【水蛇Ⅰ】グスタフ・クリムト
今年最後の記事がこれっていうのも、なんとなくビミョ~☆な気が(笑)
もちろん、連載はじめた時から12月中には絶対終わらないな~っていうのはわかってたんですけど……変なところ(?)で終わって、来年に持ち越しということになりました
まあ、わたしあんまり自分の過去記事とか読み返さない人なのでアレ(ドレ☆)なんですけど、今年の予定としては一応、「聖竜の姫巫女」を終わらせる、終わらなくても書けるだけ書いておこうっていうつもりだったような気がww
いえ、もちろん聖竜~も変なところで途切れてるので、続き書こうと思う気持ちはありつつも……やっぱり「カルテット。」みたいな小説と聖竜~を並行して書くっていうのは結構難しいなという気がしたり(^^;)
なんでかっていうと、どっちに力入れて書くかで、日頃読むものの傾向とかが全然変わっちゃうからなんですよね
今はわりと、海外の犯罪捜査系の小説や本を読んだりしてるんですけど、聖竜~を書く時はいわゆるファンタジーの名作とか、そういうので読んでないものを順に読んでいこうと思ってるので……そういうのを読みながら「カルテット。」みたいなお話は書けないし、逆にサイコな殺人鬼を扱った推理小説読みながら聖竜~の続きは書けないというか(^^;)
なのでまあ、来年はどうしようかな~なんて、今から少し思ったりしてます。。。
聖竜~も中途半端なところで途切れてるので、とりあえずキリのいいところまで仕上げたいな~と思いつつ、もっといいのはシリーズが完結することなんですけど、これはたぶん来年一年じゃ無理なような気がしてます
なんにしても、その時の気分とノリ☆で、これからも適当に自分の好きなことだけ書くっていうのは、ブログのほうも小説のほうも変化ないんじゃないかとは思うんですけどね(^^;)
ではではみなさま、良いお年を~!!
カルテット。-17-
赤城警部は、西園寺紗江子から話を聞いたのち――今日は誰も使う予定のない、<南沢湖クリスタルパレス>内にある<飛鳥の間>というホールを借りて、部下たちがそれぞれ収集してきた情報を精査しているところだった。
本来であるならば、このような場所を借りることなく、南沢町内にある警察署でそうした話はすべきなのだろう。だがそこは、分署としてかなり手狭であり、そこへ捜査本部を置くということは実質的に不可能だったのである。
そこで、ホテル内の広い宴会場の扉前に警官をふたり立て、赤城警部は音楽祭関係者に聞き込みにいった刑事が戻ってくるのを待つことにしたのであった。
警部自身はすでに、南沢湖近くにある、西園寺圭の殺されたバンガローを一度実況見分したのち、まずは<南沢湖音楽ホール>の事務室で、館長である村雨史郎に話を聞きに行った。そこでは音楽ホールの職員たちが電話の対応に追われている真っ最中だったのだが――彼はそんなことはお構いなしに「お忙しい中、誠に申し訳ありません」と、ただ儀礼的に言って、かなり強引に応接室で館長から話を聞いていた。
村雨館長曰く、西園寺圭に恨みを持っている人物になど、心当たりはまったくないとのことだった。また、あくまでも<形式上のこと>と断ったのちに、「昨晩の深夜三時頃どうされていましたか」と訊ねると、「そりゃ当然寝ていましたよ」との返事。
「御自宅で、ですか?」
「いいえ――毎年、この音楽祭の期間中は、こちらの事務室で寝ることが多いんです。自宅のほうはここから近いですが、何か事があるたびごとに音楽ホールのほうへ戻ってこなくてはなりませんので」
「何か事があるたびごと、と申しますと?」
「たとえば、楽団員の誰かから、椅子の座り心地が悪いから明日は違うのを用意してくれですとか、夜中の十二時頃に電話がかかってきたりします。本当に何気ない調子で、まるでそれが当たり前のことであるかのように言って、プツッと電話を切られるんですな。もちろん、警部さんは椅子くらい、明日の朝にでも確認すれば良いだろうと思われるでしょう。でもクラシック音楽をやられてる方の中には、ちょっと神経質な方がおられるんですよ。「いや、この椅子ならきのうのほうが良かった」だのと言われる可能性がある……いえ、お笑いになりますな。この種のことが音楽祭開催当初から、実は結構あったのです。となると、たかが椅子ひとつ、されど椅子ひとつという話になって、こちらはそんなことのためにでも、自宅でなんてぐっすり眠っておられぬようになるのですよ。まあ結局のところ問題は、椅子自体に問題があったのではなく、椅子の並べ方に問題があったということに落ち着いたり……まあ、色々あるのですよ。先日など、西園寺先生御本人から、朝一番に電話があり、中央ロビーに飾られた時司先生の絵を外せという御指示がありましたっけね。こちらとしてはもう、西園寺先生がこの音楽祭の顔ということもあって、多少理不尽なことでも言うとおりにしないわけにいかないと言いますか」
「なるほど」
ここで村雨館長は、スーツのポケットから顆粒状の胃薬を取りだし、それを口に放りこむと、事務員のひとりが持ってきた茶で飲み下した。
「失礼しました。なんにしても今朝は、西園寺先生がお亡くなりになったと聞いて以来、頭が真っ白というか、職員一同すっかりパニックに陥りまして。東京オーケストラのみなさん方は、すでに音楽ホールのほうへ集まっておいでですが、みなさん深く悲嘆に暮れておられます。こうした状況では、音楽祭は中止にせざるを得ないということで話がまとまりかけたのですが、そのあと先生の息子さんの翔さんがやって来られて、「こんな時だからこそ音楽祭を続けるべきだ」とおっしゃって。「そのほうが死んだ父も喜ぶでしょう」との言葉には、私も胸が熱くなりました。しかしながら、外聞的なこともありますので……今日一日マスコミでの報じられ方など、様子を見てから明日以降の公演については考えなくてはなりません。海外からわざわざ起こしいただいている方も多数いらっしゃいますから、そうした方々の御意見もお聞きしなくてはなりませんし。まったく、本当に大変なことになりました」
赤城警部はそこまで聞いた時点で、応接室の椅子から刑事の白河とともに立ち上がり、事務員の案内で、東京オーケストラの楽団員が集まっているという大ホールへ向かった。
そこからは音楽のかわりに、偉大な指揮者の死を嘆くすすり泣きがしてくるのかと思いきや――誰もいない客席に向かい、すでに交響曲の練習がはじめられていたのであった。
刑事ふたりが極身近までやって来ても、彼らが練習をやめる気配がまるでなかったため、赤城警部は彼独特の眼力を使い、コンサート・マスターと思しき位置にいる男に対し、ある種の強い思念波を送った。
するとここでようやく、コンマスの近藤弓親から指揮棒を振っていた若い男に合図が送られ、一旦演奏が中止されたのである。
「ここは関係者以外、立ち入り禁止なはずですが」
相手が金髪碧眼の外人であるにも関わらず、流暢な日本語でそう話したため、赤城警部も白河刑事も驚いた。緩く波打つ髪をした若い男は、まるで「今いいところだったのに」とでも言いたげに、不機嫌な顔をして壇上から下りてくる。
「我々は、こういう者です」
そう言って赤城警部と白河刑事がスーツの内ポケットから警察の身分証を取り出すと、ラインハルト・ヘルトヴィッヒは、外国人に特有の仕種で、大袈裟に肩を竦めている。
「そういうことなら俺は、一旦失礼するとしよう」
最前列の座席に置いてある自分の上着を手にとり、そのジャケットに腕を通しながら、ドイツ人指揮者は大ホールから出ていった。
「今の方は……?」
コンサート・マスターの近藤弓親は、楽団員の全員に「一旦休憩」ということを申し渡すと、赤城警部の質問に答えはじめた。その隣にすぐ、相棒ともいえる仲の弥生遊馬がやってくる。
「ドイツ人指揮者のラインハルト・ヘルトヴィッヒさんですよ。ずっと昔から西園寺先生のファンで、頼みこんで頼みこんでようやく、弟子にしてもらったという方です」
「まあ、ちょっと気の毒な弟子という面もあるけど」
弥生遊馬がラインハルトの出ていったドアのほうを眺めつつ、そう言って小首を傾げる。彼は昔から肩こりがひどく、今もその部分の筋肉をほぐすために、繰り返し片手で揉んでいた。
「気の毒な弟子、と言いますと?」
「本当は西園寺先生は、彼のことを弟子にする気はさらさらなかったんですよ。まあそこで色々と無理難題を押しつけて、彼が指揮棒を投げて逃げだすのを待っていたようなところがあって……彼、びっくりするくらい日本語がうまいでしょう?あれも、先生が「日本語がうまくなったら弟子にしてやってもいい」みたいなことを言ったせいなんですよ。でも、同じ弟子でもロシア人のギレンスキーには、そんなこと言いませんでしたから。彼は我々を指揮する時は英語で話し、また時々片言の日本語で指示する程度です。「ここはもっと切なく」とか、そんなふうに」
「なるほど」
今の近藤弓親の話を聞いていて、赤城警部には思うところがあった。何故といって、ラインハルト・ギルトヴィッヒはブロンドの波打つ髪をしているのである。もし彼が昨晩、師である西園寺圭の丸太小屋を訪ねたというのであれば――今ごろ、鑑識が集めた証拠品の中から、金の頭髪が見つかっている可能性があると思った。
「彼が今、どちらのほうへ宿泊中か、ご存知でいらっしゃいますか?」
赤城警部がそう聞くと、弥生遊馬がどこか好奇心に目を輝かせて、ラインハルトの宿泊場所を教えた。
「<南沢湖クリスタルパレス>ですよ。師に対する崇拝熱もあそこまでいけば大したもんだと思います。確か一階下の、先生の奥さんが宿泊してる真下のデラックスルームですよ」
「まあ、実際には西園寺先生は、ほとんどそちらへお戻りではないと思いますがね。ようするに、その……」
東京オーケストラの他の楽団員たちが、刑事との会話に耳を澄ませている気配を感じ、近藤弓親は言葉を濁らせた。ほんの少し前まで、彼らは長く師事してきてきた指揮者、西園寺圭の死を心から悼み悲しんでばかりいたのである。そこへラインハルト・ヘルトヴィッヒがやって来て、「自分も先生の死は悲しいけれども、悲しんでばかりいても仕方ない。それよりも先生の望みはむしろ、この音楽祭を例年通り成功させることではないだろうか」といった旨のことを話し、明日演奏予定だったベートーヴェンの『第九』を指揮しはじめたのである。
「ここでは人目もあって、話しにくいこともあるかもしれません。応接室か会議室でも借りて、そちらで続きを伺うことにしましょうか」
赤城警部のこの促しで、近藤弓親と弥生遊馬とは、二階の会議室へ向かうことになった。というのも、事務室に隣接した応接室では、職員に話を聞かれる心配があったため、赤城警部が村雨館長にそのように頼んだからである。
「さて、ここならば他の楽団員の方などに話を聞かれる心配はないでしょう」
コの字状に長方形のテーブルが並ぶところから、適当にめいめい椅子を持ち寄ると、赤城警部と近藤と弥生は膝を突き合わせて話をすることになった。白河刑事のほうは、話のほうには一切口を挟まず、とにかくふたりの話を聞きながら、忠実にメモを取っている様子である。
「非常に言いにくいんですがね」と、早速口火を切ったのは副コンマスの弥生のほうだった。「ヘルトヴィッヒの行きすぎた崇拝熱というのはようするに、西園寺先生の奥さんと愛人関係にあるということなんですよ」
「ほう」
これは興味深いとばかり、赤城警部は無表情の顔色を若干変えた。
「そうそう」と、近藤が相槌を打つ。「なんといったらいいのか、我々にも説明が難しいんですが……あのふたりの愛人関係というのは、普通の愛人関係とは違うんですよ。というのも、ふたりとも熱烈に西園寺先生のことを愛しているからこそ、結びつきあっているとでもいったらいいか。ようするに、利害が一致しているんですな。ヘルトヴィッヒのほうでは自分と同じくないがしろにされている奥さんの気持ちがわかり、自分の熱い思いが何故先生には伝わらないのかという部分で、強烈に奥さんと結びついているわけです。まあ、もちろん彼はゲイというわけではないんですが、その、なんというか……音楽を通して魂の愛によって、西園寺先生のことを敬愛しているとでも言いますか」
「しかしながらまあ、西園寺先生の求める基準に彼は達していないし、これからも達することがあるのかどうかという才能の持ち主なんですよ。残酷なことを口にするようですが」
「その、私はクラシック音楽にはまるで明るくないし、学校時代の音楽の成績は2か3といったところでしたので、教えていただきたいんですが……やはり指揮者の才能というのは、そんなにはっきりしているものですか?私が素人として見る分には、ただ棒を振ってるだけの人間が、そんなに偉いものかといったように見えてしまうんですが」
「それは当然違いますよ」と、弥生が嬉々として、さもおかしそうに笑う。「大体、初めてお会いする指揮者の方でも、会った瞬間に相手の力量がどの程度のものなのかは、こちらにわかります。だから当然、若干自信のない曲を演奏されるような場合――向こうがこちらに自然と助けを求める形になりますね。でも西園寺先生は、一度も我々にそうした助けを求めたことはありません。言うなれば支配欲の権化ですよ。まあ、こっちも当然「負けるものか」という気持ちはあるんですが、負けますね、結局。大抵最後には」
ここでふたりが涙ぐむ姿を見て、赤城警部も少しばかり胸を打たれた。ふたりとも、四十か五十をとっくに過ぎているのだろうが、自分と年代が近いだけに、そこまで慕える<師>という存在が身近にいることが、不思議と羨ましいようにさえ感じられてくる。
「警部さん――どうか捕まえてください、西園寺先生のことを殺した犯人を。我々は今朝、その話を聞いて愕然とし、また悲しみにも暮れました。でも、もし普通の亡くなり方であったとしたら、今もひたすら悲しみの海に溺れていたでしょう。けれど、今我々の心にあるのは、むしろ怒りですよ。確かに西園寺先生は、性格的に人に恨まれるところがあったかもしれません。でもあの人ほど音楽的才能があり、素晴らしいカリスマ性に恵まれた人は、今後も生まれてこないと思います。この世界的損失を招いた人物のことを、我々は断固として絶対に許すことはできません」
東京オーケストラのコンマスのこの言葉には、赤城警部はあまり心を動かされなかった。無論、彼らの気持ちはわかるのだが、すでにラインハルト・ヘルトヴィッヒを挙げるためにはどうしたものだろうと考え、そちらのほうに思考がシフトしていたからである。
「まあ確かに、ラインハルト・ヘルトヴィッヒさんには西園寺氏を殺す動機があることだけは確かなようですね。ところで、他にあなた方が<先生>と慕う西園寺さんを恨んでいる方に心当たりなどありませんか?あるいは、どんな些細なことでも、気になることがあれば最後にお教えください」
近藤と弥生は顔を見合わせると、最後に「そういえば……」と、こんな話をしはじめた。昨晩、オペラ<カルメン>が終わったのち、画家の時司要が近づいてきて、「西園寺さんと少しお話したいので、居場所を教えてください」と訊ねられた、ということを。
「その、僕たちは何も彼のことを疑ってるわけじゃありませんよ。ただ、もし彼があのあと先生のいるバンガローまで会いにいったとしたら……いずれにしてもわかるだろうということで、お話するまでのことです。先生のことを金銭目的以外で殺害するとすれば、音楽関係者か、いずれにしろ身近にいる人間でしょうからね。そういう意味で彼は部外者といっていいと思いますから」
白河刑事がここで、何か言いたげに動くのを見て、赤城警部は当然彼の意を介し、すぐにこう質問した。
「先ほど、村雨館長からお聞きしたんですが、その時司さんという画家の方の絵を、西園寺先生は中央ロビーから外させたとか。お話というのは、そのことだったんでしょうかね?」
「さあ」と、近藤弓親が肩を竦める。「でも、何かこれから文句を言いにいってやるぞといった雰囲気ではなかったですよ。物腰の柔らかい青年で、おそらく先生も直接会えば彼に好感を持ったんじゃないかと思います。ただ、我々も聞かれるがまま、つい色々答えてしまったんですが……少し変なことを言っていましたね。先日飛び下り自殺したという噂の、首藤朱鷺子のことを聞いてきたり」
「ほう」
ここでまた、赤城警部は眉をひそめた。自殺か事故であろうということで、他殺とまでは思っていなかった案件に対し、もしや……との思いが初めて芽生えはじめる。
「首藤朱鷺子っていうのは、うちの昔の楽団員で、まあ今からすでに十年も昔の話になりますが、西園寺先生の厳しい一言が原因で、プロのヴァイオリニストをやめたんですよ。で、そのことをずっと恨みに思っていたのかどうか、西園寺先生の身辺のことを調べて、ネタを週刊誌に売っていたらしいんです。僕と弓親は、彼と話し終えたあとで、「なんであんなこと、今更聞いてきたんだろうなあ」とは話してて……」
「まあ、いずれにしても時司さんには、あとでお話を伺いにいってきますよ」
ここで赤城警部は、一応念のためと思い、またも<形式上のこと>と断った上で、東京オーケストラのコンマスと副コンマスに、昨晩の深夜三時のアリバイについて聞いた。
「そりゃもちろん、寝てましたよ」
「僕も右に同じといったところです。僕も弓親も家族同伴でこの音楽祭へ来てるので――まあ、アリバイを証明してくれるとしたら、妻か子供たちということになりますがね」
それからふたりは立ち上がると、互いのことを慰めあうように、肩を叩きあいながら会議室を出ていった。そしてこの時点になってようやく、白河刑事が赤城警部にこう切り出す。
「何やら、話が少しばかり複雑になってきましたね。あのラインハルト・ヘルトヴィッヒとかいう男も、相当あやしいですよ。別に僕はクラシック音楽の愛好家ではありませんが、それでも並程度には知識があります。彼が先ほど指揮していたベートーヴェンの曲は、明日西園寺圭が指揮する予定だった曲なんですよ。僕が思うに彼はおそらく――師である西園寺圭の後釜に座る形で、あの曲を指揮するつもりだったのではないでしょうか」
「確かに、十分ありえる話だ。その上、警察である我々がやって来た途端に姿を消したしな。他には画家の時司要か……首藤朱鷺子の件はてっきり、自殺か事故であって、西園寺殺しと無関係かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。こうなると、まずいことになるな。西園寺圭の殺害事件に関しては、マスコミも相当注目している。いずれ、その二日前に<南沢湖クリスタルパレス>で、元東京オーケストラの楽団員が死亡していたこととも合わせて、騒ぎはじめるに違いない。なんにしても次はラインハルト・ヘルトヴィッヒ、西園寺圭が最後に電話をしたと思しき川原美音、その次に画家の時司要の元へ事情聴取に行くとするか」
――ところが、<南沢湖クリスタルパレス>の支配人に部屋番号を聞き、19階にあるデラックスルームまでドイツ人指揮者のことを訪ねにいっても、室内からは誰も応答しなかった。フロントに訪ねたところによると、ルームキィは預っていないという。
無論、ホテル内のプールや遊技場、あるいは温泉などに出かけている可能性もあるため、赤城警部と白河刑事は再び出直すことにしたわけである。そして次に川原美音の部屋を訪ね、憔悴しきっている顔の彼女の元を早々に辞去すると、時司要の部屋を訪ねたのであった。彼からは証拠品として靴を預かり、またその隣室の西園寺圭の妻からも、同様にグッチのハイヒールを預っていた。
ふたりは朝から昼過ぎまで、何も腹に入れていなかったため、一度ホテル内にあるレストランで食事を済ませると、<飛鳥の間>へ戻り、再び情報を最初から整理してみた。ちなみに、この間にも携帯電話により、「これは」という捜査関係の情報については赤城警部のほうへ知らされている。そして時司要のことを西園寺圭が音楽ホールの駐車場で殴ったという話、またそのことには楽団員の川原美音が関係しているらしいという情報も、赤城警部は時司要の部屋を訪ねる前に、エレベーター内で得ていたのであった。
「ラインハルト・ヘルトヴィッヒの奴、ホテルの内線で何回電話をかけても出ませんね。奴さんはドイツ国籍なんで、このまま国外へ逃亡する可能性もありますよ」
「さて。さっき阿部と後藤から携帯に電話があったんだがな。どうやら西園寺圭は、今年限りでここの音楽祭の監督を退くつもりでいたらしい。で、その後継者として西園寺圭はロシア人指揮者のアファナシエフ・ギレンスキーを、主催者側のほうはラインハルト・ヘルトヴィッヒを推していたということだった。ヘルトヴィッヒの西園寺圭殺害の目的が、彼の後釜に座ることであったとしたら、奴さんはたぶん逃げないよ。何食わぬ顔をして明日、ベートーヴェンの曲を堂々と指揮し、その前に感動的な弔辞でも長々と述べるんじゃないかね」
「そうでしょうか。こんな日本の一地方の音楽祭の監督になったところで……それが指揮者のキャリアとして、どれほどのことかいったように僕は思いますが」
「まあ、奴さんの計画というのは、俺が思うになかなか遠大なんじゃないかね。ここの音楽祭というのは今後、西園寺圭が最後に指揮した場所ということで、クラシック好きの人間どもにとってはもしかしたら、巡礼的場所になるかもわからんよ。そこの音楽監督の椅子を手に入れられれば、西園寺圭の弟子だったということで、ラインハルト・ヘルトヴィッヒは彼の後継者であるというように目されてもおかしくないだろう」
「なるほど。ですが、東京オーケストラのコンマスと副コンマスの話では、才能のほうが伴わないという話でしたが、そんなことで人がついて来ますかね?」
「さて。阿部の話によると、ラインハルトは社交的な性格で、人をまとめあげるのがうまいということだった。一転して、西園寺圭が自分の後継者にと推すギレンスキーのほうは、いつも通訳付きで話をし、なんというかこう、内に籠った性格で、何を考えているのかわからんタイプらしい。主催者側がラインハルトを推す理由は、単に日本語が十分通じてわかりやすいからであって、才能云々ではないらしいが――俺が思うにはな、白河。奴さんにはべつに、指揮者として才能がまるでないってことではないんだろう。副コンマスの弥生さんが言っていたとおり、<西園寺圭の求める基準には達しない>というだけで、まあ実際にはそこそこ悪くない指揮者ってことなんじゃないのかね。そして、あくまでもその「そこそこ」というところが、才能として問題視されているという気がするな。無論、俺にはあんな棒振り稼業の一体どこがそれほど偉大なのか、さっぱりわからんにしてもね」
ここで白河刑事がなおも何か言い足そうとすると、赤城警部の携帯電話が鳴った。そして彼が珍しくも「何!?」と声を荒げるのを聞き、白河刑事のほうでも一瞬目を剥いた。
「どうかなさったんですか?」
「現場のほうに、画家の時司要が姿を見せて――凶器は暖炉脇にあった火かき棒ではないかと証言したらしい。窓からでいいから中を見せてくれと頼まれ、鑑識の目黒が色々と説明したそうだ。まあ、説明したなんて言っても、確かに火かき棒なぞといったものは現場にはなかったとか、そんな話らしいが。それと、ワイングラスから指紋と口唇紋が検出されたということだった。時司要がもし、事実を語っていたとすれば、それは彼が出かけたあとに誰かがやって来て残していったということになる」
「でも、それだっておかしいですよね……犯人がもし、仮に――これはあくまでも仮に、ということですが、ラインハルト・ヘルトヴィッヒであると仮定した場合、どこか抜け目なさそうに見えるあの男が、そんなものをわざわざ残していきますか?ついでに言うと、犯人が他の誰であるにしても、自分が口をつけたワイングラスを残していくだなんて、間が抜けてますよ」
ここで赤城警部は、どこか愉快そうに「はははっ!!」と笑いだしている。
「いや、おそらく西園寺圭のバンガローへ夜半出かけていったのは、何も時司要だけじゃなく、他にひとりかふたりいたってことさ。さっき後藤から受けた連絡によると、あの大指揮者先生にはそういったところがあったらしい。毎日、楽団員のうちのひとりかふたりを自分のところへ呼びつけて、蛾の大群を踏みつけて苦労してやって来る姿を、楽しみながら見ていたという話だ。ようするに、これはそういうことだったんじゃないのかね?」
「一体なんですか、それ。そんなんでもし殺されたんだとしたら、ある意味自業自得ですよ。「先生、御用はなんでしょう?」、「いや、おまえが蛾の大群にたかられるところを見たかっただけだ。もう帰っていい」……そりゃ、ついカッとなって火かき棒でぶん殴りたくもなりますって」
「まあ、冗談ごとでなくな、白河。もしそのことを知っている誰かが、計画的に西園寺圭を殺そうとした場合……逆にそれを利用できると思わないか?あの先生は何しろ気難しいことで知られているわけだが、仮に深夜の一時頃にでも電話したとしよう。普通だったら、「何を言ってる。今何時だかわかってるのか!?」で終わるだろう。西園寺圭はどうも、毎日二時とか三時まで普通に起きていたらしいから、「先生、お話があります」と言われたら、窓からその相手がやって来る姿を楽しみに待ったんじゃないかね。で、その話というのが、先生の返答次第によっては殺す、というものだったとしたらどうだろう?たとえば、「来年からの南沢湖音楽フェスティバルの監督の座は、自分に与えてください」といったような。ところが、西園寺圭が無情にも、その椅子は他の誰かのものだと言ったとしたら?「先生、そこをなんとかお願いします」、「いや、駄目だ。おまえにはそもそも才能がない」……犯人はついカッとなって、後ろを向いている西園寺圭を繰り返し殴打し、死に至らしめたのかもしれん」
「そうですよね。西園寺圭は、日頃から体を鍛えていて、胸板なんかすごく厚かったそうですよ。その彼が後ろから殴られて昏倒したっていうことは……相手は相当気を許している人間だということになる。まあ、あくまでも例えばであって、僕は彼らを疑っているわけではないんですが、村雨館長にも東京オーケストラのコンマスと副コンマスにも、アリバイはないも同然なわけじゃないですか。僕でも、彼らに対してはかなり気を許すと思いますね。だって、見るからに自分より非力そうに見えますから。その点、現場のほうは凄惨で、血の海だったわけですよ。よく言われるように、ついカッとして相手を殴った場合、一回相手を殴った時点で、ハッと我に返るって話ですよね。でも、それを繰り返し何度となく殴打したということは、日頃から相当恨みのあった証拠なわけです」
「なんにしても、これ以上机上の空論めいた名推理ばかりしていても仕方ない。白河、出かけるぞ」
「どこへ、ですか?」
「西園寺圭の死んだ丸太小屋へ、だよ。時司要には、首藤朱鷺子のことやその他色々、聞いておきたいことがあるんでな。目黒にそのまま奴さんをそこにいさせるようにと言っておいたんだ」
>>続く……。
今年最後の記事がこれっていうのも、なんとなくビミョ~☆な気が(笑)
もちろん、連載はじめた時から12月中には絶対終わらないな~っていうのはわかってたんですけど……変なところ(?)で終わって、来年に持ち越しということになりました
まあ、わたしあんまり自分の過去記事とか読み返さない人なのでアレ(ドレ☆)なんですけど、今年の予定としては一応、「聖竜の姫巫女」を終わらせる、終わらなくても書けるだけ書いておこうっていうつもりだったような気がww
いえ、もちろん聖竜~も変なところで途切れてるので、続き書こうと思う気持ちはありつつも……やっぱり「カルテット。」みたいな小説と聖竜~を並行して書くっていうのは結構難しいなという気がしたり(^^;)
なんでかっていうと、どっちに力入れて書くかで、日頃読むものの傾向とかが全然変わっちゃうからなんですよね
今はわりと、海外の犯罪捜査系の小説や本を読んだりしてるんですけど、聖竜~を書く時はいわゆるファンタジーの名作とか、そういうので読んでないものを順に読んでいこうと思ってるので……そういうのを読みながら「カルテット。」みたいなお話は書けないし、逆にサイコな殺人鬼を扱った推理小説読みながら聖竜~の続きは書けないというか(^^;)
なのでまあ、来年はどうしようかな~なんて、今から少し思ったりしてます。。。
聖竜~も中途半端なところで途切れてるので、とりあえずキリのいいところまで仕上げたいな~と思いつつ、もっといいのはシリーズが完結することなんですけど、これはたぶん来年一年じゃ無理なような気がしてます
なんにしても、その時の気分とノリ☆で、これからも適当に自分の好きなことだけ書くっていうのは、ブログのほうも小説のほうも変化ないんじゃないかとは思うんですけどね(^^;)
ではではみなさま、良いお年を~!!
カルテット。-17-
赤城警部は、西園寺紗江子から話を聞いたのち――今日は誰も使う予定のない、<南沢湖クリスタルパレス>内にある<飛鳥の間>というホールを借りて、部下たちがそれぞれ収集してきた情報を精査しているところだった。
本来であるならば、このような場所を借りることなく、南沢町内にある警察署でそうした話はすべきなのだろう。だがそこは、分署としてかなり手狭であり、そこへ捜査本部を置くということは実質的に不可能だったのである。
そこで、ホテル内の広い宴会場の扉前に警官をふたり立て、赤城警部は音楽祭関係者に聞き込みにいった刑事が戻ってくるのを待つことにしたのであった。
警部自身はすでに、南沢湖近くにある、西園寺圭の殺されたバンガローを一度実況見分したのち、まずは<南沢湖音楽ホール>の事務室で、館長である村雨史郎に話を聞きに行った。そこでは音楽ホールの職員たちが電話の対応に追われている真っ最中だったのだが――彼はそんなことはお構いなしに「お忙しい中、誠に申し訳ありません」と、ただ儀礼的に言って、かなり強引に応接室で館長から話を聞いていた。
村雨館長曰く、西園寺圭に恨みを持っている人物になど、心当たりはまったくないとのことだった。また、あくまでも<形式上のこと>と断ったのちに、「昨晩の深夜三時頃どうされていましたか」と訊ねると、「そりゃ当然寝ていましたよ」との返事。
「御自宅で、ですか?」
「いいえ――毎年、この音楽祭の期間中は、こちらの事務室で寝ることが多いんです。自宅のほうはここから近いですが、何か事があるたびごとに音楽ホールのほうへ戻ってこなくてはなりませんので」
「何か事があるたびごと、と申しますと?」
「たとえば、楽団員の誰かから、椅子の座り心地が悪いから明日は違うのを用意してくれですとか、夜中の十二時頃に電話がかかってきたりします。本当に何気ない調子で、まるでそれが当たり前のことであるかのように言って、プツッと電話を切られるんですな。もちろん、警部さんは椅子くらい、明日の朝にでも確認すれば良いだろうと思われるでしょう。でもクラシック音楽をやられてる方の中には、ちょっと神経質な方がおられるんですよ。「いや、この椅子ならきのうのほうが良かった」だのと言われる可能性がある……いえ、お笑いになりますな。この種のことが音楽祭開催当初から、実は結構あったのです。となると、たかが椅子ひとつ、されど椅子ひとつという話になって、こちらはそんなことのためにでも、自宅でなんてぐっすり眠っておられぬようになるのですよ。まあ結局のところ問題は、椅子自体に問題があったのではなく、椅子の並べ方に問題があったということに落ち着いたり……まあ、色々あるのですよ。先日など、西園寺先生御本人から、朝一番に電話があり、中央ロビーに飾られた時司先生の絵を外せという御指示がありましたっけね。こちらとしてはもう、西園寺先生がこの音楽祭の顔ということもあって、多少理不尽なことでも言うとおりにしないわけにいかないと言いますか」
「なるほど」
ここで村雨館長は、スーツのポケットから顆粒状の胃薬を取りだし、それを口に放りこむと、事務員のひとりが持ってきた茶で飲み下した。
「失礼しました。なんにしても今朝は、西園寺先生がお亡くなりになったと聞いて以来、頭が真っ白というか、職員一同すっかりパニックに陥りまして。東京オーケストラのみなさん方は、すでに音楽ホールのほうへ集まっておいでですが、みなさん深く悲嘆に暮れておられます。こうした状況では、音楽祭は中止にせざるを得ないということで話がまとまりかけたのですが、そのあと先生の息子さんの翔さんがやって来られて、「こんな時だからこそ音楽祭を続けるべきだ」とおっしゃって。「そのほうが死んだ父も喜ぶでしょう」との言葉には、私も胸が熱くなりました。しかしながら、外聞的なこともありますので……今日一日マスコミでの報じられ方など、様子を見てから明日以降の公演については考えなくてはなりません。海外からわざわざ起こしいただいている方も多数いらっしゃいますから、そうした方々の御意見もお聞きしなくてはなりませんし。まったく、本当に大変なことになりました」
赤城警部はそこまで聞いた時点で、応接室の椅子から刑事の白河とともに立ち上がり、事務員の案内で、東京オーケストラの楽団員が集まっているという大ホールへ向かった。
そこからは音楽のかわりに、偉大な指揮者の死を嘆くすすり泣きがしてくるのかと思いきや――誰もいない客席に向かい、すでに交響曲の練習がはじめられていたのであった。
刑事ふたりが極身近までやって来ても、彼らが練習をやめる気配がまるでなかったため、赤城警部は彼独特の眼力を使い、コンサート・マスターと思しき位置にいる男に対し、ある種の強い思念波を送った。
するとここでようやく、コンマスの近藤弓親から指揮棒を振っていた若い男に合図が送られ、一旦演奏が中止されたのである。
「ここは関係者以外、立ち入り禁止なはずですが」
相手が金髪碧眼の外人であるにも関わらず、流暢な日本語でそう話したため、赤城警部も白河刑事も驚いた。緩く波打つ髪をした若い男は、まるで「今いいところだったのに」とでも言いたげに、不機嫌な顔をして壇上から下りてくる。
「我々は、こういう者です」
そう言って赤城警部と白河刑事がスーツの内ポケットから警察の身分証を取り出すと、ラインハルト・ヘルトヴィッヒは、外国人に特有の仕種で、大袈裟に肩を竦めている。
「そういうことなら俺は、一旦失礼するとしよう」
最前列の座席に置いてある自分の上着を手にとり、そのジャケットに腕を通しながら、ドイツ人指揮者は大ホールから出ていった。
「今の方は……?」
コンサート・マスターの近藤弓親は、楽団員の全員に「一旦休憩」ということを申し渡すと、赤城警部の質問に答えはじめた。その隣にすぐ、相棒ともいえる仲の弥生遊馬がやってくる。
「ドイツ人指揮者のラインハルト・ヘルトヴィッヒさんですよ。ずっと昔から西園寺先生のファンで、頼みこんで頼みこんでようやく、弟子にしてもらったという方です」
「まあ、ちょっと気の毒な弟子という面もあるけど」
弥生遊馬がラインハルトの出ていったドアのほうを眺めつつ、そう言って小首を傾げる。彼は昔から肩こりがひどく、今もその部分の筋肉をほぐすために、繰り返し片手で揉んでいた。
「気の毒な弟子、と言いますと?」
「本当は西園寺先生は、彼のことを弟子にする気はさらさらなかったんですよ。まあそこで色々と無理難題を押しつけて、彼が指揮棒を投げて逃げだすのを待っていたようなところがあって……彼、びっくりするくらい日本語がうまいでしょう?あれも、先生が「日本語がうまくなったら弟子にしてやってもいい」みたいなことを言ったせいなんですよ。でも、同じ弟子でもロシア人のギレンスキーには、そんなこと言いませんでしたから。彼は我々を指揮する時は英語で話し、また時々片言の日本語で指示する程度です。「ここはもっと切なく」とか、そんなふうに」
「なるほど」
今の近藤弓親の話を聞いていて、赤城警部には思うところがあった。何故といって、ラインハルト・ギルトヴィッヒはブロンドの波打つ髪をしているのである。もし彼が昨晩、師である西園寺圭の丸太小屋を訪ねたというのであれば――今ごろ、鑑識が集めた証拠品の中から、金の頭髪が見つかっている可能性があると思った。
「彼が今、どちらのほうへ宿泊中か、ご存知でいらっしゃいますか?」
赤城警部がそう聞くと、弥生遊馬がどこか好奇心に目を輝かせて、ラインハルトの宿泊場所を教えた。
「<南沢湖クリスタルパレス>ですよ。師に対する崇拝熱もあそこまでいけば大したもんだと思います。確か一階下の、先生の奥さんが宿泊してる真下のデラックスルームですよ」
「まあ、実際には西園寺先生は、ほとんどそちらへお戻りではないと思いますがね。ようするに、その……」
東京オーケストラの他の楽団員たちが、刑事との会話に耳を澄ませている気配を感じ、近藤弓親は言葉を濁らせた。ほんの少し前まで、彼らは長く師事してきてきた指揮者、西園寺圭の死を心から悼み悲しんでばかりいたのである。そこへラインハルト・ヘルトヴィッヒがやって来て、「自分も先生の死は悲しいけれども、悲しんでばかりいても仕方ない。それよりも先生の望みはむしろ、この音楽祭を例年通り成功させることではないだろうか」といった旨のことを話し、明日演奏予定だったベートーヴェンの『第九』を指揮しはじめたのである。
「ここでは人目もあって、話しにくいこともあるかもしれません。応接室か会議室でも借りて、そちらで続きを伺うことにしましょうか」
赤城警部のこの促しで、近藤弓親と弥生遊馬とは、二階の会議室へ向かうことになった。というのも、事務室に隣接した応接室では、職員に話を聞かれる心配があったため、赤城警部が村雨館長にそのように頼んだからである。
「さて、ここならば他の楽団員の方などに話を聞かれる心配はないでしょう」
コの字状に長方形のテーブルが並ぶところから、適当にめいめい椅子を持ち寄ると、赤城警部と近藤と弥生は膝を突き合わせて話をすることになった。白河刑事のほうは、話のほうには一切口を挟まず、とにかくふたりの話を聞きながら、忠実にメモを取っている様子である。
「非常に言いにくいんですがね」と、早速口火を切ったのは副コンマスの弥生のほうだった。「ヘルトヴィッヒの行きすぎた崇拝熱というのはようするに、西園寺先生の奥さんと愛人関係にあるということなんですよ」
「ほう」
これは興味深いとばかり、赤城警部は無表情の顔色を若干変えた。
「そうそう」と、近藤が相槌を打つ。「なんといったらいいのか、我々にも説明が難しいんですが……あのふたりの愛人関係というのは、普通の愛人関係とは違うんですよ。というのも、ふたりとも熱烈に西園寺先生のことを愛しているからこそ、結びつきあっているとでもいったらいいか。ようするに、利害が一致しているんですな。ヘルトヴィッヒのほうでは自分と同じくないがしろにされている奥さんの気持ちがわかり、自分の熱い思いが何故先生には伝わらないのかという部分で、強烈に奥さんと結びついているわけです。まあ、もちろん彼はゲイというわけではないんですが、その、なんというか……音楽を通して魂の愛によって、西園寺先生のことを敬愛しているとでも言いますか」
「しかしながらまあ、西園寺先生の求める基準に彼は達していないし、これからも達することがあるのかどうかという才能の持ち主なんですよ。残酷なことを口にするようですが」
「その、私はクラシック音楽にはまるで明るくないし、学校時代の音楽の成績は2か3といったところでしたので、教えていただきたいんですが……やはり指揮者の才能というのは、そんなにはっきりしているものですか?私が素人として見る分には、ただ棒を振ってるだけの人間が、そんなに偉いものかといったように見えてしまうんですが」
「それは当然違いますよ」と、弥生が嬉々として、さもおかしそうに笑う。「大体、初めてお会いする指揮者の方でも、会った瞬間に相手の力量がどの程度のものなのかは、こちらにわかります。だから当然、若干自信のない曲を演奏されるような場合――向こうがこちらに自然と助けを求める形になりますね。でも西園寺先生は、一度も我々にそうした助けを求めたことはありません。言うなれば支配欲の権化ですよ。まあ、こっちも当然「負けるものか」という気持ちはあるんですが、負けますね、結局。大抵最後には」
ここでふたりが涙ぐむ姿を見て、赤城警部も少しばかり胸を打たれた。ふたりとも、四十か五十をとっくに過ぎているのだろうが、自分と年代が近いだけに、そこまで慕える<師>という存在が身近にいることが、不思議と羨ましいようにさえ感じられてくる。
「警部さん――どうか捕まえてください、西園寺先生のことを殺した犯人を。我々は今朝、その話を聞いて愕然とし、また悲しみにも暮れました。でも、もし普通の亡くなり方であったとしたら、今もひたすら悲しみの海に溺れていたでしょう。けれど、今我々の心にあるのは、むしろ怒りですよ。確かに西園寺先生は、性格的に人に恨まれるところがあったかもしれません。でもあの人ほど音楽的才能があり、素晴らしいカリスマ性に恵まれた人は、今後も生まれてこないと思います。この世界的損失を招いた人物のことを、我々は断固として絶対に許すことはできません」
東京オーケストラのコンマスのこの言葉には、赤城警部はあまり心を動かされなかった。無論、彼らの気持ちはわかるのだが、すでにラインハルト・ヘルトヴィッヒを挙げるためにはどうしたものだろうと考え、そちらのほうに思考がシフトしていたからである。
「まあ確かに、ラインハルト・ヘルトヴィッヒさんには西園寺氏を殺す動機があることだけは確かなようですね。ところで、他にあなた方が<先生>と慕う西園寺さんを恨んでいる方に心当たりなどありませんか?あるいは、どんな些細なことでも、気になることがあれば最後にお教えください」
近藤と弥生は顔を見合わせると、最後に「そういえば……」と、こんな話をしはじめた。昨晩、オペラ<カルメン>が終わったのち、画家の時司要が近づいてきて、「西園寺さんと少しお話したいので、居場所を教えてください」と訊ねられた、ということを。
「その、僕たちは何も彼のことを疑ってるわけじゃありませんよ。ただ、もし彼があのあと先生のいるバンガローまで会いにいったとしたら……いずれにしてもわかるだろうということで、お話するまでのことです。先生のことを金銭目的以外で殺害するとすれば、音楽関係者か、いずれにしろ身近にいる人間でしょうからね。そういう意味で彼は部外者といっていいと思いますから」
白河刑事がここで、何か言いたげに動くのを見て、赤城警部は当然彼の意を介し、すぐにこう質問した。
「先ほど、村雨館長からお聞きしたんですが、その時司さんという画家の方の絵を、西園寺先生は中央ロビーから外させたとか。お話というのは、そのことだったんでしょうかね?」
「さあ」と、近藤弓親が肩を竦める。「でも、何かこれから文句を言いにいってやるぞといった雰囲気ではなかったですよ。物腰の柔らかい青年で、おそらく先生も直接会えば彼に好感を持ったんじゃないかと思います。ただ、我々も聞かれるがまま、つい色々答えてしまったんですが……少し変なことを言っていましたね。先日飛び下り自殺したという噂の、首藤朱鷺子のことを聞いてきたり」
「ほう」
ここでまた、赤城警部は眉をひそめた。自殺か事故であろうということで、他殺とまでは思っていなかった案件に対し、もしや……との思いが初めて芽生えはじめる。
「首藤朱鷺子っていうのは、うちの昔の楽団員で、まあ今からすでに十年も昔の話になりますが、西園寺先生の厳しい一言が原因で、プロのヴァイオリニストをやめたんですよ。で、そのことをずっと恨みに思っていたのかどうか、西園寺先生の身辺のことを調べて、ネタを週刊誌に売っていたらしいんです。僕と弓親は、彼と話し終えたあとで、「なんであんなこと、今更聞いてきたんだろうなあ」とは話してて……」
「まあ、いずれにしても時司さんには、あとでお話を伺いにいってきますよ」
ここで赤城警部は、一応念のためと思い、またも<形式上のこと>と断った上で、東京オーケストラのコンマスと副コンマスに、昨晩の深夜三時のアリバイについて聞いた。
「そりゃもちろん、寝てましたよ」
「僕も右に同じといったところです。僕も弓親も家族同伴でこの音楽祭へ来てるので――まあ、アリバイを証明してくれるとしたら、妻か子供たちということになりますがね」
それからふたりは立ち上がると、互いのことを慰めあうように、肩を叩きあいながら会議室を出ていった。そしてこの時点になってようやく、白河刑事が赤城警部にこう切り出す。
「何やら、話が少しばかり複雑になってきましたね。あのラインハルト・ヘルトヴィッヒとかいう男も、相当あやしいですよ。別に僕はクラシック音楽の愛好家ではありませんが、それでも並程度には知識があります。彼が先ほど指揮していたベートーヴェンの曲は、明日西園寺圭が指揮する予定だった曲なんですよ。僕が思うに彼はおそらく――師である西園寺圭の後釜に座る形で、あの曲を指揮するつもりだったのではないでしょうか」
「確かに、十分ありえる話だ。その上、警察である我々がやって来た途端に姿を消したしな。他には画家の時司要か……首藤朱鷺子の件はてっきり、自殺か事故であって、西園寺殺しと無関係かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。こうなると、まずいことになるな。西園寺圭の殺害事件に関しては、マスコミも相当注目している。いずれ、その二日前に<南沢湖クリスタルパレス>で、元東京オーケストラの楽団員が死亡していたこととも合わせて、騒ぎはじめるに違いない。なんにしても次はラインハルト・ヘルトヴィッヒ、西園寺圭が最後に電話をしたと思しき川原美音、その次に画家の時司要の元へ事情聴取に行くとするか」
――ところが、<南沢湖クリスタルパレス>の支配人に部屋番号を聞き、19階にあるデラックスルームまでドイツ人指揮者のことを訪ねにいっても、室内からは誰も応答しなかった。フロントに訪ねたところによると、ルームキィは預っていないという。
無論、ホテル内のプールや遊技場、あるいは温泉などに出かけている可能性もあるため、赤城警部と白河刑事は再び出直すことにしたわけである。そして次に川原美音の部屋を訪ね、憔悴しきっている顔の彼女の元を早々に辞去すると、時司要の部屋を訪ねたのであった。彼からは証拠品として靴を預かり、またその隣室の西園寺圭の妻からも、同様にグッチのハイヒールを預っていた。
ふたりは朝から昼過ぎまで、何も腹に入れていなかったため、一度ホテル内にあるレストランで食事を済ませると、<飛鳥の間>へ戻り、再び情報を最初から整理してみた。ちなみに、この間にも携帯電話により、「これは」という捜査関係の情報については赤城警部のほうへ知らされている。そして時司要のことを西園寺圭が音楽ホールの駐車場で殴ったという話、またそのことには楽団員の川原美音が関係しているらしいという情報も、赤城警部は時司要の部屋を訪ねる前に、エレベーター内で得ていたのであった。
「ラインハルト・ヘルトヴィッヒの奴、ホテルの内線で何回電話をかけても出ませんね。奴さんはドイツ国籍なんで、このまま国外へ逃亡する可能性もありますよ」
「さて。さっき阿部と後藤から携帯に電話があったんだがな。どうやら西園寺圭は、今年限りでここの音楽祭の監督を退くつもりでいたらしい。で、その後継者として西園寺圭はロシア人指揮者のアファナシエフ・ギレンスキーを、主催者側のほうはラインハルト・ヘルトヴィッヒを推していたということだった。ヘルトヴィッヒの西園寺圭殺害の目的が、彼の後釜に座ることであったとしたら、奴さんはたぶん逃げないよ。何食わぬ顔をして明日、ベートーヴェンの曲を堂々と指揮し、その前に感動的な弔辞でも長々と述べるんじゃないかね」
「そうでしょうか。こんな日本の一地方の音楽祭の監督になったところで……それが指揮者のキャリアとして、どれほどのことかいったように僕は思いますが」
「まあ、奴さんの計画というのは、俺が思うになかなか遠大なんじゃないかね。ここの音楽祭というのは今後、西園寺圭が最後に指揮した場所ということで、クラシック好きの人間どもにとってはもしかしたら、巡礼的場所になるかもわからんよ。そこの音楽監督の椅子を手に入れられれば、西園寺圭の弟子だったということで、ラインハルト・ヘルトヴィッヒは彼の後継者であるというように目されてもおかしくないだろう」
「なるほど。ですが、東京オーケストラのコンマスと副コンマスの話では、才能のほうが伴わないという話でしたが、そんなことで人がついて来ますかね?」
「さて。阿部の話によると、ラインハルトは社交的な性格で、人をまとめあげるのがうまいということだった。一転して、西園寺圭が自分の後継者にと推すギレンスキーのほうは、いつも通訳付きで話をし、なんというかこう、内に籠った性格で、何を考えているのかわからんタイプらしい。主催者側がラインハルトを推す理由は、単に日本語が十分通じてわかりやすいからであって、才能云々ではないらしいが――俺が思うにはな、白河。奴さんにはべつに、指揮者として才能がまるでないってことではないんだろう。副コンマスの弥生さんが言っていたとおり、<西園寺圭の求める基準には達しない>というだけで、まあ実際にはそこそこ悪くない指揮者ってことなんじゃないのかね。そして、あくまでもその「そこそこ」というところが、才能として問題視されているという気がするな。無論、俺にはあんな棒振り稼業の一体どこがそれほど偉大なのか、さっぱりわからんにしてもね」
ここで白河刑事がなおも何か言い足そうとすると、赤城警部の携帯電話が鳴った。そして彼が珍しくも「何!?」と声を荒げるのを聞き、白河刑事のほうでも一瞬目を剥いた。
「どうかなさったんですか?」
「現場のほうに、画家の時司要が姿を見せて――凶器は暖炉脇にあった火かき棒ではないかと証言したらしい。窓からでいいから中を見せてくれと頼まれ、鑑識の目黒が色々と説明したそうだ。まあ、説明したなんて言っても、確かに火かき棒なぞといったものは現場にはなかったとか、そんな話らしいが。それと、ワイングラスから指紋と口唇紋が検出されたということだった。時司要がもし、事実を語っていたとすれば、それは彼が出かけたあとに誰かがやって来て残していったということになる」
「でも、それだっておかしいですよね……犯人がもし、仮に――これはあくまでも仮に、ということですが、ラインハルト・ヘルトヴィッヒであると仮定した場合、どこか抜け目なさそうに見えるあの男が、そんなものをわざわざ残していきますか?ついでに言うと、犯人が他の誰であるにしても、自分が口をつけたワイングラスを残していくだなんて、間が抜けてますよ」
ここで赤城警部は、どこか愉快そうに「はははっ!!」と笑いだしている。
「いや、おそらく西園寺圭のバンガローへ夜半出かけていったのは、何も時司要だけじゃなく、他にひとりかふたりいたってことさ。さっき後藤から受けた連絡によると、あの大指揮者先生にはそういったところがあったらしい。毎日、楽団員のうちのひとりかふたりを自分のところへ呼びつけて、蛾の大群を踏みつけて苦労してやって来る姿を、楽しみながら見ていたという話だ。ようするに、これはそういうことだったんじゃないのかね?」
「一体なんですか、それ。そんなんでもし殺されたんだとしたら、ある意味自業自得ですよ。「先生、御用はなんでしょう?」、「いや、おまえが蛾の大群にたかられるところを見たかっただけだ。もう帰っていい」……そりゃ、ついカッとなって火かき棒でぶん殴りたくもなりますって」
「まあ、冗談ごとでなくな、白河。もしそのことを知っている誰かが、計画的に西園寺圭を殺そうとした場合……逆にそれを利用できると思わないか?あの先生は何しろ気難しいことで知られているわけだが、仮に深夜の一時頃にでも電話したとしよう。普通だったら、「何を言ってる。今何時だかわかってるのか!?」で終わるだろう。西園寺圭はどうも、毎日二時とか三時まで普通に起きていたらしいから、「先生、お話があります」と言われたら、窓からその相手がやって来る姿を楽しみに待ったんじゃないかね。で、その話というのが、先生の返答次第によっては殺す、というものだったとしたらどうだろう?たとえば、「来年からの南沢湖音楽フェスティバルの監督の座は、自分に与えてください」といったような。ところが、西園寺圭が無情にも、その椅子は他の誰かのものだと言ったとしたら?「先生、そこをなんとかお願いします」、「いや、駄目だ。おまえにはそもそも才能がない」……犯人はついカッとなって、後ろを向いている西園寺圭を繰り返し殴打し、死に至らしめたのかもしれん」
「そうですよね。西園寺圭は、日頃から体を鍛えていて、胸板なんかすごく厚かったそうですよ。その彼が後ろから殴られて昏倒したっていうことは……相手は相当気を許している人間だということになる。まあ、あくまでも例えばであって、僕は彼らを疑っているわけではないんですが、村雨館長にも東京オーケストラのコンマスと副コンマスにも、アリバイはないも同然なわけじゃないですか。僕でも、彼らに対してはかなり気を許すと思いますね。だって、見るからに自分より非力そうに見えますから。その点、現場のほうは凄惨で、血の海だったわけですよ。よく言われるように、ついカッとして相手を殴った場合、一回相手を殴った時点で、ハッと我に返るって話ですよね。でも、それを繰り返し何度となく殴打したということは、日頃から相当恨みのあった証拠なわけです」
「なんにしても、これ以上机上の空論めいた名推理ばかりしていても仕方ない。白河、出かけるぞ」
「どこへ、ですか?」
「西園寺圭の死んだ丸太小屋へ、だよ。時司要には、首藤朱鷺子のことやその他色々、聞いておきたいことがあるんでな。目黒にそのまま奴さんをそこにいさせるようにと言っておいたんだ」
>>続く……。
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