のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

ブクステフーデって誰?

2020-06-15 18:49:45 | 日記
無期限の延期となってしまった演奏会。私の研究対象である作曲家、ブクステフーデの曲が1つありました。え、研究してるくせに1曲?って思うかもしれませんが、この1曲が重いんです。演奏時間はおよそ12分ですが、ブクステフーデの技巧が全て詰め込まれているような曲です。「アリア ラ・カプリチョーザ BuxWV250」
一昨年の演奏はこちら。今はきっとより良く…←

さて、ではブクステフーデって一体何者?
ブクステフーデは1637年に生まれ、1703年に没したオルガニストであり作曲家でした。バッハが表れるまで北ドイツ最高の音楽家とよく言われますが、私の推しなのでそう言われると嬉しいです(笑)いや、もっと持ち上げてくれ!って思う。

バッハはブクステフーデをとても尊敬していました。彼は20歳の時、職場である教会から4週間の休みを取り、ブクステフーデのいるリューベックという町へ旅をします。バッハのいたアルンシュタットという町から約400キロ離れていました。その道のりをバッハは徒歩で行ったと言われています。馬車代をケチったとよく言われますが…そうかもしれないし違うかもしれないし…(笑)

バッハがブクステフーデを訪ねて行ったのは1705年の10月(たどり着いたのは11月らしい)。バッハが帰ってきたのは翌年の1月末…あれ?おかしくない?休暇は4週間だったよね?
そうです、バッハはブクステフーデの元に居たさ過ぎて勝手にお休みを延ばして、約4ヶ月もリューベックに滞在しておりました。

リューベックから戻ったバッハの頭の中はブクステフーデでいっぱい。たしかにその頃に作曲したと思われる作品はブクステフーデの影響が隠れもせず存在しており、教会からクレームが来たとか。それも恐らく原因の一つとなったのでしょう、、、バッハはクビ同然にその職を離れます。

さてさて、上記の話はよく聞くことと思います。しかし、ブクステフーデの元で得た響きが原因でなぜクレーム?と思いませんか?
教会からすれば、バッハにやってもらいたいことは、聖書の教えを音楽にしてほしかったわけです。ですが、ブクステフーデのいたリューベックという地には異教徒が多かったようで、その考えが音楽になっていたようです。つまり、教会の考える音楽とバッハが得た音楽は噛み合わなかった。まぁねぇ…勝手に休まれた上にそんなことされたら怒るのも無理はないかと。

話をブクステフーデに戻しましょう。この頃、宇宙論というのも大きく変わった時代でした。有名なガリレオ・ガリレイが地動説を発表し問題になりましたが、その時期の少し後にブクステフーデたちが活躍します。ブクステフーデの失われた作品に「惑星組曲」というものがあります。当時大きく変わりつつあった宇宙観というものをどのように音楽で表現していたのか…とても気になりますね。ブクステフーデのいた教会には立派な宇宙時計がありますので、少なからず関係はあるのでしょう。

バッハがブクステフーデにあった頃、すでにブクステフーデは68歳と高齢でしたが、バッハが学んだことは多かったよう。ブクステフーデのパッサカリアとバッハのパッサカリアには共通点が多く、共に傑作であるというのはとても面白い。共通点についてはピート・キーという人が論文を発表しております。ここでもやはり数的な美しさが備わっていることが分かります。

「ゲマトリア」というのは単なるオカルトではなく、数的に体型を表したものであり、当時は習知であり周知の事柄でした。しかし、それだけで意味を成すわけではなく、調性や修辞が絡んで成り立つものでした。

以前ResonanCeが演奏したブクステフーデのアリア

こちらも短い作品ながら、内容を多く含んだ作品でした。
繰り返されるバス・オスティナートは波の形、円を表しており、ゲマトリアするとノアの方舟に関連することが分かりました。そして最後は鳩が翔んで行きます。約4分の作品ですが、解説をするとなると1時間は話していられるでしょう(笑)

好きが溢れると止まらなくなるものです。下手したら4ヶ月ほど私も話しっぱなしになるかもしれませんね。
是非ブクステフーデの音楽をピアノで聴いていただきたいです✨

じゃバイバイ(^^)/
コメント
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