天使の図書館ブログ

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カルテット。-18-

2013-01-01 | 創作ノート
【ひまわり】フィンセント・ファン・ゴッホ


 あけまして、おめでとうございます

 今回のトップ絵はゴッホの「ひまわり」なんですけど……13本のひまわりを2013年にかけてるとか、そんなことはまったくなく、単に作中に出てくるというそれだけの理由です(^^;)

 そんでもって今回もまた本文長いので、新年最初の記事なんですけど、前文のほうはこれで切り上げることにしますね(じゃないと、文章が全部入り切らないので

 それではまた~!!



       カルテット。-18-

 西園寺圭の殺害現場であるバンガローの入口には、ふたりの制服を着た警官が立っていた(その片方は青木巡査だったのだが、そのことを当然要は知らない)。

 要はそこから出てきたジャンプスーツを着た鑑識の若い男に、「あのう……」と少しばかり遠慮がちに声をかける。

「赤城警部にでも確認をとっていただければすぐにわかることなんですが、僕、きのう西園寺さんにお会いした最後の人間かもしれないんですよ。もちろん、彼が最後に会ったのは殺害した犯人だったでしょうが、それ以外のという意味で」

「へえ。推理小説じゃよく、『殺人犯は現場へ戻る』っていうけど、あんたもその口かい?」

 本来であれば、公務員としてもっと生真面目に民間人とは応対すべきだったのかもしれない。だが、鑑識課の目黒にはもともと(彼の上司によれば)その種の常識が希薄だった。

「いえ、昼間寝起きの絶妙なところを赤城警部ともうひとりの刑事さんに叩き起こされて、事情聴取を受けたんですよ。で、その時に警部さんから西園寺氏を死に至らしめた凶器はまだ見つかっていないとお伺いしました。ただ、何か切っ先の鋭いもので繰り返し殴られたのだろうと……そののち、友人と話していてふと、思い至ることがあったんですよ。というのも、僕の宿泊している部屋には飾り暖炉があって、その真横には火かき棒がインテリアとして置かれているんです。変な話ですよね?飾り暖炉の横に火かき棒。そして、その時にハッとあることが思い浮かびまして。そういえば西園寺さんの丸太小屋へ行った時、本物の暖炉の隣に火かき棒が立てかけてあったな、なんて……もしかして凶器はそれだったんじゃないでしょうか?」

「まあ、今は夏ですからね」目黒は後ろ前に被っていたブルーのキャップを外し、それで顔を扇いだ。「暖炉なんて使うはずがないですよ。でもまあ確かに、証拠品として押収したものの中に、それらしきものはありませんでした」

「そうですか。僕はただ単にそのことを確かめたかっただけなんです。すみませんが、窓からで構わないので、室内のほうを眺めてみても構いませんか?」

「ええ、どうぞ」

 鑑識課の一職員としての義務を果たすため、目黒は赤城警部の携帯に電話した。もちろん、窓から殺害現場を眺める要のことを、それとなく遠くから見守りながら。

 一方の要はといえば、自分が昨晩やって来た時とは違い、室内が妙にがらんとして感じられ、人が死んだことを匂わせるものが何もないことに驚いていた。西園寺氏が倒れていたと思しき場所には、ドラマなどでよく見られるように、白いチョークで囲いがしてあるとはいえ……要はそこに倒れていたのは西園寺圭とは別の誰かだったような気がしてならなかった。

 ただ、暖炉の上にかかっているゴッホのひまわりの絵――花瓶に活けられた十三本のひまわりの絵に、血の飛沫が残っているのを見て、要はかろうじてそこから西園寺圭の<死>といったものを感じとるのみだった。

「一見して、何かきのうと違うところはありますか?」

「いえ、特にそれほどには」赤城警部と話をして戻ってきた目黒に対し、要は意味もなく微笑みかけた。「ただ、西園寺さんはおそらくヘビースモーカーだったんでしょうね。きのう僕がここへやって来た時、台所の上にはすでに、十数本の煙草の吸殻がのった灰皿がありました。あと、僕が来た時に彼は自分専用と思しきマグカップにコーヒーを入れてましたよ。インスタントではなく、ドリップ式の奴をね。ただ、自分ひとりだけでコーヒーを飲み、僕には淹れてくれませんでしたが」

「それはたぶん、ムーミンとスナフキンの描かれたマグカップじゃありませんか?」

「そうです。そのあと話の流れで若干上機嫌になった西園寺さんは、僕にワインを勧めてくれました。ロマネ・コンティだったんですが、残念ながら僕は車で来ていたので、ワイングラスには口をつけず、そのまま帰ってくることにしたんですよ」

「そいつは惜しいですね。ロマネ・コンティといえば……いやまあ、そんなことより、お宅の言ってることが正しいとすれば、お宅が帰ったあとに誰かがやって来て、そいつを飲んだことになりますね。そこから指紋が検出されてるから、その相手がかなりビンゴに近い」

 ここで要は、少しばかり驚いたように窓から目を離し、隣の若い男のことを振り返った。年の頃は自分と同じ二十七歳くらいだろうか。日焼けしているというよりは、もともと肌が地黒なタイプで、眉が太く目のまわりを縁取る睫毛が濃い。いかにもスポーツマンといった感じの引き締まった体格をしているものの、どこか見る者に暑苦しい印象を与える雰囲気の男である。

「そこまでのことを、もしかしたら犯人かもしれない僕に対し、話してもいいんですか?」

「だってお宅、画家の時司さんでしょ?画家が音楽家を殺したり、音楽家が画家を殺したりするってのは、俺の中ではちょっとね。なんにしても、赤城警部に電話したら、すぐこっちへ向かうからそれまでお宅のことをここに引き止めておけみたいに言われたんですよ。もちろん、西園寺氏を殺した凶器が火かき棒かもしれないってことも、伝えておきました」

「そうですか。そういえば僕、赤城警部ともうひとりの刑事さんにその日履いていた靴を持ってかれたんですが……現場から靴跡を取ったりするのは、大変な作業でしょうね」

「まあ、そうですね」目黒は、帽子を手の指でくるくると回しながら、少しばかり得意そうに言った。「今回の現場では、一番それが大変だったかもしれません。蛾の鱗粉つきの足跡なんて言っても、ほんのうっすらとしか残ってませんし、まあ我々の持つある特殊な技術で、表面的には見えない潜在的な足跡もすべて採取することになりました。というのも、ここへはキャンプ場や別荘を管理してる会社の職員が、毎日やって来て掃除するそうなんですよ。で、きのうここを掃除したパートのおばさんの話によると、床をはき、四つん這いになって隅から隅までピカピカに雑巾がけしたっていうんです。「いつもそうなんですか?」と赤城警部が聞いたところ、彼女は「西園寺さんのいるこの丸太小屋だけは特別だ」と、どこか誇らしそうに話していましたね。他のバンガローについては、人が退去したあとに軽く掃き掃除したり使用されたものを適度に雑巾がけする程度なんだそうです。でも、西園寺圭のいるこの丸太小屋だけは、毎日窓から何からすべて磨きあげ、寝具類のカバーもみな交換するという話でした。つまり、そうなるとですね、この部屋に残されていた痕跡のどれかが必ず犯人が残したものということになるんですよ。もちろん、犯人がそうしたこともすべて知っていて、自分の指紋を拭きとり、もっというなら靴も履きかえてこの部屋へ上がったという可能性もなくはないですが……まあ、そこまでは流石にありえないでしょうね」

「僕が期待しているのは、微細な証拠物の中から犯人のものが出てくることなんですよ。たとえば髪の毛とか服の繊維とか……確か、ロカールの法則というのがあったでしょう?昔、『CSI:科学捜査班』とかその種のドラマで、そんなことをやっていた記憶があります」

「ああ、俺もあれ大好きですよ。いつも、現実の事件もあんなふうにスカッと格好よくカタがつけばいいのって、そんなふうに思いながら見てますけどね」

 ここで要はふと、翼が『ER:緊急救命室』というドラマが大嫌いだと言っていたのを思いだして、少しばかりおかしくなった。実際の医師や看護師というのは、そんなにしょっちゅう(彼の言を借りれば五分おきに)現場の誰かと寝ることばかり考えたりはしないというのだ。

 そしてふたりがここで、鑑識の技術的なことなど、何気ない世間話に花を咲かせていると――昨晩は蛾の海だった小道を通って、赤城警部と白河刑事とが連れだってやって来るのが見えた。

「それで、お宅のいう火かき棒とやらがあったのは、現場のどのあたりだね?」

 証拠品類等については、すでにすべて押収済みとのことで、意外にも要は西園寺圭が殺害されたバンガローの中へ入れてもらうことが出来た。そして、暖炉の横に斜めに立てかけられていた位置について説明し、それが大体七十センチくらいの長さの、先が尖ったものであるとも説明しておいた。

「真夏に火かき棒は使わんでしょう」

 白河刑事が西園寺圭の役となり、また赤城警部が手に火かき棒を持って殴りかかるような振りをしながら、昨晩起きたであろうことを実演していると、目黒がふたりの真剣さを茶化すように言った。

「というか、たまたまそんなものがそこにあったがゆえに、この殺人は起きたんじゃありませんか?もし計画的な犯行であったとすれば、当然犯人は自分で凶器を持参してくるはずです。でも、奴さんはおそらく、最初は殺すつもりがなく、西園寺氏の発言の何かにカッとなって、目に見えるところにあった火かき棒を思わず手にしたんですよ。こんなことを言っちゃなんですが、間接的にはキャンプ場の管理員も悪いんじゃないですかね。火かき棒なんて、秋と冬だけ置いておいて、春と夏にはしまっておくべきだったんですよ」

「まあな」と、どこか釈然としないように、顎の短いひげに手をやりながら、赤城警部がしきりと首をひねる。「以前、北海道でこういう事件が起きたことがあったろう?ふたりの仲のいい友人のハンターが鹿狩りに行った。ふたりはもう十年来の友人で、大した喧嘩らしいこともしたことがなく、友人関係を続けてきたのに――車が山の中でエンコしたのをきっかけに、初めて激しい口論となった。そしてその時、たまたま運の悪いことには、ふたりの手には鹿を撃つための銃が握られていたわけだ。最初にAがBを撃ち、次にBがAを撃った。Bは肩に被弾しただけですんだが、Aのほうは撃たれた場所が悪く、すぐに死亡したっていう事件だ」

「その時、たまたま手に銃を持ってなかったとしたら、殴り合いの喧嘩で済んでいたんでしょうね。僕も覚えていますが、Bのほうはそのあと、責任を感じて自殺したって聞きましたよ」

 要は、赤城警部と白河刑事がそんな話をしているのを聞きながら――あまり自分に対してふたりが重い嫌疑をかけていないように感じ、不思議な気がしていた。といってもこのあと、目黒に指紋をとられ、また綿棒で口の内側をぬぐい、DNAを提出することにはなったものの、ふたりの刑事が自分以外の誰かを第一容疑者としているように感じられ、それが誰なのかが気になっていた。

「参考になるかどうはわかりませんが」

 ご協力感謝します、とキャンプ場の駐車場で頭を下げられ、要は最後にそんなふうに別れの言葉を切りだしていた。

「僕が宿泊しているスイートには、何故か部屋のインテリアとして火かき棒が置いてあるんですよ。僕の見た限り、西園寺さんのいたバンガローにあったものとは若干形状が違うとは思うんですが、たぶんそれは西園寺夫人のいるスイートにも、同じものがあるんじゃないかと思います」

「そういえばそうですね、警部」と、白河が言った。「キャンプ場の人間に言って、他のバンガローに置いてある火かき棒を一本もらって来てはどうでしょうか?それと西園寺圭の遺体にある傷跡とが一致すれば――それと同じものが間違いなく凶器ということになりますよ」

「確かにそうだな。だが、人間の記憶といったものはなんとも曖昧なもんだって気がして仕方ない。俺は時司さんの部屋でも、西園寺夫人の部屋でも、暖炉の横に火かき棒なんて見かけた記憶が全然ないぞ。白河、おまえのほうはどうだ?」

「僕もですよ、警部。例えば靴跡のことや、服の繊維であるとか……そんなことにばかり神経を集中していた、そのせいかもしれませんが」

 ふたりがキャンプ場の管理事務所へ向かう姿を見て、要が自分の車のほうへ行きかけた時のことだった。くるりと赤城警部が振り返り、走ってこちらまでやって来る。

「そういえば、火かき棒のことに興奮するあまり忘れていましたが、首藤朱鷺子さんのことを聞き忘れていました。あなたは東京オーケストラの近藤さんと弥生さんに、首藤さんのことを何か聞かれたそうですな。もしかして、個人的なお知り合いだったりしたんですか?」

「いえ、まったく」と、リモートキィでドアを開けながら、要は笑った。「でも、あのおふたりには、あの人の著作のファンだとか、そんな言い方を確かにしましたよ。もし、僕の相棒が――というのは、警部が昼間会った僕の同居人ということですがね、彼女のことに興味を持たなかったら、僕は首藤さんが自殺でも事故でも他殺でも、大して気に留めなかったと思います。翼の奴にはどこか、正義感の強い天邪鬼といったところがあって、彼女が十五階から転落した時、医者としてすぐ駆けつけようとしたんです。まあ、十五階から落ちた以上、当然即死だったと思いますが、その時には何階から落ちたのかもわからない状況だったので。そしてその時に、彼女が俯せではなく仰向けに倒れていたのがおかしいと、僕に何度も言っていました。でも、こちらの地元警察の方が、「自殺でしょう」的なことを口にして、現場の保全も何もしなかったため――これで本当に大丈夫なのかと、あいつはそんなことが気になって、その日から探偵気どりで色々調べはじめたってわけです」

「なるほど。それで、彼の友人……いえ、こんなことを言ってはなんですが、一度寝ただけの関係の女性が、彼に言ったわけですね。首藤朱鷺子さんを突き飛ばしたと思しき犯人の<手>を見たと。ちなみに、その女性の泊まっている部屋の号数とお名前をお聞きしても構いませんかな?」

「1526号室の水上ゆう子という女性です。つまり、川原美音さんと同室の女性なんですよ。そして亡くなった首藤朱鷺子さんは、その隣の1527号室に宿泊していたんです」

 川原美音の名前が出ると、赤城警部の顔つきがにわかに厳しいものに変わった。無論、西園寺圭殺しについて、愛人の彼女を警察が疑っているのか否かというのは、要には計りかねるところである。それでもおそらくは、この奇妙な偶然の一致を、ただの<偶然>として片付けていいものかどうかと、赤城警部は考えているに違いなかった。

「他に、もし警部さんたちがお聞きしたいことがあれば、いつでも連絡してください。僕と翼の奴でよければ、知ってることはなんでもお話したいと思いますから」

 キャンプ場の管理事務所へ行って、火かき棒を借り受けてくるのは、部下の白河刑事に任せたのだろう。赤城警部は黒のクラウンロイヤルに乗りこむと、その助手席でしきりと考えごとに耽っている様子だった。

(さて、と。要のほうでは何か、収穫はあったかな。なんにしても、こうなってくると水上ゆう子が北央市へ行っているのは都合が悪いな。変な話、首藤朱鷺子殺しのことで、まったく無関係な彼女が警察に疑われかねない)

 要はそんなことを思いながら、駐車カードを機械に入れ、料金を支払ったのちに<南沢湖クリスタルパレス>へと戻った。出てきた時よりも、ホテル前の報道陣の数が増えていることに驚いたが――胸ポケットからサングラスを取りだしてかけ、リポーターと思しき女性にマイクを向けられても、一切無視するという態度をとった。

 それから、ロビーのほうにも報道関係者が陣取っている姿が見受けられたため、(これはもしや……)と思いながら要がエレベーターを上がっていくと、二十階の<クリスタル・シャングリラ>の前に、耳にヘッドセットをかけた黒服の男が立っていたのだった。

 おそらく、西園寺紗江子の元にマスコミの人間が直接訪ねてくるのを防ぐためなのだろう。ただ彼がホテルの従業員なのか、警察の人間なのか、それとも西園寺紗江子自身の雇っているボディガードなのかどうかは、要にも見当がつきかねた。

「よう、要。おまえのほうの守備はどうだった?」

 要が部屋の中に入っていくと、そこでは翼が出かけていった時と同じ格好――ブルーのシャツに黒のジーンズという格好のまま、テレビを見ているところだった。

「おっしいな。もうほんのちょっと前に、ここのホテルの広間を借りて、西園寺紗江子が涙ながらの会見ってのをやったばかりだったんだぜ?自分がいかに西園寺圭を愛していたか、彼ほどの才能を持つ指揮者は今後日本に現れないだろうとか語ったのちに――出来ればこのまま音楽祭を続けてほしい、それが主人の望みだと思いますって言ってシメ。まだ主催者のほうからは正式には発表されてなくて、今も話しあい中ってことになってるけど……でもたぶんこれは、明日あたり西園寺圭を悼む言葉が述べられたのちに、音楽祭は続けられるってことになりそうだな」

「なるほど。で、その時に西園寺圭が本来やるはずだった曲を誰が指揮するのかで、今後の<南沢湖音楽フェスティバル>の方向性が決まるってことかな」

「ラインハルト・ヘルトヴィッヒか、それともアファナシエフ・ギレンスキーか……どちらが指揮台に立つかで、西園寺圭を殺した犯人がわかるような気もするな」

「まあ、ふたりのうちどっちも犯人じゃないって可能性も高いと思うけど」要は翼の隣に腰掛けると、軽く肩を竦めて笑った。「そういや翼、僕、西園寺圭の亡くなった丸太小屋で、刑事や鑑識の人から少しばかり面白い情報を仕入れてきたよ。おまえのほうはどうだった?」

「俺か?野外音楽堂のところでさ、西園寺圭と西園寺紗江子の息子に会って、つっとばか話をしてきたってだけ」

 翼はミッシーまんじゅうを口の中に放りこむと、<南沢湖のおいしい水>で作った烏龍茶を飲んでいる。

「おまえも食うか、要?ミッシーまんじゅう&ミッシークッキー。こういう御当地キャラものっていうのはさ、味がイマイチなことが多いわけだけど、意外にも結構いけるぜ」

「ああ。それで翼は、西園寺翔とどんな話をしてきたんだ?」

 卵の形をしており、それを割ると中からミッシーの顔が出てくるという、栗餡入りのまんじゅうを食べながら、要は聞いた。

「なんかさあ、あの西園寺圭と西園寺紗江子の息子とは思えないくらい、いい奴だって気がした。まあ、一回会って話したってくらいじゃ、相手のことなんか本当はよくわかんないんだけどな。簡単にいえばオーラが何もない普通の坊ちゃんって感じだった。でも、だからこそ話しやすくて人から好かれるって感じの奴。なんか聞いたところによると、奴さんが麻薬に手をだしたのは、自分の家にいた家政婦さんが亡くなったことが原因なんだって。当時、マスコミの記事にはそんなことひとつも載ってなかった気がするけど……西園寺紗江子って女は、家政婦に子育てを一切押しつけて、息子のことにはまるで無関心だったらしい。で、西園寺翔の奴はその血の繋がらない家政婦のことを、本当の母親以上に慕ってて、彼女が死んだあと心に空虚な穴があいちゃったんだってさ。父親の西園寺圭ってのは、息子の目から見て、ただ時々帰ってくる怖い人みたいな感じだったんだけど、麻薬で捕まったあとに刑務所へ定期的に来てくれたことが、彼には物凄く嬉しかったらしい。その後、ふたりは健全な親子関係みたいなものを回復し、言うなれば同じ業界の同志みたいになったっていうことらしいよ」

「よくそこまでのことを、初対面の翼に話したもんだな」

 こちらもまた、ミッシーの顔の浮きでたクッキーを食べながら、要が感心したように笑う。

「ああ、俺もそう思ったけど、彼はたぶん舞台演出家っていう職業柄、日常的に色んな人間と話をする機会が多いんじゃないか?だから、俺が思うに初対面の人間とも、今みたいな話をこれまで腐るくらいしてきたんじゃないかと思う。やっぱりさ、『麻薬からは本当に立ち直ったんですか』とか『それはやっぱり、父親が偉大すぎることからくるプレッシャーが原因だったんですか』とか、口に出して言われなくても、そう聞かれてる気のすることが多かったんじゃないかと思うからね。あと、これもまた俺が勝手に思うに、プラスして彼はたぶんゲイなんじゃないかと思う。確信はないけどな」

「なんだ?まさかとは思うけど、手でも握られたとか?」

「うんにゃ」と、どこか面白がっている親友に対し、翼はコップに烏龍茶を注いでやる。「なんかさ、西園寺圭は音楽的には天才だったかもしんない、でも人間的にはどーかって人だと思う、でもあんたはその真逆の才能を持ってるんじゃないかみたいに言ったら――こっちのほうをじーっと熱い眼差しで見てきてさ、その時になんとなくピンと来たってだけの話。なんにしても、いい奴だったな。あんな母親に育てられた割に、よくあれだけまともに育ったなっていうか、それと同時にあの母親の影響下にあったから、ゲイになったんじゃないかって気もしたけどね」

「ふうん。ま、翼はその種の勘を外したことがないから、おまえがそう言うならそうなんじゃないのか?」

「さて、どうだか。どんな人間の勘だって、百発百中ってことはないからな。で、要のほうはどうだったんだ?俺はそっちの話のほうがむしろ気になるぞ」

 天気予報のはじまったテレビ画面を切ると、翼はソファの背もたれに片腕を乗せ、親友が事件の核心に迫る情報を得てきたのではないかと、子供のようにわくわくしながら身を乗りだしている。

「うん、僕のほうはさ、現場へいったらたまたま、そこにいたのが口の軽い鑑識の男だったんだよ。その彼が言うには、西園寺圭が仮の住まいにしてた丸太小屋ってのはさ、毎日掃除の人が入ってたらしい。西園寺圭が朝いなくなったあと、床は掃き掃除してすごく綺麗に雑巾がけするっていうことだった。つまり、あの部屋から掃除をした女性や西園寺圭や僕の指紋や足跡や髪の毛、そういったものを排除して残った人間のものが犯人が残していったものってことになるわけだ」

「なーるほど!!大分事件は解決に向かいつつあるようですな、ワトソン君」

「このままいくと、ホームズの名推理は必要ないっていう展開になりそうだね。あと、僕が口をつけなかったワイングラスからも指紋が出たらしいから、西園寺圭殺しの犯人については、警察に任せておけばそのうち自然とホシが挙がるんじゃないかな。それと、首藤朱鷺子のことも聞かれたから、おまえが医者として彼女のことを助けようと思ったこととか、水上ゆう子のことも教えておいたよ。ただ、こうなると彼女が北央市に行ってるってのは、ちょっとマズイよな。ここに宿泊してる客の大半が、音楽祭が目的で来てるってのに――首藤朱鷺子が死んだ翌日から留守にしてるだなんて、警察が聞いたら絶対不自然だと思うだろ?」

「ああ、その点なら心配ないぜ、要。ついさっき、あいつから電話が来ててさ、『西園寺圭が死んだって本当!?』とか、やたら馬鹿でかいキンキン声で言ってたよ。とりあえず用も済んだし、オペラ・ナイトで着るエロいドレスも買ったから、最終日はエスコートして音楽ホールに連れてけだってさ。音楽祭は中止になっかもなって言ったら、『せっかく買ったドレスの意味がないじゃないの!!』とか、ひとりでプリプリ怒ってたぜ。世界的名指揮者が死のうとどうしようと、あの女の世界の中心はそんなところにはまったくないらしい」

「でも、変な話、そういう感覚も大切なんじゃないか?人間ってのは、どんなに大切な人を亡くした時でも、永遠に沈みこんでるってわけにはいかないからな。悲しみを受容して、相手の残してくれたものに感謝しながら生きるっていうふうに、どこかで前向きにならないとな。ただ、事が殺人事件ってことになると、やっぱりそういうわけもいかないか。なんにしても、水上ゆう子は最終日と言わず、すぐ戻ってくるんだろ?だとしたら僕としても助かるな。こういう時には女友達のほうが、美音さんも色々話すのにいいだろうから」

「どうだか」

 翼はキッチンへ行き、そこから氷を入れたアイスペールとウィスキーの角瓶を持って戻ってくる。

「確かに、今日の夕方には戻るとは言ってたけどな。それよりも、あいつが戻ってくる前に、おまえがあの娘の部屋にいって、慰めてるうちにどうにかなってたほうが、もしかしたらあの子にとってはずっと良かったかもしれないんだぜ?」

「それはないよ」要は溜息を着くと、まだ烏龍茶の残っているグラスに、氷を入れてウィスキーを注ぐ。「美音さんが西園寺圭の死から立ち直るには、これから長い時間がかかるだろう。今の彼女に必要なのは、その長い時間をかけて美音さんが<先生>と慕う男の不在を埋めてくれる誰かっていう気がする。もちろん、西園寺圭の不在を埋められるほどの男なんて、この世のどこにもいはしないだろう。でも、それとは別に他の男のことも愛せるようになるためには、とても長い歳月が必要だろうと思う」

「で、おまえは自分がそれになろうとは思わないわけ?」

「支えのひとつくらいにはなれれば、と思うけどね。でもそれと、彼女が本当に僕の手を取るかどうかっていうのは、また別の話だから」

「なんにしてもさ」と、翼はウィスキーのグラスを口許に当て、珍しくも感慨深げに言った。「俺、なんか今回は色々勉強になったよ。首藤朱鷺子を殺した犯人も、西園寺圭を殺した奴も、今はまだ誰なのかさっぱりわかんない。けど、いるとしたら音楽祭の関係者、クラシック音楽に関係した誰かってことだよな。俺は要と違って、クラシック音楽になんてちっとも詳しくないから、こんなこと言うのはなんなんだけどさ――クラシック音楽に関係した連中ってのはみんな、とにかくどっか<いい人そう>に見えるんだよな。<いい人>っていうより、お上品そうで、そこからあんましはみださないイメージがあるってーか。でも当然、人間だからそんなことはあるわけないわけで、一度蓋を開けたら、相手の才能に嫉妬してたりとか、人間関係がどーのと色々あるわけだ。しかもその一見<お上品そうないい人>の中に犯人がいる……俺、なんか犯人が誰なのか、警察が暴く日が楽しみだぜ。普段装着してるその<いい人>の仮面が剥がれた時に、そいつがどんな顔するのかってことがさ」

「なんだ。翼はもうホームズ&ワトソンごっこには興味がなくなったってわけなのかい?」

 残念だな、というように、冗談めかして要が肩を竦める。

「いや、もうここまでくれば、あとは警察が自動的に犯人を暴きだすだろうと思ってさ。なんにしてもサンキューな、要。俺にとってはこれ以上もないくらい、楽しい休暇の過ごし方だったよ」

 ここで要は、(そういえば、おまえが救命医を辞めたのって……)と、その理由を聞こうかとも思ったが、やはり黙っておくことにした。放っておいても本人にその気があるなら、南沢湖をあとにする日かその前日にでも、親友自身が自分の口でそのことを話すだろうと思ったからである。



 >>続く……。





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