一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

ロザリオ

2017-10-31 08:08:06 | 祈り
マリア様が仰る通りロザリオは私たちカトリック信者にとって最後の武器です。
全て解決させてくれるのはこの武器です。
戦争でいかにダメージを受けないようにするには、「やられる前にやる」ことが鉄則です。先手必勝です。
武器はそのように使います。私たちはこれから来る危機や困難に対してまず対策するべきなのです。悪魔の虚しい誘い対してまず武器を使いましょう。
そして神様を悲しませる罪が起こる前に人々の回心に対してロザリオを使うのです。
ロザリオの黙想が足らないです。私たち自身の救霊はもちろん、兄弟姉妹のために引き続きロザリオを持ち続けましょう。


死ぬために

2017-10-27 07:51:14 | 日記
音楽の『交響詩』というジャンルを作り上げた19世紀の作曲家にリストという人がいます。
彼はハンガリーの作曲家ではありますが、ベートーヴェンやシューベルトの流れをくむウイーン系統の作曲家です。一般には『ピアノの王』と称されていますが、管弦楽も得意としていました。
先日リスト作曲の交響詩『前奏曲』を聴きました。テーマはズバリ人生です。「人生は死への一連の前奏曲である」という意味の『前奏曲』ということです。つまりよく聞く「人は死ぬために産まれてくるのだ」という現代でもおなじみのキャッチフレーズです。
今月はロザリオの月ですが来月は死者の月です。死について黙想するのは、11月に限らず常にするべきだと私は思います。人は死ぬために、生きるまたは産まれるというだけでは、その後のことは何も語っていません。確かにあらゆる人は平等に死に向かって生きていくのですが、死でもって全てが終わりではありません。
生き方で死後が決まるという前提が無ければ、キャッチフレーズも全て台無しで無意味です。
たとえこの世で幸せに生きようが、不幸に生きようが、善徳が無ければ地獄に行くことになります。死と同時に神様の正義も平等に訪れるからです。
つまりカトリック信者であろうが、未信者関係なく、神様の定める罪は同じです。罪がある状態では天国へ行くのは不可能です。
さて、リストの『前奏曲』ですが、不安定に始まってテーマを緩急繰り返して(人生楽あれば苦もあり)壮大に曲を閉じます。おそらく彼が最後に希望したのは、臨終の秘跡でしょう。冒頭から始まる主要テーマを変調してコーダで荘厳に締めくくるのはおなじみの作曲技法ですが、「原罪持って産まれて洗礼を受けた者は、最後は臨終の秘跡が受けられるほど幸せなことはない!」と私には聴こえました。
祈りましょう!希望しましょう。