かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

ホノルルクッキー

2018年01月21日 16時45分25秒 | お料理

 

今日のおやつは特大白玉抹茶あんみつです(*'▽') 

特大の大きさが食べれるのは手作りならでは

プリップリの茹でたてデス

娘がホノルルクッキーという ハワイのお菓子に今ハマっていて

日本では銀座?新宿と横浜のららぽーと くらいしかないらしいのですが

これが1枚300円くらいするという 大変高価なクッキーで

 👈パイナップルの形をしています

その中で娘が一番好きなのが 

ホワイトチョコがコーティングされているココナツ風味のもので

娘に1枚食べさせてもらいました

食べてみて なんか・・ この味作れそう・・と思ったので

1枚300円出さずとも ママが作ってあげるわ!!

と 宣言してしまったので

ちょっと作ってみました

かなたんが作る 

ほぼ(ホノ)ルルクッキー(*'▽')

[材料]

バター 50g・・無塩でも有塩でもOK 

        ワタシはゲランテの塩が大好きなので

        無塩にして

         👈ゲランテで塩味を利かせます

        コクが出て美味しいですよ(≧◇≦)

卵   1個・・黄身多め(白身は少し減らして)

砂糖  30g・・白砂糖でもグラニュー糖でも粉糖でも なんでもOK

        グラニュー糖は あんまり甘味が出ません

        (量は同じでも)

        粉糖は夏は不向き(生地が柔らかくなりすぎるので)

        三温糖は色がすこしくすみますが 意外とコクが出て

        美味しいです 

        てんさい糖は つぶつぶ感が多少残るので

        それが好きな人にはいいかも 

        今回ワタシはスタンダードに白砂糖を使いました

薄力粉 100g ふるって ベーキングパウダー小さじ1/2を混ぜます

ココナッツパウダー・・ 20g

        パウダーでなければ ミルにかけて粉にするか 

        包丁で刻みましょう

揃えるとこんな感じです♪

 👈富沢で買ってきたココナツパウダー

最初に材料を全部揃えて置くと お菓子作りって簡単にできます

①バターを室温にして練ります

 冬は柔らかくするのに時間がかかります

バターをナイフで切り刻んで小さくしてから ドライヤーを当てると

早く柔らかくなります

 👈こんな感じ

 この時 溶かしてしまってはダメなので あくまで少しずつ

当てたら練る また違う場所を少し当てて練る→を繰り返します

よく練れたら 砂糖を加えます 一気に加えるとバターの

温度が下がって 混ざりにくくなるので注意

卵を加えます ここが一番注意するポイントです

 すこーーーーしずつ加えて混ぜないと 分離してなんだかよくわからない

 液体になってしまいます 少しずつ少しずつ・・ドバっといれてはダメですよ

分離せずに混ぜられると こんな感じにふんわりします

 粉を入れる前にココナツを加えて混ぜます

粉を入れたら グルグル混ぜてはダメ

外側から寄せるようにしてまとめていきます

まとめたら 大きめに切ったラップを広げ

その上に生地をぶちまけて ラップでたたんで上から

伸ばします のし棒を使うと均一に広がります

なければ手で伸ばして全然大丈夫です

むしろ凸凹感が いい食感を生みます!(≧◇≦)

このクッキーは 意外と厚めなのが特徴なので

生地の厚さはちょっと厚めにしておきましょう

1センチ弱くらいでも大丈夫(7~8ミリくらい?)

ワタシはパイナップルの型抜きがないので

今日は試作だし このまま包丁で切りますが

一応 冷蔵庫で30分くらい寝かします(冷凍庫でもOK)

オーブンを180℃に温めて~

 固まった生地を型抜きします

ワタシは上記のとおり包丁で適当に切りました(*'▽')

焼きあがったら ホワイトチョコを溶かして塗る

                   👇これこれこれです(≧◇≦)

形も塗り方もテキトーですが 味は おいしい!ハズ・・

お菓子を作り出すと どうせなら・・と何種類も作ってしまうのも

ワタシの悪いクセ・・(*´з`) 

左はコーンミールパンケーキ  真ん中はチョコチップクッキーです

さっそく娘に試食させに娘の家(実は近い)まで持って行きました

娘は

「ん!」「ん!」「んん!」と あっという間に3個ぺろり!

「同じ味でしょ でしょ

ペロッと食べたわりに

「ん・・・ん・・・」

「同じだよね!

「ん・・・」

なんでしょう・・この微妙な返答・・・

「ん」しか言わない(--〆)

娘がいうには もっとチョコのコーティングが

厚い!そうです・・ あと形?

でも意外とイイ線いってると思いますよ♬

ホノルルクッキーって ものすごく種類が多いので

今度は外の味にも挑戦してみまーす

 

 

 


 

 











イヤなこと続きでしくしく・・・(/ω\)

2018年01月20日 21時20分37秒 | 日々の出来事

ここ2日ほど 気持ちが落ち込み(木・金)

気が晴れなくて 何もしたくなくなっちゃって

こたつにくるまり 引きこもりになってました

イヤな気分になることが4連発くらい続いて

なんだか1人でいると 

涙が じわじわじわじわ (/ω\) しくしく・・・

1つ目が 

自分の短所ともいえるお人好しな性格が

結果的に自分の首をしめるという・・

知らんぷりしとけば良かったのに

子供の頃から何度も傷ついて ホントに自分ってバカだなぁ・・と

毎回反省するのに 

半世紀近く生きても まだ治せません・・

ホントに自分イヤ(/ω\)しくしく

2つ目が性懲りもなく1000円カットに行って

   👆4/18 ヘアカット切りすぎた前髪①② 参照

担当美容師さんが ここに流れ着く前には

7000円の技術料をもらっていた時期もある 

なんて話を聞き、かなり期待したんですが

またも・・・おかしな前髪になってしまい

今日 バイト先で

「2日くらい ひきこもりの生活してました・・」と言ったら

「ああ、前髪切ったのね」 

これが原因と納得するほど 

おかしいですか?

ワタシの前髪

3つ目が 毎年・・初詣に箱根神社に出かけているのですが

先週行く予定だったところを ダンナ様が

「疲れてるからムリ 来週にしてくれ」と言うので

今週の木曜日に出かける約束をしました

水曜日に「明日何時にでようか?」と聞くと

「え? オレ もう疲れちゃってムリムリ!絶対ムリ!」

 「勘弁してくれ!」とまで言われ 先週に引き続き

またもお疲れ?

帰りにスナックとか寄ってくるからじゃないの?

と、ムカッときたものの そんなに疲労がたまってるんじゃあ

仕方ないわねぇ・・ と出かけるのを諦めました

木曜日は1日家で ゆっくりしているのかと思いきや

ダンナ様は

朝の9時から いそいそと 洗面所でおめかしして

ルンルンと 1人どこかに出かけて行きました

どゆこと!(--〆)

さすがのワタシも いい加減にしろよ このやろう・・・

と怒り心頭に達してしまい

なんだか もー 動きたくなくなってしまったのでした・・

そしてダンナ様の帰宅は夜でした

疲れてるというわりに1日の半分も外出ですか・・・(--〆)

堪忍袋の緒が切れました

それも ブッチリッと・・・

明けて金曜日の朝 

「出て行ってちょうだい。お父さんの退職金で建てたこの家を

    出て行ってちょうだい!

と、申し渡しました

ワタシが本気で怒っているのに クソダンナは

ヘラヘラしながら出勤していったので

さらに 気分が どっぷり下降し 奈落の底まで沈んでしまいました

もー 引きこもりの心境で 

部屋から一歩も出たくなくなってしまいまし

こんな時に限って仕事が珍しく無い・・・(/・ω・)/

2日間も 1人ぼっちで 引きこもってしまい

どんどん気が滅入ってしまい 

しかも寒いし 天気までどんよりなので

さらに気持ちがめり込んでいってしまいました・・

いかん・・このままでは浮上出来なくなる・・

とにかく掃除をして居住空間をキレイにしないと

ますます気分が落ち込むわ!

でも やりたくない~ (/ω\) しくしく・・

でも ここままじゃダメ! (>_<) 

でも 動きたくない~ (/ω\) しくしく・・

心の葛藤を何度繰り返したことか・・・

やっと 夕方になって

いつもは着ないヨガ用のウェアに着替え

ヨガマットを広げてヨガ始めました

ヨガウェアまで着替えてヨガマットで

ヨガをすると 

なんとなく自分が

インストラクターにでもなったような気分になりました

ついでに シンキングボウルのCDをかけて

さらにアロマまで炊いて

さらにさらに 部屋を暗くして 

シェルランプの灯りだけにしてみました

あら・・・ なんかイイ感じ 

体のメンテナンスしてますみたいな・・・

やってることは ほとんどストレッチ(・・? に

毛の生えたようなポーズですけど

ストレッチと思えばストレッチ

ヨガと思えばヨガ

1時間くらい 体の毒を全部吐き出すような気持ちで

みっちりやったら なんだか急に元気になりました

ひきこもり終了 ちーん!


だいぶスッキリしたら ダンナ様が帰ってきました

ケーキを片手に

ひざまづいて

「ごめんなさい」と謝ってきました

悪い方に向いてたバイオリズムが一気に回復 

意外と単純なワタシ バンザーイ

と、迎えた今日は息子の誕生日

しかし息子は 大学を卒業できるかできないかの

瀬戸際の崖っぷちで

「なんで俺を1月に生んだんだ!!」と超ナーバスで

朝から大ゲンカしてしまい

息子が出掛けた後で 誕生日なのに

ケンカになっちゃって悪かったかな・・と反省したワタシは

誕生日ケーキ買ってきてあげることにしました

サプライズで喜ばせようと思ったのです

プレートに名前まで書いてもらって

「・・ちゃんですか?・・君ですか?」の問いに

「・・君でお願いします・・

「ろうそくは何本ご用意いたしますか?」

「・・・23歳・・・です」

「・・・」 

超恥ずかしかったです

これで仲直り出来るだろうと 帰ってきて

みてみたら

ケーキがこんなになってました( ゚Д゚)

うそでしょ・・・ 

これ 絶対・・もっと機嫌悪くなるでしょ・・

もーイヤ(/ω\)しくしく



 





 








 












 






































ペリーヌに学ぶ

2018年01月18日 08時45分35秒 | ドラマ・テレビ・映画

ペリーヌ物語が終了しました

1日の楽しみが・・・(/ω\) うっうっ・・

パリカールやマルセルと再会出来て 良かった良かった(≧◇≦)

ペリーヌが「とっても幸せよ」と言ったので

「そう そうかい」と微笑むマルセルにワタシはグッときました(/ω\)

いい演技ならぬ いい画力してますね と言いたい

画力とともに ペリーヌ物語は どの声優さんも画に合った声で

特にペリーヌの甘くて愛らしい声を担当していたのが

若き日の鶴ひろみさんです 高校生だったそうです

この方、「みゆき」の鹿島みゆき役では 

リーヌと全然違う性格の高校生の声を見事に出していたし

ドキンちゃんでは小悪魔的な、でも憎めない可愛い声で

声の美しさもさることながら キャラクターの性格も声で表現し

万人がピッタリと思えるなおかつ違和感のない声をだせる

改めて すごい人だったんだなぁ・・とその早い死が悔やまれます・・

「わしは昔 ここに立って決意したことがあった。

パンダボアヌ工場をフランス一の工場にしてみせると」

 👆ペリーヌの祖父 ビルフランの言葉

ワタシの父も高校を出て18歳で単身上京したとき

 ある誓いを立てました

と、いうのも どこまでも田舎者の父、と、その周りの人々・・・

東京に就職が決まり、呼ばれるままに

身ひとつで会社にいけばいいと思っていたそうで・・・

確かに「ああ 野麦峠」とか 朝ドラとか観てると

風呂敷包みをしょって 「今日からお世話になります」なんて感じで

宿舎みたいなところで寝泊まりしてますからね。

そんな感じに思っていたようです・・・(+_+)

身の周りの手荷物のみを抱えて いざ上野駅に降り立った父・・・

なんと!住むところがありませんでした!!

会社に問い合わせると 「社宅は満室です」と言われ

全く知らない土地で ろくなお金ももたない18歳の少年・・・

途方にくれた挙句、自分の父親に電話すると

「東京は人がいっぱい住んでるし 家もたくさんある

 お前1人が住むとこぐらい どこかにないのか?」と言われたそうです

「ない!」と必死で状況を説明し

どうにかこうにか 亀戸に住んでいる遠縁の家に 

無理を言って しばらく置いてもらえる事になりました

この家から新橋までの通勤電車の窓から見える街並みを見るたび

「こんなに家が建ち並んでいるのに 

   自分の住む場所がどこにもないなんて・・」と涙があふれたそうです

そして18歳の父は ここでその誓いを立てました

「俺は絶対に将来 この都会で土地を買って家を建てる!!」と・・

そこから父のドケチすぎる人生が始まりました・・・(--〆)

サラリーマンの父は 自分が生涯もらえるであろう全給料を予測計算し

そこから緻密な人生設計を立てました

この設計が少しでも狂うと もー大変! 

自分のナニが間違っていたのか分析・苛立ち・焦りモロモロで大爆発!

特に狂いまくったのが 子育てにかかる費用でした

自分の思い通りに子供が育つハズがありません

しかも サイテーのサイテー額の費用しか見積もらないので

全然思い通りにいかない父はいつでも活火山のようでした

そのケチぶりは ものすごく

父と出かけると お昼頃には子供3人お腹が空きます

姉たちに突かれて

「おとーさん お腹すいたぁ」と言わされるのは

 いつでも末っ子のワタシ

そうすると 「待ってなさい・・もうすぐ家だ」

東京のど真ん中にいても こう言います

また 少しして姉たちの合図が厳しさを増し

「おとーさん お腹すいた・・・」 これを3,4回繰り返すと

仕方なく 父が しぶしぶ駅のキオスクで

黄色い箱の森永キャラメルを1箱買ってくれます(いつでもコレ)

「3人で食べろ」

この1箱で家まで我慢となります

父はお菓子を口にしないので ホントに家に着くまで何も食べません

そうなると家について あまりの空腹に激怒!!

今のようにレンジもないし携帯もない時代なので

いつ帰ってくるか分からない父に 

帰ってすぐにご飯が出せるわけもありません

母は いつでも大変だったと思います

てか、家族全員大変だったので

子供の頃は

お互いを思いやれる気持ちも なかったような気がします

ペリーヌ物語に戻りますが

ビルフランも自分の夢である工場の拡大ばかりを優先させて

周りの事を考える余裕がなかった事に 

ペリーヌのおかげで気付くことが出来ました

目標に向かって頑張ることは素晴らしい

でも、独りよがりに突っ走ってはいけません

自分についてきてくれる周りに感謝し 

周りの協力があるからこそ 成功出来るのだと

自分の収入は 決して自分だけが 

頑張ったから得られたものではない

自分を支えてくれた全てがあるから

挫けずにやってこれたのだと

それこそが 福利厚生につながっていくのだと

このアニメは40年も前から 社会問題はおろか

ある家族の問題までも提起しておりました

子供が観て ここまで感じるかどうかは分かりませんが

ホントに・・とても素晴らしい作品です・・・

そして

明日からは これまたワタシの大好きな名作劇場

「トム・ソーヤの冒険」です (≧◇≦)


 












 






























 

 

 

 

 


23年目

2018年01月17日 21時12分37秒 | 思い出話

 

阪神淡路大震災から23年が経ちました

平成7年1月17日火曜日の朝5時46分

寝ていたワタシは寝室の柱がガタッと軋む音で

目が覚めました

地震が来た! と思ったのですが

そのあと 揺れる事はなかったので そのまま起き

台所でテレビをつけると

関西方面の地震速報が流れていました

その時点で震度は大きかったものの

「ケガをした人は20名の模様です」

という簡単なアナウンスだけで

すぐに次のニュースに移ってしまったので

震度のわりには そんなものか と、さして気にもとめず

家事にとりかかりました

その次にテレビをつけたのはお昼でした

テレビをつけたら 戦争中の大空襲のように

街中が火の海と化していました

一瞬 目の前で何が起こっているのか理解できませんでした

あれからもう23年が経つのですね・・・

尊い命をこの震災で失われたすべての方々に

心より黙とうをささげます




ワタシは あの日 臨月を迎えた妊婦でした

それだけに 今の状態でこんな大災害に見舞われたら・・と思うと

ゾッとしました

電気も通らない暗闇の中で無事出産という記事を

「よかった・・無事に出産されて ホントによかった・・(/ω\)」と

他人事でない気持ちで読んだりしたものです

震災の落とし子なんて言葉もあるように

震災のショックで出産を早めてしまうこともあるそうですが

あの時は 震災の翌々日あたりが満月で 

産気づく条件が重なっていたかもしれません

そんな大変な状況で生まれた子たちも もう23歳なんですね

ワタシも満月に誘発されたのか 

予定日より10日も早く息子を出産しました

産んだ病院でも

1月19日前後に生まれた子がとても多くて 

授乳室がいっぱいで廊下で授乳する産婦さんが出るほどでした

この病院 ご飯がゴージャスと聞いていたので 

とっても楽しみにしていました

前日に翌日1日分の食事メニューがキレイな紙に印刷されて

1人1人に手渡されるのですが

そこには 花のイラストとともに ステキな名前の

料理名がスラスラ~っと書かれていました

「なになに 明日の朝ごはんはパンか・・」


レーズンブレッドのママ⁻レード添え

アッサムティー

ボイル・ド・エッグ 

有機野菜のグリーンサラダ 


なんだかステキじゃないですか・・・

期待に胸を膨らませ迎えた翌日

朝の授乳から戻るとベッドの脇に朝食が置いてありました

(個室しか空いてないといわれ個室に入院してました)

それをみた瞬間

ワタシは愕然としました

お盆の上には想像とはるかに違う現物が

乗っかっていたからです

ワタシ風にもう一度書き直させていただくと


ぶどうぱんにマーマレードくっつけてみたやつ

紅茶

ゆで卵1個とレタスちぎったやつ


特に

想像を膨らましていたボイル・ド・エッグ

どこにあるのよ・・・

ゆで卵しかないぢゃないの・・

ん? ん(・・?

ゆで卵(・・?

・・・・

ボイル=ゆでる?

ボイル・ド・エッグって もしかして

ゆでたまごのことですかっ!!

  ( ゚Д゚)・・・・

ホント―に驚きました・・・

この病院のメニュー 

全てがこんな横文字ばっかりで

おやつだって すごく美味しそうな名前のお菓子名が

書かれているのに 3時に届けてもらうのは

旅行のお土産にもらうみたいな小さく包装された

まんじゅうとかで

ソテーとか バジルオムレツとか

パスタとか ブロヴァンズ風とか 

響きがいい言葉で並べ立てるそのセンスには

目をみはるものがありますが

でてくる食事のどれもこれもが

期待を大幅に裏切るもののオンパレードで・・

ボイル・ド・エッグがゆで卵なら

卵焼きは ベイク・ド・エッグ・・・( ゚Д゚)

目玉焼きもベイク・ド・エッグで出てきましたからね

カフェ・オ・レ とか書いてあるけど

どーみても コーヒー牛乳だし・・

裏切られた感ハンパなし・・・(/・ω・)/

退院間際になると さすがにワタシも

セイロンティー?  ああ紅茶ね・・

おやつは ケーキ? ああロールケーキね

と、こんな風に読み方が分かってきました

この病院 1日だけ出産の祝い膳というものが

用意されます

(もちろん入院費用に組まれています)

この祝い膳もすごかった・・・

鰻の蒲焼きご飯に赤飯

さらにステーキに鯛と

ケーキがオマケという組み合わせ

 

明らかに栄養バランス

   おかしいでしょ!!

一体誰が献立組んでるの?

めでたくて高価なものを

てんこ盛りすればいいってもんじゃないのよ!

とにかくすごいお食事でした・・・

そして37万円とられました・・・(/・ω・)/

神戸の震災のことを思えば ベッドで寝れて

食事を頂けるだけで有難いことだったんですけど

あのメニュー表は 今でも忘れられません・・・

 





 


 




 








 




ワタシの歯医者さん事情

2018年01月16日 20時51分59秒 | 

今日は歯の治療で大学病院に行ってきました(*'▽')

前にチョロッと書きましたが

ワタクシ 若気の至りで 歯が とっても悪い・・

アラフィフにして どこまで挽回出来るか・・ていうか

この状態をとにかくこれ以上悪くしないように

キープ・・という目標をたて

日々 立ち向かっています!!

ここで・・ 悲しいワタシの過去をお話しなくてはなりません

(/ω\)しくしく・・・ 

別にしなくてもいいんですけど

え? 聞きたくない(・・? まあ そういわずに

聞いてください・・・

ワタクシ・・・ 

歯の色が 

ドブネズミ色なんです・・・

ホントに・・・ 恐ろしいほど きたない灰色・・・

小さい頃に飲んだ風邪薬が原因だそうで

ワタシと同じ年頃で 同じ小児科に通っていた子は

全員 同じ歯の色です

許せない・・・

ホンットに・・・ たかが風邪薬を飲んだだけで

こんな色にされるなんて!!

これが また 

なんの問題にもなってない事も

許せない・・・

風邪薬なんて フツーに飲むでしょ・・・

一度も飲まないで大人になる人なんて どんくらいいるわけ?


ワタシの母は それはそれは美しい歯の持ち主でした

歯医者さんが羨むほどの 白くてキレイに並んだ歯

そしてピンク色に輝く歯ぐき・・・

まさにパーフェクト! 

そんな母と同じ丸顔で広い骨格を持ったワタシ・・・

小1に時は 「よい歯のコンクール」で賞状ももらいました

ところが・・・ このあと

生えてくる歯 生えてくる歯

なんなの? ってくらい すっごい色・・

両親からは

「ちゃんと歯を磨かないから こんな色になるんだ!」と

怒られ・・

親戚一同にも

「どうしたの・・その汚い歯は! ちゃんと歯磨きしなさいよ」

と 驚かれ・・・

こういってはナンですが

フツー これ尋常な色じゃないでしょ・・って

誰か気づいてくれてもいいんでないの(・・? と思いますけど

親も親戚も周りの人にも 随分と長いこと

この歯の色は ワタシのせい と誤解され続けました

さすがのワタシも小3~4のころは 自分の歯を見るのが辛くて

写真を撮るなんていうと 「笑いなさい~」といわれても

唇を開けずにニーッと横に伸びる薄気味悪い笑顔で対応してました

必ず 

「ヘンだから口を開けて歯をみせなさい!」

と注意されるのですが

絶対に歯を見せる事はしませんんでした

この頃の写真は 全部 唇が横に薄ーく伸びきって 

一直線になってる笑顔の写真ばかりです

そのうち 撮る写真機が白黒の場合は

歯の色が分からないと気付き

小学校と高校の卒業アルバムは白黒だったので

この2つだけは

思いっきり 歯を見せた笑顔で映っております


歯の色は 悩みのタネでした

笑顔の印象も すごく悪いし なにより不潔に見えてしまいます

でも気にしてても 楽しくないので

割り切るように極力努めました

それでも中学時代は男子に

「お歯黒」と からかわれたりしました

自分は鏡や写真を見ない限り見えないけれど

自分と顔を合わせる人は毎日 ワタシの汚い歯を見るんだ・・と

思うと やっぱり 悲しい・・(/ω\)・・


高校生になると ワタシのコンプレックスは ますます加速しました

そして あろうことか

総入れ歯になりたい・・・

とまで思うようになっていきました

総入れ歯になれば白い歯になれる・・

とにかく白い歯になりたいという願望は 

一生のお願いといっても過言ではありませんでした(今も)

自分の歯がキライなので 全然大切にする気持ちが沸かない

高校生にあがると 買い食いを覚え 

友達と休み時間にはお菓子をバリバリ 

放課後も買い食いでお菓子をバリバリ

友達の家に遊びに行ってはお菓子をバリバリ 

友達とお泊りごっこをしては夜通しお菓子をバリバリ

そんでもって 全く歯を大切にしようとしないので

歯磨きもテキトー きづけば 

中3まで1本しか治療した歯がなかったワタクシ

ほぼ全部の歯がむし歯に侵されておりました

ワタシは歯医者さんが大嫌い・・

あのキーーーンっていうタービンの回る音がもう大嫌いで大嫌いで

さらにこんな汚い歯を先生に見せるもの苦痛

虫歯で全部なくなっちゃって 入れ歯になっちゃえばいいのに

なんて 今考えると 恐ろしすぎることまで考えておりました


さて・・ 19歳の時に 歯を白くする方法がある

という朗報を耳にしました

1つは差し歯

2つ目は差し歯じゃないけど 

歯の表面を薄く削ってベニア板みたいに

表面だけ白いのをつける

そして3つ目

歯の中から漂白する 

ただし これをするためには歯の神経を抜かなくてはならないという条件つき

ワタシは この中で 漂白を選択しました

神経を抜くということが どんなリスクを背負うことか

まるで分かってなかったのですが

歯を削るよりは 自分の歯の形を残して中から白くした方が

受容出来ると思ったのです

入れ歯になりたいとまで言っていても やっぱり自分の歯が

白くなるなら そっちのほうがいいに決まってます

この時 ワタシを担当してくれたのが大学病院のK先生でした

リスクも色々説明されました

今だったら やらないと思いますが・・・

あの頃は 白くなれるならリスクなんて!

白くなれるかもしれない という前向きな希望しか持てませんでした

そんなわけで ワタシは無謀にも前歯6本全部の神経を抜き

漂白してもらったのです

歯は真っ白にはなりませんでした

それでも かなり明るくなりました

写真で歯を見せて笑っても 

こま違和感ない色にまでなりました

すると どういうわけか モテ始めたのです

中学時代も高校時代も全然モテなかったワタシですが

歯を白くしただけで 意外にも ちょっとモテてる?

ワタシはビビビ婚ですが

歯を白くしたから もしかしたら結婚出来たのかもしれません

だって・・

歯がドブネズミ色の頃と 漂白してからとでは

明らかに 周りの環境が変わりましたので・・・

そうして 恋のレッスンを多少なりとも経験したから

ダンナ様と結婚まで こぎつけられたのではないかな

と思わないでもありません・・

漂白した歯は20年も経つころには 

また元の暗い色に戻っていきました

こうなると汚い色の上に

神経を取って既に死んでしまった歯・・

二重苦です・・・

でも・・

神経を取って漂白することを決断した若き日のワタシを

ワタシは責める気持ちも後悔する気持ちもありません

一時でも 歯を見せて笑えた自分は やっぱり幸せだったから

そういう思い出が作れたことに感謝してるから・・


とはいえども!!

ワタシの神経のない前歯・・

これは歯医者さんにとって

ドル箱ものなのです・・・

結婚して 子育て中のワタシは 

わざわざ大学病院まで通うことが出来なくなり

近所の歯医者さんのお世話になる事になりました

でも・・

奥歯が痛くて来院したのに

先生は大きなレントゲン写真(歯が全部写る)を撮ると

ワタシが訴える歯なんて見もせず

前歯ばかりシゲシゲと注目するのです!

そして 

奥歯が痛いと言っているのに

「前歯の神経がないから このままだと折れちゃうよ」

といって自費の高い差し歯の話を持ち掛けます

ワタシは奥歯を治してほしいんですけど( ゚Д゚)

どーしても どーしても 

先生は前歯の治療がしたくてたまらない・・

「早く差し歯にしないと 抜歯になっちゃうよ」

震え上がってしまうような怖いことしか言ってきません

前歯1本10万円×6

    =60万以上?

やめて やめてやめて~(*ノωノ)

どこまでワタシを追いつめるんですか~(>_<)

絶望感に打ちひしがれたワタシは 

そうだ!大学病院に行こう!」( ゚Д゚)

大学病院に行ってK先生に助けてもらうしかない

と 思い立ち 

子供そっちのけでK先生に泣きつきに行きました

それから20年近く・・ 

ワタシはK先生のおかげで 前歯はまだ差し歯にならず

なんとか自分の歯で頑張っております

K先生は かなり高齢になってしまい 今は定年退職されて

嘱託のようなバイトのような そんな感じですが

週に2回くらいは出勤して下さるので

なんとか あと40年くらい(軽く100歳越えちゃう(>_<))

頑張って頂かないと・・・

そんなわけで

先日も ユーグレナ渡してきました・・・(/・ω・)/