一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

再び聖体を考える

2019-05-16 07:53:26 | カトリック
御ミサで最も大切なところはどこですか?
初聖体の時に私が神父様から学んだことは、まずそれは聖変化の時と、そして聖体拝領の瞬間でした。
初聖体の時が最も忘れられないだろうというお言葉はまさに、その瞬間のためにどれだけ準備したかにもよるものですが、偉人の言葉を借りずとも私も例外ではありませんでした。『聖体拝領』、カトリック信者にとって、罪人が聖三位一体の主を頂くということは、常に非常に大きな敬意そして畏敬の瞬間であるはずです。緊張感があります。しかし、現代のカトリック信者の多くはもはや主の真の現存を信じないのだそうです。口では信じると言っても行動が全く無いのだそうです。例えば洗浄もしてない手で主に触れること。準備もせずに御聖体を受けることです。聖パウロは次のように書いています。『主の御体をわきまえず飲食する者は、自分自身への審判を飲食することである』この他にもこの事に関して厳しいことを書いてあります。
最近いろいろな記事を読みました。非常に嘆かわしいことです。跪いて御聖体を頂こうとする信者に司祭が立つまで拝領させないとか、跪いている信者に対して他の信者が冷笑するとか。実際これらの不寛容と冷淡は主を悲しませております。私たちは司祭に跪いているので無いのです。全宇宙の王の前で跪いています。主の御前で跪かないものは悪魔と変わらないというのを読んだことがあります。私たちを悪魔になるように導くことを許してはいけません。
私たちが従うべきものは悪魔でも人間にでもありません。天主を愛すること、畏れ敬うこと、そしてそれに対して相応しいことをするべきなのです。



公教会祈祷文から(黙想しましょう)
<ミサ聖祭にあずかる心得>
「ミサ聖祭は主イエズス・キリストが十字架上にかち得給うた、無量の功徳を人に施すために、御自ら定め給うた至聖なるいけにえである。それ故、天主の最もよみし給う最上の祈りである。五官には感知せられないが、ミサ聖祭において主イエズス・キリストはパンとぶどう酒との形色のもとに実際に祭壇にて降臨し給い、世のいけにえとなり、人々の霊魂の糧となり給うのである。
 それ故カルワリオにて主の御苦難を仰ぎ見給うた聖母の御心にならい、聖なる祭を祭壇の司祭と一致して公教会と共に捧げなければならない。」