のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

演奏時のテンポ設定

2019-05-17 10:39:14 | 日記
私が研究しているのはルネサンス~バロック時代ですが、「テンポ」というのはどの時代にも当てはまる問題点ではないでしょうか?

私が師事していた先生は「車なんか無い時代なんだから、そんなに速いことはない」というのが口癖でした。あぁ…なるほど…たしかに。環境というか、空気感そのものが今とはだいぶ異なるし、今の日本ではとても考えられない時間の経ち方だったでしょう。飛行機、電車、車なんてものは無く、歩くかせいぜい馬車だったことを考えると、テンポ感にもそういう影響はあるかもしれません。

しかし…例えばシューベルトの魔王を考えた場合、馬車で全力疾走してますよね。いや…馬車とは書いてないか…馬に直乗り?(笑)それでも表現としてはかなりのテンポが求められるし、絶対に遅くはないですよね。

ルネサンス~バロックも一概には言えませんが、曲によってはもちろん、遅いばかりではなかったように思います。

うーん…例えば、バッハのマタイ受難曲。最後のほうにイエスの十字架での言葉や、天変地異が書かれていますよね。CDなんかを聴いていつも感じるのは、果たして最後の言葉をそんなに綺麗に発するだろうか?そんなに綺麗なだけの響きで天変地異が表されるだろうか?ということです。

だって、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け」て「大地が震える」し「岩も裂ける」んですよ?そんな劇的な場面が、ただ美しいだけの響きで表現するのは無理というか…限界があるように思います。ここは綺麗な響きではなく、力強さであったりある種の恐怖を表現する部分のように思います。

以前、丸山先生の講義でバッハのロ短調ミサについて取り上げた時、サンクトゥス(だったはず…💦)をテンポを上げた演奏を聴きました。まさにテキストとぴったりと当てはまるような素晴らしい音楽がありました。

その時、表現としてのテンポというのは非常に大きな役割だと思いました。
今日の(特に)バロック音楽について、私はテンポが遅いものが現代の主流になっているように感じます。ずっとなぜなのかを考えていましたが、つい先日、Twitterのフォロワーさんから「耳当たりの良さ」という意見を頂き、あぁ!なるほど!と思いました。当時と今では音楽に求めるものが違っているのだと思いました。

歌曲や初期のオペラなんかでも、場面や物語を知った上で(時代考証なんかも)テンポは設定されるべきだと思います。その言葉の裏にある背景、つまり心情や後々の姿なんかを理解した上での設定が必要なのでしょう。

時代は飛びますが、例えばベートーヴェンのピアノソナタ1番。リヒテルは1番の4楽章を異常な速さで演奏しています。ほとんど聴くことのないテンポ設定ですが、ベートーヴェンという人柄(は立証しにくいですが、自筆譜や手紙などから)、当時の楽器を考えると、このテンポは考えられなくはないと思います。


ショパンにも同じようなことを感じますが、それを書き始めると終われなくなるので割愛(笑)

バロックより前の時代にはテンポの表記がほとんどされていないので、演奏者に委ねられることが多いです。そんな時は音の数や和音、音と音との空間がヒントになるようですが、とても難しいです。アレグロとアダージョの表記をよく見かけますが、その中での振り幅がとても広いでしょう。

長く駄文が続いてしまいましたが…
何を強く思っているかと言うと、往々にしてテンポが遅く感じる、ということです。特にバロック音楽で。上記のようにロ短調ミサの実験でテンポの大切さを強く感じました。そういうポイントを少しでも感じてもらえる演奏が出来るようになりたいと思います。

弾くほうもテンポを上げるのは大変ですよ?(笑)

じゃバイバイ(^o^)/
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チェンバロ?クラヴィコード?オルガン?ピアノ?

2019-05-13 13:12:51 | 日記
「古楽をモダンで演奏する」ということをやり始めて何年になるでしょうか…まだまだ浅いはずです。ブクステフーデを演奏した時から数えればまだ2年ほど?
スカルラッティだけで演奏会に出たこともありました。それはもう5~6年ほど前になりますかね。

そうやって色々やっていくうちに、自分はパッヘルベルとブクステフーデという作曲家を生涯のテーマにしようと固まったわけです。バロック時代というのは、とにかく食欲旺盛で、様々な試みがされていました。つまり、今でこそ古い音楽であっても、当時は最新の音楽(前衛的と言っても過言ではないほど)だったわけです。
ベートーヴェンの悲愴ソナタやショパンの2番のピアノソナタなんかはよく言われますね。

さて、その古楽。いや、あえて古楽界と言いましょう。
学生の時から、モダンピアノで演奏することについて、しばしば色々な方々に厳しいことを言われました。そんな意見があるのも重々承知しております。「ピアノで演奏するとうるさい」などとも言われました。パーンチ(o゚∀゚)=○)´3`)∴したいのをグッと堪えたのを覚えてます(笑)

ではモーツァルトやベートーヴェン、なんならショパンは?
もちろん今のピアノとは違うことは皆さんよ~く理解されているはず。でも何も言わないでしょ?
その点で言えば、一番理解できないのは、どこの音楽大学も必ず入試にバッハを弾かせること。平均律…これを必ず「ピアノ」で弾かせますよね。
平均律はたしか楽器の指定が無かったはず(鍵盤楽器というのを前提に)…チェンバロでもクラヴィコードでもオルガンでも良かったんですよね。と言うより、曲によってバッハの持つイメージは違った、と言うのが正しいのかも。

パッヘルベルの有名な「アポロンの六弦琴」も「オルガンまたはチェンバロ」だったと思います(あやふやでごめんなさいw)。
ハイドンの鍵盤楽器のためのソナタHob ⅩⅤⅠ/37あたりは表紙に「チェンバロまたはフォルテピアノ」とありました。

このように曲によってはある程度の自由というか、演奏者に任されている部分があったように思います。現代であればピアノでの表現も1つの手段ではないでしょうか?

ところが、やはり古楽界ではそれは認められないという方もたくさんいるようです。例えば…ピアノでの音は当時にはありえない響きだ、と言うんです。たしかにそれは仰る通り。バッハは今のピアノの音を知りませんし。でも、当時の響きを再現するには当時の楽器が必要ですし、当時の音楽理論を徹底的に知らなければなりません。そして場所。今のようなホールはありませんし、宮廷かもしれないし、民家かもしれない。しかも当時の建物で…となると、もうほとんど不可能なことでしょう。

例えば、高い方の音はルネサンス~バロック時代、天に近い音域と考えられたため、人間には遠くに聴こえるという見方があったため、pで演奏されることがあります。逆に低い方の音は地上を表すためfで演奏されることがあります。それはチェンバロでは難しいけれど、クラヴィコードやピアノには向いてます。

今挙げたものはごくごく一部の表現ですが、色々踏まえて私はピアノでの表現は1つの手段だと思っています。
「ピアノで演奏したけど、チェンバロの音に魅せられて」とか、「やはりチェンバロで演奏すると当時の雰囲気が出る」など、その道での表現も素晴らしいですよね。少しでも近付くためにチェンバロ、クラヴィコードを勉強していますが、やはり雰囲気が全然違います。

最初の方に書いたように、バッハの生きていた頃にはブクステフーデの音楽は前衛的でした。つまり実験的な試みがあったんです。それなら「古」楽を現代の楽器で演奏する、という矛盾じみた実験もあってよいと思うんです。その実験の1つが去年演奏したパッヘルベルのプレリュードでした。オルガンのための曲でしたが、演奏自体は可能でした。もちろん、演奏することによって見えた欠点もありましたが、同じくらい良い面もありました。

数年後、もしかすると「ピアノなんてありえない!」なんて言ってるかも…?(笑)いや、きっとないな。正解というのは無いのでしょうが、こればっかりは音楽をやめるまでずっと向き合っていかなくてはいけない問題だと思います。

私はチェンバロの音もクラヴィコードの音も好きです。オルガンは特に好きです。ですが、モダンピアノも含め、どの楽器にも良い点悪い点(悪いというのは強い言葉だけど💦)があると思ってます。

様々なことが可能な現代。「こんなことになってしまった」ではなく、「こんなことも出来るようになった」と捉えられれば楽しむ幅が広がると思っています。
バッハはすでにたくさんのピアノ演奏がありますが、それ以外の昔の作曲家の曲はピアノで演奏される機会はまだまだ少ないです。だからあまり良く言われないのかなぁとも思うのですが…
勉強はとても大切で、もちろんずっと続けていきますが、それと同時に、どうしたら良く聴こえるのかということも考えなければならないのかな…と思うようになりました。

えーピアノでの演奏かぁ…という思いになる方へ、小さな小さな一石を投じることができれば…と思って書いてみました(笑)

以上、雑記でした。

じゃバイバイ(^-^)/
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