルシア)
2014-05-16 20:55:43
 おお、べのさんも「スウ姉さん」をお読みでしたか~♪(^^)

 今日の「花子とアン」は、記事にするほど大きな動きがなかったもので(汗)、大分前に書いた「スウ姉さん」の感想記事を上げることに

 いえ、あの弟妹はほんと……自己中だし、自分勝手すぎますよねスウ姉さんはもっとヒスって当然と思うんですけど、犠牲と献身の精神で家族のために自分を捧げ尽くすというww

 わたしも途中まで読んでて、ケントとメイが!?いや、そんなはずは……と思ったんですけど、最後はくっつくとかありえねえ☆と思いつつ、ページを捲ってました(^^;)

 そうですよね。あのおばさん……ちょっと名前忘れちゃったんですけど(そこらへんに置いたと思った本がない・笑)、あのおばさんがいたからこそ、スウ姉さんはあの悲惨な生活に耐えられたようなところがあって

 ケンダルさんはわたし、性格がめっちゃ好みだったんですよケンダルさんが出てきた途端、わたしの中でケント氏はゴミ屑以下の存在に(笑)

 そうなんですよね~♪読者的にはスウ姉さんとケンダルがくっつくのは時間の問題……とはいえ、すぐに引っついたりしないで、ちょっとしたすれ違いになってるところがすごく焦れったくて良かったです(^^)

 バルト二教授は……すごく偉い音楽の教授かもしれないんですけど、カタコトの英語しかしゃべれないせいもあって、「あんた馬鹿??」とかちょっと思っちゃいました(^^;)

「没我の精神」。確か、天然痘にかかった家族を献身的に看病した子が死んじゃうお話でしたよね(もし違ってたらすみません)茶色の手帖同様、あのお話もすごく好きでした。なんかもう主人公が不幸で可哀想すぎて……アンもまた、天然痘にかかったダイアナを看病する想像をしてたと思うんですけど(笑)、実際にはほんと、昔の農村社会で家族に天然痘が出たとなったら、村八分にされる感じじゃなかったかなという気がします(^^;)

 おお、べのさんに「茶色の手帖」とか「没我の精神」とか言われるうちに、アヴォンリーの短編集が読みたくなってきました♪(ちなみに今は「アンの青春」を読んでます・笑)

 べのさん、コメントどうもありがとう~!!

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わたしも読みました~♪ (千菊丸)
2014-05-17 14:18:30
わたしも、「スウ姉さん」読みました。
弟と妹の身勝手ぶりに呆れてしまいましたが、終盤辺りで彼らが改心してよかったです。

父親が経営している銀行が倒産して家が没落して、そのショックで父親が認知症になって・・スウ姉さんは一家の為にこれまで自分を犠牲にしてきて、父親も亡くなってこれから自分の夢をまた叶えようと思ったけれど、やはり・・という展開になってちょっと驚きました。

わたしはスウ姉さんがピアニストにはならずに、ドナルドの妻となったラストが良かったんじゃないかと。
ピアニストとして成功しても、いつか壁にぶち当たり、ピアノを弾けなくなった時のスウ姉さんの絶望を想像すると、やはりこういうラストがあっていいのではないかと。

これはわたし個人の意見ですがね。

ただ、婚約者のケントが妹のメイと結婚したのがどうも解せませんね。
まぁ、ケントは作家としてのデビュー作は売れたけれど、そのあとは鳴かず飛ばずで、決して優雅な暮らしを送っていないのが因果応報というか、何というか・・
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Unknown (ルシア)
2014-05-17 18:44:05
 千菊丸さん、こんにちは~♪(^^)

 メイとゴルドンはほんと……なんとも言えませんよね(笑)割と小さい頃にお母さんが亡くなってるので、スウ姉さんをお母さん代わりとして甘えるのはわかるんですけど、それにしても……あんまり自己中で我が儘すぎるというか(←わたしだったらたぶん、あの二人がなんか言ってきたらこんな感じ☆^^;)

 そうですよね。確か物凄く有名なピアニストの方で、「もしピアノが弾けなくなったら……」と心配するあまり、物凄く神経質な方がいたと思います。エレナ・ポーターが「スウ姉さん」を書いた時代的なこともあるとは思うんですけど、スウ姉さんの優しい気質から考えても、あの超我が儘なケンダル氏を支えていくっていうのが幸せ……なんじゃないかなあ、というか。

 もちろん、プロピアニストになれる才能がありながらあえてそれを諦めるだなんてっていう、キャリア志向の方の気持ちもわかることにはわかるんですけど(^^;)

 そうですよねえ。結果としては、姉の恋人を妹が奪うような形になってしまって……それだけじゃなくて、結婚後もスウ姉さんが「あれしてくれて当然、これもしてくれて当然☆」という態度がまるで改善されていないという(苦笑)

 今後もし、ケントが書いても書いても売れない小説家みたいになって、出版社から見限られたらどうするんだろうと思ったり(^^;)そしたらまた、当然のようにスウ姉さんを頼ってくるんだろうし、でも今後はケンダル氏がいるから、彼がうまくお人好しな彼女を守ってくれるといいんですけど(笑)

 千菊丸さん、コメントどうもありがとう~!!

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