のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

生徒が紡ぐリストの音楽

2024-09-17 17:27:45 | 日記



【生徒が紡ぐリストの音楽】
師の言葉で私に深く残っているものがあります。10年以上も前の会話です。
「リストだってバカじゃないんだよ。ただバカみたいな曲をバカみたいに弾くからバカみたいに思われているんであって(笑)」
その師と最後に話したのもリストのことでした。
「リストは本当に大きく誤解されている作曲家だよなぁ」

運命と言いますか、不思議なもので今私が昔からの師に習っているのもリスト。生徒さんが本腰を入れて学んでいるのもリスト。しかも私が勉強している曲とほぼ同時期に作曲されたもので、やはり共通点は多いです。生徒さんが勉強しているのは伝説の2番。「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」という曲ですね。

譜読みの前段階から簡単な分析を一緒に。写真は初版の扉と序文です。この扉は全て詰まったような絵で、細部まで目を通し、持っている物や書いてあるものの意味の解説から要所要所のゲマトリアでの分析をしました。曲からしてもリストの信仰心というのはうかがえますが、ゲマトリアでの分析はそれを裏付ける結果となったのには驚きました。リストが求めたカリタス!の響きとはなんだったのか…?ある意味の神秘思想みたいなものですよね。ベルナールやヒルデガルト・フォン・ビンゲンのような。伝説1番のアッシジの聖フランチェスコについての文献はたくさん見つかるのですが、パオラの聖フランチェスコについては日本語で読めるのがほぼ皆無でした。どんな伝説なのか、この舞台はどこでどんな波が来るとこなのか、聖書との関連etc...
それを基に丁寧に丁寧に一緒に作ってきました。完成にはまだ時間がかかるでしょうが、本当に素晴らしい演奏になりそうで、私が今からとても楽しみです😂
弾けなくて奇声をあげるのがまた面白かったりもする(笑)

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敬老の日

2024-09-16 18:46:22 | 日記

今日は敬老の日です。
祖父母に電話をし、少しの時間音楽について考えていました。今日祖父に言われた一言を私は生涯大事にすることと思います。

「レッスンは1つ1つ丁寧に。」

祖父は音楽をやる人間ではありません。音楽を知っているわけでもありません。しかし、全ての仕事に当てはまることですよね。
この一言は当たり前でありながら時に忘れてしまうことではないでしょうか?
教わる側が「いや、これは違う」と判断するのは難しいことだと思います。私だって子供のころは「違う」と思うことはほとんどなかったように思います。それだけに教える側の「責任」というのは大きいです。我々の場合「1つの正解」は無いですよね。ですが色々な正解がありつつも「間違い」はあります。もし生徒さんが「間違い」へ進んでいたらどのように言われても返せなければなりません。そうなるとやはり常に自分も勉強していなければならないんですよね。

数日前、少し音楽についての会話をしました。音楽とはなんぞ?ということでした。レッスンでの会話ではありませんのでここに書いてもいいのですが、なかなかに深く考えることでしたので、レッスンで生徒さんと話してみたいと思います。

デカルトに「我思う故に我あり」とありますね。様々な角度から疑うことによって、自我はあることが分かるという…原文はラテン語で「Cogito, ergo sum」
cogito-考える(単数・1)
ergo-だから
sum-ある、いる、である(主格)
繋げると「私は考える、だから私はある」となります。
散々色々なことを考えた結果が単語3つで言えてしまうんですよね。

音楽について色々考えます。しかし案外まとめると短いことなのかもしれませんね。そんなことを思う敬老の日でした。祖父は93歳。まだ元気に過ごしてもらいたいです。

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地道な勉強

2024-09-12 10:39:00 | 日記

絶版だったので中古で買いました。
まだ目次と索引に目を通しただけですが、注意して読めば面白そうな内容。
中身はお見せ出来ないのですが、かなりの書き込みがあります(笑)こういう場合の書き込みは「あ、前の持ち主にとってはここが大事なんだな」と系統と言いますか、趣味が浮き出てきますね。見る限り私とは狙いが違いそう。

オンラインレッスンの生徒さんは楽曲分析が中心の方が多いので、常に勉強していないと質問された時にサッと返せない😂最近じゃ生徒さんが色々な知識を得ているので、それを見極めなくてはならなくなりました。どこで読んだかなど注意しなくてはなりません。
この本の索引を見ると「バッハ」、「タトロー」、「ピカンデル(ピカンダー)」の名がありましたので、おおよその中身は検討がつきます。が、この著者は音楽学者ではなく数学者です。鵜呑みにしてしまっては危険です。ネット情報より幾分良いものの、本も注意が必要です。

例えばゲマトリアの説明時に、聖書に出てくる人名を数字化した時の数と、聖書内のとある数が一致するということや、カンタータとの一致について話したりします。しかし、ヒトラーの名やビル・ゲイツの名が666になる、というのはオカルト過ぎると思う。ゲマトリアというのは意図的か偶然かという線引きは大事で、何でもかんでもを結び付けるのは危険です⚠️

そこから音楽へ繋げようとするのはもっと注意し、客観的に見ていかなくてはなりません。地道に勉強して研究していかなくてはですね。
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自己啓発と他者啓発・共感と支持

2024-09-10 19:01:59 | 日記
最近やたら自己啓発系の投稿を目にするようになりました。それ自体を否定する気はないし、その人がそれによってより良い生活を送っているのならそれは結構なことだと思います。

しかしながら、それを他者に押し付けるようなことについては考える部分があります。自己啓発は結構だけど、「他者啓発」はやめてくれ、ということです。そもそも自己啓発系の動画ってのは、人がその動画を見てる人への他者啓発でしかないと思うんですよね。私が嫌悪するのは「他者啓発動画を他者啓発すること」です。

「私はこのような行動をしてより良い生活ができるようになりました!」は自己啓発でありその報告ですよね。
しかし、「これをするとこんなに良くなるんです!試してみてね!」になると他者啓発に。いや、これ自体はべつに良いんですよ。人によって合う合わないはあるし、その情報のおかげで助かる人もいる。そしてこの動画を見て「共感」するのも良いんです。しかし、「支持」になると話は別です。「この人がこうしたらこうなったんだって!だからみんなもやろうよ!」と善意で拡散しているのでしょう。しかし、人によってはありがた迷惑でしかないこともあります。

近年、SNSの普及といいますか、様々な形で自分を発信できるようになりましたね。旧TwitterやYouTubeを始め、短い時間の動画で自分の考えを発信出来るようになりました。だからこその現象なのでしょう。昔から「自己啓発」自体はありましたし、それこそ多種多様だったはずです。流れてくる動画を見ても、それぞれのニーズがありますね。ですが、よくよく見ると根本はほぼ同じで、しかも言ってることは一般的に「当たり前」なことばかりです。そういう部分だけ抜き取って考えると、少し前なら怪しい宗教団体の火種となるものだったのではないかと思います。「元気に挨拶をしましょう」、「人を大切にしましょう」、「やり方ではなく在り方が大事です」etc...

分かった分かったもういいよ、と言いたくなるものばかり流れてきます。拡散する前に「共感」と「支持」について一度考えてみてほしいです。なんなら「えー!こんなに良い考え聞けてラッキー!独り占めしちゃお♪」ぐらいの気持ちでいてもらってかまいません。

もう本当にそういうのを求めるんだったら聖書を読んだら十分だと思います。決して薦めないけど(笑)私はキリスト教の人間ではありませんが、音楽のために読んでいます。面白いですよ?絵画を見てもアニメを見ても「あ、あの部分のオマージュだなぁ」とかけっこう発見があるものです。だからほら、読も?

まぁ冗談はさておき。自己啓発は昔からあったと書きましたが、誰しもが持っているものなのかもしれませんね。十人十色と言いますか、万人に通ずる考えなんて滅多にあるもんじゃないです。もし通ずるのであればそれは「普通」のことです。
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