一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

救霊

2016-11-03 07:24:26 | カトリック
今月は『永遠』や『死』について考えるいい機会です。
いつか忘れてしまいましたが今から10年以上前に、ある神父様が英語の本を日本語に訳しながら読みきかせて下さった話を思い出します。その本は教会公認の奇跡や不思議の物語を集めたもので、その中でその神父様が特に印象深いものを読んでくれたのでした。
昔々ある金持ちが死にました。その金持ちは、生きている間は教会の発展に尽力して信仰も守って生きていました。遺言書に死んだらその土地や財産は全て教会に寄付するということを書いて死にました。生きている間もその事を周りに言っていたそうです。しかしどう言うわけか、死後見つかった遺言書はその親友にその財産を分けることだけが書いてありました。地元の教会はとても貧しかったので、この財産が無ければ大変な事になりそうでした。彼の遺族や他の友人も巻き込んで裁判まで行われました。犯人はその親友で、筆跡もその文章も本物そっくりに偽造してありました。調べても偽造を立証するのは難しく財産はその親友の物になるのも時間の問題でした。当時の地元の大司教様は生きながらにして聖人と呼ばれていました。彼は死後も聖人に認定された大司教様で彼は祈りました。裁判も(死んだ)本人が出てこない限りはもう無理でした。しかしです。大司教様は死んだ金持ちの墓の前に行き、「キリストの名において復活せよ」と命じました。するとどうでしょう。墓から金持ちは復活しました。まさに奇跡です。裁判の最終日、法廷で死んだ金持ちは驚きおののく人々の前で事実を訴えました。この裁判の記録はまだ残っていてその衝撃は現代にも伝えられています。
さてその後の話です。その死んだ金持ちは死後煉獄に行っていたそうです。大司教様は彼にこのまま生きることも出きるし、煉獄に再び戻ることも出来るが、どうするか訪ねました。すると彼はすかさず『煉獄』を選びました。理由を聞くと、本人は辛うじて煉獄に入れたから、というのです。そして大多数の人が地獄に行く中本当に紙一重で煉獄に入れたし、この世に再び生きた場合、次は煉獄にも入れない可能性の方が高いからすぐに煉獄に戻して下さいとお願いしたそうです。そしてその願いは聞き届けられて彼は煉獄に戻りました。
確かにこの話は不思議な話です。超自然のお恵みです。神様が私達の世界に介入されたとき奇跡というものが起こります。そしてその奇跡には深い意味が込められています。
今回の話で私が感じたのは、まず救霊がいかに難しいかをここでは物語っているように思います。確かその金持ちは十戒も守って教会の掟も守って信仰深く生きていました。貧しい人も教会も物質的に助けるくらいの徳のある人です。死後の財産も放棄しています。おそらく現代においても彼のような信仰者は珍しいでしょう。その人が死んで煉獄に入っていても『救霊』の難しさを訴えている点に注目しましょう。
ファティマのマリア様がお見せになった雪のように地獄に堕ちていくカトリック信者の霊魂のことを忘れてはいけません。昔から教会が教えているように死後多くの人が行くのは地獄です。確かに一発逆転の奇跡の話もありますが、私達に同じように起きる保証は全くありません。愛された聖人に話しかけるイエズス様は私に話しているわけではありません。大多数の人は都合よく神様を作り上げています。
私自身も煉獄に入れるのも難しいと思っています。甘い言葉には気をつけましょう。この世の快楽は非常に甘い言葉です。傲慢にさせて神様の正義を忘れさせるに十分のものを持っています。危険な場所にいるのに神様に守られているから大丈夫(だろう)!、と神様を試してはいけません。もう一度自分自身が愛され救われるに値する人間か謙虚に考えてみましょう。その時私達がやるべき事が自ずと見つかると思います。祈りましょう。