
鹿児島を充分堪能し、次は熊本へ。
移動交通機関は新幹線「つばめ」
カッコイイ~~。
今時の新幹線って 鼻がすごく長いのね。
(北海道に新幹線は無い!・・ので 羨望の目で見てしまう・・)(◎o◎)!

そんなカッコイイ新幹線の車中で何して過ごしたか、というと
「豚まん」と「黒豚角煮まん」をモグモグ・・。
早朝に“プロント”でモーニングのサンドイッチセットを食べたばかりなのに
まだ2時間しか経ってないのに
旅行4日目ともなると、胃拡張になってドンドン食べられる^m^。
(だって鹿児島の豚は本当に美味しかったから 名残の豚まん、、)

そうこうしている間に到着しました“火の国”熊本。
初めての熊本。
私の熊本の知識は“無”に等しくて
1、水前寺清子の地元。
“♪じ~んせいは ワンツーパンチ、汗かきベソかき歩こうよ~~”
(古いか、、)
2、もと細川総理大臣の地元。
3、加藤清正と熊本城
あまりの貧相な知識なので
ガイドブックを購入 (^^ゞ。
そうそう、その日は夕方まで夫は総会に出席なので
(今回の旅行の目的は実はこの総会と懇親会であって、その前後に尾ひれ背びれが実に長くついて5泊6日にもなってしまった。)
で、夕方まで私は一人で市内見学。
予定としては
・熊本名物の“タイピーエン”の試食。
・小泉八雲邸の見学
・夏目漱石邸の見学 ・・であります。
順路をスムーズに運ぶには
最初は やっぱり“タイピーエン”。(*^。^*)

さっき豚まんを食べたばかりなのに
いやはや、ここまで来るともう 胃は“ザル状態”(^^ゞ。
タイピーエンとは
春雨麺の中華料理。
何故これが熊本名物なのか(美味しかったけど)
わからないまま、ズルズル・・。
::::
お腹も満たされたので
次は「小泉八雲邸」

小泉八雲は熊本大学の前身第五高等中学の英語教師として3年間
熊本に暮らしていたそうです。
父親がアイルランド人、母親がギリシャ人で
2歳の時に父の家のあるアイルランドに移住。
軍医だった父親が西インドに赴任し 一人となった母は精神を病みギリシャに帰国。
4歳のハーンは叔母に育てられることとなり、
16歳の時に学校の遊具で左目に怪我をして失明。
17歳の時に父親が病死、叔母が破産したため学校を退学し、
小泉八雲はロンドンへ。

その後、結婚、離婚、食堂経営失敗等々、、
通信社で働いていた際に 日本の外務省の服部一三に
出会ったことがきっかけで 来日することに。
松江で(現・島根大)で英語教師をしている時に
松江の藩士小泉湊の娘、小泉節子と結婚。

その後 熊本に3年 神戸、東京へと移り住み、54歳で狭心症のより死去。
::::
日本の文化をこよなく愛した八雲の熊本の住居は
どこもみな純和風ですが
左目の失明の後、晩年は右目の視力も悪化したため
机だけは洋式で
高い机の紙に目を近づけてランプを明るくして執筆したそうです。

小泉八雲と夏目漱石は 不思議な縁があったそうで、
八雲が熊本を去った2年後、漱石が
同じ学校の講師となり、
八雲が東京帝大の講師を辞任した後の
後任がまたまた夏目漱石だったそうです。
講義の方は八雲の方が上手だったらしく
漱石の講義が「何だか、よくわからない・・」評だったのに対し
八雲の講義は「何の資料も無しに90分、理路整然と論した」そうで
どれほどの秀才、天才だったのでしょうね、、。御二方・・。
移動交通機関は新幹線「つばめ」
カッコイイ~~。
今時の新幹線って 鼻がすごく長いのね。
(北海道に新幹線は無い!・・ので 羨望の目で見てしまう・・)(◎o◎)!

そんなカッコイイ新幹線の車中で何して過ごしたか、というと
「豚まん」と「黒豚角煮まん」をモグモグ・・。
早朝に“プロント”でモーニングのサンドイッチセットを食べたばかりなのに
まだ2時間しか経ってないのに
旅行4日目ともなると、胃拡張になってドンドン食べられる^m^。
(だって鹿児島の豚は本当に美味しかったから 名残の豚まん、、)

そうこうしている間に到着しました“火の国”熊本。
初めての熊本。
私の熊本の知識は“無”に等しくて
1、水前寺清子の地元。
“♪じ~んせいは ワンツーパンチ、汗かきベソかき歩こうよ~~”
(古いか、、)
2、もと細川総理大臣の地元。
3、加藤清正と熊本城
あまりの貧相な知識なので
ガイドブックを購入 (^^ゞ。
そうそう、その日は夕方まで夫は総会に出席なので
(今回の旅行の目的は実はこの総会と懇親会であって、その前後に尾ひれ背びれが実に長くついて5泊6日にもなってしまった。)
で、夕方まで私は一人で市内見学。
予定としては
・熊本名物の“タイピーエン”の試食。
・小泉八雲邸の見学
・夏目漱石邸の見学 ・・であります。
順路をスムーズに運ぶには
最初は やっぱり“タイピーエン”。(*^。^*)

さっき豚まんを食べたばかりなのに
いやはや、ここまで来るともう 胃は“ザル状態”(^^ゞ。
タイピーエンとは
春雨麺の中華料理。
何故これが熊本名物なのか(美味しかったけど)
わからないまま、ズルズル・・。
::::
お腹も満たされたので
次は「小泉八雲邸」

小泉八雲は熊本大学の前身第五高等中学の英語教師として3年間
熊本に暮らしていたそうです。
父親がアイルランド人、母親がギリシャ人で
2歳の時に父の家のあるアイルランドに移住。
軍医だった父親が西インドに赴任し 一人となった母は精神を病みギリシャに帰国。
4歳のハーンは叔母に育てられることとなり、
16歳の時に学校の遊具で左目に怪我をして失明。
17歳の時に父親が病死、叔母が破産したため学校を退学し、
小泉八雲はロンドンへ。

その後、結婚、離婚、食堂経営失敗等々、、
通信社で働いていた際に 日本の外務省の服部一三に
出会ったことがきっかけで 来日することに。
松江で(現・島根大)で英語教師をしている時に
松江の藩士小泉湊の娘、小泉節子と結婚。

その後 熊本に3年 神戸、東京へと移り住み、54歳で狭心症のより死去。
::::
日本の文化をこよなく愛した八雲の熊本の住居は
どこもみな純和風ですが
左目の失明の後、晩年は右目の視力も悪化したため
机だけは洋式で
高い机の紙に目を近づけてランプを明るくして執筆したそうです。

小泉八雲と夏目漱石は 不思議な縁があったそうで、
八雲が熊本を去った2年後、漱石が
同じ学校の講師となり、
八雲が東京帝大の講師を辞任した後の
後任がまたまた夏目漱石だったそうです。
講義の方は八雲の方が上手だったらしく
漱石の講義が「何だか、よくわからない・・」評だったのに対し
八雲の講義は「何の資料も無しに90分、理路整然と論した」そうで
どれほどの秀才、天才だったのでしょうね、、。御二方・・。
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