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ヘレン・ケラーの生涯はあまりに有名なので、小さな頃からすっかり見知ったような気持ちになっていたんですけど――今回あらためてきちんと知りたくなって、図書館から本を借りてきました♪(^^)
ええとですね、図書館で本を借りてこなくても、たぶんネット上に無料で読めるヘレンの伝記があるんじゃないかなと思って検索していたところ、ひとつ気になる事実に出くわしたんですよね。
「奇跡の人」っていう、ヘレンのことを伝える有名な映画があるわけですけど……わたし、実をいうとあの映画が伝えるすべてを、事実に基づく描写なんだとばっかりこれまで思ってました
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でも、ウィキ☆を見てみると、次のように書かれています。
>>この『奇跡の人』はアン・サリバンの記録をもとに書かれたものであるが、有名な井戸水を手にかけて「ウォーター」という言葉を理解し発した、というエピソードはこの戯曲における創作である(実際にはサリバンはケラーがこのとき発声したとは書いていない)。
ここを読んだ時に「ええっ!?そうだったの!?」と思い、では実際はどうだったのかが気になって仕方なくなってしまったわけです(^^;)
そこで借りてきたのが、ヘレン・ケラーの自伝と「ヘレン・ケラーはどう教育されたか~サリバン先生の記録~」の2冊。
この井戸水と「ウォーター」という言葉をヘレンが理解した瞬間のことについての記述を、それぞれの本から抜粋してみたいと思います。
>>わたしたちは、スイカズラの甘い匂いに誘われて、スイカズラが絡まった井戸のある小屋にいきました。誰かが水を汲んでいました。先生は、わたしの手を取って差しだし、ポンプから溢れでる冷たい水にさわらせました。そして、もう一方のわたしの手を取って、その手のひらに、はじめはゆっくりと、だんだんはやく、「水」という字を、何回も書き続けられました。
わたしは、一方の手で冷たい水を感じながら、もう一方の手のひらの、先生の指の動きに、じっと全身の注意を注いでいました。突然、わたしは、何かしら忘れているものを思いだすような、なんとも言えない不思議な気持ちになりました。こうして、わたしは初めて、手にかかる冷たい爽やかなものが「水」というものだということを知りました。
初めて、言葉というものを知ったのです。わたしをじっと抑えていた、あの目に見えない力が取り除かれ、暗いわたしの心の中に、光がさしてくるのがわかりました。
井戸を離れたわたしは、手にふれるものの名前を、かたっぱしから先生にたずねました。もっともっと、すべての物の名前を知りたい一心でした。手にふれるものなんでもが、新鮮に、いきいきと感じられました。
(「ヘレン・ケラー自伝~三重苦の奇跡の人~」、今西祐行さん訳/講談社より)
>>この前の手紙に、「m-u-g」(湯のみ)と「m-i-l-k」(ミルク)は、他のことばより彼女にとってわかりにくいと書いたと思います。彼女は「d-r-i-n-k」(飲む)という動詞とこの二つの名詞を混同しました。彼女は「d-r-i-n-k」という単語を知らなかったのですが、「m-u-g」や「m-i-l-k」を綴るときはいつも飲む身振りをしました。今朝顔を洗っているとき、彼女は「w-a-t-e-r」という名称を知りたがりました。彼女は、何かの名前を知りたいときには、知りたいものを指さし、そして私の手をたたきます。私は、「w-a-t-e-r」と綴り、それについては朝食のあとまでとくに考えませんでした。
朝食後、私はこの新しい単語を利用して、「mug-milk」の難しさを解決できるかもしれないと思いつきました。井戸小屋に行って、私が水を汲み上げている間、ヘレンには水の出口の下にコップを持たせておきました。冷たい水がほとばしって、湯のみを満たしたとき、ヘレンの自由なほうの手に「w-a-t-e-r」と綴りました。その単語が、たまたま彼女の手に勢いよくかかる冷たい水の感覚にとてもぴったりしたことが、彼女をびっくりさせたようでした。彼女はコップを落とし、釘付けされた人のように立ちすくみました。
ある新しい明るい表情が顔に浮かびました。彼女は何度も、「water」と綴りました。それから、地面にしゃがみこみその名前をたずね、ポンプやぶどう棚を指さし、そして突然ふり返って私の名前をたずねたのです。私は「Teacher」(先生)と綴りました。ちょうどそのとき、乳母がヘレンの妹を井戸小屋に連れてきたので、ヘレンは「baby」(赤ちゃん)と綴り、乳母を指さしました。家にもどる道すがら彼女はひどく興奮していて、手にふれる物の名前をみな覚えてしまい、数時間で今までの語彙に三十もの新しい単語をつけ加えることになりました。それらのいくつかをここにあげます。door(戸)、open(開く)、shut(閉める)、give(あげる)、go(行く)、come(来る)その他多く。
(「ヘレン・ケラーはどう教育されたか~サリバン先生の記録~」、槇恭子さん訳/明治図書刊)
>>その日は、たくさんの言葉を学びました。「父」「母」「妹」「先生」など、いろんな言葉を覚えれば覚えるほど、この世の中が、明るく楽しくなってくるようでした。
その晩、わたしはベッドに入ってからも、今日初めて知った喜びを、ひとつひとつ、もう一度思い起こしていました。この世の中に、自分ほど幸せな子供はいないに違いないと思いました。そして、明日が待ち遠しくなりました。
(「ヘレン・ケラー自伝~三重苦の奇跡の人~」、今西祐行さん訳/講談社より)
>>追伸――私はこの手紙を昨夜のうちに投函してもらえるように書き終えようと思ったのですが、出来ませんでした。そこでもう一行だけ書き添えます。ヘレンは今朝輝く妖精のように目覚めました。彼女はつぎからつぎに物をとりあげてはその名前を訊ね、大喜びで私にキスしました。昨夜私が床に就くと、彼女は自分から私の腕の中にすべり込んできて、初めて私にキスしたのです。私の心は張り裂けるようでした。それほど喜びであふれていました。
(「ヘレン・ケラーはどう教育されたか~サリバン先生の記録~」、槇恭子さん訳/明治図書刊)
それと、ヘレンの自伝には、生後19か月で大病を患う前に――病気のあとでも、ひとつだけ覚えている言葉があった、と書かれています。
それが他でもない「ウォーター」という言葉で、ヘレンはこの言葉のつもりでいつも「ウォーウォー」という音を口からだしていたのだとか。
なんていうか、あるひとつの<奇跡>が起きるためには、その前提として布石が用意されているものなのだなあと思い、ここでもまた感動したり。。。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」の訳者である、槇恭子さんのあとがきには、
>>ヘレン・ケラーの著書を読むと、精神の発達のある段階からつぎの段階への歩みが、多少とも思い出の甘い香りにつつまれて、美化されている、という印象を受けます。けれども、サリバン女史の手紙を読むと、ほんの小さなステップにも多くの試行錯誤があり、ジグザグがあったことがわかります。とくに、ごく初期の頃には、とっくみあいのけんかをするような、赤裸々な魂のやりとりがあったことがわかって、私たちに迫ってきます。感情が裸のまま飛び出る小さな野蛮人が、服従ということを知るようになる過程も、結果からみればたったの一歩のように見えますが、その一歩は困難な長い長い一歩でした。
と書かれています。
確かにそうなんですよね。やっぱりサリバン先生の教師としての苦労というのは、並々ならぬものがあって……でも、それと同時に真綿が水を吸収するように、ヘレンが色々なことを覚え成長していく過程というのは、サリバン先生にとって何ものにもかえがたい大きな喜びであったということが、本当によくわかります。
また、<愛>という言葉の意味を知らなかった少女がその意味を知る過程、それからキリスト教の<神>についての概念をサリバン先生がどのようにヘレンに伝達したかについても、とても興味深いものがありました。
他には、ヘレンがナイアガラの滝で、その雄大さに感動するシーンも、実は目の見えない方のほうが<物事の本質>を深く捉えているのではないかということが窺えて、心に残るものがあったり……。
それと、ヘレン・ケラーの生涯についてはよく知られていても、「奇跡が起きるよう働きかけた人」、アン・サリバン先生の生涯については、意外に知られていないのではないでしょうか。
サリバン先生はヘレンのように恵まれた家庭に生まれたわけではなく、極貧の中で育ち、その上幼くして視力まで失うという不幸に見舞われています。
その後、周囲の人々の助けや励ましなどがあり、闇の中から光の世界へと這い上がる努力をされた、不屈の忍耐力を持つ人でした(視力を回復するための手術は、最初は失敗しましたが、二度目の手術で成功したようです)。
そしてそんなサリバン先生だったからこそ――ヘレンの<魂>が理解できたのだと思うんですよね。
ヘレン・ケラーの自伝と一緒に、大草原の小さな家シリーズの第4巻、「シルバー・レイクの岸辺で」を借りてきたんですけど、この巻ではインガルス家の長女、メアリーが視力を失っています。
わたしもドラマを見たのは随分昔のことなので、細かいところは忘れてしまってるんですけど……メアリーが視力を失う回というのは、目に涙がこみあげてくるものがありました。
「父さん!目が見えない!目が見えないの、父さん!助けて、父さん!」
もし、自分の子供にこんなふうに叫ばれたとしたら――親なら、悲しい思いで胸が潰れるほどでしょうし、出来ることならかわりたいとさえ思うに違いないと思うんですよね
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でもメアリーもまたサリバン先生やヘレンと同じように不屈の精神によって、障害とともに強く生きた女性でした。
わたしも、点字器と点筆をネット注文して届き次第、点字の勉強に励みたいと思っています。。。
それではまた~!!
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