のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

推し活・児玉真子さんのコンサート

2024-08-10 20:00:27 | 日記
推しのフォルテピアノ奏者・児玉真子さんのコンサートに行ってきました。



数年前に偶然SNSでお聴きしてからすっかりハマってしまい、勝手に推している演奏家さんです。日本での活動は愛知や岐阜が中心のため、生演奏に接する機会はありませんでした。その児玉さんが東京でコンサートを開かれるのですから行かないわけにはいきません!(笑)

前半は1795年のワルターのレプリカ(2023年製)。後半は会場であるタカギクラヴィア所蔵の1825年製ヨハン・クレーマー。クレーマーは作曲家、ピアニストとしても活躍した方で、日本では「クラーマー=ビューロー60の練習曲」なんかで目にすることが多いかもしれませんね。

前半はCPEバッハ、ハイドン、モーツァルト。クラヴィコードによるCPEバッハはよく聴きますが、フォルテピアノでの響きは生では初めてでした。なるほどたしかにクラヴィコードの延長線上に在る楽器であることを改めて感じます。奏法、解釈によるとこももちろんあるでしょうが、モダンピアノからは漂うことのない香りがありました。あの楽器だからこそ生まれた幻想曲という雰囲気がしっかり感じられました。

モーツァルトのソナタは3番K.281。私の大好きな曲で、2楽章にはamorosoと付けられています。普段はやはりピアノの音で聴くことが多いですが、三度の響きや三連符の響きはピアノからは聴くことのできないものでした。やはりこのような楽器で聴くとamorosoのイメージも掴みやすいのかもしれません。3楽章にしても、モーツァルトの遊び心がモダンよりも存分に感じられる演奏でした。児玉さんがハイドンの時にお話していた「語り口」というのを強く感じた瞬間でもありました。

後半はクレーマーを使用してのベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン。テーマとなる「古典派と初期ロマン派」が感じられる並びと楽器の変遷ですね。
ベートーヴェンを聴き始めてまず驚いたのはクレーマーの音色。


ものすごい楽器だと感じました。矛盾するような言い方ですが、モダンピアノからは感じられない雑味が素晴らしく良い響きを持っているのです。そこに児玉さんの技術が乗り、本当に素晴らしいベートーヴェンを聴かせていただきました。個人的にはこの日のハイライトでした。幻想曲Op77は大好きな曲でグリンベルク、フィッシャー、ブフビンダー、ブレンデルを愛聴していますが、いずれもモダンピアノですね。こちらも初めてフォルテピアノで聴きました。音量とかではなく、あの楽器から出る熱量と言いますか迫力がありました。それを引き出したのは児玉さんのテクニックもまた凄い。同じ「幻想曲」というタイトルが3つありますが、そういった変遷も裏テーマとしてあったのでしょうか。本当に感動的なベートーヴェンでした。

ラストはメンデルスゾーンの幻想曲。「スコットランドソナタ」なんて呼ばれたりする曲ですね。モーツァルト、シューベルト同様今日モダンでよく聴く曲ですが、ベートーヴェンを聴いた感覚と同様、モダンピアノとは違う種類の迫力がありました。ペダルの効きなんかも、パッと思い浮かぶベートーヴェンのテンペストでしょうか。ベートーヴェンの指示がとても腑に落ちる瞬間が多々ありました。

今までは画面上でしか聴くことの出来なかった児玉さんの実演はやはり素晴らしいものでした。昨日のコンサートによって間違いなくファンが増えたことと思いますので、ぜひ今後も関東でのコンサートも積極的に行ってほしいところです。昨日行けなかった方も次回はぜひ。モダンピアノにしか触れる機会がないという方は必聴の演奏だと思います。
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生と死は大違い、しかし生と死は紙一重

2024-08-05 15:50:05 | 日記
ふと、今までに本気で「死ぬ」と思った瞬間があったかを考えました。なんの前触れも無く、です。なぜ私がそういう思いに陥ったかは分かりません。しかし私には「あ…今日なのか…」と思った日がたしかに在りました。

3月11日、東日本大震災です。
揺れ始めるとすぐに立っていられないほどの大きな揺れに。母とこたつに入ってテレビを見ていました。ちなみに午前中には大学不合格の通知が届き、はぁぁと落ち込んでいた時でした(笑)

カタカタと始まった揺れはあっという間に大きくなり、とんでもない揺れになりました。母は体調が良くなかったのか、どんなに揺れようともこたつから出ず、外に逃げようとした私を呼び止めました(いかがなものか‎🤔)。そして部屋にあったピアノの下に入るよう言いました(ダメ絶対!)。

さて、揺れはとても長かったように思います。実際の時間よりも長く感じました。その時に初めて「死」というものを感じました。
(あぁ…きっと家が崩れて色々な物の下敷きになって死ぬんだな…いやぁそれにしても大学落ちた日に死ぬ?やだなぁ〜痛いかなぁ〜えー痛いよね?やだなぁ〜まだ弾きたい曲いっぱいあるんだけどなぁ〜)
ということを本当に考えてました。車に轢かれる時のスローモーションみたいなものでしょうか?揺れに恐怖しながらものんびり考えていましたね。緩い!と思われるかもしれませんが、「死」が近付いてくる時はそんなものなのかもしれませんね。


写真は私の部屋です(ガラケーの画質!)。揺れがおさまってから行ってみると、色々な物が部屋の中央に集合していました。なんで扉開けたらテレビがいるの?と思ったものです。これは当時モバゲーに載せたものですが、前日の3月10日に「生と死は大違い、しかし生と死は紙一重」というタイトルの日記を投稿していました。

では東日本大震災が自分のなにか大きなポイントか?と言われればそういうわけではないようです。「死ぬかもしれない」と感じた唯一の瞬間ではあります。1000年に1度と言われる大きな揺れを体感しただけ、という感じ。実際その後の被害は私なんかよりもずっと大きな方がたくさんいたわけですし、ライフラインもそんなに影響はなかったです。

ただ、たしかに「死」を覚悟したことは大きいかもしれません。ほら、体調崩した後って健康に感謝するじゃないですか?それと同じで、ただピアノが弾けるだけで幸せを感じます。大袈裟ではなくて。

先日、大学の友人に久しぶりに会いました。彼は、出会った頃に私が言った「俺は俺の周りの人が幸せそうなのを見ると自分も幸せになるから、周りが幸せならそれでいい」と言ったのが印象的だったらしいです(言った覚えは全くないけど、たしかに昔からそう思ってはいる)。友人は非常に自己中心的な人間なので、私が言ったことは全く理解出来なかったらしいですが、最近それが何となく分かる気がする、と言っていました。
震災では幸いなことに身内の犠牲者は出ませんでした。もしかするとこのことが原因でそういう考えに至っているのかもしれません。彼に久しぶりに会ったことがトリガーとなって「死」について思い出し、そして考えたのかもしれませんね。

練習、演奏会、レッスンなどをしていると音符に追われることが多々あります。一度立ち止まり、たとえ苦い思い出でも噛み締めてみる時間は大事なのかもしれません。一度深呼吸をして今生きていることに感謝しながら大好きなピアノにもう一度向き合おうと思います。譜読み祭りです。ブクステフーデを始め、今はこの世にいない人間の創った音楽にただただ真摯に向き合っていきます。
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音楽との出逢い

2024-07-09 19:21:05 | 日記
少し前に載せたマイケル・ジャクソンのSpeechlessの動画を見た方から「こういう音楽も聴くんですね」と言われました。そこでふと振り返ってみました。

マイケル・ジャクソンの亡くなった日、私は高校へ登校する前にピアノを練習していました。練習を終え、朝食の前にテレビをつけるとどのチャンネルもマイケル・ジャクソンの訃報について。その頃の私はクラシックしか聴かない人間でした。なので、マイケルほどの大きな存在が亡くなった、ということはショッキングなことではありつつも「へぇ~そうか~」くらいなものでした。その日は定期試験でした。早く学校が終わり、友人達とゴルフの打ちっぱなしへ行き、軽い熱中症になり帰宅後ずっと寝ていました。頭痛の中、ドラえもんを見ようと19時にテレビをつけると(ということは金曜日ですね。ドラえもん、しんちゃんはその頃金曜日に放送されてました。)、マイケル・ジャクソン追悼番組…あぁそういえば番組変更になってもおかしくないか…と流してました。そこで流れていたのはライブ・イン・ブカレストのビリージーンのダンスソロ。なんだこの人間じゃない動きは!と釘付けに。

その瞬間から彼が何となく気になる存在に(小学生男子か笑)。
そこから沼にハマるまで時間はかからなかったです。床屋のおっちゃんにCDを借り、結局欲しくなったから買い、DVDも買い…クラシック以外にこんなにハマったのは初めてでした。クラシック0.5:マイケル9.5という割合だったと思います。当時モバゲーというコミュニティサイトがあり、そこで知り合った人達とよくマイケルについて語り合ったものです。

そんなある日YouTubeでマイケルの動画を見ていると、関連動画にThey don't care about usのカバーがひょっこり出てきました。何気なく再生してみたらなんとカッコイイことでしょう。目を見開きましたね。詳細を見ると「Northern kings」という4人のイケおじ達らしい。しかもジャンルはメタルと書いてあります。自分から一番縁遠いと思っていた音楽でしたから驚きました。当時の私のメタルへのイメージはデスメタルだったのですよね。メタルに色んなジャンルがある、ということなんか知りませんでした。「Northern kings」というのはフィンランドの有名なメタルバンドのヴォーカルを4人集めた企画モノでした。その中で私がグッと心を掴まれたのはCharonというバンドのヴォーカル「J-P レパルオト」でした。しかしCDはすぐに手に入らず…仕方なく別のバンドを探す…TSUTAYAで借りられたSonata Arcticaを聴いてみることに。なんの知識もなく借りたのがたまたま名盤と言われる1stアルバム「Ecliptica」でした。あっという間にどハマり(笑)浪人時代でしたね。その後は同じく「Northern kings」メンバーのマルコ・ヒエタラが在籍するNightwishも聴き始めました。

さて、これが2009年6月25日のマイケルの死から2011年の約1年半の流れです。2011年3月には東日本大震災がありました。私は福島県の郡山におりましたので、原発の問題もあり外に出られない日々が続きました。また私は12日から肺炎になり入院もできず寝たきりで過ごしていました。そんな中、私の精神的な支えとなったのはやはり音楽でした。マイケルも聴きましたしメタルも聴きました。ネットでメタルのCDレビューサイトを暇つぶしに見漁る。気になったものはYouTubeで聴き漁る…そんな毎日。そこで運命的な出逢いをしたのがLacrimosaでした。「Hohelied der Liebe」を聴いた時の衝撃は今も忘れません。クラシックとメタルの融合なんてレビューにありましたが、融合という表現には収まらない、クラシック音楽の延長線上にある音楽、という印象でした。それからLacrimosaにハマっていったわけです。

2012年に大学に入ってからは環境もあってクラシック4:メタル6というような割合になっていました。メタルは雑食で好みが広がった時期でもあります。そんな時に出逢ったのが「プログレ」というジャンル。参考にしていたメタルのCDレビューサイトを読んでいたのがきっかけでした。最初はキング・クリムゾンやイエスと王道から入ったでしょうか。Moon Safariに出逢ったのもこの頃。当時感動したのはマイク・オールドフィールドの「Ommadawn」というアルバム。涙が流れるほど感動しましたね。そして日本のARS NOVAとの出逢い。

クラシックの人間はメタルやプログレ好きが多い、なんてたまに聴きますが、自分には当てはまるようです。その中で自分は幅広く聴くタイプではないのかもしれませんが、自分としては色々聴いたなぁと思っています。そんな中で自分の好きな音楽の共通点のようなものを見つけます。それがバロック音楽でした。イングヴェイやストラトヴァリウスなんかが表面的には顕著かもしれませんね。ところが表面上だけではなく、精神性もそのようなことを感じる場面が多々あるのです。本人たちからすればそんなことは無いのかもしれませんが、彼らもまた脈々と続く音楽史の中の1人なのでしょう。

そこから今の私が形成されてきたように思います。クラシック→マイケル・ジャクソン(ポップと言わずあえて)→メタル→プログレ→クラシック…このように2009年-2019年の約10年をかけて「バロック音楽をモダンピアノで弾く私」というのが出来上がりました。「バロック音楽をモダンピアノで」というのは間違いなくLacrimosaの思想が一番影響しています。それは間違いありません。しかし、Lacrimosaに出逢うためにはマイケルから出発しなければならなかったのです。そしてLacrimosaから先へ進まねばなりませんでした。自分の「好き」を追求していった結果が今の私です。すべての音楽との出逢いに喜びと感謝と敬意があります。あの頃のようにたくさんの出逢いは今後ないかもしれませんが、これから出逢う音楽もすごく楽しみです。
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フォルテピアノと朗読

2024-07-02 20:01:12 | 日記





6月29日、SNSで相互フォローさせていただいている方のコンサートへ行ってきました。
フォルテピアノ(レプリカではなく1817年のオリジナル!)と朗読によるコンサート。演奏は小原道雄さん。朗読は岩下時和さん。

感想としてはただただ楽しかった!色々な種類の「面白い」を味わったような感覚で、あっという間の2時間でした。
曲目も思わずニヤリとしてしまう選曲。特に1817年製の楽器でクレメンティ、ハイドンを聴けるというのはそれだけでワクワクです。今日聴かれるクレメンティとは違う、長調の優雅さや短調の耽美さはモダンピアノでは味わうことの難しい響き。それだけでも面白いのに、朗読とセット。

朗読→演奏という感じなのかなぁと思っていたのですが、朗読に合わせて演奏することもあり、その後にソロという流れでした。この朗読と合わせる、というのがすごく良かったのです。と言いますのも、普通であればBGMになってしまうか、逆に少し邪魔なったりしてしまうようなものですが、演奏が朗読の内容をぐっと引き出すのです。BGMではなく朗読のその場面をよりリアルに感じられるようになりました。そればかりは体感していただかないと伝わりにくいのですが💦

前半の最後はバッハのフランス組曲6番からアルマンド。想像しにくいかもしれませんが、アルマンドに朗読を乗せるのです。演奏前に「実験的」と話されていましたが、すでに確立されたような内容でした。これも聴いていただくしかないのですが(笑)

後半は笑える内容も。笑えるお話に合わせた選曲が実にピッタリで、BGMにもなるというのがまた面白かったです。

最後のお話は一番長く、他とは違うファンタジーな内容。しかしながら朗読と音楽が一体となりあっという間の時間でした。組み込まれたスカルラッティ、現代ではピアノで華やかなイメージが強いかもしれませんが、お話の影響と楽器の力があってなのか、とても哀愁のある音楽でした。スカルラッティを改めて見直さなければなりませんね。

朗読の会を見に行ったことはありませんでしたが、朗読だけの世界にも興味が芽生えました。
今回とても感動したのは、人の身体と楽器の力のみであれだけの世界が創れるということです。最近ではスクリーンに映像を投影するのもありますが、人の声と演奏というシンプルな構成なのに、その情景は(もちろん人それぞれでしょうが)しっかり浮かぶ。でもスクリーンに写してしまうとそのイメージは限定されてしまうため、自由度が下がってしまうのかもしれません。

終演後、時和さんに第2弾も楽しみにしてますとお伝えいたしました。本当に素晴らしい会でした。準備は大変かもしれませんが、本当に次回が楽しみです。
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本当に頑張った生徒さんの話

2024-06-28 18:43:29 | 日記


写真はオンラインレッスンで使った本の一部です。
普段は1人の生徒さんを取り立てて書くことはしないのですが、あまりにも嬉しかったため書かせていただきます。

元々Twitterで繋がっていた方でしたが、私がCDを出したのをきっかけによくお話するようになりました。それからシューベルトをとにかく敬愛しており、レッスンではなく講義という形でシューベルトのD899-3について一緒に考えました。その後は同じ形で他の曲を取り上げ、色々な視点でシューベルトを見ていきました。

そのうちにご自身で演奏したくなったのでしょう。ピアノを使ってレッスンをすることになりました。私のオンラインレッスンは、生徒さんに動画を送っていただく→私が添削し文章と参考動画をお送りする→テレビ通話でレッスン、という流れです。

曲はもちろんずっと大好きなD899-3。聞けば幼稚園でピアノを習っていたそうですが、ちゃんと習うのはそれ以来だと言います。小さな練習曲、他の作曲家の小品をやりつつ、地道にシューベルトを続けてくださいました。私の言ったことをしっかり守って練習されているのが、送られてくる動画を見る度によく伝わってくるのです。時には一度のレッスンで6小節ということもありました。そのくらい丁寧に丁寧に練習を積まれてくださったんですね。1年半かけてついに1曲をまとめられました!

今日のレッスンではシューベルトが読んでいたものに注目し、ギリシア文化やプラトンの本のどの部分がシューベルトの音楽に影響しているか、ということをお話しました。きっと今後もどんどん素晴らしい演奏になっていくことと思います。1年半という長いようで、それでも1つの作品を汲むには短い時間。「努力が身を結ぶ」と言いますが、それを目の前で見せてくださったように思います。心から大拍手を送ると共に、私自身、身の引き締まる思いです。

今日、生徒さんは「シューベルトのイメージが変わった」と話されていました。それは私にとってとても嬉しい言葉でした。

遠いですが、ぜひ近いうちに生で聴かせていただく約束をしました。その日が待ち遠しいです✨
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ResonanCeのR/B meets M/Cとは

2024-03-27 22:51:43 | 日記



横文字ばかりですねぇ(笑)

そもそもResonanCe(レゾナンス)というのは私(大内)が渡邊に声をかけてできたグループです。古い音楽と近現代の音楽だけでコンサートをしたい、というところから始まりました。R(ルネサンス)B(バロック)とM(モダン)C(コンテンポラリー)のmeets(出逢い)です。有名なショパンやベートーヴェンなんかが演奏されません。ある意味マニアックなコンサートですね。
後に紅一点ソプラノの東城が加わり今のグループになりました。東城は両方を(古いのも新しいのも)担当するので大変そう(他人事)。

言ってしまえば大学時代の私の思いつきから始まったようなもんです。第1回は2018年でした。3人の地元、福島で9月、10月にコンサート。思いついたことをとにかく詰め込んだ会でした(笑)12月には東京で。


2019年には地元の郡山でStoriesという、演劇と音楽を組み合わせたコンサートを。たくさんのお客さんの前で演技と演奏をするとは…レゾでなければ私はやらなかったことでしょう(笑)

2020年にはコロナ流行直前。R/B meets M/C第2弾を。



その後はYouTubeでの配信コンサートなんかをやってましたが、2020年の8月に初めてのオリジナル曲「ラベンダーとひまわり」を発表。


2021年には初めて小学校で演奏。私と東城の母校という思い出深い会になりました。

2022年には久しぶりのコンサート。クレッシェンドライブってのをやりました。


2023年にはオリジナル曲「ラベンダーとひまわり」のストーリーを朗読とピアノで。


そして2024年の4月21日には久しぶりにR/B meets M/Cを。非常にマニアックなコンサートです。私は主軸としているブクステフーデやらパッヘルベルなんかを演奏します。東城とは初めてのバッハを!バッハのカンタータを演奏します。
たくや君はハチャトゥリアンとベルクの歌曲を。濃い会になりそうですね。

元々3人は違う方向を向いていた人間です。終着点は同じ場合がありますが、そこに行き着くまでの道程がバラバラ。でもかなり仲良し。コロナ禍以降、それぞれがそれぞれに忙しくなり、音楽への向き合い方と言いますか、音楽との関わり方のようなものに各々の中で変化があったように思います。それはきっと個人個人では特に変わったことはない気がしているのかもしれませんが、心境の変化というものはそういうもんですよね。こんなことを言ったら2人は不快に思うかもしれませんが(笑)私も2人から見たら変わったのかもしれませんし。それはそれぞれの生活というものがありますので、当然のことと思います。
しかしそれぞれのコンサートには遊びに行ってますので、会う度に「次いつやる〜?」みたいな話はずっとしているんですよね。

合わせの日、3人で昔のコンサートの映像を見ました。なんというか...今は失われた「何か」が見た目とは別に「響き」として確実にそこに在りました。演奏に関する幼さのようなものはもちろんあるのですが、若さのような勢いみたいなものが先行しており、何より音楽がイキイキとしていました。
何と言いますか、悪い意味で3人でコンサートをする「慣れ」が出てきていたのかもしれません。コンサートの回数が少ない分、1回1回を大事にしているつもりではあります。しかし、目に見えないところで悪い意味の仲良しが出てきてしまっていたのかもしれないと思いました。

まずは4月21日、お客様もですが、我々も楽しめる会になることを願って準備しております。ぜひ聴きにいらしてください。

昔あったものを取り戻すことは不可能かもしれません。ですが、初期よりも個々の力は上がっているはず(そうでなければならないのですが...)ですので、より良いコンサートは出来ると思うのです。それは演者である我々の気持ち次第なのかなぁという気がしました。個々の活動が増えたために、1つの会を3人で創るという部分に足並みが揃っていなかったのかもしれません。相変わらずの仲良しを良い方へ繋げていけるといいなと思います。
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榎本智史さんの私的演奏協会:シェーンベルク《3つのピアノ曲》

2024-03-24 02:29:52 | 日記

友人であり、シェーンベルクの研究・演奏を中心に活躍されている榎本智史さんの「私的演奏協会:シェーンベルク《3つのピアノ曲》Op.11」に行ってきました。部分的に抜き出し解説を受け、一通り聴かせていただくという贅沢な時間です。
以前、2023年の9月9日にはシェーンベルクの「ピアノのための組曲Op.25」を同じ手法で演奏されました。

シェーンベルクと言えばやはり十二音技法というイメージでしょうか。私はResonanCeでおじょーがシェーンベルクの歌曲Op.2への並々ならぬ想いを受け、しばらくは十二音技法前のシェーンベルクにハマったものです。後期ロマン派の流れを汲むというのはよく言われていることですね。

「十二音技法」ということこそ知れど、曲は難解というイメージがどうしても先行してしまいます。ところが榎本さんの解説を聞きながら演奏を聴くと、ポイントを掴めるのか、立体的に聴こえるのです。以前、榎本さんとの合わせの時、シェーンベルクのジーグはジーグなのか?という質問に対し、丁寧に説明しながら演奏してくださったのですが、最初に演奏した時と解説後とでは全く違って聴こえるのです。しっかりとジーグの輪郭が浮かび上がります。これは解説による効果と、しっかりとそれに乗せた演奏だからこそなのだと思います。

なんとも掴みどころがなく思えた音楽が「あ、なるほど」となる瞬間は面白いものです。この試奏会シリーズでは時折思想面のお話も出てきます。これが私の日々考えるバロック・古典に重なる部分が多々あるのです。恐らくどこかに不動の礎となるものがあるのだろうと考えることがあります。聖書、そこから派生する神秘思想のようなものがもっと掴めれば十二音がもう少し自分にとって近いものになるような感覚があります。そういった意味でも榎本さんのお話、演奏はとても面白く同時にとても興味深いものです。

シェーンベルクの弟子であるウェーベルンはとある手紙の中で(ライヒに送ったものだったか?)「プラトンを読んだが、ノモス(法則)はまた旋律のことでもあった」というような文がありました。これは彼の作品に影響があるようで、非常に興味深い部分です。
シェーンベルクのもとで勉強したウェーベルンは、その期間の一区切りとしてOp.1のパッサカリアを書きました。私が注目するのは「パッサカリア」という古い形式・形態で、ニ短調というこれも古いと捉えられる調性が曲全体の世界を決定づけています。
ウェーベルンはゲーテの形態学を引用しており、変奏について話しています。これはゲーテの根本的同一性という部分を使っているのですが、パッサカリアにはまさにこの部分が見て取れます。同じテーマ(種)の中から変奏(茎から枝葉)が生まれるという、それがウェーベルンにとっての「ノモス」だったのではないかと考えています。
また別の手紙には「音列自体がすでに1つの法則を表します」という文がありました。これは十二音の音列のことでしょうが、ウェーベルンにとってその「ノモス」は大事なものだったに違いありません。それがシェーンベルクのもとで勉強した後の曲に決定的に現れているというのはシェーンベルクからの影響があるのか…?

脱線しましたが、榎本さんのこの会ではそういったことをふと考えさせられます。演奏にも説得力があるからこそ、そのような気持ちになるのでしょう。気付きの多い楽しい会です。榎本さんの私的演奏協会を聞いていくうちに様々な疑問が今後明らかになっていきそうです。
ここでは質問もOKですが、咀嚼するだけで精一杯です。ワクワクしながら通ってます(笑)
次回はベルクを取り上げるとのことで、今から非常に楽しみです。
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ベートーヴェンのピアノソナタ第32番

2023-11-11 17:07:00 | 日記
先日実家に帰省した時、2年前初めてソロリサイタルをした時の音源が出てきました(笑)実は一度も聴いたことなかったんですよね。福島県の二本松でのコンサートでした。ここは子供の頃から発表会でずっと出ているホールで思い入れがありましたので、初めてのコンサートはここ、と決めていました。

テーマは「バッハへの道 そして バッハからの道」でした。前半はバッハへ影響を与えた作曲家、後半はバッハの影響を受けた作曲家でまとめました。
その時のプログラムは

ヴィヴァルディ=大内編曲:2本のヴァイオリンのための協奏曲
バッハ=ストラダル編曲:オルガンソナタ
パッヘルベル:シャコンヌ ヘ短調
ブクステフーデ:シャコンヌ ホ短調

モーツァルト:幻想曲 ニ短調
シューベルト:即興曲 D899-3
ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番

という、まぁまぁ重めなプログラムでした。
前半については今も弾いてる曲がいますね。

まぁ、今まで聴かなかったというのは聴かなかったなりの理由があるわけですよね(笑)
ヴィヴァルディなんかは今と全然違う弾き方で、まるで私ではないような演奏です。(レゾのメンバーに聴かせたい笑)
何度も弾いているパッヘルベルのシャコンヌすら緊張している😂

初めて約1時間半独りで弾くんですから、そりゃ緊張もしますよ(笑)加えてコンクールも出たことない、仲間と何かやることもほとんどないときた。ずっと緊張してた気がするんですよねぇ(笑)

さて、取り上げた曲は全て大切にしてきたし、もちろん何よりも「好き」な曲たちです。中でもパッヘルベルやブクステフーデは自分の軸となる作曲家です。一般的にはマイナーな作曲家かもしれませんが、だからこそ地元では弾きたかったりするもんです。

中でも思い入れ具合が一番強いのはベートーヴェンでした。ベートーヴェンの32番は…衝撃的な出会い!とか何かがあったわけでもないのに思い入れが強いという謎(笑)大学の卒業試験でも弾きました。初めて聴いたのは小学生の頃でしたでしょうか。ミケランジェリのBBC音源でした。その頃の私は「どうやら悲愴、月光、熱情以外にも最後の3つも3大ソナタと呼ばれるらしい。そしてそれらはとても難しいらしい。」くらいのことしか知りませんでした(笑)ただ、この録音で一聴惚れしてしまったんですよね。

ようやく弾くことが出来たのは大学4年でした。その時は色々な資料を読んだり沢山の演奏を聴きましたねぇ。大学の図書館にあったCDは全部借りました。今でもウォークマンに68種類の32番が入ってます。良い演奏はいっぱいありましたが、あー!これ!ってものには出会えませんでした。そんな中、学校外で受講していた講義の先生にお借りした音源と、先生の書かれた32番についての論文を読みました。当時は今よりもおバカだったので、何が書いてあったかちんぷんかんぷんでしたね(笑)ただ、音源は素晴らしかった…というより衝撃的だった。(音楽のスタイルは)これ!って思った。極めて私的な録音なのでお名前などは出せないのですが。

話を戻しまして…コンサートで32番を弾くにあたり、その先生のレッスンを受けたりもしましてね。それもあってか2楽章の最後の5ページは悪くないんですよ。ただ、最後の長いトリルから自我が芽生えちまいましてね。そこからは失速してるし酷いんです(笑)
何はともあれ2年空いてようやく聴いた音源でした。

さて、その録音を聴いて、この32番にもう一度改めて取り組もうと思いました。先日、件の先生に頭を下げてきました。生きてるうちにこの曲をまともに弾きたい、という想いのみですね。しかも私が唯一「これだ!」と思わせてくれた演奏を創られた方がいるのだから、レッスンを受けられるのなら受けておかねば、と。

本日初レッスンでした。聴講される方もいらっしゃいますが、先生の言われることを噛み砕くので手一杯。そして改めて目からウロコ。先生にも「時間のかかることだから」と言われておりますし、腰を据えて頑張りましょう。

ではまた。
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類は友を呼ぶ??

2023-11-06 00:52:42 | 日記


生徒さんがフィッツウィリアム・ヴァージナル・ブックを購入されました !(※写真は私の楽譜です)
フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブックをご存知ですか?イギリスのルネサンス終わりからバロック初期の鍵盤楽器のための曲を集めた楽譜です。総数298曲 !そりゃこんな分厚さにもなりますね🤣エリザベス一世に好かれた作曲家なんかも多いですね。チェンバロやオルガン、クラヴィコードでも演奏可能です(3段の楽譜はありません)。

珍しいところで言えばフィリップスが編曲したカッチーニのアマリリ、ファーナビーが編曲したダウランドの涙のパヴァーヌetc..とにかく宝庫なのです。
バード、ブル、ファーナビー、ギボンズ(バードとギボンズはグールドの素晴らしい録音がありますね)を中心に、スウェーリンクやフィリップス、ピッキなどが収められており、作曲者不詳の曲も多くあります。

生徒さんは雑談の多い私のレッスンからこの楽譜のことを知り、思いのほか安かったらしくすぐ購入されましたの届くまでには時間がかかりましたが、図鑑を観ているような感じだと話されてました(笑)いやぁ..沼にハマりつつありますね(*´艸`)
この中から小さな曲を1つやることになりました。4段ほどの小品ですが、テクニック的にも難しい曲です。しかも、現代の和声学のようなものが通じない部分が多々あります。そのようなことを紐解きながら一緒に勉強していきましょう。しかもモダンピアノで演奏するのですからとても楽しみです!

ではまた。

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演奏会当日の珍道中

2023-10-17 18:43:37 | 日記

珍「道中」と言うか初っ端からですね。
演奏会当日の朝イチの便で羽田から北九州空港まで飛びました。7:40発です。私の家からだと1時間40分ほどかかってしまうんです。なので前日、羽田に近い叔父の家に泊めてもらいました。30分ほどで着きます。

予想外のハプニングその1
前の晩から雨が降り始めました。お借りした部屋の雨戸にちょうど雨粒が当たるようで、それがかなりのボリュームなんです(笑)イヤホンをしても響く雨音。実はコンサートでは雨だれを弾いたのですが、「いや、絶対あんな美しい音楽じゃないだろ!!!」と思いましたね。ご存知の方は私の雨だれのスタイルが重なると思いますが…より自信を持って弾けます(笑)
結局私が眠りについたのは2:30ごろでした。眠れて3時間といったところか(笑)

ハプニングその2
無事起きた私。外はザーザーの雨。最寄り駅まで徒歩9分。余裕を持って15分前に出発。叔父は寝ていたようなのでこっそり家出。Googleマップを頼りにーと言ってもまっすぐの一本道ー歩みを進める。が、到着予定の時間が延びている…はて?
なんと、Googleマップの向いている方向と進むべき道が正反対。なんで大事な時にお前はそうなんだ!!スマホを逆さまに持ちながら全力ダッシュ。数日前に椎間板ヘルニアになったばかりというのに…ダッシュ!ギリギリ間に合いました。

ハプニングその3
蒲田駅から京成蒲田駅まで歩かねばならない。ここまで読んだ皆さんは大方予想がついているでしょう。その通り。何やら開店準備をされているお姉さんに駅の場所をお聞きしーとても丁寧に雨の中傘もささず道へ出て教えてくださいました、本当にありがとうございました!ーその日の体力を絞り出すようなダッシュ。まだ起きぬ住宅街をスーツケース引きずり回し本日2度目のダッシュ。果たして俺の腰は大丈夫なのか?いや、それより福岡へたどり着かねば!という一心でダッシュ。
なんとか間に合いました。

ハプニング4
起きて1時間少しとは思えない体力の消耗を感じつつ羽田第1ターミナルへ。前日の晩、叔父には「国内線は新幹線に乗るようなもんだから」と言われていた私。搭乗開始の20分前に到着するも、荷物検査を終え搭乗口へ…え、なにこんなに遠いの?歩けども歩けども着かぬ搭乗口。結果ギリギリの搭乗。羽田の広さを甘く見ていた。

もうね、起きて飛行機に乗るまでの1時間半で一日の体力を絞り出したような気がします。朝5:30に起き、そこそこ強い雨の中ヘルニアダッシュを2本キメ、ようやく飛び乗った飛行機。北九州空港に着いた頃にはヘロヘロです。その時のInstagramに載せたストーリーズが全てを物語ってます。あまりの疲れで語彙力を失ったのです。

わー海きれー!くらいなもんです。
果たして演奏会は…?それは次のブログにまとめますね。

ではまた。


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