一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

煉獄の霊魂

2016-11-02 07:25:11 | カトリック
聖なる公教会(カトリック教会)は11月2日を死者の日と定めています。
死後霊魂はこの世の行いによって直ちに3つの場所のどこかに向かうことになります。『天国』『煉獄』『地獄』となります。堕胎された過失の無い赤ん坊の霊魂はリンボに行きますが、基本は以上の3つです。昨日は天国の諸聖人の祝日でした。
残念ながら地獄に行く霊魂は永遠にその苦しみに入りますが、期限付きの地獄と言われる煉獄では、大罪は犯さなかったけれど小罪を持った霊魂、告解で許されてもまだ償いが残っている霊魂が行くところです。本日は煉獄の霊魂の日です。煉獄のキーポイントは『償い』です。地獄に入った霊魂のために私達は祈ることは出来ません。無駄に終わります。残念ながら救いようがありません。しかし煉獄の霊魂のために私達はお祈りすることが出来ます。つまり代わりに償いを果たし助けることが出来ます。逆に天国の霊魂は償う必要もなければ犠牲をしたり苦しむ必要も無いので、煉獄の霊魂を救う事は出来ません。そこでこの世の私達は自分のためにも償いや犠牲が出きますし、誰かのためにそれもできるのです。煉獄の霊魂の多くは場所的に誰がそこにいるのか、明らかにされていないため多くの霊魂は忘れられています。この死者の日は特に煉獄の霊魂のために司祭はミサを三回たてられることが許されているほどです。
私達もこの世界で多くの紆余曲折や多難があります。原罪の結果この世で生きていくには仕方のない事です。しかしそれでも私達は苦しい人を助けたり悩みを共感したり、場合によっては解決してあげたりと、様々な手を尽くそうと努力しますね。これと同じです。苦しみにいる煉獄の霊魂も私達の助けが必要です(煉獄の霊魂は私達よりも苦しいのです)。逆に助けた人が私達を助けることもあります。同じように煉獄の霊魂は私達よりはるかに聖人に近いに霊魂です。もっともっと義理堅い霊魂です。天国に入られたとき私達を必ず助けて下さいます。
今月のテーマは、『死』です。
死は終わりではありません。新たな始まりです。すなわち新たな生命です。
カトリック信者の中には、天国も地獄もそれぞれの人の心の中にあるという精神的かつ概念的なものとして考える傾向の人もいますが、これは救霊にとって非常に危険です。畏れを知らないことです。
今日は特に煉獄の霊魂のために祈りましょう。犠牲を捧げましょう。特にロザリオが有効です。

「死後の地獄は一度そこに落ちたら永遠に抜けられず、永遠の意味を理解したら人は自分の生き方を変えるためになんでもするでしょう」
ファティマ
福者ヤシンタ

願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。アーメン