天使の図書館ブログ

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手負いの獣-16-

2013-03-15 | 創作ノート
【ネリッサ】ジョン・ウィリアム・ゴッドワード


 今回のお話では、娼婦(?)的女性が出てくるということで、トップ絵は半裸・裸・美女を多めに使ってみたというか(^^;)

 まあ、実際には諏訪先生のような女性がお医者さんやってることはないと思うものの……諏訪晶子先生的な人生を送ってる女性っていうのは確かに存在すると思います。

 なんというか、「そこまでいったら恋多き女というより、ただのヤリマンなのでは?」といった感じの女性というか(^^;)

 話を聞いていると、最初のひとりふたり、三人四人、五人六人……くらいまではまあ、話として聞いてられるんですよね。

 恋愛話としても面白いし、ある意味刺激的というか(笑)

 でもそれがそれ以上割合短期に人数増えていくと、ちょっと「え?」ってなりますよね(^^;)

 まず、彼女の恋愛哲学(?)というのが、出会って相手のことが気に入ったらまずは寝るというもので、「だって、性格が合って意気投合して、最後あっちが駄目だったらどうするの?」とか言ってましたっけ。

 結婚しても浮気をし、次に夫に浮気されて逆ギレ離婚。。。

 話として聞いていて思うに、たぶん旦那さんのほうにもそれは言いたいことあるだろうな~☆と思いつつ、一応友達なので、それなりに「うん、うん」って言って話を聞くしかないんですよね(^^;)

 で、離婚後はまたすぐに相手を見つけて、その相手と結婚するとか言ってたあたりで、自然と音信不通になってしまったというか。

 その相手の方っていうのが、インターネットで見つけた人らしいんですけど、実際に会った人としては三人目くらいだったらしいです。つまり、最初のふたりとも出会って割合すぐそういう関係になってるというか。。。

 いえ、この時も話としては「出会い系サイトで出会って……」みたいなことは、一応テレビなんかで聞くことには聞いていたものの、「インターネットっていいよ!だって、メールとかでじっくり話して相手の性格がわかってから会うわけじゃない?それで実際に会って本当に合うなと思ったら、次の段階に進めばいいわけだから」と得意気に語る彼女に対し、わたし自身は「………」とか思ってましたっけ(^^;)

 もちろん、彼女のことを「馬鹿じゃないの?」と思う人もいると思うし、「そこまでいったらただのヤリマンだろ☆」と思う人もいると思います。でも彼女と話していてわたしが面白いなと思ったのは、それでいて彼女が絶対にセックスっていう単語を使わなかったことかもしれません。

 まず絶対的に「あれ☆」とか「えっち☆」といった言葉を使うので、時々わたしのほうから「ようするに、セックスのこと?」って聞いて、「うん。そうそう!」とか言ってたり(笑)

 なんにしても、こういうふうに人から話を色々聞いてると、小説を書く分には役に立つような気がします(^^;)

 聞いたことをそのまま使ったりっていうことはないにしても、「そういうことがあるなら、こういうこともありうるな」とか、「こういう人がいるなら、あんな人やこんな人だっているだろう」的連想として、お話をある程度リアリティを持って繋げやすいというか。

 あと、諏訪先生のイメージとしては、たまたま診察してもらったお医者さんが女医さんだった時に、軽くびっくりした印象が元になってるかもって思います。ひとり目は真っ赤なミニスカートをはいてる女医さんで、ふたり目は白いキュロットに素足といった格好なんですけど、物凄く丈が短いので、目の前で足を組まれた時には一瞬ドキッとしたほどでした(笑)

 そんで三人目の女医さんが眼科医で、なんとミニスカートに白の網タイツをはいていたという。。。

 いえ、眼底検査を受けたんですけど、その女医さんのしゃべりとか、色んなものからして「オレ、もしかしたらこのまま目が見えなくなるかも☆」と思ったもんでした(笑)

 自分的に女医さんっていう存在に対して、変な偏見みたいなものはないものの、それでもやっぱり、もし仮に真っ赤なミニスカートに白の網タイツって格好で、「ハイ。あ~んして」とか言われたら、「この人に手術とかは絶対してもらいたくないな☆」って思いますよね(^^;)

 そんで、その格好で「どうして腕はいいのに、患者さんがあまり来ないのかしら」とか言ってたら、「もっと自分を見直そうよ」としか言えないような気が(ちなみに、翼が言ってる<人は見た目が九割>っていうのは、こういうことなんだと思います・笑)

 一応高畑先生にも外形モデルがいなくもないんですけど、その先生は近くにいったらカマイタチで切られそうな感じのする女医さんでした。そのくらい動作がキビキビしてて、物言いもはっきりしてる。で、その時にふと思ったんですよね。女医さんが執刀する場合は、このくらいじゃないと患者さんも安心して身を任せようみたいに思わないんじゃないかなって。

 なんにしても、人間っていうのは色んな人がいて本当に面白いですよね

 それではまた~!!

 

       手負いの獣-16-

「それで先生、掃除のやり方に注文つけたいってのはただの口実で、わたしに聞きたいことってのは、その高畑先生の盗まれた五十万のことなんですかね?」

 ある意味、翼は本当にラッキーだったのかもしれない。土曜日の午後一時、彼の部屋にやって来たのはK病院で清掃員として働き続け十五年という、大ベテランの中年女性だったのだから。

「ああ。だからさ、べつに掃除のほうはしなくていいわけ。おばさんに来てもらったのは、事の真偽を確かめようと思ってのことだから。サニーちゃん……じゃないや、医療秘書の田中陽子さんがさ、医局を案内してくれた時に俺にこう言ったんだよな。解雇になったほうの掃除のおばさんは犯人じゃないと思うって。で、俺はその時からなんとなく気になってたんだ。そのおばさんが犯人じゃないんなら、医局内に犯人がいる可能性が濃厚なんじゃないかって。特に高畑先生の部長室は、手術室のそのまた奥の、患者や一般人がまず近寄らない場所にあるだろ?手術が終わるのを待ってる患者の家族にしても、あんまり手術が長いんで、ちょっと廊下のほうに出たにしても――<関係者以外立ち入り禁止>の札も出てるし、あのあたりは普通の人が近寄っちゃいけない雰囲気が漂ってるから、まず見知らぬ人間が取っていった可能性は低いと思う。まあ、俺はそんな話、わりとつい最近まで一旦忘れてたわけ。でも諏訪先生が死ぬ少し前に医局で盗難事件があったっていうことは、一応頭の隅っこにインプットしておく必要のある情報なんじゃないかと思ってね」

「おやまあ。先生みたいに頭のいい方というのは、随分難しくものをお考えになるものなんですね」

 この日、掃除婦の青山多津子は、いつもの薄いブルーの制服に白い三角布という格好ではなく、レンガ色のトレーナーに紺のジーンズ、その上にエプロンを着ているというスタイルだった。翼が掃除しなくていいと言ったにも関わらず、その手には布巾が握られており、テーブルの上やテレビ台の下など、いつもの手順で彼女は掃除を開始している。

 年の頃は五十代後半から六十代前半といったところで、くしゃくしゃの癖毛の髪をどうにか整え、軽く薄化粧しているといった感じの、おそらく多くの人が親近感を抱くタイプの女性だった。

「あの日、わたしと解雇になったほうの、先生方がいう<掃除のおばさん>は――本当にいつもどおり仕事をしていました。院長室の掃除からはじめて、次が副院長室、総師長室といった具合にね。あとは会議室、給湯室、休憩室とやって来て、事務局長の部屋、事務室、医療図書室。で、次が医局と隣の食堂、女医さんたちの部屋……それから、ズラリと並んだ部長先生の部屋といった具合に。あと、言い忘れてましたが、事務室を掃除する時に事務員の方から部長室を開けることのできるマスターキーをお借りします。そして片側の部長室とその前の廊下を掃除したら、次に手術室のフロア、麻酔科の先生方がいらっしゃるお部屋、患者さんの家族の待合室の順ですね。まあ、問題はここからなんですよ」

 翼が「掃除はしなくていいんだってば」と言っても、「そういうわけにもいきませんし、体を動かしながら話したほうが楽ですから」と青山は言い、勝手知ったるなんとやらで、キッチンの下からバケツを取りだし、今度は床の拭き掃除をはじめた。

「あ~あのさ、おばさんっていつもその手法で掃除してんの?そんな四つん這いになる必要ないからさ、今度クイックルワイパーでも俺、用意しとくよ。それか、掃除機でガーッと適当にやっといてくれればいいっていうか」

「先生方っていうのはほんとに、何もご存知ないんですね」

 青山はとてもがっかりしたと言うように、深い溜息を着いている。

「そりゃもちろんわたしたちも、絨毯敷きのお部屋は掃除機をかけますよ。でもフローリングの床については、雑巾できっちり隅から隅まで拭いてくれっていう注文を出した先生がいらっしゃるもんですから。当然お医者さん方っていうのはお偉い先生たちですし、わたしどもは所詮時給いくらで働くしがない掃除婦ですよ。でもあの時の事務長の対応は本当にひどいものでした。まず先にわたしのことを勤務後に呼びつけて、どういった手順で掃除したのかと聞き――花巻さんに対しても、同様に容疑者の取り調べをするような口調だったと聞いています。わたしたちは毎日コツコツ、人が見ていようが見ていまいが、とにかくひたすら真面目に掃除をしてるってだけなのに、そうした人の労力に敬意を払うってことが全然ないんですから……ええと、話が逸れてしまいましたけど、問題はですね、先生。手術室を抜けると、わたしと花巻さんはそれぞれ、二手に別れるんですよ。片方がすぐ横にあるトイレを掃除し、片方は部長先生のお部屋を順に掃除していくといった具合です。トイレ掃除は一日おきに交代で行ってるんですけど、あの日はわたしがトイレ当番だったんです。で、花巻さんは先に進んでいって部長先生のお部屋を掃除していったんですよ……その、わたしが思うには、そこが運命の分かれ道だったんだと思います。あの日、もし花巻さんがトイレ掃除をしていて、わたしが部長先生の部屋を先に掃除していたら、解雇になっていたのはわたしのほうだったかもしれません」

 ここで青山は玄関に続く廊下へ行き、そこにあるロッカーから掃除機を取り出そうとしている。

「あのさ、本当に掃除はいいんだって。事務長にはあの青山さんの掃除っぷりは大したもんだ、まったく感心したとでも言っておくから、こっち来て茶菓子でも食べなよ。じゃないと、掃除機のガーガーいう音がうるさくて、話どころじゃなくなるだろ」

「そうですか」と言って、青山はここでようやく諦めたように、居間へ戻ってきてソファに腰かけた。翼がお茶を入れ、それを茶うけとともに彼女に差し出す。

「ああ、この最中、ロベルティエ製薬の方がいつも差し入れにと先生方に持ってくる最中ですね。ここだけの話、わたしと花巻さんはこの最中、何度も美味しくいただきました。というのも、先生方の中には封も切らずにゴミ箱に捨ててる方が何人もいらっしゃって……結城先生はもしかしたら、なんという卑しいババアどもだとお思いになるかもしれませんが、封も切らずに箱ごと捨てるなんて、なんとも勿体ない話じゃないですか。ですからわたしと花巻さんとで、半分ずつにしてよく持って帰ったんですよ」

「ちなみにそれ、俺のは賄賂ってのじゃないんだけど。事務長の部屋で食ってうまかったから、デパートの地下街にあったのを買ってきたってだけ。そいで青山さんはさ、事務長にありのままを話したわけだろ?自分はトイレ掃除してから次に部長室を順に掃除していきました、みたいにさ」

「そうです。あら、随分美味しいですね、この梅こぶ茶」

 青山が一口飲むなり、顔を上げて翼のことを見返してくる。

「だっろー?それ、俺のお気に入りなの。茅野さんも好きなんだけどさ、あの患者、誰だったかな……とにかく、お茶っ葉と茶菓子がセットになった歳暮みたいのを昔、誰かが持ってきたんだよな。で、話の続きだけど、俺が聞いたところによると、事務長はふたりの話をそれぞれ聞いて辻褄が合わないと思ったっていうんだ。そのへん、本当はどうだったのかと思って」

「ええ、わたしもその点は花巻さんから聞きました。彼女、普段は穏やかな事務長が取り調べ口調だったもんで、すっかり上がっちゃったんですね。それでつい嘘をついてしまったっていうんです。だって、空白の時間といったら、わたしがトイレ掃除をしてる十五分くらいのものでしょう?きっと事務長はその間に自分が高畑先生のお部屋までいって、五十万をとり、その後わたしと合流して何食わぬ顔で掃除を続けたと思ってる、絶対そうに違いないと直感したんだそうです。その、わたしがこんなことをいうのもなんなんですけど、外見的に見て花巻さんが怪しいっていう気持ち、なんとなくわからなくもないんですよ。あの人、外見がちょっとネズミに似てて、少し小狡そうに見えるところがあるもんですから……まあ、そんなこと言ったらわたしなんて、小太りの大黒天をおばさんにした感じでしょうけれど」

 ここで青山が笑ったので、翼もまた微かに笑みを浮かべた。

「でも、そんなのおかしくないか?仮に花巻さんって人が青山さんがトイレ掃除中に速攻高畑先生の部屋に突進していったとしたら……前提条件として、彼女は最初からそこに金目のものがあったと知っていた必要がある。流石にその説には少し無理がありそうだけど、それとも高畑先生は常時部屋の見えるところに札束を置いてるような人だったのかな」

「いえいえ、高畑先生のお部屋はいつも、きちんとしていてまるで掃除の必要がない感じに見えますよ。ですから、だらしなく札束なんてそこらへんに置いておかれる方じゃありません。なんにしても、花巻さんは最初から嘘さえつかないでいたら良かったんです。あの人、その時はわたしとトイレ掃除を分担し、それからふたりで部長先生のお部屋を掃除しはじめたと、つい嘘をついてしまったっていうんですよ。わたしの意見としてはですね、結城先生。それでも花巻さんが犯人じゃないっていうのは絶対確かなんです。あの人には先生方の部屋をじろじろ見たり、掃除しながら「ねえ、ちょっとこれ見てよ!ブランド物の時計じゃない?」とかなんとか、そういうことを言う癖はありましたよ。でも、もともと根が小心な、善良な人なんです。わたしは花巻さんと組んで、三年仕事をしてましたから、あの人が六十五まではどうにか、K病院で働きたいと言ってたことも知ってます。わたしの家も彼女の家も決して裕福ではありませんけどね、でも人のものを盗んだりまでは流石にしませんよ。そのことだけは天地神明に誓って言えることです」

「う~ん。そっか……あの、これを言っていいかどうかってのは、俺もちょっとわからないんだけどさ。その花巻さんて人、宮原総師長のカーディガンを鏡の前で合わせたりしたことってある?」

 餅入り最中と水飴入り煎餅を食べつつ、青山は時折梅こぶ茶をすすって言った。

「あら、このごま煎餅、水飴が入ってるんですね。わたし今、歯の治療中で詰め物してるんですけど……まあ、いいわ。ここの仕事を終えてから予約してた歯医者に行く予定だから。あ、宮原総師長のカーディガンの件でしたね。そういえば以前、そんなこともありましたっけねえ。わたしが廊下をモップがけしてる間に、花巻さんは総師長さんのお部屋を掃除してて。わたし、会議室とかエレベーターホールの前なんかを拭いてたもんで、宮原総師長がまさか、部屋の前に立って咳払いしてるなんて、思いもしませんでした。あとから聞いたら花巻さん、同じ萌黄色のカーディガンをデコラデパートで買おうと思ったけど、迷った揚げ句に買わなかったんですって。でもやっぱり買っておいたら良かったな……と思って、つい着ちゃったらしいんです。『そんなことしちゃ駄目じゃないの!馬鹿ねえ、バカバカ!』ってわたしも叱っておきました。宮原総師長は本当に目ざとい方で、あの方は総師長になる前は脳外の看護師長さんだったんですよ。だから十一階担当の清掃員はよく嘆いていたもんでした。寝たきりの患者さん専用の浴室とか、掃除がなってないからやり直してちょうだいって、清掃主任の元までよく電話がかかってきてたんです。担当の掃除婦は髪の毛一本たりとも落とせないっていうことで、ノイローゼになって辞めた人もいました。ほんと、外科の高橋看護師長とは大違いですよ。あの方はほんと、わたしども掃除婦なんかにもよく気を配ってくださって、優しく声をかけてくれるんです。べつにその言い方も恩着せがましいっていうんじゃなく、ほんとに自然に感じの良い方ですもの」

「それは確かに、俺も同感だな」

 そう言って翼は、いちご大福を手にとって食べはじめた。それと、さつまいものスイーツを「これもうまいんだぜ」と言って、青山の手に握らせる。

「俺、ついうっかりして、高橋看護師長のところに挨拶に行ってなかったんだけど、あの人はなんつーかこう、菩薩みたいな感じの人だな。『挨拶くらいしにこんかい、このボケが!!』と睨むでもなく、ほんと、ただナチュラルに『うちの看護師に手を出したら首が飛びますよ』ってにこやかに釘刺されたってだけ。もちろん、半分冗談なんだけどな」

「あら、ほんとに美味しい唐芋ですね、これ。これもデコラデパートの地下で売ってます?」

「うん、売ってるよ。でさ、さっきの話の続きなんだけど……その日の高畑先生の部長室の様子ってのはどんなんだったわけ?いつもどおり整理整頓されてて、何も変わったところはなかった感じ?」

「わたし、このことは事務長にも申し上げたんですけど……」

 青山は紫芋のスイーツを食べる手を止め、どこか深刻そうな顔つきで俯いた。

「先生たちっていうのは意外に、ズボラな方が多いんですよ。もちろん高畑先生はまったく別ですけどね。あとは逆に妙に神経質な方がちらほらいらっしゃったり……わたしたちは物の位置をずらすことなく掃除するっていうのが大原則なので、机の上のものには決して触ったりしません。でも、大事なメモ紙がなくなってる、ゴミだと思って掃除のおばさんが捨てたんじゃないか、あれは大切なものなんだ、弁償してくれ……そんなふうに言われたことが昔あって、夜の八時くらいに家まで電話が来てびっくりしたことがあります。もちろん、電話してきたのは事務長で、先生がそうおっしゃってるけど、メモ用紙のようものを捨てなかったかねって言うんです。わたしも花巻さんも「知りません」としか答えようがありませんでした。それ以来、小さなゴミ屑が床に落ちてても、それは無視して床をモップがけするようになりました。つまりね、結城先生。神経質タイプの先生方はほとんど絶対的に部屋に鍵をかけてお出になるんです。そしてズボラタイプの先生方の部屋っていうのは、マスターキーを使うでもなく、開いてることが多いんですよ。盗まれるものなんて何もないからなのかもしれませんが、神経質タイプの先生方でも、時々鍵をかけ忘れることはおありのようです。たぶんきっと、先を急いでいたり、患者さんのことで頭がいっぱいだったという、そういうせいなんじゃないかと思うんですけど……それで、高畑先生のお部屋っていうのは、いつもちゃんと鍵がかかってます。というより、一番奥まったところにある五部屋については、先生方、みなさんきちんと鍵をかけるようにされてるみたいですね。でもあの日――高畑先生の部屋には鍵がかかってなかったんですよ。いつもならそんなこと、すぐ忘れてしまったでしょうけど、事務長から『何か変わったことはなかったかどうか、思い出すように努力してほしい』と言われて、わたし、あのあと何度も記憶を甦らせようとしたもんですから、それで覚えてるんです。花巻さんと一緒に『あら、どうしたのかしら。鍵がかかってないわ』って言って部屋に入り、机の上とか棚の上、テーブルや冷蔵庫など、目につく場所を順に拭いていきました。それから洗面台の上の鏡や蛇口なんかもピカピカにして、花巻さんは床をモップがけしてたんです。そしたらゴミ箱に、例の餅入り最中が捨ててあったもんですから、花巻さんが『これ、あとでふたりで分けて食べようね』って言って。『それにしても、あの製薬会社の人たちも、馬鹿のひとつ覚えみたいに同じお菓子じゃなくて、他のを持ってきたらどうなのかしら』なんて、笑いあってたんです。これはあくまでも、あとにしてみたらっていうことですけど……あの日、確かに高畑先生の机の上には、封筒が置いてあったんですよ。ほんの少し厚みがあったようにも思いますけど、でもわたしも花巻さんもその封筒の中にお金が入っているとまでは考えませんでした。わたしたちは掃除の仕事で疲れきってましたから、早く休憩室に行って、ペットボトルのお茶でも飲みながら餅入り最中を食べたいといったことしか、頭になかったと思います。にも関わらず、大金を盗んだ窃盗犯に仕立て上げられるだなんて……花巻さんは可哀想でしたよ。一度そういう噂が広まると、他の掃除婦たちも『本当はあなたが盗んだんじゃないの?』みたいな目で見てましたから。主任も事なかれ主義の人ですし、K病院の仕事は一年ごとの契約更新になってますから、来年契約が更新されなかったらまずいというふうにしか思ってなかったのでしょう。『社長に頼んで他の仕事をまわしてあげるから』と、花巻さんにはそう言い含めたようですね」

「なるほどね。ところでさ、青山さん。餅入り最中の箱は封が切ってなかったっていうことだけど、上にかかった紙の封が綺麗にかかったまま捨ててあったってこと?」

「いえ、そうじゃなくて……上の紙は破いてあるんですけど、中には最中が十二個、綺麗に封のかかったまま捨ててある場合が多いんですよ。時々、一個か二個くらいは先生もお食べになるみたいですけど、十二個全部、そのまま捨ててあることもよくあります。あと、餅入り最中に限らず、そんなふうにして色々な種類のお菓子が箱ごと捨ててあることが多いというか。患者さんからもらったものの、自分の好みでないお菓子だったのかどうか、丸ごとぼんと捨ててあって……『まったく卑しいな、そんなんだから金を盗んだと疑われるんだ』って先生はお思いになるかもしれません。でも、わたしも花巻さんも古い世代の人間ですし、お互い貧乏な家で育ったこともあって、お菓子をそのまま捨てることのほうが、むしろ頭おかしいんじゃないかって感じなんですよ。お陰で、随分色々なお菓子に詳しくなった気がします」

「あと、もう一個いい?なんで青山さんは餅入り最中を持ってくるのがロベルティエ製薬の人たちだって知ってたのかな?そこがすごく不思議なんだけど……」

「べつに不思議でもなんでもありませんよ」

 そう言って青山は笑い、翼に勧められるがまま、今度はいちご大福に齧りついた。

「あの人たち、いつも部長先生の部屋の前をうろうろしていて、わたしや花巻さんが部屋を開けると、『どうしてもこの餅入り最中を先生の机の上に置いてほしい』とか、そんなことをわたしたちに頼むんです。で、その次の日に掃除しにいってみると、大抵はゴミ箱に捨ててあるといったような具合です。館林先生なんて、一度そのことを知るなり――というのも、彼らがどうやって鍵のかかってる自分の部屋に入ったのか、不思議だったのだと思います――わたしと花巻さんに『もう絶対にあいつらを室内に入れるな』とおっしゃってましたっけ。館林先生の洗面台には増毛剤が置いてあるんですけど、頭髪のほうにはまるで変化がおありにならないようですね。うちの主人も髪がまばらになってきた時、薄い毛にしがみつくのはもうやめたと言って坊主にしたんですが、主人曰く、ある瞬間に<悟った>ということでした。つるっパゲになるより、あるかなきかの薄毛を生やしてるほうがずっとみっともないっていうふうに」

 青山がくすくすと笑ったので、翼も彼女につられるように思わず笑った。館林医師のハゲ頭を見ていると、まるで悟りを開いた中国の僧のようだなと、翼は常々感じていたからである。

「あと、今わたしが話したことは全部、出来れば事務長や他の人には内緒にしておいてくださいね。一応、わたしども掃除婦というのは、こちらのマンションもそうですけど、ここで見たり聞いたりしたもののことは、絶対口外してはいけないことになってるんです。時々ゴミ箱のお菓子を箱ごと持って帰ってるとか、そんなことがもし知れたら、わたしも花巻さん同様、すぐクビが飛ぶと思いますから」

「ああ。その点についてはまったく問題ないよ。事務長にはさ、いつも部屋をピカピカにしてくれて有難いと思って、一度ちゃんとお礼を言いたかったとかなんとか、うまいこと言っておくからさ」

「それで、先生。わたし、こんなお話で何か、先生のお役に立てましたでしょうか?」

「もう、バッチリ」と言って、翼は右手の親指と人差し指で丸を作った。「まだ俺の頭の中じゃ仮説の状態だから、不用意なことを口には出来ないんだけどさ、もしまた青山さんに聞きたいことが出来たら、どうしたらいいかな。青山さんって病院のほうにはいつも、何時ごろまでいんの?」

「そうですね。大体いつも、十二時半から一時くらいの間に着替えて病院を出ることになります。そして今度はこちらのマンションの掃除を火曜と金曜に行ってるんです。なのでまあ、紙に<話がある>とでも書いて置いていただければ、先生がお昼休みの時にでも秘密の場所でお話できるかと思います」

「秘密の場所?」

「ええ。病院内って結構、倉庫的な場所ですとか、小声でちょっと話すのにいいところがあるんですよ。わたしは医局の掃除専属になる前は、別の階の担当をしていたので、建物の構造上どこに何があるかはよく知ってるんです。シーツを取り替えたりするリネンのおばさんたちも顔馴染みですし、ゴミ処理担当の出口さんは旦那の飲み友達ですしね。あと、警備員の吉川さんともよくお話します。諏訪先生が亡くなった日の夜、吉川さんは夜勤だったそうなんですけど……医局には二度ほど見回りに行ったけれども、特に異常はなかったようにしか思わなかったとおっしゃってましたね。もし殺人者が外部から入りこんだとすれば、職員玄関以外のドアは開いてなかったわけですし……不審な人間の出入りはなかったと、吉川さんは刑事さんたちにそう話したみたいです」

「ああ、そっか。第一職員玄関だって、流石にそろそろ人の出入りはないなって時間帯には鍵をかけるだろうからな。うちは防犯カメラなんてものがない病院だけど、土曜日に日勤だった警備の人に、どの先生とどの先生の顔を見たか、覚えてる限り教えてもらうっていう手もあるか」

 ここで青山は、最初からおそらくそうであろうと漠然と感じてはいたものの、翼の意図が諏訪晶子の犯人探しにあるとわかり、俄かに不安げな顔の表情になった。

「そのう、結城先生は本当に、医局の先生たちの誰かが犯人だとお思いなんですか?」

「いや、べつに是非ともそう思いたいってことじゃなくてさ、どう考えても他に誰もいないだろうって話。で、そいつは今ものうのうと医者やって、同僚からは尊敬され、患者からは感謝されるっていうような生活送ってんだぜ?俺、そういう白黒はっきりしない状況って、ケツの穴がムズムズする感じがして嫌なわけ。だって、日常のふとした瞬間に『こいつが犯人かも』なんて思ったりするなんざ、こっちの精神衛生上、非常によろしくないからな」

「そうですか。でも先生……くれぐれもお気をつけくださいね。わたしは今日ここで先生とお話したことは誰にも言いませんが、それでも――結城先生が諏訪先生殺しの犯人を探しているだなんて噂が立ったら大変ですよ。何気ない調子で近寄ってきて、渡された飲み物の中に何かが入っていて、その後永遠に目覚めることはなかっただなんて、安手のサスペンスドラマならともかく、現実ではまったく笑えませんよ。それと、花巻さんみたいに罪のない人を無闇やたらとあやしいと感じたり、無駄に疑ったりしないほうがいいと思います。あとでその人が犯人じゃないとわかった時に、お互いの間にわだかまりが残らないためにも」

「うん、確かにそうだな。青山さん、適切な助言をありがとう」

 翼が顎に手を置いたまま、どこか感慨深げに礼を述べると、「それじゃあ、わたしはそろそろこれで」と、青山多津子はソファから立ち上がっていた。

「わざわざ休日に悪かったね。これ、お礼といっちゃなんだけど、良かったら家で食べて」

「あれまあ、先生。わたし、適当に自分の好きなことをくっちゃべっただけなのに、お土産までいただけるんですか?なんだか申し訳ないですね。結城先生みたいないい男と短い時間でも話せるだなんて、わたしのほうこそお金を払わなきゃいけないんじゃないでしょうか?」

 青山は花柄のエプロンを脱ぎ、玄関でコートを着ると、「それじゃ遠慮なく」と言って、高級菓子店のロールケーキが入った紙袋を受け取っていた。

「それとさ、青山さん、もしかして甲状腺か呼吸器が悪いとか、更年期障害だったりする?さっき、掃除してる時にさ、少し息切れしてたみたいだから」

「そうなんですよ。わたし、バセドウ病なもんで、K病院の内科の池垣先生に診てもらってるんです。すぐ息が切れたり顔が赤くなったり、体が疲れやすかったり……まあ、もうこんなもんだと思って諦めてますけどね。体がもっと健康で丈夫だったら、仕事をこなすのが今よりずっと楽だったろうなと思います。でも、もっと大変なご病気を持ってる方が世の中にはたくさんいらっしゃるわけですし……花巻さんの言い種ではないんですけど、わたしも六十五歳までは仕事を続けたいなと思ってるので、がんばりますよ」

 座って靴をはいたあと、青山は「よっこらしょ」と言って体を起こし、翼に一礼してから部屋を出ていった。リュックサックを背に背負い、片手に紙袋を持ったその姿は、何故か翼に懐かしいような記憶を呼び起こさせる。

 実際に、具体的な誰かをその背中に重ね合わせるというのではなく、自分も同じように身の丈にあった<何か>を背負って生きていくしかないのだと、そう感じる感覚にそれは似ていたかもしれない。

「いやあ、それにしても面白くなってきましたよ、翼さん」

 何故か自分のことをさん付けで呼び、翼はすぐどたどたと廊下を走って寝室まで行った。黒い枕に黒い布団カバーのかかったベッドの脇、そこにある黒い机の前で、パソコンの電源を入れる。

 翼がこの時真っ先に行ったことは――K病院のホームページにアクセスし、目次の一番下にある<K病院通信>と書かれた項目をクリックすることだった。そしてK病院通信・電子版の遥か昔のものから順に、片っ端から読んでいく。

 今のところ、自分が持ちうる情報の限りにおいて、捜査線上に浮かび上がってきたのは、内科の池垣雅史、精神科医の溝口篤、整形外科医の辻崇、麻酔科医の戸田道生、小児科医の君塚豊、脳神経外科の雁夜潤一郎、外科の高畑京子……その他といったところだったに違いない。無論、山田優太が言っていたように、あの土曜の夜、ただ指をくわえて諏訪晶子のことを見ているしかない医局員の誰かが、どこかに隠れていたという可能性もある。

 だがこの場合はとりあえず、翼はあの夜に当直だった医師、また諏訪晶子と関係があったと思しき医師、それとなんらかの接点があったと思われる医師の七名に絞って捜査をはじめることにした。

 まず、高畑京子だが、彼女がK病院にやって来たのは七年前、K病院が落成した三年後のことである。その時の自己紹介文に高畑京子は「女医だからといって男の外科医より劣っていると思わず、腕を信頼してほしい」といった旨のことを書き記していた。自己紹介のプロフィールとして、何も出身大学やそれまでの経歴を書かなくてはいけない決まりはないようだが、大抵の医師は軽く略歴などを記しており、どこの病院に何年いたかといったことや、年間手術数についてまで詳しく書き記している者もいた。

 池垣雅史は華々しい経歴のあとに、<同じく医師をしている妻との間に息子がおり、犬を二匹飼っています。二匹ともミニチュアダックスフントで、ララちゃんとカレンちゃんというのですが、なかなかお転婆で困っています。犬の散歩の他に、趣味でフルートをやっています。妻がピアノを弾き、息子がヴィオラを奏で、休日は三人で音楽会を開催することもあります。患者さんにもいつか、このフルートの音色を機会があれば是非お聞かせしたいです>……ここまで読んだ瞬間、翼は思わず意地悪くニヤリと笑ってしまった。

 もしこのピアノを弾く素敵な奥さんが、夫の浮気と裏切りを知ったとしたら――そう考えてみただけでも、池垣医師が神経質なくらい怯えるのは無理もないと、翼は心から同情したくなったのである。

「ええと、精神科医の溝口先生は……と。ふうん。溝口先生は池垣先生と同じく、五年前にK病院にやって来たのか。<精神腫瘍科というのは、患者さんたちにとってあまり耳馴染みのない科かもしれません。精神腫瘍科というのは、ガンの人間学的側面を扱った科で、患者さんたちの悩みに寄り添って治療を行う科です。僕もまだまだ人間として至らぬ存在ですが、共に成長しあえるような関係性を患者さんと築いていきたいと考えておりますので、よろしくお願いします。趣味は読書で、特にロシアの文豪、ドストエフスキーの著作を研究しています>……か。ドストエフスキーねえ。『罪と罰』なんかを読むのが好きって奴が、一体わざわざ犯罪なんか犯すもんかね」

 翼が次に整形外科医の辻崇の自己紹介文を探してみると、そこにはジャニーズ系の童顔をした、いかにもお坊ちゃま風の男の写真があった。

「ふうん。辻先生がK病院にやって来たのは四年前か。<僕は父と兄が医者、従兄弟が放射線技師や薬剤師といったような、医療に関係のある家系に生まれました。辻病院といえば、地元では代々続いている大病院で、そちらは優秀な兄が継ぐ予定となっているのですが、いつか僕も尊敬する父や兄を手伝うために、今は日々研鑽を積もうと考えています。みなさん、よろしくお願いします>……って、こう言っちゃなんだが、まるで中学生の作文みたいだな。辻病院っていや、日本医療評価機構が設立されて、割と初期の頃に高い認定基準をクリアしたとかで、有名になった病院じゃなかったっけ。家族や親族がみんな医療関係者で、一族でがっちり固まって負の運営をしてるってわけじゃないってことか。なんにしても、もし諏訪晶子が辻先生と結婚なんてしてたら、その一族の一員ってことになってたかもな」

 そんなことを思いながら、翼は次に麻酔科医の戸田道生のプロフィール文章を探した。戸田医師がK病院に赴任したのは三年前のことであり、彼については出身大学や経歴等、すべて省いてあった。<麻酔科医というのは、普段あまり患者のみなさんと接する機会が少ないものですが、顔を合わせる機会があった時には、何卒よろしくお願い致します。趣味は麻雀と競馬で、麻雀はプロ雀士の資格も持っています。好きな馬はハイセイコー>……翼はここまで読んで、戸田医師はなんとなくわかりやすそうな男だなと、漠然と感じる。

 手術室で仕事以外の個人的なことを聞いたことはないものの、軽度、あるいは中~重症程度のギャンブル体質なのではないかと想像される。ただひとつ翼にとって解せないのは、戸田医師は現在三十五歳で、ハイセイコーという馬を知っている世代ではないような気がするということだろうか。

「ま、俺だって親父が持ってるDVDを何気に見て知ってんだから、戸田先生が知っててもおかしいことは何もないか。なんにしても、戸田先生にはそこらへんのことも含めて、そのうち機会があったら色々聞いてみよう。あと、残るはランボルギーニ君塚か」

 ちなみに、雁夜医師はやたら文章の長い、輝かしい経歴を書き連ねたあとで――<趣味はピアノです。休日など、ふと気づくと四時間も五時間も弾き続けていることがあります。好きな作曲家はモーツァルトで、手術室でもかけることが多いです>という文章が、翼の遺影のような写真の右隣に書かれていたのであった。

「ランボルギーニの奴は、二年前にK病院にやって来たんだな。プロフィールに書かれた生年月日を逆算すると、今は四十一歳か。最初は三十代くらいかと思いきや、実は結構いい年した親父だったんだな、あの人。ふうん……K病院にやって来る前までは、NICUのある総合病院で働いてたのか。俺も研修でいったけど、二度と近づきたくないような場所だよな、実際。俺には救急病棟なんかより、NICUのほうが百倍おっかないぜ」

 翼は冷凍庫に入った母乳の山を不意に思いだし、この時少しばかりぞっとした。赤ん坊の母親たちが病気の我が子にせめても母乳を飲んでもらおうと、乳房から搾り取ったものを冷凍してあるのだが、それを食事時に解凍して経管栄養の容器に入れるのである……もちろん、母の子に対する美しい愛情行為ということは頭ではわかるのだが、それでも翼は本能的に、管だらけの状態で生きながらえさせられている赤ん坊のことを思いだすと、その場から一目散に逃げだしたいという衝動しか、今も感じないのだった。

「まあ、あんなところに何年もいたら、浮気のひとつやふたつ、したからってなんだってんだ、みたいに俺ならなるかもしんねーな。ええと、何なに……趣味は車で、ロールスロイスのファントムと、ベンツのSLクラス、フェラーリ、ランボルギーニなどが車庫には眠っていますだと?チッ、そのうち君塚の家までいって、バットで車を全部めたんこにしてやったらさぞかしスッとするこったろうな。まあ、顔も雰囲気も何もかも気に入らねえにしても、とりあえず俺、君塚が犯人だとはあんま思ってなかったり。なんにしても、ようするに金で愛は買えないってことか。こいつが高級車を何台も乗りまわせるような環境にいられるのは、金持ちだっつー奥さんのお陰なんだろうし……金があっていい女と浮気もしてるだなんて、確かに傍から見れば激しい嫉妬の対象ってことになりうるか?あとは雁夜先生だけど、あの人が犯人ってことはまずないよなあ。俺同様、不幸にもたまたま殺しが起きた夜に当直だったっていう、そんだけって気がするし……」

 第一、雁夜には動機がないと結論づけた時、翼はここまで自分が考えたことを、誰かに聞いてほしくてたまらなくなった。今のところ、特にこれといった有力な犯人候補はいない。だが、親友の時司要ならば、これだけの判断材料からだけでも、翼が思ってもみなかった方向から新しい光をもたらしてくれそうな気がしたのである。

「そうと決まれば、ちょっくらあいつのアトリエまで出かけてくっか」

 翼は要の携帯に電話をすると、「これからおまえんち行っていい?」と聞いたのち、すぐ車に乗りこんで、彼が現在の住まいとしている場所まで出かけていった。実をいうと要は今、K病院に飾る絵の制作をするため、海辺にある貸し別荘にアトリエを構えていたのである。



 >>続く……。





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