一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

桜が満開

2018-03-28 07:48:30 | 日記

昨日仕事中に桜の美しさに思わず立ち止まってカメラで撮ってみました。
ほぼほぼ満開と言えます。首都圏では桜が満開だそうです。今年は桜が早く咲き入学式シーズンには桜の花は無いかもしれません。
満開の桜を見たときに私の祈りと犠牲はマリア様にお捧げする花は果たしてこのように満開なのだろうかと、と自問してしまいました。
私たちカトリック信者の祈りの花束がこの桜以上に花びらを付けてマリア様に届くように、さらにお祈りをしましょう。
今日は聖水曜日です。
聖ヨゼフの忍耐さ賢さと勇気、そして柔和の心を保てるように祈りましょう。

聖週間

2018-03-26 07:41:08 | カトリック
昨日の枝の主日から聖週間に入りました。今日は2日目で聖月曜日となっております。今週の木曜日は御聖体の制定、金曜日は主が十字架で亡くなられた日です。大斎、小斎となっております。聖土曜日は主が古聖所に下られた日、そして日曜日は復活祭となっております。聖ヨゼフの月も終わります。
祈りと犠牲で私たちの主をお慰めしましょう。
復活祭に洗礼をお受けになる方のためにも祈ります。
善い聖週間をお迎えください。


聖ヨゼフの祝日

2018-03-19 07:50:00 | カトリック
本日は聖ヨゼフの祝日です。
聖ヨゼフを御加護とする洗礼名の皆様おめでとうございます!
幼児洗礼の方はその両親や代父に感謝しましょう。成人洗礼の方はよくぞ、聖ヨゼフ様をお選びになりました!いやおそらく聖ヨゼフがあなた方を選んだのだと思います。
我が家は古くから聖ヨゼフの信心の家系で、少なくとも私の曾祖父の代から生まれてくる男の子は、全員ヨゼフの洗礼名を付ける習慣で私の祖父はもちろん祖父の兄弟も叔父たちも父の従兄弟も私の兄弟も私も、私の息子もみな今日が聖名祝日です。私も代父を頼まれると子らには聖ヨゼフをおすすめしています。覚えやすいです(笑)
この日はまるで誕生日なのですが、聖ヨゼフの祝日は毎回四旬節の中にあります。聖ヨゼフの生き方を表しているようです。
伝承によれば聖ヨゼフは幼少の頃から祈りを大切にして常に祈りを捧げてその行動も祈りを通したものだったそうです。そして聖福音にあるように、天使や夢に出てくる神様の声を従順に従いました。その従順も謙遜は聖母マリア様に劣らない程だったでしょう。
感情的な所は全く無く常に御心にかなっておられた様子が描かれています。
聖家族の長として、もちろんイエズス様には「お父さん」と呼ばれていました。なんと偉大なのでしょうか。
マリア様とイエズス様をお守りした人生です。これからも教会の保護者そして私たちの良き取りなし手としてこれからも私たちをお導き下さい。
聖ヨゼフ我のために祈り給え!

『幸いなるヨゼフよ、われら困難のうちに御身によりすがり、かつ御身のいと尊き浄配の助けを求めたれば、また御身の御保護をも頼もしく願い奉る。
 御身は天主の聖母なる汚れなき童貞と結ばれたるいつくしみあり、幼きイエズスに尽したる父の愛あれば、またイエズス・キリストが、その御血をもってあがない得たまえる家督を、一層あわれみて顧み、かつすべてわれらの急に迫れる時、助力と救援とを下し給わんことを、伏して願い奉る。
 聖家族のいと忠実なる守護者よ、イエズス・キリストの選ばれたる末を守り給え。
 慈しみ深き父よ、われらのために、すべての誤りと腐敗との伝染を防ぎ給え。いと強き保護者よ、われらが暗(やみ)の権威と戦うをあわれみて、天より助けをたれ給え。また昔幼きイエズスを、生命の危険より救いし如く、今も公教会を守りて、敵のわなと、すべての困難とを免れしめ給え。かつ常にわれらをことごとく保護し、われらをして御身にならわしめ、御助けによりて、聖なる一生を送り、信心をもって死し、天国の永遠なる福楽にいたることを得しめ給え。
アーメン』

奪ったのは私たちの方です

2018-03-09 08:19:27 | カトリック
四旬節中の黙想の中でイエズス様が私たちを愛しに愛し尽くされたというのを感じます。
十字架の道行きからカルワリオの丘まで主は苦しまれました。苦しむ必要も無い方は私たちのために苦しまれました。その苦しみも多様です。体中の痛みはもちろん精神的な苦しみも受けておられます。全てはちっぽけな私たちのためです。主は与え主でもあります。私たちに大切な御一人子をお与えになる程愛されたのです!
以前映画を観たことを思い出しました。あるお婆さんは大切な一人息子を病気で失ってからというもの、覇気が無くなり生きる喜びを失っておりました。ミサにも行かなくなりました。そこで地元の司祭がお婆さんを訪問しました。彼女は辛うじて自殺を思いとどまっている状態とのことでした。彼女は「神が息子を奪った」と言うのです。それからというものの神様を呪っているのでした。しかし司祭は、その息子を与えられたのは神様のおかげであること。神様は天の国でその息子を養いお母さんの為に祈り待ってることを諭すのでした。しかし彼女の心は頑なでした。
さて、あるブログを読んだらこれと同じことを書いている方がありました。自分が病気なのも、家庭が持てないのも、孤独なのも、不遇な扱いをされるのも、苦しいのも、人間関係がうまくいかないのも、「神様が奪った」というのです。なんと恐ろしい考えなのでしょうか。自分に責任は無いのでしょうか。
人間は原罪を持って生まれて非常に弱い存在です。さらに私たちが生まれてきたこの世は神様の属する場所ではない獣の住処です。天国と違って不快なことだらけです。正義も行われていません。うまく行くことは少ないです。人間には自由意志があります。献身的な人もいれば利己的な人もいます。この世ではこういう人間関係で過ごすのです。ですから対立も融和もあるのです。神様のせいでは無いのです。むしろ神様は私たちにお与えになります。私たちが気が付かないだけなのです。
以下どこかで読んだことある小話(ジョーク)ではありますが、感慨深いものがあります。

『 ある科学者がついに自分は神に同等になったことを喜びました。なんとアダムをお造りになった神様と同じく塵から人間をつくることに成功したのです。そこで博士は神様と対等であることを宣言しました。そして神様に向かって
「神よ!俺はついに塵から人間をつくれるようになったぞ!見てみろ」
そこで神様は
「いやいやだめだ、それは私の造った塵だ」 』

このように私たちにはただただ神様から与えられたものしか存在しません。アダムとエバは神の恩寵のもとで創造されました。しかし悪魔の誘惑と自らの傲慢で恩寵を失い、その結果を私たちも相続しました。しかしそれでも私たちを愛された主は、聖母マリア様を与えられイエズス様さえも私たちにさしだされたのです。ですから再び私たちが、洗礼を受けて原罪が赦されこの世での償いが終われば再び天国に行けるのです。
この世は救いが無いように見えても、主イエズスは御聖体に隠れておいでになります。そして私たちは主をミサで受けています。主が不幸にするために私たちから何かを奪うという気持ちにはならないはずです。

カトリック聖歌集に「秘跡にこもりて」という聖歌があります。


秘跡にこもりて われらのうちに
さかえのみ神は とどまりますよ
ぬかずきまつれば ああ心なごむ
奇しきやすけさ
とわになつかしき なぐさめぬしよ
淋しき日の友 心の糧よ
君ともにまさば 世におそれあらず
奇しきやすけさ

"ひせきにこもりて" YouTube


聖ヨゼフ

2018-03-01 07:42:50 | カトリック
聖ヨゼフの月が始まりました。
私たちの母である聖母マリア様は特別な方です。公教要理にあるように超崇敬の対象です。
同じように聖ヨゼフを忘れてはいけません。聖ヨゼフは聖母マリア様と結婚生活をおくられたのです。聖母マリア様と共にイエズス様をお育てになりました。私たちの憧れる聖家族は家庭の模範です。その聖家族の長が聖ヨゼフです。聖母もイエズス様もその謙遜をもって聖ヨゼフに御従いになられました。なによりも聖ヨゼフは聖母マリア様とイエズス様に看取られて亡くなったという幸いを受けたのです!これ以上の慰めと希望はこの世には存在しないでしょう。
聖伝の教えにあるとおり聖ヨゼフは終生童貞でしたので、童貞の守護者とも言われております。聖ヨゼフは正しい人そして聖なる人なのです。
幼きイエズスの聖テレジアは以下の祈りが大好きでした。

『童貞者の父かつ保護者なる聖ヨゼフ、御身は純潔そのものにましますイエズスと、童貞中の童貞にまします聖マリアとの、忠実なる守護者と選ばれ給えり。
願わくは、御身に託せられたる最愛のイエズスとマリアとによりて、われをしてすべての汚れを免れしめ、精神も、心も、身体も、清浄潔白にして、完全なる貞潔を保ちながら、絶えずイエズスとマリアに仕えしめ給わんことを、ひたすらこいねがい奉る。アーメン。』

四旬節中の中の希望なる聖ヨゼフに寄りすがりましょう。聖ヨゼフは、いつもさりげなくではありますが、私たちを父の優しさと勇気を持って私たちを助けてくださります。