歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪近正宏光『コメの嘘と真実』を読んで≫

2022-07-10 18:01:06 | 稲作
≪近正宏光『コメの嘘と真実』を読んで≫
(2022年7月10日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、次の本を参照して、再び、おコメについて考えてみたい。
〇近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年
 本書は、ある農業生産法人が新規就農するに際して、いかなる過程を経て、経営を安定させるに至ったかを克明に記録した書である。それとともに、日本のコメ作りの現状と問題点を浮き彫りにした書であるともいえる。

著者の近正宏光氏は、コメの付加価値を高めることが大切だと力説している。
 そのために、越後ファームという農業生産法人は、慣行栽培から特別栽培、さらに有機栽培へとステップアップを図ったという。同時に、今摺り米や雪室米など、鮮度にこだわったコメの販売にも取り組んできたそうだ(108頁)。
 とりわけ、日本の有機農業研究の第一人者と言われる、農学博士の西村和雄先生(京都大学フィールド科学研究センター)に有機栽培の指導を仰ぎ、真摯に取り組んでいる姿勢は、尊敬に値する(45頁、74頁など)。
 私のような兼業農家で、慣行栽培(もしくは特別栽培)をし続けた者には、とても想定しえなかった問題点をあぶり出したという意味において、本書は学ぶところの多い書であった。
(ただ、TPP(環太平洋経済連携協定)問題に関して、章立てを見てもわかるように、著者は賛成の立場を明確にしているなど、私と意見を異にする主張も、随所に見られる)

 例によって、私の関心にそって、本書の内容を紹介してみたい。



【近正宏光『コメの嘘と真実』(角川SSC新書)はこちらから】
近正宏光『コメの嘘と真実』(角川SSC新書)





〇近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年
【目次】
はじめに
序章 新規就農に2年、就農したらもっと大変!
第一章 まともに作るほどバカを見る農業の実態
第二章 農業政策を転換しないととんでもないことになる!
第三章 “売れる”農家にならなければ生き残れない
第四章 私たちはTPPに賛成です!!
第五章 日本農業の道しるべ~明日への打開策~
第六章 惑わされないための「コメ用語」
    慣行栽培米/特別栽培米/有機栽培米/自然農法米/アイガモ農法米
    魚沼(新潟県)産コシヒカリ/仁多米/森のくまさん/ゆめぴりか/つや姫
    玄米/金芽米/今摺り米/雪室米/天日干し米/
    米・食味鑑定士、お米マイスター、ごはんソムリエ
おわりに




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・「はじめに」
・農業生産法人・越後ファームについて
・減反政策と日本のコメ
・TPP問題に関連して
・日本の農業の知恵と工夫~雑草対策の一例
・有機栽培について
・「コメ用語」の解説~第六章
  慣行栽培米/特別栽培米/有機栽培米/自然農法米/アイガモ農法米
  魚沼(新潟県)産コシヒカリ/仁多米/
  玄米/今摺り米/雪室米






「はじめに」


「はじめに」(3頁~5頁)によれば、著者・近正宏光氏が農業に従事するきっかけとなったのは、勤務先の不動産会社の社長から、2004年に言い渡されたことによるそうだ。
(不動産会社は、日廣商事といい、新宿を拠点に貸しビル・別荘地開発といった事業を展開する)その社長は、経済評論家の講演に参加して、「これからは『食糧安保』の時代だ」との言説に共感した。
・そこで、新潟出身の著者にコメを作ることを命じ、近正氏が農業生産法人・越後ファームを立ち上げた。その道のりはとても険しく、茨の道だった。コメ作りに関して、ずぶの素人であった著者は、それでも、2012年には、有機JAS認証を受け、“期待のルーキー”として理想を高く持っている。

近正氏の主張は次のようなものである。
・戦後、日本のコメを守るために構築されてきたルールやシステムは、消費者を守るシステムではなく、「おいしくて安全なコメを食べる」ことの阻害要件でしかないとする。
・TPP交渉参加問題で、格別に高い関税がかけられる保護すべきコメにスポットを当てる。

・農業従事者、消費者、農協、お役所が、「コメのいま」を見つめ直し、やり直さなければ、「日本のコメ」は終わってしまうという危機感を持っている。
 “コメ作り”の当事者となったからこそ知り得た、嘘と真実を、一人でも多くに伝えたくて、著者は筆をとったという。21世紀のコメ作り、さらにはこれからの日本農業の進むべき道を考え、日本の「誇るべきコメ」再生のきっかけになれば幸いとする。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、3頁~5頁)

農業生産法人・越後ファームについて


・農業生産法人・越後ファームは、新潟県の阿賀町に農場と加工施設を持ち、営業・販売の拠点を置く会社である。
・2004年、日廣商事の社長から、「コメを自分たちで作り自力で売る」ようにとの指令のもとに、2006年に立ち上げた会社。
・伊勢丹新宿本店をはじめ全国の百貨店で商品を販売しており、2013年には、米穀販売の直営店を日本橋三越本店に出店。
・京都大学農学博士の西村和雄先生に技術指導を仰ぐ。

・新潟県東蒲原(かんばら)郡阿賀(あが)町は、日本の中山間地(ちゅうさんかんち、平野の外縁部から山間地を指す農業用語)に位置する。
・法人として新規就農する際、立ちはだかるのが、「農地法」と「農業委員会」
⇒農地の売買、贈与、貸借などには農地法第3条に基づき、「農業委員会」の許可が必要になる。
※農業委員会とは、各市町村に置かれている行政委員会。委員は農家から選出された人などを中心に構成。
※農地法第3条により、農地の売買や貸し借りを行う場合は、農業委員会または県知事の許可が必要となる。

・農業生産法人・越後ファームは、最初、農政局の担当者にかけ合い、阿賀町農業委員会、新潟県庁、農政局の各担当者と、話し合いの場を設け、農業生産法人設立へ向けた申請案を提示。
⇒2006年、新規就農が公的に承認。農業生産法人として名乗ることが可能になる。

・2006年3月、「農業生産法人・越後ファーム」を設立したが、村社会の閉鎖性に苦しめられ、借り受けたのは3反の中山間地域の田んぼ
(ちなみに1反は約0.1ヘクタール(1000㎡)、10反で1町歩(1ヘクタール)となる)
 それでも2年目には1町歩(10反)、3年目には2町歩と、年を重ねるごとに、農地面積は1年ごとにほぼ倍増するペースで拡大。

☆【中山間地域の苦労】
・棚田ばかりの中山間地域は、平地に比べ、作物を育てるのに倍以上の労力が必要とされる。
⇒例えば、あぜの雑草除去にしても、平地であれば機械で難なく刈り取ることができる。
 しかし、隣接する田んぼと高低差のある棚田のあぜは、急斜面のいわゆる“のり面”である。
 (阿賀町では、大人の背丈を軽く超えるのり面も珍しくない)
 急斜面の雑草除去だけでも大変な作業
・山の斜面に作られた田んぼが点在している中山間地域では、移動にも時間がかかる。
※高齢化の進んだ中山間地域では、耕作放棄地が増える一方
・越後ファームは、「非効率」を絵に描いたような土地に就農。裏を返せば、新参者が就農するには、そのような中山間地域しかなかった。

・最初、3反の田んぼから20俵のコメを収穫。
 収穫期に合わせ、精米もできる乾燥工場も造る。しかし、コメを売る販路が見つからず、余ったコメは本社の社員に配るしかなかったようだ。
・2年目の2007年、作地面積は1町歩に増え、70俵のコメを収穫。農協に卸すことをしない選択肢をとったため、作ったコメを泣く泣く白鳥のエサにすることに。
(葛藤の末、阿賀野市の瓢湖に飛来する白鳥の飼料に寄付)
※中山間地でコメ農業を営んでいくためには、高付加価値の付いた競争力のあるコメを売っていかなければ、農業経営など覚束ないこと、そして販路を開拓しなければ越後ファームの未来はないことを、認識し直す。

☆【中山間地のデメリットは実は武器になる】
・越後ファームの究極の目標は、「越後ファームをブランド」にすることだという。
・ただ、営農において、効率的なコメ作りが可能な平地には到底かなわない。
⇒日本の農産地は、「平地農業地域」と「中山間農業地域」の2つに大別される。
・中山間農業地域とは、平野の外縁部から山間地を指す。
・山地の多い日本では、このような中山間地域が国土面積の65%を占めている。
 しかも、中山間農業地域は、日本全体の耕地面積の43%、総農家数の43%、農業産出額の39%、農業集落数の52%を占める。
※平地に比べ効率の悪さなど不利な点が多いにもかかわらず、食糧需給に多大な貢献を果たしている。
※「顧客満足」を考えた場合、「平地」と同じ手法で争っても、価格競争で勝てるわけもない。
 だから、「中山間地」のデメリットをメリットに変えるような工夫が必要。
⇒・おいしいコメ作りには冷たく、澄んだ水が欠かせない。
 ・幸いにして越後ファームのある阿賀町には、きれいな雪解け水、湧き水に恵まれている。
 ・さらに阿賀町には、スギのような針葉樹ではなく、ブナの原生林など広葉樹の多い山地である。
(土壌には、散った落葉によって栄養が蓄えられている)
※冷たくきれいな水と自然のままに豊かな土壌という、この2つは、平地にはない中山間地域ならではのメリットといえる。
⇒このメリットを生かしたコメは顧客満足につながる。
(価格が少々高くなっても、消費者は「安全でおいしいコメ」を選んでくれるはず)
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、12頁~30頁、48頁~51頁、83頁~85頁)

西村和雄先生


西村和雄先生
・京都大学農学博士、日本の有機農業研究の第一人者と言われる、京都大学フィールド科学研究センター
・越後ファームが有機栽培の指導を仰いでいる
・「慣行栽培から有機栽培に転換すれば少なくとも2割から3割、収量が落ちる
 つまり、減反をするくらいなら、日本の農家すべてを有機栽培すればいい。
 そうすれば自然に収量は落ちるし、おいしい米が増える。
 そのうえ、化学肥料や農薬も減るので環境にもいい
 ⇒近正宏光氏も、西村和雄先生の意見にまったく賛成であるという。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、45頁)

減反政策と日本のコメ


 「第一章 まともに作るほどバカを見る農業の実態」の「減反政策が日本のコメをダメにした」(42頁~46頁)には、次のようなことが述べられている。

・一般的に水田1反当たりから収穫できるコメの量は9俵程度(1俵60kg)と言われている
・ただ、これはあくまでも平均値
 同じ1反でも10俵とれるところもあれば、7俵しかとれないところもある。
⇒減反と言われたコメ農家はどうするか。
 当然、10俵とれる田んぼは温存。7俵しかとれない田んぼを減反分に回す。
⇒当時の政治家や官僚は、「1反減らせばこれくらい減るだろう」という目算を立てていたが、机上の空論。
 耕地面積は予定どおり減っても、蓋を開けたら収穫量は計算より多かった。
(このような矛盾をはらんだまま、国の減反政策は続いてきた)

(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、42頁~43頁)

TPP問題に関連して


「第四章 私たちはTPPに賛成です!!」の「世界との経営規模の違いをどう克服していくか?」(105頁~108頁)には次のようなことが述べられている。

・世界のコメの生産量は約4億5000万トンあるといわれている。
 そのうちタイ米のような長粒種(インディカタイプ)の占める割合は9割に及ぶ。
 日本米のような短粒種(ジャポニカタイプ)は1割しかない。
・これから先、世界市場でも注目されていくのは、中国のコメになることは間違いないらしい。
 現在、中国のコメ生産量は世界第1位で、全世界の3割にあたる量のコメを生産している。
(そのほとんどを自国で消費している)
・日本のコメが生き残るためには、他国には作れないようなコメ、質の高いコメを作っていくほかない。

・日本の農家1戸当たりの経営農地面積の平均は、1.4ヘクタールといわれている。
 農地の多い北海道は平均20ヘクタールと全国平均を大きく上回っている。
 しかし、アメリカは170ヘクタール、オーストラリアの3000ヘクタールと比べると、さすがの北海道も足元にも及ばない。

・農地の大きさ、規模の面で考えれば、国土の狭い日本が広大な農地を持つ海外と渡り合うのは不可能である。
(日本の平均農業地域の農地をいくら集約・大型化しても、アメリカやオーストラリアには勝てない)
しかし、戦い方がある。これはマーケティング論の問題だという。
 つまり、顧客が何を望んでいるのかを徹底的に考え、自分のできることをそこに当てはめていく。
(顧客のことも考えず、殻に閉じこもった商売や好き勝手な商売をしているようでは、お客は離れていくだけ)

・大量生産と渡り合っていくためには、オリジナリティの創出が最も重要なポイントとなる。
 小さいものは小さいなりの、かゆいところに手の届く付加価値を付けていけばいい。
 作り方、売り方に個性を際立たせていくことで、大手や大量生産に負けない商品を生み出していくことはできる。

 例えば、有機栽培を手取りの除草で付加価値を付ける。
(これはとても大変な作業であるが、手取りで除草するなど、アメリカやオーストラリアの広大な農地では到底できない)

・どんな農地であろうとも、どんな環境にあろうとも、打つ手はきっとある。
 非効率きわまりない中山間地域での営農を続けている越後ファームは、コメの付加価値を高めるために、慣行栽培から特別栽培、さらに有機栽培へとステップアップを図っている。
 それと同時に、今摺り米や雪室米(後述)など、鮮度にこだわったコメの販売にも取り組んでいる。
〇この先、コメ農家に必要とされるのは、その付加価値をしっかりと説明できる営業力を持つことが大切だと、近正宏光氏は主張している。
 付加価値と営業力の2つがそろわないと大手に太刀打ちできない。少数精鋭で営業力を高めていけば、きっと道は開けるという。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、104頁~108頁)

日本の農業の知恵と工夫~雑草対策の一例


「第四章 私たちはTPPに賛成です!!」の「知恵と工夫を取り戻せ!」(109頁~111頁)には次のようなことが述べられている。

・かつて化学肥料や農薬がなかった時代、日本の農業は各農家の知恵と工夫によって害虫や病気と闘ってきた。
 ところが農業技術の進歩と機械化によって、化学肥料や農薬、機械に頼る人が増えた。
 (だから、先人たちの血と汗の結晶である貴重な知恵は過去の異物として葬り去られた)

・化学肥料や農薬に依存した慣行栽培は、作り手が楽をしようと思えば、いくらでも楽のできる栽培法だといわれる。
 ⇒そんな楽な環境が整ったために、週末だけ農業に携わるような兼業農家が増えていき、また農村の高齢化を招いた。
 その一方で、有機栽培は、先人たちの知恵がなければやっていけない農法である。

〇全国各地の有機篤農家のなかには、卓越した知恵と技術でコメを育てている人たちがいる。
 たとえば、千葉のある篤農家がコナギという雑草をどのように除草しているかを紹介している。
 つまり農薬はもちろん、機械も使わず、手もほとんど使わないようだ。
・コナギとは水田に生える雑草の一種で、5月くらいに発芽する
 コナギは水温が17℃前後になると発芽するそうだ
 ⇒千葉の篤農家はその性質を逆手に取った農法を実践
・代掻き(田植えの前に水を入れて、塊になった土を砕く作業)したのち、水田の水温が17℃前後になると、コナギがむくむくと発芽を始める
⇒すると、この篤農家は、そこでいったん水田の水をすべて抜く
 発芽しかけのコナギも一緒に流してしまう
・水が抜けたら再び水を張り、また水を抜く
・こういった作業を3回ほど繰り返すと、コナギの多くは除去できるそうだ
(残ったわずかな量のコナギは、機械除草や手作業で抜いていく)

※これは代掻きの時期に水温がちょうど17℃くらいになる千葉だからできる農法である
(他の地域ではなかなかこの方法は実践できない)
 こういった手法をそれぞれの地域が自然環境に合った形で見いだすことこそ、農家の生きる知恵と言えると、近光氏は捉えている。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、109頁~111頁)

有機栽培について


「第四章 私たちはTPPに賛成です!!」の「デメリットをメリットに変える」(111頁~115頁)には次のようなことが述べられている。

・「デメリットをメリットに変える」、これこそ、越後ファームが創立からずっとテーマにしてきたことそうだ。
(越後ファームには、TPPは逆境ではなく、またとない“チャンス”と思っている)
 越後ファームは中山間地域という非効率な環境を嘆き苦しみ絶望したからこそ、そのデメリットを逆手にとって、中山間地域だからできる有機栽培に挑戦してきたという。
 有機栽培だからといって必ずしもおいしいコメができるとは限らない。
 だからこそ、「おいしい有機米にするにはどうしたらいいのか」を顧問の西村和雄先生の指示を仰ぎながら、そのやり方を追求してきた。

・越後ファームがやってきたのは「問題→工夫→結果→改善」の繰り返しであるという。
 ビジネスの世界でよく言われる「PDCA」のサイクルにも似ている。
つまり、
●予定を立て(Plan)
●実行し(Do)
●振り返り(Check)
●改善する(Action)

・小さな目標の積み重ねが大きな目標の達成につながる。PDCAのサイクルをスパイラルアップしていくことが全体のスキルアップにつながる。それはビジネスも農業も同じだという。

〇越後ファームが中山間地である阿賀町で有機農法を続けることのメリットは「おいしいコメができる」だけではないと主張している。
・西村和雄先生によれば、1反の田んぼに1cmの水を張ると、それは期間内に100トンの水を保水したのと同様の効果があるそうだ。
⇒越後ファームが中山間地域で営農し、棚田を維持し続けることによって、川の氾濫や土壌の浸食、崩壊を未然に防ぎ、上流から下流まですべての自然の生態系を守っていることになる。
つまり、過疎化が進んでいる日本の中山間地域は日本の生態系を守る重要な存在だとする。

〇さらに中山間地域で有機農法に取り組む環境的利点はもう一つあるという。
 それは、農薬や化学肥料を使わないので、きれいな水がそのまま下流に送れるということである。上流で農薬を使わなければ、それは下流域の農作物を守ることにもなり、川そのものの生態系を守ることにもつながる。
(農薬の空中散布などで慣行栽培農家と有機栽培農家がぶつかり合うのはよく聞く話であるが、水田に引く水自体が農薬に汚染されていたら有機栽培農家は他から水を引くしかなくなる)

※生活排水に汚染されていない雪解け水、湧き水の豊富な阿賀町は、平地農業地域よりも有機栽培に適している。
 中山間地域はデメリットばかりでなく、多くのメリットも秘めている。
・TPP参加となった場合、中山間農業地域は有機栽培などの高度な栽培技術と高付加価値化を推進していけばよいし、平地農業地域は農地集約による大規模化、さらにそのための法整備を進めて行けばいいとする。
 どんな土地でも、適地適作、知恵と工夫を凝らせばおいしいコメは作ることができるので、TPPを恐れることはないという。地形や気象の変化に富んだ日本は、その特色を生かした農業をしていけばいいと近正氏は主張している。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、111頁~115頁)


「コメ用語」の解説~第六章


「第六章 惑わされないための「コメ用語」」には、次のような用語が解説されている。
    慣行栽培米/特別栽培米/有機栽培米/自然農法米/アイガモ農法米
    魚沼(新潟県)産コシヒカリ/仁多米/森のくまさん/ゆめぴりか/つや姫
    玄米/金芽米/今摺り米/雪室米/天日干し米/
米・食味鑑定士、お米マイスター、ごはんソムリエ
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、137頁~172頁)

このうち、慣行栽培米/特別栽培米/有機栽培米/自然農法米/アイガモ農法米/魚沼(新潟県)産コシヒカリ/仁多米/玄米/今摺り米/雪室米について、要約しておこう。

慣行栽培米


・一般的に出回っているコメは、ほぼこのカテゴリーに属する。
 都道府県ごとに行政によって決められた基準に準じて、農薬を散布し化学肥料を投与する栽培法。
・都道府県の農林水産部管轄である「農業技術改良センター」より栽培暦という冊子を渡され、農薬の散布時期や回数、肥料の投与回数・時期の指導も行われる。
 これと農協の指導を遵守すれば、原則として県の求める線は満たす食味と安全性を実現したコメができ上がる。そしてコメは農協が買い取る。
※すべてガイドラインがあるわけで、差異化を求めて深く考え人と違うコメを作る、ということが次第にできなくなっていく

※もちろん慣行栽培米にもおいしいものはある。
 コメ作りに適した自然環境に恵まれているのは必須条件であるが、水質と水管理に配慮し、かつ稲の状態をきちんと観察し、窒素過多を避けながら栽培するような、良心的な農家もいる
(窒素過多の稲は葉の色が収穫時期にもまだ鮮やかな緑色のままになる)
 ただ、兼業農家が主流の現状では、毎日の観察・管理は難しいと近正氏はいう。

・また、窒素過多(化学肥料大量投入)の理由は減反政策にもあるようだ。
 米の供給過剰を抑制すべく1970年に政府が施行した制度で、耕作面積削減(3割減目標)と補助金をセットにしたものであるが、これが災いを招いた。
 多くの農家は耕作面積の削減に応じたが、収穫量は現状維持を目指した。狭くなった耕作面積あたりの収穫量を向上しようとするため、肥料を大量投入するようになってしまった。

・余談だが、化学肥料には亜硝酸態窒素(硝酸態窒素)がとりわけ多く含まれると言われている。これは動物に毒性を持つ成分で、コメにはその影響はないと言われているが、野菜や果物はそうではないそうだ。
(海外ではこれに対する規制があるが、日本には取り締まるものがまだないという)
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、139頁~142頁)

特別栽培米


・慣行栽培における農薬・化学肥料の投与量を共に50%以下に抑えて栽培したコメを指す。
・2001年に農林水産省のガイドラインが改訂され、表示販売できるようになったカテゴリー。
 慣行栽培と有機栽培の中間に位置するものと考えて差し支えない。
 コメ農家は田んぼに特別栽培である看板を出し、また「使用農薬名」「農薬使用量」「農薬使用回数」といった栽培履歴のチェックを受ける。

※越後ファームが米作農業に携わって、どうしても有機化できない場所というものもあるそうだ。 どれだけ丁寧に接してもどうしても虫がわく、雑草を取り除けない場所がある。
 ただ、そうした場所でも特別栽培なら可能だったりするという。ベストではないがベター、それが特別栽培である。
 越後ファームでは、特別栽培を3カテゴリーに分類している。
①農業・化学肥料の使用量を慣行栽培の50%以下に抑えたもの
②農薬8割減・化学肥料不使用
③農薬・化学肥料不使用(※有機JAS認証を受けるには2年間の転換期間が必要)
百貨店などの現在の主力は①の、通常の特別栽培米であるそうだ。
 (手間や技能は慣行栽培より要するが、収量は落ちず、より安全で手間がかかっている分おいしいという付加価値が生じる)

(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、142頁~145頁)

有機栽培米


・農薬・化学肥料不使用・有機肥料投与が有機栽培の定義
・有機栽培は真面目に取り組むほどに手間がかかり、収量も落ちる、難度の高い栽培法
(越後ファームの実績では慣行栽培の約50%まで収量が落ちるという)
・コメ農家全体の0.2%しか有機栽培に取り組んでいないというのが現状
・だから、一般的な家庭で買い求めるコメの価格が1kg当たり400円程度と仮定した場合、有機栽培米は、その2~3倍以上である。

・雑草対策として、種籾を撒く前に田んぼに深めに水を張る。これを「深水」という。
 光を遮断し光合成を妨げることで雑草、特にヒエの芽が出ないようにする。
 米作における主な雑草はヒエやコナギになるが、ヒエはこれでほぼシャットアウトできる。
 コナギに関しては新潟県の気候条件だと、深水くらいでは排除できない。ひたすら手と機械で除草するという。
・肥料に関しては有機肥料といえど最小限しか与えない。
 肥料には窒素分が多く存在し、これが投与過多になるとタンパク質含量が上がってしまい、コメがまずくなる。
・有機栽培には肥料の投与量には規制がない。
 越後ファームは篤農家と意見交換を行うと、肥料過多の田んぼがあるという。
 アイガモ農法や鯉農法のようにそもそも栽培法に問題が生じやすい場合、単純に肥料を与えすぎている場合などがあるが、共通するのは窒素過多らしい。
 また、肥料に問題がある場合というのは、肥料が「完熟」していないケースがある。有機肥料の多くは牛糞、豚糞、鶏糞などであるが、いずれも取り扱いが難しいようだ。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、145頁~148頁)

自然農法米


・肥料も農薬も一切使用しないコメの栽培法。有機栽培のカテゴリーで最高難易度のもの。
・越後ファームは、顧問の西村和雄先生の指導のもとに自然農法に適した場所探しから始めたそうだ。
〇「東南に開けていて日照時間が長いこと」
〇「山の湧き水がそのまま引き込め、掛け流しができること」
〇「花崗岩質の風化土壌」
(土に関しては、ようは痩せた劣悪な土であることらしい。そのような環境だからこそ、稲は必死になって養分を吸おうとし、たくましく育つという)
・稲の植え方は「尺角植(しゃっかくうえ)」を行う。
 通常21cm間隔の株間を30cmに広げて手植えをする。
 1本1本の稲に養分が行きわたるようになることはもちろんだが、こうすることで稲に変化が起きてくるようだ。
 通常の稲は直立しているが(多収量型:穂数型)、自然農法を続けると開帳してくる(少収量型:穂重型)
⇒これはより多くの太陽光を得て、同じく養分である窒素を雷や生物窒素固定(生物が空気中の遊離窒素を取り込み、窒素化合物を作る現象)から得るための、稲本来のたくましい姿だという。茎も当然太くなる。

・雑草と虫対策が有機栽培と同様に重要であるが、やはり深水にし光合成遮断と虫の排除を行う。そして水量の安定を図る。
 この自然農法では水の掛け流しが原則で、この安定化がなかなか骨の折れる作業とのこと。
(植物の生育上どうしても発生するガスや汚れを常に流し出し、同時に養分に満ちた水を常に流し入れる)
・その後はひたすら雑草を手で排除していく。
 稲が雑草より背が高くなるまで、その田んぼで稲が支配的な存在になるまではこの作業を怠ると、栄養不足のまずいコメになってしまうらしい。
※稲が十分育つ8月になると、根を切ることを避けて、もう雑草を取りに田んぼに入ることもなくなる。

※自然農法は、「誰がどのようにどれだけ手をかけて育てたか」が重要になる。
 ちなみにこの栽培法だと、慣行栽培と比べて、収穫量が50%以下にまで落ちる。
 上手に育てれば格別な味わいと安全性を実現するが、その膨大な手間と技能習熟、そして生産性の面から、自然農法米が市場に多く出回ることは現実的ではないと、近正氏はコメントしている。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、148頁~150頁)

アイガモ農法米


・有機栽培の一つの方法で、アイガモの愛らしさや自然の摂理に則った印象もあって一時期注目と人気を集めた。しかし、この農法にも注意点がある。
〇アイガモ農法は次のようなものである。
・田んぼに苗を植え水を張る。
 そこでコガモを放す。アイガモは稲を食べる習性がない。
 稲の間をヨチヨチと泳ぎ回ることで水がにごり、まだ芽を出していない雑草の光合成を妨げる。そしてアイガモは虫をついばむので、稲作の大敵である除草・虫対策(もっとも益虫も食べてしまうが)を人間に成り代わって行ってくれる。
※この際、農家が注力するのが、野犬やイタチ、カラスやトンビといったアイガモにとっての天敵からアイガモを守ること。防護ネットを使ったり、工夫と設備投資を行う。

・肝心のコメはどうか。
 食物としてのコメにとって窒素過多はご法度。当たり前だが、アイガモは田んぼの中で糞をする。これは「未完熟の肥料」。彼らは自然の行為として排泄を行い、タイミングも自然に任せて行う。結果、気を抜くと、肥料の投与量も時期もコントロールを失った、窒素過多のコメが実る場合もあり得る。
※同様の理論で、鯉などを使った栽培法もあるが、消費者がこうむるデメリットも同様。有機米にイメージとしての付加価値ではなく、「おいしさ」「安全性」を求めるのであれば、他の選択肢も検討しなければならない場合があると、近正氏はコメントしている。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、151頁~152頁)

魚沼(新潟県)産コシヒカリ


・魚沼産コシヒカリは日本で一番有名な「産地ブランド」になっている。
・魚沼は、かつて旧・塩沢町を本拠に隣接する旧・六日町・大和町などをいわゆる「南魚沼」、旧・十日町・川西町などを「中魚沼」、それより北を「北魚沼」と呼んでいた。
塩沢を中心とした南魚沼で高い評価を得た「コシヒカリ」。次いで追随した中魚沼を含め「魚沼」の名と「コシヒカリ」の名を一気に最高位に高めた。
(北魚沼についても「魚沼」の名で呼ぶ場合はその一角に数えられている)
・かつての「南魚沼」は、典型的なすり鉢状の盆地で、昼夜の温度差が10℃以上あり、冬は豪雪、そしてピュアな伏流水に恵まれた、コシヒカリ栽培に最適な自然環境を誇っていた。
(ただ、現在の「魚沼」は市町村合併が進み、すべてがそのような環境下にあるわけではないようだ)
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、152頁~154頁)

【補足】:「魚沼産コシヒカリ定期便」


・『農業共済新聞』によれば、株式会社さくらファーム湯沢は、新潟県湯沢町土樽で、水稲「コシヒカリ」12ヘクタールを経営。
・直販する米の5割ほどを、毎月定量を配送する「魚沼産コシヒカリ定期便」として、個人向けに出荷している。
 価格は精米1キロ680円を基本とする
(契約期間や支払い方法に応じた割引を設定)
・中山間地に位置するさくらファーム湯沢が管理する水田は、1筆5~20アールの区画が基本で、最大でも30アール規模。
 大半が10アールほどの大きさの水田で、54馬力のトラクターでの作業が限界という。
※ふぞろいな区画や傾斜地が多く、合筆できない圃場が多い。
(ここ数年の圃場の筆数は、230~250筆で推移)

・近年は新潟県でも高温の影響が出ているが、湯沢町は高冷地で暑さの影響を受けにくく、1等米の割合が高いそうだ。
・ただ、作業性などの条件が劣るため、平野部と比べ、10アール当たりの平均収量は60キロ以上の開きがある。
(単価は一律のため、JAへの系統出荷は生産量の半分に抑え、直販を収益拡大の軸に据える考えらしい)
(『農業共済新聞』2022年7月6日付 第3416号より)

仁多米


・島根県仁多(にた)郡で作られているコシヒカリ。
・1998年の全国米食味ランキング(日本穀物検定協会主催)で特Aに選ばれる。
 「西の魚沼」と呼ばれるまでの産地ブランド化を達成。
・標高300~500mの中山間地にある。
 昼夜の温度差(日較差といい登熟期にこれが大きいほどよい)は魚沼以上。
 冬には雪が降り積もり、斐伊(ひい)川という素晴らしい川が流れ、環境面ではコシヒカリ栽培に最も適した条件を備える場所。
・さらに仁多牛というブランド牛の飼育がそもそも米作りとセットで行われていた。牛糞を肥料に米を育て、牛は稲藁(いねわら)を食べ育つ、という循環が成立していた。
・行政と農協がリーダーシップをとり全体のレベル向上を図っている産地。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、155頁~156頁)

【補足】:島根県安来市のどじょう米


・『農業共済新聞』によれば、島根県安来市宇賀荘地区にある農業組合法人ファーム宇賀荘は、水稲117ヘクタール、大豆75ヘクタールを栽培。
⇒法人設立当初から環境にやさしい農法に取り組む。
・水稲は、ドジョウを放流し、化学農薬と化学肥料を使わない「どじょう米」を栽培。
⇒本年度(2022年度)の出荷時期までに有機JAS認証取得を目指す。
※どじょう米の有機JAS認証取得は以前から目指していたが、乾燥調製が外部委託で、ほかの米と交ざるため認証は取得できなかったようだ。
⇒ところが、今年の春、念願だった有機JAS認証に適した乾燥調製施設が、県の補助を受け完成。
(施設は、鉄骨平屋で400平方メートル、乾燥機は4基で、最大40トンの玄米を貯蔵できる)

※現在、有機JAS米として「きぬむすめ」「ヒノヒカリ」の2品種を10ヘクタール栽培しているという。
⇒今後は農薬・化学肥料を慣行の5割減にする特別栽培米を有機JAS米に順次変更し、将来は栽培面積を25ヘクタールまで拡大する予定。
(『農業共済新聞』2022年7月6日付、第3416号より)

玄米


・白米とは、コメの組織の「胚乳」の部分を指し、その表面に残存する肌糠が残るコメが普通の精白米。コメを研ぐのは肌糠を落とすためである。
・無洗米は、その肌糠までをあらかじめ除去し、コメを研ぐ(洗米する)必要のないコメ
・胚芽米は、その胚乳に「胚芽」が付いた状態のコメ
・「玄米」は、胚芽米の表面の糠層を取らずにおいた状態のコメ

〇玄米食は、昨今の健康ブームもあり、広く一般に浸透している。
 白米より栄養素が豊富で歯ざわりも変化に富み、また味わいも複雑である
 
※近正氏は、おかずを受け止め、口中調味を促進する白米を好むという。栄養素はおかずからとれるし、玄米は消化が悪いので、より咀嚼しなくてはならないかららしい。時には玄米を食べたくなるときもあるが、その際は有機栽培か自然農法のコメだそうだ)
・糠層や胚芽に残留農薬が含まれやすいと言われるなか、検査を行いクリアしているといえども、田んぼに立つ人間としては、稲の病気や虫に対する絶大な効果を目の当たりにしている以上、検査結果をどうしても信用できないという。
 成人はともかく、子供には食べさせたくないと、近正氏は思っている。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、160頁~161頁)

今摺り米


・今摺り米とは、玄米で保管・流通されるコメと異なり、籾のままで保管し、受注時に籾摺り・検査・精米を瞬時に行う方法で、鮮度管理に最適な方法と言われている。
・JAS法(日本農林規格)では、農産物検査によるコメの等級検査を受けなければ、産地や年産、品種を表示して販売してはならないという規定がある。
 一般的に農家は農協に集荷してもらう時点で検査を受け、等級に見合う価格で集荷してもらう。この等級検査は玄米の状態でしかできないことから、農家は収穫したコメ全量を籾を外し、玄米にして乾燥した状態で農協に出す。従って、農協など一般のコメは、この農産物検査を収穫時期に一括して受ける習慣にあるため、そこから1年間のコメの流通は、玄米で行われる。
・越後ファームは、百貨店などから受注する日まで籾で保管し、受注後に籾摺り・検査・精米を一括して実施し、出荷するそうだ。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、163頁~165頁)

雪室米


・コメは生きている。特に籾は来年用の種籾として使用できるもの。それゆえ呼吸する籾を元気なまま貯蔵するには、その呼吸数を抑制する効果の高い低温貯蔵は有効である。

・機械低温貯蔵は、確かに効果を発揮するが、貯蔵庫内部を、例えば15℃に設定しても、実際には14℃に下がったり、16℃に上昇したりと、ある範囲で乱高下を繰り返す。
また、8m前後もある背丈の高い貯蔵庫では、床付近と天井付近で若干の温度差が発生してしまう。冷たい空気は下へ、温かい空気は上へと進む摂理によるものである。
⇒そこで雪室貯蔵庫に変えることで、そうした温度ムラはほとんど防止できる。

・越後ファームは、2012年から、この雪室貯蔵庫に取り組んでいるという。
 最もコメの劣化が進む2月から7月の間を雪室に貯蔵することで、今摺り貯蔵に加え、さらに鮮度管理効果を高めることに挑戦している。

・雪室は、2月、大量に降り積もった汚れのない雪を雪貯蔵庫に入れ、そこの貯蔵庫で冷やされた冷たい空気をコメ貯蔵庫に送り込みコメを低温貯蔵しようとするシステム。
特殊な設計で建てられた貯蔵庫は、雪も半年以上溶けず、コメの低温貯蔵も完璧に担保されるに日本が誇る技術である。
・雪室貯蔵庫は、自然エネルギーの有効活用事例である。
 コメどころに豪雪地帯はたくさんある。雪国で暮らす人々にとって、雪は生活の敵でもある。
 しかし発想の逆転が重要で、中越地震時の危機管理対策への反省からも、鮮度管理可能な利雪事業の根幹をなす雪室貯蔵は、豪雪地帯のコメ農業者の知恵であり、新しい付加価値への挑戦でもあると、近正氏は考えている。
(近正宏光『コメの嘘と真実』角川SSC新書、2013年、165頁~167頁)


≪2021年度 わが家の稲作日誌≫

2021-12-31 18:50:14 | 稲作
≪2021年度 わが家の稲作日誌≫
(2021年12月31日投稿)


【はじめに】


 「2021年度 わが家の稲作日誌」として、今年度の稲作の主な作業日程を振り返ってみたい。合わせて、今年がどのような天候の下での稲作であったのか、回顧しておくことにしたい。




執筆項目は次のようになる。


・【はじめに】
・【2021年の稲作行程・日程】
・【2021年の稲作の主な作業日程の写真】






【2021年の稲作行程・日程】


2021年の稲作行程・日程を箇条書きに書き出してみた。

・2021年3月4日(木)晴のち雨16℃
  9:00 春耕作の依頼に伺う 
・2021年4月21日(水) 晴22℃
  14:20~17:20 草刈り 
・2021年5月5日(水) 晴20℃
   畦塗りが終っていた

【畦塗り終了後の写真】


・2020年5月10日(火) 晴22℃
  10:00~11:00 田んぼの水入れ 
・2021年5月11日(火) 晴19℃
  10:00 安達石油にて混合油 ゼノア25:1 1100円
  ※京都アニメーション放火事件により、去年から混合油の購入に際し、規制が厳しくなる。身分証の提示と住所氏名を記入する必要があった
  10:15~11:00 委託人夫妻と話
  ①水門を開いて夫妻が用水路に水を流された。お礼。
  ②2~3日後にあら起こしを行う予定
  ③小屋の移動もしくは撤去の件 小屋を撤去して田んぼの面積を拡張するとよい

・2021年5月15日(土) 雨20℃
  18:00~18:40 土地区画整理委員会の総会
 ※総会終了のち、委託人より、向こう1週間で、晴れの日に「中切り」をする予定とのこと。そして、天気を見つつ、田植えの予定。
 ※ちょうどこの日、2021年5月15日(土)、山口県を除く中国地方が梅雨入りしたとみられると、発表される。
・1963年の5月8日に次ぐ観測史上2番目の早さだという。平年より22日早い。松江など山陰両県の6地点で、最高気温が30℃以上の真夏日を記録し、蒸し暑さを感じる一日となった。 ▽松江17℃~30.9℃
・気象庁天気相談所(東京都)によると、梅雨入りに限らず、今年は全国的に季節の変動が「前倒し」になっているという。

・2021年5月20日(木) 雨22℃
  代かき終了

・2021年5月23日(日) 晴れ16~26℃(8:00に21℃)
  7:40 委託人より電話あり 今日、田植えをするので、水の調整をすること
      水が少ないので、水を入れて、地がポツポツと見えるくらいに、しておいてほしいと
  8:10~9:20 上下の田んぼの水を入れて調整
  その間、スーパーで昼食などを購入、委託人のお宅に届ける
  午前中、田植え終了
  12:00~12:20 田んぼの水を見に行く
  12:30 委託人より電話 
  ・2~3日は水を入れないこと(肥料が流れてしまうので)
  ・四隅の補植をすること(明日5月24日の午前中は曇りで午後は雨の天気予報)
  ・四隅などに袋の残りの肥料をまくこと

※新聞によれば、11月に宮中で営まれる「新嘗祭(にいなめさい)」に県を代表して献上するコメの御田植(おたうえ)式が、今日5月23日、益田市の水田であったそうだ。
奉耕者となった農耕者は長年、市役所勤務の傍ら、無農薬栽培など環境に配慮した農業に取り組んできたようだ。つまり安心安全なコメの生産に取り組んできた。
式には、副知事や市長など20人が出席。5アールの献穀田に無農薬で育てたコシヒカリの苗を植えたという。
9月5日に稲を刈る御抜穂式(おぬきほしき)を行い、10月下旬に約2キロを献納する予定とのこと。

・2021年5月24日(月) 小雨17~22℃(9:30に19℃)
  9:30~11:30  四隅の補植が終了
・四隅は足がはまり苦戦
・水が少なかったが、雨が降ってきたので、水を止めたままにしても大丈夫
(袋の残りの肥料をまくのは後日にする)

【2021年5月25日 田植え後の写真】



・2021年5月28日(金) 晴25℃
  10:10~10:40  田んぼの水を入れ足す
  (昨日、自治会の例会で、回覧板と配付物を配った後で)
・2021年5月31日(月) 晴21℃(13~24℃)
  10:00~10:30  田んぼの水を入れ足す
   (北側の田んぼ2枚も田植えが終わっていた)
・2021年6月1日(火) 晴24℃
  14:15~16:00  草刈りと田んぼの水を入れ足す
  (草刈りの初めに、北側の水路を遮り、水路わきも草刈りをする)
・2021年6月7日(月) 晴29℃(17~29℃)
  9:00~9:30  春の耕作代金を支払いに行く
  10:00~10:40 田んぼの水入れと草寄せ(東側の畑との境界の草)
  10:40~11:00 田んぼから帰り、ヌカ施肥、破竹伐採
・2021年6月9日(水) 晴24℃(18~27℃)
   9:45~10:15  車庫の周辺の草刈りと竹切り
   10:20~11:00 田んぼの水入れと草寄せ
  (燕が田んぼの上を飛び回り、虫をとっている。のどかな風景)
・2021年6月10日(木) 晴29℃(19~33℃)
  9:45~10:15  田んぼの水入れ 
 ※今日は梅雨の中休みとはいえ、32℃まで気温が上昇するというので、田んぼの水入れをする(実際には、33℃まで上昇)。やはり、水の減りが早く、上の田んぼも下の田んぼも、1日で3分の1くらい土が見えていた。
・2021年6月11日(金) 曇24℃(19~26℃)
  9:30~10:00  田んぼの水入れ 
  ※昨日より涼しくなり、夕方から雨。明日から雨の予報。
・2021年6月18日(金) 雨20℃(19~22℃)
  9:30~10:00  田んぼの様子見 
  ※ここ1週間ずっと梅雨らしい雨で、水入れの必要なし
・2021年6月21日(月) 晴27℃(17~30℃)
   9:10~10:30  田んぼの水入れ
   ・上の田んぼは、水の入口の1㎡あたり苗が水流に押し流されて抜けていた。
   (1週間雨が降り続いたため)
    下の田んぼのみ水入れ



栽培管理のポイント JAの「今月の稲作情報」より


JAの「今月の稲作情報」(NO.3, R3.6.7)によれば、次のように、栽培管理のポイントを伝えている。
・6月7日現在の生育状況としては、梅雨入りが早かった影響か、各品種生育が遅れており、茎数も少なくなっているようだ。だから、中干し開始時期も例年より遅くなる。
・また、市内全体で、藻類や表層剥離が発生している圃場が多く見れらるそうだ。
 このことが、欠株や生育不良の原因となっている場合には、水を落として干したり、藻類に適用のある除草剤を使用することを勧めている。

【栽培管理のポイント】


①作溝(溝切り)
・田植え後30日頃より実施できる。
・作溝する2日位前に落水し、田面が柔らかすぎないようにする。
※溝の間隔は砂質土壌では5m、粘質土壌では2mとする。
 排水不良のところは密にするなど、土壌状態に応じて間隔をとり、排水溝に繋げておく。

②中干し
・有効茎数(コシヒカリ・つや姫・きぬむすめは、1株茎数約15本)に達したら、速やかに中干しを開始し、5~7日程度落水する。
※田面に小さなひび割れができるまで。ただし、指が入るようなひびができると根を傷める。
※中干し後は間断灌水。

<間断灌水>
・落水(軽く干す)⇒灌水(浅く入水)⇒落水(軽く干す)
・水をあてて、自然落水、3~4日毎に水をあてる

③ケイ酸の中間追肥
・健全な稲体づくりと品質向上のため、ケイ酸肥料を、出穂35~45日前に追肥するとよい(中干し前の施用をすすめている)

④穂肥の施用(出穂前20~25日頃)
・穂肥は、茎数や葉色を確認し、適期に適量を施用すること。
・穂肥の目安となる幼穂長 きぬむすめ:2ミリ、コシヒカリ:2~5ミリ
※きぬむすめは、最高分げつ期頃(5月15日田植えでは、7月7日頃になる)に、「茎数が少ない」「葉色が薄い」場合は、中間追肥を窒素成分で10a当たり1kg程度施用する。

⑤病害虫防除
1.ウンカ類、カメムシ類
・今後は気温が上がり、雨も多くなるので、病害虫の発生が多くなってくる。
・すでに県内では、セジロウンカ成虫を確認している圃場もあるため、今後の発生状況に注意し、適期に防除すること。
・また、出穂後のカメムシ類による吸汁被害を軽減するため、畦畔の草刈りは出穂10日前までに行うこと。
(カメムシによる加害は、「斑点米」の原因となり、等級格下げの要因となるので注意)
2.稲こうじ病
・きぬむすめ、飼料用米を栽培する人は、必ず防除。
 
⑥出穂前後の管理
・幼穂形成期から出穂期は、稲が最も水を必要とする時期である。 
⇒この時期の水管理が玄米の品質や充実に影響するので、水不足にならないよう注意すること。
〇出穂期前後は原則として、2~3cmの湛水とする(溜めた状態)
〇穂ばらみ期から出穂開花期にかけて、強風が吹くときは深水とする。
〇その後は間断灌水の管理とする(5~7日に1回の湛水とする方法)
※出穂期(平年値)の目安
・きぬむすめ(田植え5月15日頃)……8月14日頃
・コシヒカリ(田植え5月25日頃)……8月9日頃
※出穂の状態は、圃場の中で穂が頭を出した茎が何割あるかで判断する。
・出穂始め:圃場の1割
・出穂期 :圃場の5割
・穂揃期 :圃場の9割

ところで、初夏の風物詩となった田んぼアートの田植えが先頃行われたそうだ。
今年のデザインは、大田市で開催された全国植樹祭にちなみ、水と緑の森づくりのキャラクター「みーもくん」であった。8~9月頃が見頃のようだ。




・2021年6月27日(日) 晴28℃(20~29℃)
   8:00~8:10  自治会の例会 
   8:10~10:00  自治会委員により、約2時間、ふれあいセンター周辺と水道みち清掃活動(田んぼに置いてあったレーキで、草寄せ担当)

・2021年6月30日(水) 晴26℃(20~27℃)
   9:00~11:30  田んぼの草刈り~梅雨の中休み、週末より雨模様の予報
   (日射しがきつく汗ひどし、ヘビ出没注意)
・2021年7月2日(金) 晴28℃(23~30℃)むし暑い
   9:30 JAへ書類提出(そば契約書)
   10:15~10:30  明日から1週間雨模様なので、しっかり水を止めておく
   苗の生育も順調

・2021年7月7日(水) 大雨25℃(23~26℃)むし暑い
   6:00    松江市に警戒レベル4の避難指示の発令
   6:40      自治委員として、緊急連絡網で伝える
   9:10~9:30  田んぼの様子を見に行く
・水をきちんと止めていたから、稲は大丈夫だった。前の川もかなり増水していた。
・川向こうでは、裏山の土砂が少し崩れて消防が駆けつけた家もあったそうだ。県道ものり面の崩落で道路が遮断されたとのこと。
・線状降水帯で大雨になり、全国ニュースで報道。今朝、1時間で100ミリの激しい雨

【新聞報道】


2021年7月8日付けの新聞によれば、活発化した梅雨前線の影響で、7月7日(水)早朝、島根県東部から鳥取県中部にかけて、積乱雲が連続発生する線状降水帯が形成され、激しい雨が断続的に降った。
松江市の八雲町に、5段階の警戒レベルで最も高い「緊急安全確保」が初めて発令された。
計11市町で、一時、人口の約38%に当たる46万7800人を対象に避難指示が出た。
≪経過≫
・5時47分、松江市付近で1時間に100ミリの強烈な雨を観測し、気象庁が「島根県記録的短時間大雨情報」を発表。
・午前6時に、松江市が市内全域に警戒レベル4「避難指示」を発令。
・6時50分、松江市が意宇川氾濫の恐れがあるとして、八雲町に警戒レベル5「緊急安全確保」を発令。
※終日、緊迫した状況が続いた。

人的被害は確認されていないものの、各地で、土砂崩れや道路の冠水や住宅浸水の被害が発生した。
松江市では、午前5時半までの24時間で、7月の平均降水量の7割に相当する171.0ミリが降った。(1時間100ミリを超える猛烈な雨)
本州付近に停滞する前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んでいる影響で、大気が不安定な状態が続き、局地的に激しい雨が降ったようだ。

私が住む町の県道でも、のり面が崩れ、道路に土砂が流れ出し、通行止めになった。市内では、約60ヵ所で土砂崩れやのり面崩れが発生した。(忌部地区では30ヵ所土砂崩れ)
崩れた土砂が雲南市につながる動脈の県道をふさいだ(新聞に写真あり)。
現場から100メートルほど離れた場に住む80代の男性は、「ゴーという地鳴りのような音で、目が覚めた」と振り返っている。静岡県熱海市で土石流の被害があったばかりだけに、その表情はこわばっていたという。

豪雨災害は毎年発生するものとして、備えを整えておくべきなのだろう。
災害に「まさか」は通用しない。情報への感度を高め、迅速な避難行動に生かさなくては。

【一口メモ】線状降水帯


線状降水帯とは、次々に発生した雨雲(積乱雲)が連なり、同じエリアに数時間にわたって強い雨をもたらす気象現象である。豪雨災害の一因とされる。

山陰両県の上空では、7月7日未明から、日本列島を横断する梅雨前線に向かって海上から暖かく湿った空気が流入。
島根県東部では午前5時に長さ約170キロ、幅30キロの線状降水帯が確認され、気象庁が午前5時9分に発生情報を発表した。

積乱雲は通常、局地的に発生して大雨や落雷の原因になるが、30分~1時間程度で衰退する。これに対し、線状降水帯は、暖かく湿った空気の流入が絶え間なく続くことで、積乱雲が連続して発生し、形成される。
もともとは専門用語だったが、2018年の西日本豪雨後、一般にも知られるようになった。

線状降水帯は、島根県内で梅雨末期の大規模災害を招くケースが多い。例えば、近年では、次のようなものが挙げられる。
・1983年の「58豪雨」~107人の死者・行方不明者が出た。
・2006年の水害~松江市街地が浸水し、出雲市内などで死者・行方不明者が5人に上った。
・2013年の災害~津和野町で孤立集落が生じた。

【2021年7月7日 大雨の時の写真】



※今後7月10日にかけて、線状降水帯がいつ発生してもおかしくない。身の安全を守るために、最新の降水状況に目配りしてほしいと、気象台は警戒を呼び掛けている。



・2021年7月14日(火) 曇のち雨25℃(23~31℃)
   中国地方梅雨明け
・2021年7月16日(金) 曇25℃(22~32℃)
   9:30~9:45  田んぼの様子見~水入れず乾いている
・2021年7月20日(火) 晴31℃(24~33℃)
   10:45~11:00 朝から30℃を超える厳しい暑さ。用水路からの水の入口の泥を除き、いつでも水を入れられるように準備する。
・2021年7月26日(月) 晴32℃(25~34℃)
   9:00~10:30 作付確認票の立札を作成し、立てに行く。田んぼの水調整。
    (下の田んぼは完全に干されていたので、水を入れたままにしておく)
・2021年7月29日(木) 晴のち曇31℃(23~31℃)
   9:00~11:00 午前中から31℃、日差しが暑い中、出穂前の大事な草刈り。
   (田んぼの畦のみの草刈りで終える。小道までできず)

【草刈り前の様子】

・2021年7月30日(金) 晴30℃(23~33℃)
   9:00~9:15 田んぼの水調整(用水路に石を入れて水の量を調整)

・2021年8月6日(金) 晴34℃(27~37℃)
   9:30~9:45 田んぼの水調整(上・下の田んぼともに水張り、生育順調) 
   8月になり、連続して36℃の酷暑が続き、疲れる。ヒエも生える。
・2021年8月9日(月) 大雨25℃(25~27℃)
   10:00    台風9号上陸のため暴風雨強まる

【台風9号について~新聞報道】


翌日の新聞によれば、中国地方に上陸した台風9号は、県に大雨をもたらした。隠岐上空に積乱雲が連続的に形成される「線状降水帯」が発生した。
7月上旬の豪雨災害から、最高気温が40℃に近づく猛暑を経て、再び大雨である。極端な気象変動に、疲労の色を濃くする。
また、松江市では、8月9日(月)午前10時5分に最大瞬間風速34.7メートルを記録した。市内の複数箇所で倒木や屋根の破戒などの被害が発生した。(強風で信号機がねじれたともいう)



・2021年8月10日(火) 曇28℃(22~30℃)
   11:00~11:15  田んぼの様子見
    ・出穂始まる ヒエも上・下の田んぼともに3~4本生えている
    ・下の田んぼの水が少ない

・2021年8月11日(水) 晴のち曇29℃(23~30℃)
   9:00~11:00 草刈り
    ・車庫のかしらと、田んぼの小道と畦の一部の草刈り
    ・午前中とはいえ、30℃近いが、8月の上旬の36~37℃に比べたら、作業はやり易かった。

【2021年8月11日 出穂開始】



・2021年8月20日(金) 曇29℃(23~30℃)
   11:00~11:15  田んぼの様子見~ほぼ出穂し終わる
・2021年8月25日(金) 曇30℃(27~30℃)
   9:45~10:00 ワクチン第1回接種後に田んぼの様子見
    ・ヒエが上の田んぼにかなり生える。
    ・小道にクズのつるが伸びる。

【7、8月の県の気象】


2021年の7、8月の県の気象は、どうであったのか?
7月に大雨や猛暑、8月には台風に見舞われ、好天の日は少なく、真夏らしさに乏しかった(お盆は珍しく雨)。
7月は梅雨末期の中旬、活発な梅雨前線が停滞し、線状降水帯が発生した。
(雲南市などに警戒レベル最高の「緊急安全確保」が発令された)
雨が終わると一変、厳しい暑さが続いた。気温が30℃を超す真夏日、35℃を超す猛暑日を合わせた日数は、松江が平年値の1.4倍の23日。1カ月降水量は松江で平均値の2倍を超えた。

【松江】 7月の1カ月降水量480ミリ(平年値243.1ミリ)  真夏日以上の日数23日(平年値16.5日)
     8月の1カ月降水量517.5ミリ(平年値129.6ミリ) 真夏日以上の日数18日(平年値21.8日)

昨年7月が比較的涼しかったのに対して、今年は梅雨明けが早く、梅雨明け後の厳しい暑さに見舞われた。対照的に8月は少なかった。
8月には、台風9号が上陸し、再び線状降水帯が発生した。1カ月降水量は、松江が平年値の4.0倍の517.5ミリ。(8月の観測史上最多を記録した)
前線の影響で雲が広がりやすく、7月とは打って変わって、真夏日以上の日は激減した。松江が平年値の0.8倍の18日。

雲南市は、7月の記録的豪雨で、コメ農家も被災したそうだ。
例年であれば、稲刈りの時期を迎えるが、濁流にのまれた水田は跡形もなくなり、取水設備が壊れた場所では、稲の生育不良が相次ぐ。つまり、地区内を流れる飯石川沿いの水田は濁流で大半の土地が削り取られ、稲が押し流された別の水田には、大小の石や流木が散乱。取水施設が壊れた場所では稲が穂を出す7~8月に水を引き込めず、収穫ができなかったという。

大きな被災を免れた水田で稲刈りを始めるが、侵入防止柵の破損箇所から入り込んだイノシシに稲を荒らされる被害が続発するそうだ。
7月の豪雨はこれまでの自然災害とは桁違いの農林水産被害をもたらした。「記録的短時間大雨情報」が発表された雲南市内の被害総額は115億円に上る。取水施設、水路の損壊も対処に手間取れば、15年前に比べて35%減の3256戸となった市内農家の減少が加速しかねないようだ。
(2021年9月1日(水)付け新聞より)



・2021年9月3日(金) 雨23℃(21~24℃)
   10:00~10:20 水止め・水落ち 
   9月1日まで最高気温30℃あったのに、今日は25℃いかない
・2021年9月7日(火) 曇27℃(23~28℃)
   9:00~11:30 草刈り
・2021年9月15日(水) 晴のち午後雨24℃(20~26℃)
  9:45~10:00 ワクチン第2回接種後に田んぼの様子見
・2021年9月27日(月) 曇のち晴22℃(20~26℃)
   19:30~20:30 自治会の例会終了後、稲刈りの日程について尋ねる
   ⇒来週の半ばから後半にかけて予定し、天気を見てから決めるとのこと
・2021年9月28日(火) 曇22℃(21~25℃)
   9:45~10:00 自治会の配布物に回った後、田んぼの様子見
・2021年9月30日(木) 晴のち午後雨26℃(21~27℃)
   9:00~11:00 草刈り(1時間半で刈り払い機の混合油が切れる)
   ・田んぼの畦とコンバインの進入路のみ草刈り
   ・田んぼの一部の雑草を抜く
【2021年9月28日 稲刈り前の稲の様子】


・2021年10月4日(月) 晴28℃(16~30℃)
   9:00~11:00 草刈り
   ・20分間、車庫のかしらの草刈り(大きな石が落ちている)
・残りの9:30~11:00田んぼの小道と北側の畦、小屋の周辺の草刈り
・2021年10月7日(木) 晴25℃(18~29℃)
   19:30 電話連絡があり、明日10月8日(金)午後3、4時から稲刈り予定
・2021年10月8日(金) 晴24℃(18~29℃)
   8:00~10:00 田んぼの四隅の稲刈り(手刈り、縁は時間なくやれず)
   10:30~11:10 昼食(寿司、惣菜など)を買いに行き届ける
   13:00~14:00 田んぼの縁の稲刈り(手刈り)
   15:00~16:00 コンバインで稲刈りをしてもらう

【2021年10月8日 稲刈り】


・2021年10月11日(月) 晴のち雨25℃(20~29℃)
16:00~16:45 米の搬入(冷蔵庫に入れる) 
・予想外の収穫に感嘆。クズ米も少なかったようだ。
・2021年10月14日(木) 晴20℃(17~23℃)
  9:30  秋の耕作代金を支払いに行く



《2020年度 わが家の稲作日誌 その3》

2020-12-30 17:23:37 | 稲作
《2020年度 わが家の稲作日誌 その3》
(2020年12月30日投稿)



【はじめに】


今回のブログでは、佐藤洋一郎氏の『稲の日本史』(角川選書、2002年)の著作を読んで、稲作の歴史を考えてみたい。
佐藤洋一郎氏の考える稲の日本史は、従来の捉え方とどのように違うのか。「稲の日本史」の年表やイネの収量から、その違いについて述べておこう。
水田の維持には、水の管理と除草の問題がネックとなっている。かつては「1本のヒエも許さないこと」が水田耕作のこころとされてきた。そこには、どのような意味合いがあったのだろうか。佐藤洋一郎氏の体験談をまじえて、言及している。
 また、米は、胚乳のデンプンの性質によって、種類に分かれている。米のデンプンには、アミロースとアミロペクチンという2種類がある。モチ米とウルチ米の性質の違いは、このアミロースとアミロペクチンの比率によって決まっている。そして、胚乳のデンプン組成の違いは、料理の方法にも影響を及ぼしている。こうした問題を佐藤氏は、解説している。




執筆項目は次のようになる。


・佐藤洋一郎氏のプロフィール
・佐藤洋一郎氏の『稲の日本史』の特徴
・「稲の日本史」の年表
・イネの収量
・反収あたりの最高記録
・水田の維持と除草
・水田耕作のこころ――1本のヒエも許さないことの意味
・モチ米とウルチ米 2種類のデンプン
・調理の方式






佐藤洋一郎氏のプロフィール


『稲の日本史』(角川選書、2002年)の著者の佐藤洋一郎氏は、1952年和歌山県に生まれ、1977年京都大学農学部を卒業し、1979年同大学大学院の農学研究科修士課程を修了した農学博士である。
国立遺伝学研究所助手を経て、1994年より静岡大学農学部助教授で、専攻は植物遺伝学である。
イネの「アッサム・雲南起源説」を否定し、「ジャポニカ長江起源説」を発表した。

佐藤氏の修士論文のテーマは、発育遺伝学的なテーマであり、イネの背丈がどのようにして決まるかということであったそうだ。
遺伝学の世界では、「なぜ」を考えるのに、いろいろなイネの品種を準備するという。例えば、ある田んぼでは、コシヒカリの背丈が90センチ、農林22号では110センチであったのなら、その差20センチはどのように生じたのか、を考えてゆくのだと説明している。

全アジア的にみると、日本のイネは一般に背が低い。熱帯ジャポニカが姿を消したのは、その遺伝学的性質によるところが大であるとする。熱帯ジャポニカは、温帯ジャポニカに比べて、背が高いものが多く、このことが二つのジャポニカの消長を決める大きな要素となったとみている。
イネの「草型(くさがた)」には「穂数型」と「穂重型」の二つがあるといわれる。
穂数型は、小型で多数の穂がつくタイプであるのに対して、穂重型は比較的少数の大型の穂がつくタイプである。
穂重型の品種は穂が長いだけでなく、葉も茎も長い。中には茎の長さが2メートル位のものもあり、これは今普通の田んぼに植わっている温帯ジャポニカの約2倍にあたる。茎の長さや葉の長いことが熱帯ジャポニカの草型を決める大きな要因だという。
ただ、穂重型のイネでは、長い葉がもつれるように重なり合い、群落の中には風も光も通りにくくなり、過繁茂の状態になる。この過繁茂になると、光合成によって生産する以上のデンプンを呼吸によって消費し、イネの生産性は落ちてゆく。

だから、生産性を高めるためには、草型を穂重型から穂数型にするのがよい。先進国では、品種を穂数型にする改良が続けられてきたといわれる。穂数型にするということは、背丈を低くするということである。
例えば、日本の場合、明治時代に国家事業として品種改良が始まってからの100年間で、イネの背丈は約40センチも短くなったと、佐藤氏は説明している。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、142頁~147頁)

佐藤洋一郎氏の『稲の日本史』の特徴


まず、佐藤洋一郎『稲の日本史』(角川選書、2002年)の章立ては、次のようになっている。



佐藤洋一郎『稲の日本史』(角川選書、2002年)の目次は次のようになっている。
【目次】
序章
第一章 イネはいつから日本列島にあったか
第二章 イネと稲作からみた弥生時代
第三章 水稲と水田稲作はどう広まったか
第四章 イネと日本人――終章
おわりに




【佐藤洋一郎『稲の日本史』はこちらから】

稲の日本史 (角川ソフィア文庫)

「序章」において、佐藤洋一郎氏は、この書の意図を明記している。
日本のイネと稲作の従来の歴史にはおおきな誤りがあったことをこの書で訴えている。
従来、水田稲作のあり方は、その技術のみならず、社会のしくみやそこに暮らす人々の行動、思想にまで強い影響を与え続けてきたと考えてきた。つまり、稲作のこころは、2000年のながきにわたって、そこに住む人々の社会や思想に深く浸透してきたとする。
だが、こうした捉え方は、虚構や誤りであることが最近わかってきた。

その誤りは、2つの点に及んでいるという。
1 イネと稲作、それにこれらにまつわる文化は一枚岩なのではなく、幾重かの構造をなすこと(これは佐々木高明氏の「日本文化の多重構造」に呼応する)。
その構造をなす主な二つの要素がある。
①「縄文の要素」~縄文時代に渡来したと思われる熱帯ジャポニカと焼畑の稲作
②「弥生の要素」~弥生時代ころに渡来した温帯ジャポニカと水田稲作
この二者は、ヒトの集団について言うならば、日本人の「二重構造」にいわれる「渡来人」と「在来の縄文人」に対応する(人類学者の埴原和郎氏の説)

縄文の要素は、2000数百年まえにやってきた後発の弥生の要素にとって代わられ、姿を消したと考えられてきた。だが、弥生時代以降も、縄文の要素はその後もしぶとく生き残っていたようだ。
米が主食となり、平地が見渡す限りの水田となり、現代日本人の精神構造が表に出てくるのは、近世以降かもしれないとする。
(網野善彦説のように、「米」は、中世までは人びとの暮らしの中で、今の私たちが考えるほどには大きな位置を占めていなかった)

近代にはいり、国が考えたイネと稲作は、弥生の要素を前面に押し出したものであった。弥生の要素が、富国強兵、集約を旨とするものだからである。それは日本の国力を上げ、生活を豊かにさせた。
(イネについても、収量はこの150年間に3倍弱にまで増加した)
だが、この急速な右上がりは、もう一面で、負の要素をもたらした。現在のイネと稲作に対して、行き詰まり感があり、崩壊の危機に瀕しているのは、二つの要素のうち、弥生の要素のほうであるという。

熱帯ジャポニカ(縄文の要素のイネ)と温帯ジャポニカ(弥生の要素のイネ)の交配によって、それまでにはなかった早生の系統ができ、そのことが日本列島に稲作を急速に広める原動力になったと佐藤氏は考えている。
このようにイネも、文化と同じく、雑種化(ハイブリダイゼーション)は沈滞を打ち破る原動力になり得る。
(ここでもう一度縄文の要素を掘り起こし、それを積極的に取り入れてゆくことが肝要であるとする。それは21世紀のルネサンスになりうると考えている)

2「稲の日本史」という名の本が、もう一つある。
 故柳田國男(やなぎたくにお)らが1950年代から60年代にかけて開いた「稲作史研究会」のまとめとしてシリーズで出されたものである。当時一流の研究者たちの研究の集大成の向こうをはって同名の書を出すことにためらいがあったようだ。だが、かつての「稲の日本史」はおおきな誤りを含んでいることも事実であり、この佐藤洋一郎氏の本があえて「稲の日本史」とした理由の一つはここにあるそうだ。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、8頁~11頁)

「稲の日本史」の年表


「第三章 水稲と水田稲作はどう広まったか」において、「イネと稲作の年表」(177頁~179頁)と題して、「稲の日本史」の年表を掲げている。

その歴史を5つの時代に区分する。
①第1時代 イネのない時代、原始農業の時代(6000年より前)
・この時代には、生活の糧の主な部分は、狩猟と採集によっていたが、部分的には原始的な農業も行われていた。
・青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡はこの文化期の典型的な遺跡のひとつといってよい。
⇒栽培されていた植物には、ヒエ、クリ、ヒョウタン、アカザ、ゴボウなどが挙げられる。
※時代は、日本列島中を同じスピードで進んだわけではない
 三内丸山遺跡に巨大集落が誕生したそのころ、西日本各地ではイネの栽培がほそぼそと始まっていた

②第2時代 縄文の要素が拡大した時代(6000年前~2700年前ないし2500年前)
・この時代が始まるのは、西日本では6000年ほど前(縄文時代の前期から中期ごろ)、東日本では、ずっと遅れて3000年ほど前(縄文時代の後期ころ)と、大きな開きが見られる。
・この時代、イネと稲作は、列島の南西部では相当の広がりを見せ、食料生産の柱のひとつになっていた可能性が高い。
(もっとも、「米が主食」というような状態ではなかった)
・この時代が終わるのは、北海道、南九州と南西諸島を除く列島全体を通して、2500年ないし2700年ほど前(縄文時代の晩期ころ)のことである。

③第3時代 弥生の要素が拡大した時代、縄文の要素と並存(2400年前~1700年前~800年前)
・この第3の時代は、大陸から水田稲作の技術が持ち込まれた時期(縄文時代晩期ころ)に始まった。
・この時代は、列島のほぼ全体で中世の終わりころまで続く。
・この時代は、縄文の要素と弥生の要素がせめぎあった時代である。
・弥生の要素は、約1500年かかって北海道の大半を除く日本列島のほぼ全体にゆきわたる。

④第4時代 弥生の要素が定着(800年前~150年前)
・水田稲作が定着した時代
・近世から近代初期がこの時代に含まれる。

⑤第5時代 急成長の時代(150年前から現代)
・近代から現代に至る時代
・稲作もまた西洋の近代化の洗礼をまともに受けた。
・この時代は、弥生の要素と西洋文明のハイブリッドの時代でもあった。

⑥第6時代(?) 21世紀初頭
 (21世紀初頭は、第6時代の幕開けの時期なのかもしれないとする)

佐藤氏の年表は、旧来の年表と比べて、次の2点が違っていると主張している。
〇縄文時代と弥生時代をわける仕切りがほとんどなくなった点
・従来の歴史観によれば、縄文時代は基本的には狩りと採集時代であり、稲作はおろか農耕の要素はほとんどなかったと考えられてきた。
最近では、縄文時代における農耕の要素、いわゆる縄文農耕の存在を認めた考古学者も増えてきている。それでも弥生時代との間におおきな断点をおいて考えるのが一般的である。
しかし、佐藤氏は、イネと稲作の断絶は今まで考えられてきたより、ずっと小さいと強調している。

〇弥生時代以降の水稲と水田稲作のひろまりの捉え方
・従来の主張とは異なり、縄文の要素である熱帯ジャポニカと休耕田だらけの姿は中世末までの列島各地で支配的であったとみられる。
・今私たちが目の当たりにするイネや水田の景観は、近世以降になってやっと登場したものである。
・弥生時代に始まった「水田稲作」の景観はおそらく私たちの常識からはおよそ「水田」とは認めがたいほどに、雑で、反面おおらかなものであったと、佐藤氏は理解している。

ところで、第5の時代(近代)にはいってから、反収は急速に上がりつづけた。その値は、第3時代から第4時代までの2000年間の水準(160~190キロ)から、わずか100年余りの後に3倍弱の518キロに達した。この上がり方はまさに奇跡である。

その理由は何か?
①まず、化学肥料などの開発があげられるという。
 常畑化は地力を低下させるが、それを防いだのが魚カス、堆肥などの有機肥料の発明であった。さらに化学肥料が普及してからは、窒素成分はいくらでも投入できるようになった。「地力の低下」は致命的な要素ではなくなった。

②次に、窒素が充分に供給できるようになると、今度は品種の改良が反収を引き上げた。
・窒素肥料が多いと、草丈が高いイネは倒れて収量が下がる。そこで草丈の低い穂数型品種が育成された。
・また、病気や害虫に強い品種も育成された。
(こうした品種改良を支えたのは、メンデルの法則に基づく遺伝学の知識であるそうだ。品種改良の成立は「近代化」の産物だった)

③栽培技術の改良
・一部の熱心な農家や試験場の先進的な経験は、改良普及所などを通じて全農家に伝えられた。技術の底上げが図られ、平均収量は上がっていった。

④害虫や病気、雑草を駆除する農薬の普及

反収を押し上げた要因をこのように挙げて、佐藤氏は次のように記している。
・化学肥料を多用すると、病害虫や雑草が増え、潤沢な窒素分は、イネだけではなく、雑草の成長も促進する。
・また肥料を吸って体が柔らかくなったイネは病気や害虫に弱くなる。
・第5時代にあっては、農薬使用は反収をあげるために必須のことであった。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、177頁~179頁、182頁~183頁)

イネの収量


「第三章 水稲と水田稲作はどう広まったか」の中で「収穫高は増え続けたのか」(153頁~156頁)と題して、この2000年間におけるイネの1反(10アール)あたりの収穫高(反収[たんしゅう])について、佐藤氏は述べている。

≪イネの収量の経年変化≫
・弥生           190kg
・奈良~平安初期      100kg(安藤広太郎、1951年)
・鎌倉           162kg
・中世終わり(1598年)   177kg
・1880年代(近代育種始まる)180kg(明治20年)
・2000年代         518kg(2001年)

※弥生以前の参考数値として、焼畑地帯(ラオス)における収量(玄米)は、100kg~250kg未満を提示している

なお、2000年も前の田の収穫高を推定することは容易ではないと断りつつ、栽培実験の結果より、190キロという値を採用している。相当の誤差は覚悟しなければならないが、当時の収穫高は、113キロ(7.5斗。1斗を15キロと換算)よ多く、260キロよりは少なかったとする。

米の反収の推移をみると、2000年ほどの間にほとんど増えていないことがわかると佐藤氏は述べている。
明治20年の平均収量が約180キロというのだから驚くほかないと強調している(この値はかなり信頼のおける値であるそうだ)。2000年前から明治20年までの間の収量を正確に推定する方法はまだみつからないとしながらも、全体には160キロ~190キロほどの値で推移したとみている。
つまり、反収に関していえば、右上がりの成長を遂げたのは、明治後半以後の数十~100年の間だけであって、それ以前はずっと伸び悩みを続けてきたことはほぼ確かであると佐藤氏は記している。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、153頁~156頁、173頁)

ところで、日本人の米離れは確実に進んだ。
成人男子1人の年間の米消費量を元に決めたとされる単位である石(こく)は、約150キロである。1食あたりに直すと、130グラムである。(1合[150グラム]に少し欠ける量である)。
それが2000年の調査では約72キロに減少した。
単純に計算すると、米の消費はこの1世紀で半減した勘定である。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、93頁、186頁)

反収あたりの最高記録


佐藤洋一郎氏は、その著作の中で、戦後日本における反収あたりの最高記録を記している。
1960年代に、「米つくり運動」という一種のコンテストが農家の間で広まり、1反からどれほどの米がとれるかを競ったそうだ。
そのコンテストで記録された最高記録は、反あたり1060キロであった。現在の平均(518キロ)の2倍に達する。
(おそらく今の農家が挑戦しても、これだけの値はもう出せないであろうという)

ちなみに、反収当たりの収量として、おおよそ次のような計算をしている。
10アールの田に植えられるイネは、植え方にもよるがざっと2万株。1株のイネはだいたい1000粒ほどの種子をつけるから、10アールの田にある米粒は、ざっと計算しただけでも、2000万粒に及ぶと佐藤氏は計算している。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、151頁、188頁)

水田の維持と除草


「第三章 水稲と水田稲作はどう広まったか」の中で「水田の維持は大事業」(165頁~167頁)と題して、耕作という行為は大変な作業であることを述べている。

今の稲作の方法を簡単に紹介すると、次のようになる。
①種籾(種子)を消毒した上、水や温度をコントロールした苗代に播きつける
②苗が育つまでの間、代掻(しろか)きという作業をする
 (田に水を入れて土をよく砕き、肥料をやった上で土地を平らにならす)
 除草剤は代掻きが済んだところで撒いておく
③田植え~苗代で育てた苗を、代掻きをした田に植える
④田の管理(特に水の管理、除草、肥料など)
・あとはイネの成長に応じて草を取ったり、病気や害虫の発生に応じて薬をまいたりする
・穂が出る前後には必要に応じて、再び肥料をやることもある
・水の管理は重要である
 (毎日朝晩に田を訪れて、水をコントロールする作業は穂が出てしばらくするまで、ただの1日も欠かせない)

こうした一連の作業に、太古の人びとはどう対処したのだろうかと佐藤氏は思いを馳せている。
例えば、肥料まき。化学肥料はおろか堆肥(たいひ)や厩肥(きゅうひ)も知られていなかった時代である。耕作を続けることで地力は確実に落ちたはずだが、「地力の低下→収量の減退」という必然的な流れに、太古の人びとも対処しなければならなかったはずである。

次に除草。雑草は、作物と同じく、ヒトが作った攪乱環境を好む草の仲間である。しかも温室育ちの作物とは違って、常に排除の対象とされてきた歴史をもつだけに強い生命力をもっている。
たとえば、雑草は競争相手となる作物に比べて、発芽直後の成長が早い。種子をつける時期も作物より少しだけ早い。
作物の収穫時期には成熟した種子を地面に撒き散らして、来年以後に備えているそうだ。
雑草の生命力を進化させたのは、皮肉にも作物に対するヒトの過保護であったと佐藤氏は説明している。
雑草は、取れども取れども耕地の中で増え続ける。そして、雑草の害に追い討ちをかけるのが、病気や害虫による被害である。しかも太古の時代には大発生すると手の打ちようがなく、人びとはただ手をこまねいているしかなかったであろう。

水田という、イネだけが生存する生態系を長期にわたって持続させ収穫をあげるには、莫大な量のエネルギーを必要とする。今のように、化学肥料、農薬、ガソリンエンジンなどをもたない丸腰の時代の人びとにとって、水田はその維持が極めて困難なシステムであった。
近世以降になっても、農民は這いつくばるように草を取り、病気や害虫の駆除法を発明し、せっせと肥料を田に運んだのも、そうしなければ、収穫の増加はおろか、水田そのものの維持が危うかった。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、165頁~166頁)

水田での稲作の作業の中で、一番骨がおれる作業は、草取りである。
草取りは、今でこそ除草剤のお陰で重労働でなくなったが、除草剤が開発されるまでは、もっとも過酷な農作業のひとつだった、と佐藤氏は強調している。
①暑いし湿度は高い
②元気に伸びたイネの葉は多量の珪酸(けいさん)を含み、その縁はガラスのように鋭い。それをかき分けての草取りで、腕や首筋には無数切り傷ができる。とがった葉先が目をつくこともしばしばである。
③さらに、イネを踏みつぶさないように、水の張った地面を這いずり回るようにして、草を取る姿勢は、腰や背中に負担をかける。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、92頁)

水田耕作のこころ――1本のヒエも許さないことの意味


かつて田は、葉の色や背丈が隅から隅まで揃い、遠目には絨緞のようにみえた。
田には1本の草もなかった。1本でもヒエを生やした田の持ち主は堕農とまでいわれ、蔑まれたそうだ。
1本のヒエも許さないこと、田を緑の絨緞のように管理しておくこと、それは文字通り、弥生の要素がもつ論理であったと、佐藤氏は捉えている。

1本のヒエが生産に大きな影響を及ぼすわけではないが、1本のヒエを許さないこと自体に意味があったようだ。
それは、農民の心が映す鏡であり、農民の心を試す「踏み絵」のようなものであった。
元はといえば、支配者たちが人びとを「農民」として土地に縛りつけておくために尽くした、てだての精神的産物であったとする。一方、土地に縛りつけられた農民にとって、生態系とのせめぎ合いに勝つしか、そこで生きてゆく道はない。彼らが這いつくばるようにして草をとったのは、それ以外、遷移(せんい)という大自然の力に勝つ術(すべ)がなかったからである。

まじめに耕し心を込めてイネを作ってきた農民は、弥生の要素の中で育ち、土地への執着、勤勉、右上がり志向をたたき込まれてきた。
先祖代々の血と涙と汗が凝集された田が、自分の代で野にかえてしまったとあっては、ご先祖にあわせる顔がないと思い、農民の心は、土地と一体化していた。
(1969年、休耕が政策決定されたとき、農民たちは「米を作るなという政策は日本史上初めての愚策」とその怒りを露わにしたようだ)

ところで、佐藤氏は、若い頃大学の助手時代の、次のような体験を述べている。
研究用に農場で借りた田の雑草について、農場の技官から、しょっちゅうお小言を頂戴したという。
「先生、ヒエはこまめに抜いて下さい。もし種がこぼれたら、来年はひどいことになりますきに」と。
その言葉にはヒエを生やすことは許さない、という強い意思が込められていたそうだ。
今年はたった1本にすぎないヒエも、田んぼで花を咲かせ種子を残すと、翌年には何百という個体になる。
それらの仮に1割が発芽するだけで、翌年田には100本近いヒエが現れることになる。しかも種子は休眠し、その後10年以上にわたって土中に残り、次々と発芽してくるという。
雑草というよりは、「害草」とでもいいたくなるほど、水田のヒエは嫌われものである。
先祖たちが汗水たらして土を作り、這い回るようにして雑草を抜き続けた田を何年もの間放置して草だらけにするなど、考えられもしないことであった。
佐藤氏も、少しはそのこころが理解できたと述懐している。
水田に入り込んでくるヒエなどの雑草は、コメを作る側からすれば、ひとえに邪魔な存在である。
(生態系にとっては、その侵入は、コマを一つ前に進めようとする遷移の所作であるにすぎない。そして雑草をとるというヒトの行為は、遷移にそむいて攪乱(かくらん)を加えようとするこざかしい行為のひとつに他ならないのだが。)
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、8頁、183頁~185頁)

モチ米とウルチ米 2種類のデンプン


米は、胚乳のデンプンの性質によって、いくつかの種類に分かれている。デンプンは、糖が鎖のようにつながった構造をしている。
〇米のデンプンには、アミロースとアミロペクチンという2種類があり、次のような違いがある。
①アミロース  ~糖が1本の鎖のようにつながった構造
②アミロペクチン~糖が穂のような枝分かれ状の構造

〇デンプンのこの構造上の違いは、そのまま物理的性質の違いになっている。
①アミロース  ~分子同士が絡まりあうことが少なく、さらりとした感じになる
②アミロペクチン~枝と枝とが絡まりあって、ねばねばした感じになる

〇また構造の違いは、消化の良し悪しにもつながる
①アミロース  ~1本の鎖のような構造なので、糖に分解されやすい
⇒アミロースの多い米は消化しやすい米
②アミロペクチン~鎖が複雑に枝分かれした構造なので、糖に分解しにくい
         ⇒アミロペクチンの多い米は消化しにくい米

〇モチ米とウルチ米の性質の違いは、このアミロースとアミロペクチンの比率によって決まっている
①モチ米  ~アミロースなし、つまりアミロペクチン100%の米
⇒強いねばねば感がある。モチ米の腹もちがよいといわれるのも、デンプンの性質による。
※なお、デンプンの比率の違いは、モチとウルチの米粒の光学的特性にも影響を及ぼしている。
〇アミロースを含まないモチ米~白色光を透過せず、黒っぽくみえる
〇アミロースを含むウルチ米~白色光の透過率が高く、透けてみえる

②ウルチ米~そのデンプンは、アミロペクチンとアミロースが混ざってできている
⇒モチ米のようなねばりはない
ただし、同じウルチ米でも、アミロースの比率は品種によって異なる(数%~30%)
〇アミロース含量の高い品種ほど、米はぱさついた感じになる
〇一般的にいえば、日本で栽培されるジャポニカの米は、アミロース含量が15%程度である
〇タイなどの東南アジア平野部、欧州や米国のイネの多くは、20%~25%ものアミロースをもつ
※なお、俗説では、インディカがぱさぱさ、ジャポニカがねばねばというが、それは根拠の乏しい話であると佐藤氏は注意を促している。つまり、インディカの中にもモチはあるし、熱帯ジャポニカにも、ぱさぱさ感の強い品種がある。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、68頁~69頁)

調理の方式


胚乳のデンプン組成の違いは、料理の方法にも影響を及ぼしている。
①モチ米  ~水を吸いにくいし、水洗いしただけで炊くと、こげついてしまう。そこで長い時間(たとえば一晩)、水につけておき、それから蒸す。
②ウルチ米 ~モチ米よりは短時間に多く水を吸収するので、長く水につけておく必要はない。とくにアミロースの多い米は日本の米などより多くの水を吸う。

(cf.)1993年に多量のタイ米が入ってきた時、日本の炊飯器で炊いたそれをおいしくないと感じた人が多かった。その理由は独特の香りのほか、水が少なくて硬い感じに炊けてしまったことがあるようだ。

なお、米は粒のまま食べる代表的な粒食の食品だが、中にはこれを粉にして食べる文化もある。
〇南中国からインドシナにかけて、米の粒で作ったビーフンのような麺が豊富にある
〇米の粉を水に溶き、薄く延ばして作るライスペーパーも春巻の素材として欠かせない
〇日本でも米の粉は団子にもする

米と酒との関係でいえば、ウルチ米とモチ米が違った種類の酒になる。
①ウルチ米~日本の清酒や米焼酎(こめじょうちゅう)の原料として使われる
②モチ米 ~味醂(みりん)や白酒(しろざけ)の原料になる
 そのほか、沖縄の泡盛や、これと似たインドシナ山岳部のどぶろくや、さらには蒸留酒の原料にもなる。
※中国の紹興市一帯(浙江省)で作られる紹興酒も、今はウルチで造られることが多いが、もともとはモチ米で造られていた。
(佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年、69頁~70頁)

【まとめ】


〇イネと稲作、それにこれらにまつわる文化は幾重かの構造をなすが、その構造をなす主な二つの要素がある。
①「縄文の要素」~縄文時代に渡来したと思われる熱帯ジャポニカと焼畑の稲作
②「弥生の要素」~弥生時代ころに渡来した温帯ジャポニカと水田稲作
この二者は、ヒトの集団について言うならば、日本人の「二重構造」にいわれる「渡来人」と「在来の縄文人」に対応する(人類学者の埴原和郎氏の説)

●縄文の要素は、2000数百年まえにやってきた後発の弥生の要素にとって代わられ、姿を消したと考えられてきた。だが、弥生時代以降も、縄文の要素はその後もしぶとく生き残っていたようだ。
米が主食となり、平地が見渡す限りの水田となり、現代日本人の精神構造が表に出てくるのは、近世以降かもしれないとする。

●近代にはいり、国が考えたイネと稲作は、弥生の要素を前面に押し出したものであった。弥生の要素が、富国強兵、集約を旨とするものだからである。それは日本の国力を上げ、生活を豊かにさせた。

●熱帯ジャポニカ(縄文の要素のイネ)と温帯ジャポニカ(弥生の要素のイネ)の交配によって、それまでにはなかった早生の系統ができ、そのことが日本列島に稲作を急速に広める原動力になった

〇米の反収の推移をみると、2000年ほどの間にほとんど増えていない。明治20年の平均収量が約180キロといわれ、全体には160キロ~190キロほどの値で推移したようだ。
つまり、反収に関していえば、右上がりの成長を遂げたのは、明治後半以後の数十~100年の間だけであって、それ以前はずっと伸び悩みを続けてきた

〇10アールの田に植えられるイネは、植え方にもよるがざっと2万株。1株のイネはだいたい1000粒ほどの種子をつけるから、10アールの田にある米粒は、ざっと計算しただけでも、2000万粒に及ぶと佐藤氏は計算している。

〇水田の維持は大事業である。稲作は、種籾(種子)を苗代に播きつけ、代掻(しろか)きをし、田植えをし、田の管理(特に水の管理、除草、肥料など)をする。

〇水田での稲作の作業の中で、一番骨がおれる作業は、草取りである。草取りは、今でこそ除草剤のお陰で重労働でなくなったが、除草剤が開発されるまでは、もっとも過酷な農作業のひとつだった。

〇米は、胚乳のデンプンの性質によって、いくつかの種類に分かれている。デンプンは、糖が鎖のようにつながった構造をしているが、米のデンプンには、アミロースとアミロペクチンという2種類がある。アミロースの多い米は消化しやすい米のだが、アミロペクチンの多い米は消化しにくい米である。

〇モチ米とウルチ米の性質の違いは、このアミロースとアミロペクチンの比率によって決まっている。モチ米はアミロースなく、つまりアミロペクチン100%の米である。一方、ウルチ米のデンプンは、アミロペクチンとアミロースが混ざってできている。アミロース含量の高い品種ほど、米はぱさついた感じになる。一般的にいえば、日本で栽培されるジャポニカの米は、アミロース含量が15%程度である。

〇胚乳のデンプン組成の違いは、料理の方法にも影響を及ぼしている。モチ米は、水を吸いにくいし、水洗いしただけで炊くと、こげついてしまう。そこで長い時間、水につけておき、それから蒸す。それに対して、ウルチ米は、モチ米よりは短時間に多く水を吸収するので、長く水につけておく必要はない。

【私の一言】
1本のヒエをも許さないという昔の農民のこころは、弥生の要素がもつ論理であったと理解している点で、興味深い主張である。
実際の農作業という点でも、ヒエをこまめに抜いた方がよいことが私もわかった。
今年はたった1本にすぎないにしても、田んぼで花を咲かせ種子を残すと、翌年には100本近いヒエが現れることになるらしい。しかも種子は休眠し、その後10年以上にわたって土中に残り、次々と発芽してくるとなれば、少々面倒でも、ヒエをこまめに抜くことにしたいと改めて肝に銘じた。

≪私の田に生えたヒエの写真~2020年8月3日≫
稲の出穂がこの後8月11日から始まる。ヒエの穂の生長が稲より早く、もう穂が出ている。ヒエは耕作者には悩ましい雑草である。



【佐藤洋一郎『稲の日本史』はこちらから】

稲の日本史 (角川ソフィア文庫)


≪参考文献≫
松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年
佐藤洋一郎『稲の日本史』角川選書、2002年


《2020年度 わが家の稲作日誌 その2》

2020-12-29 18:30:51 | 稲作
《2020年度 わが家の稲作日誌 その2》
(2020年12月29日投稿)


【はじめに】


今回のブログでは、松下明弘氏の著作『ロジカルな田んぼ』(日本経済新聞出版社、2013年)を読んで、稲作の基本的な作業と「おいしい米づくり」について考えてみたい。
 たとえば、日本の稲作において、なぜ「代かき」や「田植え」という作業が必要なのか。そもそも、これらの作業はどういう意味合いがあるのか。それらと除草とどのように関係しているのか。「稲刈り」という行程は、稲作全体の作業の中でいかに重要な意味合いを持つのか。こうした稲作について基本的な考え方が、松下氏の著作を読むと、分かってくる。 
 そして、「おいしいお米」とはどのようなお米であり、それが稲作の行程とどう関わりあっているのかが見えてくる。「おいしいお米」のための理想の反別収量は、どのくらいが適当なのかについても明記している。
この本を読んで、私の所で栽培している「きぬむすめ」という品種の系統についても理解が深まった。



さて、今回のブログの執筆項目は次のようになる。


・松下明弘氏の『ロジカルな田んぼ』という著作
・松下明弘氏のプロフィールと『ロジカルな田んぼ』
・静岡県の専業農家松下明弘氏の年間スケジュール
・代かきの重要性
・なぜ田植えが必要なのか
・松下氏による雑草対策
・理想の反別収量
・コシヒカリについて
・おいしいお米とタンパク質の関係
・玄米食のススメ
・米ヌカの効用
・酒米の山田錦
・お米の多様性が消えた理由
・【参考】コシヒカリの系統と「きぬむすめ」
・コシヒカリの特徴
・【まとめ】






松下明弘氏の『ロジカルな田んぼ』という著作


松下明弘氏のプロフィールと『ロジカルな田んぼ』


全国の稲作農家のうち、専業でやっている人は2割もいない。いまや米作りは、兼業農家が週末にやる仕事になってしまった。
さて、松下明弘氏は、静岡県で有機・無農薬で米を作っている専業農家である。
松下氏は、1963年、静岡県藤枝市に生まれ、静岡県立藤枝北高校を卒業した。その後、段ボール製造工場勤務のあと、藤枝北高校農業科で実習助手をへて、1987年、青年海外協力隊としてエチオピアへ向かう。帰国後は、板金工場に就職し、1996年から専業農家になった。

松下氏は、1995年、全国ではじめて、酒米「山田錦」を有機・無農薬で育てることに成功した。いま日本で有機栽培されている米は、全生産量のわずか0.1%にすぎない。2000年に制度発足した有機JAS認定を受けている稲作農家は、静岡県で2~3人のみで、大きな面積を有機栽培だけをやっているのは、松下氏だけであるという。
加えて、2008年には、コシヒカリの突然変異体を発見し、育種した巨大胚芽米「カミアカリ」を農水省に品種登録した(個人農家が登録するのは静岡県初だそうだ)。
仕事の稲作のあいまに、趣味の稲作をやっているともいう。それは変わった品種をコレクションすることである。古代米から珍品種、突然変異まである。

松下氏が稲作をはじめたのは、29歳である。それから22年間、稲作について考え、いろいろな実験をくり返してきた成果が、『ロジカルな田んぼ』という著作であるという。執筆にあたり、次のような問題が念頭にあったようだ。
〇雑草はなぜ生えるのか?
〇なんのために耕すのか?
〇肥料を入れないとどうなるのか?
〇放っておいたら稲は育たないのか?
〇なぜ田植えが必要なのか?
〇土を育てるってどういうことか?
〇なぜ田んぼに水をはるのか?
〇おいしい米とおいしくない米の違いは何か?
〇どうして病害虫にやられるのか?
〇そもそも土って何なのか?

これらの問題について、「いまだにきれいな答えが出せない問題がある」と断っている。しかし著者が「ひたすら考えつづけ」ていることが、この著作を読むと実感できる。
農作業のひとつひとつは、すべて意味があるといわれる。その意味を知れば、工夫の余地が生まれ、新しい農業が可能になる。
この著作では、農業とはどんな仕事かを具体的に説明しており、一般向けに、農業技術のディテールに踏みこんで解説している。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、「まえがき」3頁~6頁)



松下明弘『ロジカルな田んぼ』(日本経済新聞出版社、2013年)の目次は次のようになっている。
【目次】
まえがき
第1章 豊かなアフリカ、貧しい日本
第2章 雑草の生えない田んぼ
第3章 有機って何だ?
第4章 田んぼの春夏秋冬
第5章 山田錦の魅力
第6章 神様がくれたカミアカリ
第7章 多様性をもとめて




【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】

ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ

静岡県の専業農家松下明弘氏の年間スケジュール


「第4章 田んぼの春夏秋冬」(101頁~150頁)では、1年を通しての年間の農作業を紹介している。農作業のひとつひとつに、すべて意味があるのだという点を知ってほしいという。作業の意味や目的を知れば、工夫の余地があり、改良できるし、省略してしまうこともできるとする。

1年でもっとも最初にやるのが、年間のスケジュール作りである。2月から3月にかけての仕事である。
まずは取引先と相談しながら、品種や数量を確定するという。
品種選びでは、平成24(2012)年の例をあげている。
〇早生(わせ)~「カミアカリ」「コシヒカリ」
〇中生(なかて)~「あさひの夢」
〇晩生(おくて)~「山田錦」「にこまる」
〇それ以外として~もち米「滋賀羽二重(はぶたえ)」、試験栽培「つや姫」「北陸100号」

お気に入りの品種があったとしても、同時期に収穫できる面積には限界があるので、そればかりを作ることはできないそうだ。
稲は、110~130日ほど田んぼで暮らす。田植えは多少ズレても問題ないが、稲刈りだけは融通がきかない。
稲刈りのベストタイミングは、静岡県の場合、5日程度しかないという。その時期を逃すと、味がガクンと落ちるそうだ。
例えば、稲刈りが半分が終わったところで長雨が降りだし、1週間後から再開したとすると、先に収穫した米の食味と、あとから収穫した米の食味は、まったく違う。

松下氏の場合、9町歩(9ヘクタール、サッカーコート13面分)の面積で稲作をしている。その面積に、1品種だけ植えたとしたら、絶対に3日間では刈りとれない。
だから、収穫時期がかさならないように、早生、中生、晩生と複数の品種に分散しているとする。
3日で刈れる面積にしか1品種を植えない。ある品種の稲刈りと次の品種の稲刈りを、5日から1週間はズラしておき、少し雨がつづいても、対応できるようにしておくという。出発点に稲刈りがあり、そこから逆算しているそうだ。

平成24(2012)年の稲刈りの目安を、次のように記している。
カミアカリ9月8日、コシヒカリ9月13日、あさひの夢10月1日、山田錦10月9日と10月10日の2日間、にこまる10月15日
(但し、滋賀羽二重は9月25日)
このように、だいたい5日から1週間あけている。
カミアカリは玄米食専用、山田錦は酒造用、滋賀羽二重は自家用と、独自の用途があるらしい。
残りの食用米3品種については、コシヒカリ(粘り気があるタイプの米)が早生、あさひの夢(シャキシャキした食感の米)が中生、にこまる(あさひの夢にちかい食感だが、高温障害に強い品種)が晩生と、きれいに分かれている。

品種が決まれば、どの田んぼに植えるかを考えるそうだが、田んぼにも個性があって、早生しか作れなかったり、晩生しか作れなかったりすることがあるという。

松下氏は、青年海外協力隊としてアフリカへ行き、そこで作物の生命力に驚かされた経験から、帰国後も、稲作は放任主義が基本である。
自分の力で生きる稲にするために、重要なポイントをふたつ記している。
①稲が健康に育つ田んぼを用意してあげること
②建康な苗を用意すること

この2条件さえ最初に満たしておけば、きびしい環境でも元気に育つのだそうだ。
①の田んぼの準備でもっとも大切なのは、地面が水平であることである。
水平は、稲作にとって基本であり、奥義であると説く。
つまり、田んぼが斜めになっていて、高いところの土が水から顔を出すと、空気にふれて畑雑草が繁殖する上、肥料もかたよってきくから、品質のバラツキにつながるという。

だから、土がかたよっている場所は、高低差をなくす。田んぼの端っこは土が盛り上がりがちだし、道路から機械(コンバインやトラクター)を入れる場所は土が沈みがちである。
雨が降った翌日に見ると、水のたまり具合で傾斜がわかる。その時、水深を調べて、見取り図を描き、バケットをトラクターにとりつけて、土を移動させるそうだ。7割がた土を動かし、最終的な調整は代かきでやるとのこと。
(代かきでは、水を入れた状態で土をかき回すと、細かい泥に変わり、水もちがよくなるし、粘着力も出るので苗を植えやすくなる)

また、いくら水平をとっても、水まわりに問題があったら、水がたまらない。だから用水路のコンクリートや、水の取り入れ口のパイプが割れていたら、3月には修理しておく。そして冬のあいだにモグラが畦(あぜ)に穴をあけるので、畦もぬりなおす。
水もれのない田んぼを作るのが基本中の基本であることを強調している。

平成24年の田植えの時期は、次のように予定していた。
カミアカリ5月20~22日、コシヒカリ5月25日、あさひの夢5月末~6月2日、滋賀羽二重6月3日、にこまる6月5~10日、山田錦6月10~17日ぐらい

このように、松下氏の田植えは、いちばん早いカミアカリで5月20~22日、いちばん遅い山田錦で6月10~17日ぐらいで、品種ごとに時期をズラして植えてゆく。
(田んぼの隅っこは、田植え機が入らないので、そこだけ手で植えているそうだ。それで収量が劇的に増えてわけではないものの、どうしても植えずにはいられないという)

松下氏の田植えの特徴をひとことでいうと、スカスカと表現している。
近辺の農家は、1坪あたり70株を植えるのがふつうであるが、松下氏は1坪50株植えとする(実際には欠株が出るので、実質45株植えぐらいになるという)。
しかも、1株あたりの本数も少ない。ふつうは6~7株の苗を1株として、1カ所に植えつける。松下氏は、苗2~3本で1株にしている。
(株数が少ないだけでなく、1株あたりの本数も少ない。だから、1株に植える苗の合計本数は、慣行田の4分の1とか5分の1しかないようだ。株と株のあいだは、22.5センチ、隣の列とは30センチ離すと記す)

このようにスカスカに植えるのは、1株あたりの生活圏をひろげたいからだと主張している。
自分のまわりに空間があれば、稲は太陽光をもとめて葉っぱをひろげ、横に大きくなる。根も茎もガッチリして、台風がきても倒れない稲になるそうだ。一方、慣行田では、ギッシリ植えるので、稲の周囲に空間がないので、光合成したければ、上に伸びるしかなく、ヒョロヒョロの倒れやすい稲になると説いている。

稲というのは、薄く植えても、厚く植えても、収量はそれほど変わらないそうだ。空間があれば、茎の数を増やしたり、1本の穂につく米粒の数を増やしたりして、すき間をうめていくものらしい。
稲が茎を増やしていくことを「分げつ」という。
田植えしたときは1株に2~3本植わっていたのが、夏のあいだに本数がどんどん増える。
松下氏にとってのベストは、1株17~18本とする。
(あまりに茎が増えすぎた場合は、田んぼの水を抜き、分げつを止めることもある。「中干し」という作業をするという)

さて、8月に入ると、ついに稲穂が出てくる。ここから40~45日かけて、デンプンを米粒に送りこんでいく。「出穂(しゅっすい)」の時期である。
松下氏の田んぼでは、次のようである。
カミアカリ8月3日ぐらい、コシヒカリ8月5日ぐらい、滋賀羽二重8月22日ぐらい、あさひの夢8月25日ぐらい、山田錦9月1日ぐらい、にこまる9月2日ぐらい
※稲穂がみのると、スズメが集まってくる
(まだやわらかい米粒をプチュッとつぶすと、甘いデンプンが出てくる。それが大好物なのである)

(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、102頁~111頁、133頁~136頁、143頁)

代かきの重要性


松下明弘氏は、代かきの重要性を強調している。
松下氏の田んぼは、いわゆる「ザル田」だから、代かきをやらないと、水が落ちてしまい、保水が不可能だそうだ。
代かきをやれば、土が細かく粉砕され、土が沈む過程でギュッと締まる。この作業をやってはじめて、田んぼに水がたまるようになる。

代かきの3~4日前に田んぼに水を入れ、まずは全体にいきわたらす。
水が2~3センチ残っていて、土が見えるか見えないかぐらいの状態がベストである。だから、水深を調整する。
(松下氏の田んぼは一晩で、4~5センチは水が落ちるらしい。前日の時点で、7センチぐらい水がたまっていれば、明朝には2~3センチになると読む)
そして、翌日、トラクターを入れて超浅水代かきをする。

代かきの最大のポイントは、水平をとることであると強調している。
1反(0.1ヘクタール)の田んぼであれば33メートル四方、3反の田んぼであれば、30メートル×100メートルぐらいの大きさである。そこに水をはったとき、両端の水深が誤差1センチ、最悪でも2センチにおさまるように仕上げることが重要だという。

松下氏は、代かきに、ほかの人の倍は時間をかけるそうだ。
中毒患者のように代かきをやって、ピシッと水平がとれたときは「1年の仕事の半分が終わった」と感じると打ち明けている。
ここで時間をかけるから、除草時間がゼロですむようだ。
(意外なほど、農家の人でも、水平の大切さを知らない人が多いらしい。あまりにも無頓着に、水と土を混ぜているだけの場合が多い。水平さえとっておけば、肥料がよくきくし、雑草も劇的に減ると主張している)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、54頁、111頁~113頁)

【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】
ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ

なぜ田植えが必要なのか


慣行農業では、2.5葉ぐらいの「稚苗(ちびょう)」で田植えするのが一般的である。
苗が小さいほうが作業性がいいので、機械化農業とともに稚苗植えが常識になったようだ。

一方、松下氏は4.5葉から5葉ぐらいの「成苗(せいびょう)」で田植えするそうだ。
その理由は3つあるとする。
①肥料がきくまでのタイムラグ
 化学肥料のように即効性が高ければ、稚苗でも楽に生きていけるが、松下氏は有機肥料で育てているので、そこまでの即効性がないらしい。成苗のほうが栄養分をいっぱいたくわえているので、根を伸ばしやすい。
②害虫の問題
 暖かい土地には、イネミズゾウムシが多く、苗の葉っぱを食べてしまう。2.5葉のうちの1枚を食べられたら大ダメージだが、5葉のうちの1枚なら支障はない。
③ジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)の食害
 稚苗の細い茎だと、ポキンと折られてしまうが、成苗まで育てておけば、葉っぱ1枚の被害でくい止められる。
 ※ジャンボタニシは、食用にするために南米からもちこまれた。養殖場から逃げだして、越冬する能力を見につけた。雪の降る土地や、化学肥料・農薬の田んぼにはあまりいないが、静岡県では十数年前から大繁殖しているそうだ。

田植えは、①稲が建康に育つ田んぼ、②丈夫な苗、この両方の条件がそろう必要がある。
稲作は兼業農家が大半なので、会社が休みになるゴールデンウイークに田植えをすることが多い。
松下氏は専業だから、それぞれの品種でベストのタイミング(5月下旬から6月上旬)を選んで、田植えをするそうだ。

なぜ田植えが必要かについて、次のように解説している。
そもそも田んぼに種を「花咲かじいさん」のようにまいても、稲は勝手に育つ。
実際、アメリカやオーストラリア、ヨーロッパ(イタリア、スペイン、ギリシャ、ポルトガル)では、「直播(ちょくは)」という、種を直接まく方法で育てている。

一方、日本人は、わざわざ苗を移植している。
日本の田植えは、フライング・スタートであるという。
「直播」の欧米の稲作は、雨の少ない地域でおこなわれている。ところが、日本のような湿気の多い土地で「直播」は難しい。というのは、まったく同じ条件で、「用意、ドン!」となれば、稲より雑草のほうが先に育ってしまうからである。

しかし、雑草より先に根をはりめぐらせることができたら、稲は栄養を独占できる。
代かきをすませたばかりの田んぼは、見わたすかぎりの泥の海である。このスタートラインには草1本生えていない。ここに、2.5葉ないし4.5葉の苗を移植すれば、発芽からはじめないといけない雑草に対し、圧倒的優位に立てる。
これが田植えの意味であると松下氏は解説している。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、128頁~130頁)

松下氏による雑草対策


松下氏は、農薬や除草剤を使わない雑草対策を工夫している。
松下氏が農業を始めた当初は、田んぼにコナギがビッシリ生え、稲刈りの際にコンバインを入れたら、刃にからみついて前へすすめないほどであったそうだ。
「除草」しようと考えるから、手に負えないのであって、発想を変えて、最初から雑草が生えてこない環境を作ればいいと考え直し、「抑草(よくそう)」の方法をさがしたという。

そもそも、どうして田んぼに水をはるのかという点から考え直している。
稲の成長に必要だからだろうか。
いや、「陸稲(おかぼ)」という畑で育つ稲もあるから、稲に水を飲ませるだけなら、田んぼ全体に水をはる必要はない。
田んぼに水をはるのは、土と空気を遮断するためだとする。つまり、土が空気にふれると、「畑雑草」や「乾性雑草」とよばれる、乾燥を好む雑草が育ってしまう。
水をはれば、畑雑草は生えてこない。「水田雑草」や「湿性雑草」よばれる、湿気を好む雑草だけを警戒していればいい。
水をはることで、畑雑草を抑草することになる。
(これこそ、アジアの先人たちが水田を選んだ理由であると説明している)

では、水田雑草のほうは、どう抑草すればいいのか?
当時、「いかに農薬をつかわず除草するか」という本はたくさんあったが、「雑草が生えない環境を作る」という発想の本はなかったようだ。
だから、水田雑草の生態を解説した本を読み、「雑草の種子が発芽するには、光、温度、水分、酸素が必要である」と書いてあったことを、逆転の発想で、その発芽条件をうばってみることを思いついたという。

「コナギが減ればヒエが増える」と題して、ヒエとコナギという雑草の抑草について、示唆的なことを述べている。
あるおもしろい出来事があったようだ。
友人の田んぼがだいぶ斜めになったので、土を入れて、トラクターで何回も水と混ぜて土をやわらかくしたところ、去年までヒエだらけだったその田んぼに、今年はまったく生えてこなかったという。

除草剤は一切まいていないのに、ヒエがまったく生えなかったのはなぜか?
土を何回かかき回したことにより、雑草が発芽しようとしても、底に沈んでしまい、水を入れてかき混ぜたことにより、土から空気がどんどん抜けたらしい。
(「還元状態」とよばれる、酸素のない状態になる)
ヒエの場合、光はあまり必要でないが、酸素は不可欠だといわれる。逆に、還元状態では発芽できない。

雑草によって発芽にもとめる条件は違うが、ヒエ対策としては、1週間おきに3回ぐらい代かきをやって、酸素がつねに足りない環境にすることであるとする。

一方、コナギの発芽条件は、ヒエと正反対である。つまり酸素は不要なのに、光が必要である。
本には「コナギは代かきが大好きだ」と書いてあったそうだ。コナギの種は水を吸うとふくらんで、風船のようにフワフワと水中をただよい、代かき後に土が沈殿していったあと、最後に土の上に落ちてくる。こうして発芽に必要な光を確保しているようだ。

そこで風船が浮かべないように、水の量を減らして、超浅水で代かきをする。浮かべなければ、最上面を確保できないので、コナギは発芽できなくなるらしい。
代かきが大嫌いな雑草と、代かきが大好きな雑草が相手では、両立は難しい。コナギが激減したけど、ヒエが生える。あるいは、その逆。

この問題を解決したのは、「表層耕起」という耕し方であったそうだ。
田んぼを浅くしか耕さないと、田植え後にフワフワの土が2センチほど盛り上がってきて、雑草の種をおおい隠してしまう。こうなれば酸素も光もとどかなくなるという。
松下氏が専業になって3年目には、ほとんど雑草が生えなくなったと記している(代かきはその後も超浅水でやり、何回もやる必要はなくなったようだ)

表層耕起によりできたフワトロ層の土は、非常にきめ細かく、雑草の種より軽いため、種を上からおおってしまう。光と酸素の両方を遮断するので、コナギやヒエにかぎらず、どんな雑草も発芽できないそうだ。完璧な抑草が実現できたとする。

なお、稲の分げつ(茎が増えていくこと)がすすみすぎたときや、稲刈り前に地面を固めたいときなど、田んぼの水を抜くことがある。土が光や空気に接するのに、もう雑草は生えないそうだ(種は地面の下に埋もれてしまっているからであると松下氏は説明している)

土のなかの雑草の種は、眠った状態で、10~15年も生きつづけるものらしい。15センチも掘り下げれば、それだけの休眠種子を地表面に引き上げる。それに対して、5センチしか耕さなければ、寝た子を起こさないと、松下氏は表層耕起のメリットを説いている。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、48頁~58頁)


理想の反別収量


「第2章 雑草の生えない田んぼ」において、「「マジックナンバー」1反7俵」と題する節が興味をひいた。
全国どこでも、品質のいい米を作る農家は、収量をおさえているという。
数字もだいたい一緒で、雪の降らない土地で1反7俵、雪の降る土地で1反8俵だとする。雪の降る土地のほうが少し多いのは、寒いと代謝が落ちて、米粒もゆっくり充実するからである。松下氏の地元静岡では、稲穂が出て40日で稲刈りだが、東北では50~55日もかかる。時間をかけるぶん、デンプンが密につまった米になる。

松下氏がたずねた名人たちも口をそろえて、7俵(60キロ×7=420キロ)という数字をあげたそうだ。
7俵におさえておけば、虫に強いし病気も出ない。台風がきても倒れない。品質もいいから、高く売れる。リスクを回避したいなら、収量を落ちしたほうがいいようだ。「マジックナンバー」7俵は、バランスが絶妙な数字であることを強調している。

7俵は、420キロである。
松下氏の場合、1坪に50株植えるので、1反(300坪)だと1万5000株を植えることになる。1万5000株で420キロの収穫をめざすのだから、1株でとれる米の総重量が28グラムであればよい。

米粒の重さは、品種ごとに調べられている。1000粒の重さを基準にするので、「千粒重(せんりゅうじゅう)」とよばれる。
例えば、黄金晴の千粒重は21グラムぐらいである。目標とする28グラムは、1300粒強の重さである。つまり、1株に1300粒ついていればいいわけである。
ちなみに、コシヒカリの千粒重は21グラム程度で、酒米の山田錦のそれは、米粒が大きいので、26グラムもある。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、42頁~46頁、168頁)

コシヒカリについて


コシヒカリが昭和30~40年代に登場したとき、多くの人が「こんなおいしい米が存在したのか!」と腰を抜かしたようだ。
コシヒカリは、そもそも新潟県の中山間地(ちゅうさんかんち)で育てるために導入された品種であった。
中間山地は水が冷たく、土地は痩せていて、日照時間も少ない。
ただ、どんなにがんばっても少ししかとれない土地のほうが、米はうまくなるそうだ。肥料過多にならないため、タンパク質の含量が少ない。
いまでは平場でも栽培されているが、最初に出て来たコシヒカリは中山間地で作ったものである。
(松下氏によれば、静岡県藤枝市もこの条件を満たしているという。ただでさえ痩せた土地なのに、いわゆる「ザル田」だから、水と一緒に肥料が抜けてしまうらしい。古くは志太(しだ)郡とよばれた地域で、戦前から戦後にかけて「志太米」は有名であった。寿司米に最適だとして、東京の米屋が買いにきたそうだ)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、44頁)

おいしいお米とタンパク質の関係


化学肥料を大量投入して、1反12~13俵も収穫する農家が珍しくない。
しかし、量と品質は反比例の関係にある。
米はデンプンの塊である。ただ、肥料を入れすぎると、米粒にふくまれるタンパク質が過剰になり、味が落ちるとされる。

例えば、食味計では、脂肪酸や水分やデンプンなどの物質を計測するが、中でも、もっとも重視されるのが、タンパク質の含量である。
ふつうは、6%台後半だとされる。7%になると、パサパサしておいしくない。5%台だと、粘りがあって、誰もがおいしく感じられるという。

このタンパク質の量と関係してくる稲作作業として、稲刈りがある。
稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないことである。
つまり、刈り遅れると脂肪酸が増え、品質は劣化する。栄養分を送りこみすぎるとタンパク過剰米にもなるそうだ。収穫を先送りすればするほど、「過熟(かじゅく)」がすすむ。

このしくみについて、松下明弘氏は次のように解説している。
米粒というのは、稲の種であり、稲も生きものだから、子孫を残そうとする。種が完成した段階で、その種をばらまくことを考える。
タンポポのように軽い種は風に乗るが、稲は種が重いため、そうはいかない。そこで、自分の体をバタンと倒し、その勢いで脱粒(だつりゅう)して種を飛ばそうとする。現代品種は改良されて倒れなくなっているが、原始的な品種は倒伏の性質を残しているようだ。
遠くへ飛ばすには、種は少しでも軽いほうがいい。そこで種の水分を減らす。過熟がすすめば、乾燥もすすむ。そして、水分の少ない米は、加湿や乾燥といった刺激があると、半分に割れる。
(これを「胴割れ[どうわれ]」という。精米したときの歩留まりが悪くなる)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、43頁、145頁~146頁)

【ポイント】


〇肥料の量とお米の品質は反比例の関係(肥料を入れすぎるとタンパク質が過剰になり、味が落ちる)
〇稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないこと
〇刈り遅れ⇒「過熟」⇒タンパク過剰米・脂肪酸増加⇒品質の低下(おいしくないお米)
〇稲の保存のため⇒種の水分軽減⇒「過熟」の進行⇒乾燥の進行⇒「胴割れ米」

稲刈り後の収穫した米粒には、まだもみ殻がついている状態である。収穫後は、乾燥機に入れる。
収穫したばかりのときは、早生(わせ)だと27~28%、晩生(おくて)だと22~23%の水分を含んでいる。これを14~15%まで落とすとされる。

収穫してすぐ乾燥させるのは、ふたつの目的があるそうだ。
①長期貯蔵のため
②もみ殻をむきやすくなるため

①昔はもみ殻をつけたまま貯蔵したが、現代ではもみすりし、玄米にして冷蔵庫で貯蔵する。このとき、食味を落とさないレベルまで、水分を落としておくと、カビにやられない。
②水分を落とすと、もみ殻と玄米のあいだにすき間ができ、もみ殻をむきやすくなる。
(水分が多い状態でむくと、玄米まで傷つけてしまう)
このふたつの目的があって、収穫後の米粒を乾燥させるのだとされる。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、148頁~149頁)

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玄米食のススメ


玄米食は、非常に理にかなった食事法である。
白米はデンプンの塊だから、エネルギー源としては、申しぶんがない。
ところが、ミネラルやビタミン、アミノ酸など、米の栄養分の8割がたは、胚芽やヌカに含まれている。
(精米してから食べるのは、栄養分のほとんどを捨てているのと同じである)

人間の体は20種類のアミノ酸で作られている。
このうち9種類は、人間が体内で合成できない。食事で摂取するしかないので、「必須アミノ酸」とよばれる。この必須アミノ酸のすべてが玄米には含まれる。
リジンだけは、必要量の半分しかないようだ。リジンの塊である大豆で補えばよい。

玄米を主食に、味噌汁でリジンと塩分を補い、菜っ葉でビタミンを補う。日本の伝統食はパーフェクトだった。それだけ食べていれば、1日生きて、働けるだけの最低限のエネルギーは確保できた。
胚芽の部分には、ビタミンB1やビタミンB2が多い。
(「カミアカリ」といった品種の巨大胚芽だと、ふつうの3~4倍のビタミンがとれるそうだ。高血圧を防ぎ、脳の血流をよくする物質として話題の「GABA(γ-アミノ酪酸)」についても同様らしい
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、207頁~208頁)

米ヌカの効用


「第2章 雑草の生えない田んぼ」において、「米ヌカで酸の海に」と題して、米ヌカの効用について述べている。

微生物は有機肥料を分解してくれるだけでなく、抑草にも役立つそうだ。
玄米を精米すると、大量の米ヌカが出る。
松下氏は、専業農家になる前後の時期から、米ヌカを田んぼに戻すようになったという。

米粒とは、稲の種であり、その種が発芽したとき、初期に育つための栄養がたっぷりふくまれている。だから米ヌカを稲のエサにするのは理にかなっていると理解している。
昔から「田んぼのものは田んぼに返せ」といわれてきた。

また、松下氏によれば、米ヌカは抑草に大きな効果を果たしていたとする。
米ヌカにくっつている乳酸菌や、米ヌカをエサにする酢酸(さくさん)菌が、土に増える。それらの菌は乳酸や酢酸を出し、土壌を酸性にかたむけるようだ。
(松下氏は、米ヌカ不足に悩まされているという。1俵60キロの玄米を10%精米したら、6キロの米ヌカが出るが、肥料に毎年2トンちかい米ヌカをつかう。米の消費量が落ちているため、精米所で出てくる米ヌカの量も減っているというのだ)

ところで雑草の種は硬い殻で守られているため、その内部にとどまっているかぎりは安全である。しかし、その殻から発芽してくるのは、やわらかくて弱い細胞である。その雑草が発芽したときに、周囲が酸の海だったら、細胞膜が破壊されてしまう。

ある程度まで育ったあとなら、細胞のひとつやふたつこわれても、大勢に影響はない。でも、最初の1個がこわされてしまうと、もう成長できなくなるらしい。植物にとって発芽というのは、大きな冒険である。
要するに、乳酸、酢酸、酪酸などの有機酸が田んぼに増えると、雑草の発芽が抑制される。
(このメカニズムの説は、栃木県の民間稲作研究所の稲葉光圀氏の著作にあるそうだ)

さらに、微生物は米ヌカなどの有機物を分解する過程で、さかんに酸素を消費する。
田んぼに水をはったあとだと、地表から5センチの狭い範囲が還元状態になるようだ。
⇒これもヒエの発芽条件をうばっている!
微生物は本当に働きものだと松下氏は感心している。

ところで、稲も植物だから、同じことをやられたら、発芽できないはずである。
しかし、稲だけはべつの場所で発芽させ、苗にしてから田んぼに移植されるから、問題は起きないという。
抑草は、田植えを前提とした技術であることを強調している。

松下氏が、先祖から受けついだ田んぼは1町6反(1.6ヘクタール)だったが、近所の田んぼを借りるなどして、平成25(2013)年は9町歩を作ることにしたそうだ。
ただ、借りる田んぼは慣行田だったから、有機物は不足しているし、微生物も棲みついていない。
そこで、乳酸菌で、土壌の体質改善をやったとのこと。乳酸菌を培養する場合、次のことを行ったそうだ。
牛乳(5リットル)と米ヌカ(両手いっぱい)を容器に入れる。米ヌカについている乳酸菌が種菌(たねきん)となり、増えていく。5日から1週間たつと発酵がすすみ、乳酸菌をふくんだ水分である乳清(にゅうせい)が3.5リットルとれる。
この乳清に水を足して70リットルにし、米ヌカ150キロ、焼き米粕(かす)150キロを混ぜるという(焼き米粕とは、玄米茶の工場で玄米を炒るとき、火が入りすぎたりしたものだという)。
米ヌカや焼き米粕は乳酸菌のエサになる。このエサ付きの乳酸菌を、トラクターの肥料散布機に入れて、3反の広さの田んぼにまき、軽くすき込むそうだ。

ちなみに、乳酸菌は、ほかの菌の繁殖をふせいでくれる。乳酸菌は、非常に強い菌で、それに勝てるのは黄色ブドウ球菌や O-157など、食中毒を起こすほど強力な菌だけで、ふつうの菌はまず勝てないらしい。
人間でも乳酸菌飲料を飲むが、あれは胃腸のなかに乳酸菌をひろげ、悪玉菌が増えないようにしている。
人間の胃のなかの乳酸菌と、田んぼの乳酸菌は種類が違うが、狙うところは同じで、春先に田んぼへ乳酸菌をまくと、ほかの菌が活動できなくなる。
乳酸菌に居場所を確保してもらって、あとで肥料にふくまれる麹菌や酵母菌が活発に動けるようになるという。麹菌や酵母菌も稲と共棲している菌で、それらが活躍できれば、有機物を分解するのを待てばよいようだ。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、68頁~72頁、80頁~81頁)

酒米の山田錦


「第5章 山田錦の魅力」(151頁~180頁)では、酒米の山田錦について述べている。
酒米というのは、高級な日本酒を造るための米である。
そもそも酒米という概念は、明治時代まで存在しなかったそうだ。それまでは、食べるために米を作り、あまったぶんを酒造りにまわしていた。
明治時代の「渡船(わたりぶね)」「山田穂(やまだにしき)」など、山田錦の親にあたる世代が、酒造専用に作られた最初の品種であるようだ。
(渡船は江戸時代にも栽培されていた記録があるが、そのころは食用米として作られていたらしい)
現代でも、酒米は、米の全生産量の1%程度しか作られていない。日本酒の7割がたは、ふつうの食用米で作られている。

ところで、酒米は米粒を大胆に削ることが大前提である。
もったいないが、米の表面にはタンパク質や脂質が多いので、そのままつかうと雑味になるからである。すき通った味わいにするには、表面を削り、純粋なデンプンだけを使用する必要がある。
削ることが前提にあるなら、酒米の米粒は大きいほどいい。実際、コシヒカリの千粒重は21グラム程度だが、酒米の山田錦は26グラムもあるそうだ。

また、粘り気のない米のほうが、麹菌となじみがいいといわれる。
米粒の中心に「心白(しんぱく)」というすき間のあるほうが、麹菌が入りやすい。酒米の条件として、最大の条件は粒が大きいことである。

われわれが食べている白米は、玄米の表面10%ぐらいを削ったものである。これを「精米
歩合」90%と表現する。大吟醸酒ともなれば、精米歩合40~50%という世界である。つまり米粒の半分以上を削るわけである。だから大きくないと、粉々になってしまう。

酒米として登録されている品種は、100ちかくあるそうだ。
生産量では、1位の「五百万石」と2位の「山田錦」で6割を占める。
五百万石は、昭和32(1957)年に新潟県で生まれた品種である。新潟県の米生産量が500万石(80万トン)を突破したことを記念して、このネーミングになったといわれる。味もいいし、収量も多い。早生だから北国でも作れる。

五百万石と山田錦とは、どこが違うのか?
そのもっとも大きな違いは、五百万石は現代品種であるという点であるという。
化学肥料・農薬がつかわれる時代になってから生まれた品種だけに、「耐肥性」がある。肥料を多めに入れても、問題が起きにくい。
酒米にかぎらず、稲は肥料をたくさん入れると、収量は増えるけれども、背が伸びて倒れやすくなる。
倒れると、コンバインで収穫するときに支障が出る。だから肥料を入れても倒れないことが、現代品種の必要条件とされる。

一方、山田錦とは、どのような酒米なのか?
山田錦は、大正12(1923)年に交配がはじまり、昭和11(1936)年に兵庫県で登録された古い品種である。
化学肥料・農薬が普及する前だから、耐肥性がない。現代品種とくらべると野性が残っていて、肥料を入れただけ吸ってしまう。裏をかえせば、少ない肥料でよく育って、味がよく、収量もそこそことれる。これで当時は満点だった。たしかに倒れやすい性質はあるが、当時は手刈りの時代だから、立っていようが倒れていようが、手間は変わらなかった。

古い品種である山田錦に、現代農業の感覚で化学肥料を入れるのは厳禁である。
というのは、どんどん肥料を吸って大きくなり、風が吹いたら倒れ、病気にも害虫にも弱くなるからである。
(実際に本場の兵庫県以外に、静岡県でも何人か、山田錦に挑戦した人がいたが、コシヒカリ並みの化学肥料を入れて、その性質を無視して、失敗したという。山田錦は米にできれば御の字といわれるほど、難しい品種であったようだ)

松下氏の稲作は肥料をおさえる手法だから、山田錦によくフィットしたそうだ。イモチ病やカメムシに弱い性質は、強い体に育てることでクリアできた。結局、松下氏が静岡県ではじめて栽培に成功することになった。そして、有機・無農薬では、全国初であった。
(有機・無農薬で山田錦を作るのは、今でも非常に珍しいらしい。その後、全国的に栽培されるようになったが、少なくとも減化学肥料・減農薬で作っているとのこと)

山田錦は気難しい品種である。耐肥性がないだけではない。「脱粒(だつりゅう)」という性質もある。
脱粒とは、稲穂がみのると、尖端からボロボロこぼれてくる性質のことである。現代品種は人間の収穫を待ってくれるが、山田錦には自分の子孫を残す本能が強いので、油断すると種をばらまかれてしまう。

そして発芽能力も異様に高い。稲刈り直前に3日ぐらい雨がつづくと、米粒が穂についたままの状態で発芽してしまう(「穂発芽(ほはつが)」という)。
胚芽の部分が水を吸いこむと、糖化酵素アミラーゼが分泌され、米粒のデンプンを分解する。発芽して成長するためのエネルギーを用意する。デンプンの密度が低くなるから、精米したときに破砕してしまうのである。

ここで、酒の品質と精米との関係で問題が発生すると解説している。
大吟醸酒は精米歩合が40~50%であることは先に言及したが、その精米歩合は、精米機が判定する。その際、米を削ったヌカの重量ではかっている。米の全重量の半分のヌカが出てきたら、50%精米が終わったと判断している。しかし、破砕しやすい米は精米機のなかで粉々になって、ヌカと一緒に出てゆき、出てくる重量ばかり増えることになる。精米機に残っている米はまだ50%も削られていないのに、50%精米が終わったと判定されてしまう。当然、日本酒の品質は落ちる。

だから、玄米にした時点で、ひとつも胴割れ米が見当たらないぐらい、品質に気をつかう必要がある。
穂発芽しなかったとしても、刈り入れが遅れたら胴割れ米は増える。松下氏が、稲刈りに神経質になるのは、品質のバラツキをおさえるためであると強調している。
(松下氏は、山田錦という世話の焼ける品種を作っていると、植物が本来もっている生命力を実感するという。山田錦の野性味を知ってしまうと、飼いならされた現代品種はつまらなく感じるそうだ)

背が低いほうが喜ばれる現代品種と違い、山田錦は背が高くて、キリンの首のように穂が伸びる。現代品種は葉っぱよりも下に稲穂がつくが、山田錦は葉っぱの上に稲穂が出る。もみ殻の表面には細かい毛(穎毛[えいもう])が生えているが、山田錦はその毛も長く、夕日が当たると感動的なぐらいに輝き、まさに黄金色の田んぼになるそうだ。

ところで、松下氏は、山田錦が台風被害にあった体験を記している。
それは、平成23(2011)年9月21日、藤枝市を直撃した台風の時である。風速45メートルもの暴風が吹き、早生の稲刈りは終わっていたが、中生と晩生はまだであった。翌日見にいくと、稲穂や葉っぱの先端がちぎれ飛んでいたが、倒れたものは1本もなかったようだ。根っこが強いから、地上部を引きちぎられても倒れなかった。
山田錦は、穂が出て20日目ぐらいであった。米粒にデンプンを半分ほど送り終わった時期である。そんなときに穂先を強風で叩きつけられると、穂先の米粒は未熟のままかたまってしまう。そこで稲はもう養分を送っても無駄だと考えて、穂の先端3分の1は殺してしまうものらしい。育ちそうな米粒にだけ養分を送るようになる。

米粒にデンプンがつまらなければ、それはクズ米になり、売りものにならない。
例年、山田錦のクズ米率は12~13%だが、この年は倍の24%にも達したそうだ。収穫の4分の1がクズ米である。
ところが残された76%の米粒へ懸命に養分を送りこんだ結果、いつもより質のいい米になったという。

植物はピンチになると、逆にがんばる生きものである。
根っこが強ければ、自分の力で挽回できる稲になると強調している。
初期に根っこさえ育てておけば、地上部は梅雨明けぐらいからグーッと伸びて、慣行田の稲にすぐ追いつけるという。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、132頁~133頁、167頁~173頁、205頁)

お米の多様性が消えた理由


松下明弘氏は、「第7章 多様性をもとめて」(213頁~237頁)の中で、日本では戦後なぜお米の多様性が消えたのかについて解説している。以下、紹介しておこう。

かつては全国各地で、その土地に合ったさまざまな品種が作られていた。近代になって品種登録された稲は800種ほどあるが、そのうち今も残るのは500種ぐらいといわれる。
(品種登録という概念のなかった江戸時代以前には、もっとたくさんあったようだ)

作家の石川英輔氏は『大江戸番付づくし』(講談社)で江戸時代の「米どころ」について書いている。
そのランキングによれば、東の大関は遠州掛川米で、西の大関は肥後米である。
(江戸時代に横綱は存在しなかったので、最高の位は大関)
三河米や美濃米も人気が高かったらしい。今の静岡県、愛知県、岐阜県など東海地方が、意外と上位に食いこんでいる。
なお、東北は皆無に近いのは、当時の東北は冷害に耐えられる品種がなかったから。米どころになるのは戦後である。

また、室町時代までは、近畿の米が一番うまいとされていた。江戸時代になって、全国で新田開発がすすみ、東海の米がそれに代わった。
(新しくひらいた土地は土が生きているから、新しい味が生まれる。それが新鮮に感じられるために、米どころは移り変わってきたようだ)

戦前のお米は、土地による多種多様な味があったといわれる。いわゆるテロワールが当たり前に存在していた。
しかし、その多様性が戦後、消えてしまった。
その理由は何か。二つあるといわれる。
①化学肥料・農薬の普及
②品種の多様性の消失

②について、松下明弘氏は「コシヒカリ・ファミリーの天下」と題して、次のように説明している。
まず資料として、平成21(2009)年に農水省が調べた品種別の収穫量を掲載する。
 1位コシヒカリ(36.5%) 2位ひとめぼれ(10.0%) 3位ヒノヒカリ(9.5%) 4位あきたこまち(7.8%) 5位はえぬき(3.1%) 6位キヌヒカリ(3.0%) 7位ななつぼし(2.4%) 8位きらら397(2.0%) 9位つがるロマン(1.8%) 10位まっしぐら(1.4%)

全収穫量の4割ちかくがコシヒカリである。
さらにトップ5だけで7割ちかく、トップ10で8割ちかくを占めている。
(500品種あるといっても、その中のごく一部しか栽培されていない)
しかも、2位以下の9品種にはすべて、交配の過程でコシヒカリの系統が混じっているそうだ。どれも、コシヒカリの子や孫、ひ孫にあたる。
コシヒカリ・ファミリーだけで、日本の米収穫量の8割(ママ)ちかいのである。
11位以下まで調べたら、この数字ももっと大きくなる。

【参考】コシヒカリの系統と「きぬむすめ」


ウィキペディアによれば、コシヒカリの子品種としては、ひとめぼれ、ヒノヒカリ、あきたこまち、孫品種としては、はえぬき、キヌヒカリ、ひ孫品種としては、きらら397がある
 なお、きぬむすめは、キヌヒカリの系統で、その特徴は次のようなものである。
〇きぬむすめは、キヌヒカリの後代品種となることを願って、「キヌヒカリの娘」という意味で命名された。
〇2006年3月7日、九州沖縄農業研究センターが育成した新品種である。
〇交配系譜としては、きぬむすめ(水稲農林410号)は、愛知92号(後の「祭り晴」)とキヌヒカリを交配させたものである。
〇コシヒカリ(水稲農林100号)並みの良食味と、作りやすい優れた栽培適性をもっているのが特徴である。コシヒカリより1週間程度晩生である。

全国どこでもコシヒカリである。
たしかにコシヒカリは偉大な品種である。
登録されたのは、昭和31(1956)年で、60年以上前である。
いまだにこれをこえる品種があらわれず、これだけ1品種の人気が持続したことは、かつてないようだ。

まだ米の自給もできず、「食えるものがあればいい」という時代に、いきなりコシヒカリが登場した。

コシヒカリの特徴


コシヒカリの特徴について、松下氏は次の点を挙げている。
〇あんなに粘り気がある米はそれまで存在しなかった。そして、あんなに甘くてやわらかい米も存在しなかった
〇しかも、初期に出まわったのは、「どんなにがんばってもまずく作れない」中山間地の米
〇そのデビューは衝撃的。昭和40年代に「こんなにおいしい米があるのか!」と口コミでひろがっていく。コシヒカリが「幻の米」として話題になった時点で、中山間地だけでなく、平場の農家も作りはじめる(こうして、新潟県を代表する品種になる)
〇昭和50年代は「ササニシキ」の人気も高く、「コシ・ササ時代」とよばれた。
 (しかし、今やササニシキの作付面積はピークの15分の1。平成5(1993)年の記録的冷夏で壊滅的な打撃をうけて、人気が離散したそうだ。その後もコシヒカリがトップの座を守り続けているのと対照的。)

アンチ・コシヒカリの本命はまだ登場していない。
松下明弘氏が可能性を感じるのは、「旭」だという。
戦前、「東の亀ノ尾、西の旭」と並び称された品種である。
コシヒカリの粘りを重たく感じる人は、シャキシャキとキレのある旭系統を好むといわれる。

米の好みにも地方色があって、東では、コシヒカリのような口どけのいい米が好まれる。一方、西では硬めで歯ごたえのある米が好まれる。
(静岡では、旭系統の米が昔からよく食べられているそうだ)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、226頁~232頁)

【まとめ】


松下明弘氏の著作には、稲作の基本的な考え方と「おいしい米づくり」のヒントが隠されている。以下、私が読んで勉強になった点を挙げておく。

〇代かきの最大のポイントは、水平をとることである。ここで時間をかけるから、除草時間がゼロですむようだ。つまり、水平さえとっておけば、肥料がよくきくし、雑草も劇的に減るとのこと。

〇日本人は、わざわざ苗を移植している。日本の田植えは、フライング・スタートであるという。「直播」の欧米の稲作は、雨の少ない地域でおこなわれているが、日本のような湿気の多い土地で「直播」は難しい。その理由は、同じ条件で、スタートすれば、稲より雑草のほうが先に育ってしまうからである。

〇ヒエの場合、光はあまり必要でないが、酸素は不可欠だといわれる。逆に、還元状態では発芽できない。雑草によって発芽にもとめる条件は違うが、ヒエ対策としては、1週間おきに3回ぐらい代かきをやって、酸素がつねに足りない環境にすることであるとする。

〇「マジックナンバー」1反7俵が目安である。品質のいい米を作る農家は、収量をおさえているという。名人たちも口をそろえて、7俵(60キロ×7=420キロ)とする。
7俵におさえておけば、虫に強いし病気も出ない。台風がきても倒れない。品質もいいから、高く売れる。リスクを回避したいなら、収量を落ちしたほうがいいようだ。
「マジックナンバー」7俵は、バランスが絶妙な数字である。

〇米はデンプンの塊である。ただ、肥料を入れすぎると、米粒にふくまれるタンパク質が過剰になり、味が落ちるとされる。

〇このタンパク質の量と関係してくる稲作作業として、稲刈りがある。
稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないことである。
つまり、刈り遅れると脂肪酸が増え、品質は劣化する。栄養分を送りこみすぎるとタンパク過剰米にもなるそうだ。収穫を先送りすればするほど、「過熟」がすすむ。
そして、刈り入れが遅れたら胴割れ米は増える

先にも【ポイント】として次のように要約しておいた。
●肥料の量とお米の品質は反比例の関係(肥料を入れすぎるとタンパク質が過剰になり、味が落ちる)
●稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないこと
●刈り遅れ⇒「過熟」⇒タンパク過剰米・脂肪酸増加⇒品質の低下(おいしくないお米)

〇稲は肥料をたくさん入れると、収量は増えるけれども、背が伸びて倒れやすくなる。
倒れると、コンバインで収穫するときに支障が出る。だから肥料を入れても倒れないことが、現代品種の必要条件とされる。

〇古い品種である山田錦に、現代農業の感覚で化学肥料を入れるのは厳禁である。その理由は、どんどん肥料を吸って大きくなり、風が吹いたら倒れ、病気にも害虫にも弱くなるからである。
背が低いほうが喜ばれる現代品種と違い、山田錦は背が高くて、キリンの首のように穂が伸びる。現代品種は葉っぱよりも下に稲穂がつくが、山田錦は葉っぱの上に稲穂が出る。

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ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ


《2020年度 わが家の稲作日誌 その1》

2020-12-28 17:08:13 | 稲作
《2020年度 わが家の稲作日誌 その1》
(2020年12月28日投稿)




執筆項目は次のようになる。


・【はじめに】
・【2020年の稲作行程・日程】
・【2020年の稲作の主な作業日程の写真】
・2020年の稲作をふりかえって
・田植え後の水管理
・田んぼの雑草
・【2020年の稲の生長記録の写真】






【はじめに】


 今年は新型コロナウイルスの問題で振り回された一年であった。いまだ収束の兆しは見えない状況である。
 稲作は自然が相手なので、3密は回避できるものの、地域や会合の場ではどうしても注意しなくてはならない場面も当然でてきた。
 去年、父親を亡くして、田んぼを引き継ぎ、耕作することになった。田植えと稲刈りはどうしても機械がないとできないので、委託している人のお世話になりつつ、田んぼの水管理、草刈りは自分一人でせざるをえない。やはり自然が相手だから、人間の思うようには事は運んでくれない。せめて、天気の情報などをきちんと知ってから、田んぼの管理に反映させることとなる。
 去年よりは、「おいしいお米」「安心して食べられるお米」をめざして、稲作に励むこととなる。経験不足は知識で補わざるをえない。そこで、今年は2冊の本を読んで勉強してみた。
それが、次の2冊である。
〇松下明弘『ロジカルな田んぼ』(日本経済新聞出版社、2013年)
〇佐藤洋一郎『稲の日本史』(角川選書、2002年)

上記の2冊については、次回以降のブログで、次のような執筆項目で詳述したい。
≪その2 松下明弘『ロジカルな田んぼ』を読んで≫
・松下明弘氏の『ロジカルな田んぼ』という著作
・松下明弘氏のプロフィールと『ロジカルな田んぼ』
・静岡県の専業農家松下明弘氏の年間スケジュール
・代かきの重要性
・なぜ田植えが必要なのか
・松下氏による雑草対策
・理想の反別収量
・コシヒカリについて
・おいしいお米とタンパク質の関係
・玄米食のススメ
・米ヌカの効用
・酒米の山田錦
・お米の多様性が消えた理由
・【参考 コシヒカリの系統と「きぬむすめ」】
・【コシヒカリの特徴】
【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】
ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ

≪その3 佐藤洋一郎『稲の日本史』を読んで≫
・佐藤洋一郎氏のプロフィール
・佐藤洋一郎氏の『稲の日本史』の特徴
・「稲の日本史」の年表
・イネの収量
・反収あたりの最高記録
・水田の維持と除草
・水田耕作のこころ――1本のヒエも許さないことの意味
・モチ米とウルチ米 2種類のデンプン
・調理の方式
【佐藤洋一郎『稲の日本史』はこちらから】
稲の日本史 (角川ソフィア文庫)


こうした“座学”を勉強しつつ、今年の稲作行程を振り返ってみたい。


【2020年の稲作行程・日程】


2020年の稲作行程・日程を箇条書きに書き出してみた。

・2020年3月8日(日) 曇り 12℃
  8:00~9:30 袋路の水路そうじ 
・2020年3月12日(木) 晴 15℃
  10:00 春耕作の依頼に伺う 
・2020年4月22日(水) 曇り 12℃
  14:00~15:30 一人で草刈り  
・2020年4月24日(金) 晴 13℃
  依頼人により畦塗り終了
・2020年4月27日(月) 晴 19℃
  14:00~16:30 草刈り仕上げ  畦の斜面の草刈り、キックバックに注意
・2020年5月 7日(木) 晴 12~19℃
  11:45 依頼人より電話 水溜めを開始してよいとのこと 数日後に中切り
  14:30~15:00 水溜め開始  
  15:00~16:30 草刈り 田んぼの道と真ん中の畦 前回の干し草をゴミ袋に
  土嚢に土を入れ、水路に石と土嚢を置いて、水を溜め始める
  ※下の田の水溜めに特に注意すること(下の田んぼは水入りが少ない)。溜めすぎに気を付けること
・2020年5月 8日(木) 晴 21℃
  14:30~15:45 水溜めの袋替えと草寄せ 
・2020年5月 9日(土) 小雨 18℃
  9:45~10:15 水止め(水が十分溜まっている) 
・2020年5月13日(水) 晴 16~22℃
  午前中、依頼人により代かき終了
  14:45~15:45 水の調整   
(特に下の田んぼの北側の水の排水口は水が漏れるようなので、畦波板を鋏で切り差しておく)
・2020年5月17日(日) 曇り 16~21℃
  7:50 依頼人より電話あり 今日、田植えをするので、水の調整をすること
      水が多すぎるので、地がポツポツと見えるくらいに、しておいてほしいと
  8:00~9:30 上下の田んぼの水を少し抜いて調整
  依頼者により、田植え終了
・2020年5月21日(木) 晴 17℃
  11:00~ 水の調整
  14:30~17:00 田んぼの四隅の補植
   上の田んぼの北側は苗の活着が悪い 真ん中の畦に沿って列ごとに補植
  ※なお、カエルの卵や泡をすくい取り除く
・2020年5月23日(土) 晴 23℃
  9:40~10:40  水足し(下の田んぼ少ない)
・2020年5月24日(日) 晴 26℃
  10:00~10:30  水足し(上の田んぼ少ない)
・2020年5月25日(月) 晴 24℃
  9:45~10:15  水調整
・2020年5月27日(水) 晴 22℃
  14:20~15:20  水調整 北側の畦の草刈り
・2020年6月2日(火) 晴 17~27℃
  8:40 依頼人に春耕作代金の支払い
  9:00~10:00  水調整 
  14:30~15:30  草刈り
・2020年6月3日(水) 曇り 25℃
   9:20~10:20  水入れと草処理
・2020年6月4日(木) 晴 28℃ 暑い
   9:50~10:40  水入れと草処理(45ℓと30ℓのゴミ袋に)
・2020年6月8日(月) 晴 28℃ 
   10:00~11:00  水入れ
・2020年6月10日  ※中国地方の梅雨入り
・2020年6月12日(金) 曇り 26℃ 
   10:00~10:30  水入れ(とくに上の田んぼ)
・2020年6月14日(日) 雨 26℃ 
   10:30  水を見に行く
・2020年 6月 17日(水) 晴 26℃
   15:00~16:30草刈り
・2020年 7月 2日(木) 曇り 23℃ 湿度75% 半夏生
 10:30  中干し 水止めの土嚢を外し、石を取り除く
・2020年 7月 16日(木) 曇りのち晴 25℃ 
   14:10~15:45 草刈り(畦道)
・2020年 7月 30日(木) 晴 30℃ 湿度80% ようやく梅雨明け
・2020年 7月 31日(金) 晴 30℃ 湿度75% 
   9:50~11:10 草刈り(通り道)
 <注意>
・熱中症対策~30℃の中の日差しがきつい。マスクが汗でくっつき鼻を出さないと息苦しい
・刈り払い機のキックバックに注意~特に斜めの畦の草刈り
・ズボンの汚れ~飛沫してズボンに草や土がつく
・2020年 8月 3日(月) 晴 25~32℃
  10:30~11:10  西廻りの境界の立ち合い
  14:00~15:30  水入れ(北側を土嚢で塞ぐ)と草刈り
・2020年 8月 4日(火) 曇り 27℃
  10:00~11:00  水入れを止める、草処分(ゴミ袋45ℓ)

≪稲作情報≫
〇出穂後のカメムシ類による吸汁被害を軽減するため、畦畔の草刈りは出穂10日前までに行うこと(『稲作だより』No.3 令和2年6月5日号)
〇きぬむすめは、最高分げつ期頃(5/5~7/7)に「茎数が少ない」「葉色が薄い」場合は、中間追肥を窒素成分で10a当たり1kg程度施用すること

・2020年 8月 7日(金) 曇り 28~31℃ 立秋
  9:30~11:00  田んぼが乾いていたので、水入れ(浅水管理を心掛ける)
 ※今日は立秋なのに、依然暑い。午前7時なのに30℃で湿度70%もあり、残暑が厳しく、秋の気配はない。本当に大暑→立秋→処暑と移り変わるのか、疑問に思うような暑さ。

・2020年 8月 11日(火) 晴 27~35℃ 湿度55% 出穂始まる
  10:00~11:00 上の田に水入れ 下の田は水が溜まっている
  ※上の田には、かなりヒエが生えている
・2020年 8月 17日(月) 晴 24~34℃ 湿度70% 
10:00~11:00 出穂が順調 下の田の水が少し少ないので入れる ヒエ伸びる
・2020年 8月 18日(火) 晴 25~32℃ 湿度82%
  10:00~11:00 出穂そろう 
・2020年 8月 24日(月) 晴 32℃ 
  15:00~16:30 草刈り(通り道以外) レーキを忘れ草寄せできず
・2020年 9月 5日(土) 曇り 30℃  土地区画整理総会出席
・2020年 9月 8日(火) 晴  32℃  水抜き
  10:20~10:50 水抜き(土嚢と石を外し、土を被せ注水口を塞ぐ)
 ※昨日は、七十二候で「白露」。台風10号接近。32℃で晴れたが強風が吹き荒れる。
  市内の最大瞬間風速も高く、近くの田んぼの稲は倒伏していた。県内ではビニールハウス被害も報道されていた。
・2020年 9月 10日(木) 曇りのち小雨  30℃  
  14:10~15:40  草刈り(進入路も草刈り。キックバックに注意) 
・2020年 9月 23日(水) 曇り  25℃ 
  10:00~11:30  草刈りとヒエ摘み、田んぼの中の雑草取り
  明日、明後日が雨の予報なので、午前中に草刈り
・2020年 10月 2日(金) 晴  14~27℃ 
  14:30~16:30  草刈り(特にコンバインの進入路)
  ※依頼人の奥さんに、来週の月曜日か火曜日で稲刈りをしてもらうようにお願いする
・2020年 10月 5日(月) 曇り  18~22℃ 
  8:00  依頼人より電話 今日は天気が良くないので、明日10:30から稲刈り予定
  14:30~17:30 四隅刈り(6株×8株で、4カ所+6ヵ所の合計10カ所)
 ※【手刈りをしてわかったこと】
  ・小屋の北側の稲の育ちが一番良い(きちんと水がたまり肥料も効いたかもしれない)
  ・小屋が建っていると、手刈りの面積が広くなり負担が大きくなる
  ・真ん中の畦があると、補植や草刈りの面積が広くなり負担が大きくなる(特に真ん中の畦の斜面は草刈りがしにくく、腰に負担がかかる)
 ※【その対策】
  ①小屋を撤去 ②真ん中の畦を取り、上下の田んぼの段差をなくす

・2020年 10月 6日(火) 晴  13~22℃ 
  8:30~9:30  依頼人夫妻に昼食を届ける 稲刈りの開始時刻を13:30に変更
  13:00~13:30 稲刈りの準備
  13:30~14:30 依頼人によりコンバインで稲刈り
  14:30~15:00 稲刈りの後片づけ
・2020年 10月 8日(木) 雨  19℃
  16:20 依頼人より電話(お米ができたとの電話あり。明日16時以降届けるとのこと)
・2020年 10月 9日(金) 曇り  20℃
  17:15~17:55 お米が届き冷蔵庫に入れる(反収15袋+2kg くず米29kg)
  ※今年は不思議なことにお米がよく乾燥していた乾燥機に入れて10分で終了したとのこと




2020年の稲作の主な作業日程の写真


〇2020年5月13日(水)晴21℃  代かき
〇2020年5月17日(日)曇り18℃  田植え
〇2020年8月11日(火)晴34℃~8月18日(火)晴32℃  出穂(田植えから87~94日目)
〇2020年10月6日(火)晴22℃  稲刈り(田植えから123日目)

〇2020年5月13日(水)晴21℃  代かき


〇2020年5月17日(日)曇り18℃  田植え


〇2020年8月11日(火)晴34℃~8月18日(火)晴32℃  出穂(田植えから87~94日目)


〇2020年10月6日(火)晴22℃  稲刈り(田植えから123日目)


2020年の稲作をふりかえって


2020年7月30日(木)晴30℃ 湿度80%

ようやく梅雨が明けた。今年の梅雨入りは6月10日(水)であった。昨年より、16日も早く、以来、延々と雨空が続いた。今年の梅雨は、6月10日から51日間で、期間中の降水量(速報値)は、松江739.5ミリ(平均409.9ミリ)で、約1.8倍あった。山陰地方は、1.5~2倍ほど上回ったそうだ。
(過去最も遅かったのは、1998年8月3日だそうだ。)
今年は、7月初めに熊本県南部を豪雨が襲い、被害が出た。7月14日、島根県も江の川支流が氾濫し、浸水被害に見舞われた。
日照不足で野菜の生育が悪く、トマト、ホウレンソウは前年比の2倍、キュウリも1.5倍の高値で推移している。
今年は、新型コロナウイルス感染で大変である。
①マスク着用
②手洗い
③「3密の回避」を実践したい。
さらに心配として、熱中症がある。酷暑、炎天下でのマスク着用は息苦しく、長時間は持たない。こまめな水分補給などの対策をして乗り切りたい。

【7月30日の写真と梅雨の明けた翌日7月31日の写真】
2020年 7月 30日(木)に、ようやく梅雨明けたので、翌日7月31日早速、草刈りをした。その前後の写真である


田植え後の水管理


田植え後の水管理についてのポイントをまとめてみた。
〇田植え後、水を更新しない
・苗が隠れるくらい深水しているから。
・水田が藁の分解で還元化して泡が発生する。還元化が激しいと、ドブのようになって根が育たない。それと風下に泡が寄って来て稲にくっ付いて呼吸困難になり、苗が消えてなくなる。

〇水管理
・最初は多少多くてもよいが、3~4日位で活着したら、極浅水(自然落水)で管理する。
・除草剤を撒いたら、4日程度は土が出ないように水を管理する
 この頃から、還元化・表層剥離が発生するので、土が絶対乾かないように浅水管理(除草剤効果が継続)
・還元化が激しくとも除草剤散布後、1週間は落水はしない。
・浅水で雨が降ると還元化が消え、表層剥離も消えるが、好天が続くと復活する。やむを得ない場合は、1日落水してその後は浅水で。

〇土づくり
・最近の土壌診断では、水田土壌の7割以上が鉄不足の傾向にあるようだ。
・良質で安定した稲作栽培には、鉄分の補給と、その他ミネラル等の成分を含んだ「土づくり肥料」による地力の底上げが必要不可欠。
・土壌が還元状態になると、硫化水素が発生する。すると、根に障害を起こし、ごま葉枯病や秋落ちの発生を助長することになる。

田んぼの雑草


・田植え後すぐの初期成育段階では、雑草に栄養を奪われ、稲の生育が阻害されてしまう
・稲作中期以降で稲の丈が伸びて雑草に負けなくなっても、今度は雑草が種を増やして収穫時に混じってしまったり、翌年に雑草が多く生えてきたりする。

ヒエについて


ヒエは、生育初期から稲刈り直前まで稲作で悩まされるイネ科の植物である。姿も稲に似ていて見分けづらいので、とても厄介な雑草である。
ヒエの見分け方は、根本の色であるようだ。ヒエは成長すると根本が赤くなる。その他の見分け方としては、生えている場所と手触り。稲は田植え機で植えるので、均等間隔で生えている。一方、ヒエは、自然に生えたものなので、稲同士の間隔をみて判断できる。また、ヒエは稲に比べて柔らかいので、慣れれば触った感じでも見分けることができる。

対策としては、手で抜くか、鎌で刈り取るか、またはクリンチャーなど、ある程度成長したヒエにも効く除草剤を撒くことくらいである。
・クリンチャーは、日産化学工業 1キロ1700円くらい
 
慣行栽培の田んぼでは、除草剤を散布することだが、無農薬栽培ではチェーン除草と米ぬか除草法を併用して対処できるそうだ。
米ぬかは窒素、リン酸、カリが多く含まれている。かといって加えすぎると、発酵が進み、田んぼから腐敗臭がすることがある(有機酸が発生して稲に悪影響)。
ちなみに米ぬかと同様に米のとぎ汁にも窒素、リン酸、カリが含まれている(家庭菜園では、肥し代わりに米のとぎ汁を与える場合もある)

【除草剤散布のポイント】
・水稲除草剤は圃場の水によって広がり、ゆっくり土壌に吸収され田面に「処理層」を作ることで効果を発揮する。
・上手に除草剤を効かせるポイントを守り。効果的に使用する必要がある。
・田面の凹凸がなくなり、均平となるよう耕起・代かきを丁寧に行なう。
・除草剤使用後7日間は止水し、除草剤が水田外に出ないようにする。
・水口・水尻をしっかり止め、5~7日間は5㎝程度の水深を確保する。
・入水が必要な場合は、ゆるやかに入水する。
・毎年、雑草が問題となる圃場や、代かきから田植えまでの期間が長くなる場合は、「体系処理」を行う。
(『稲作ごよみ』JA全農、2020年、6頁)

≪ヒエの写真≫
今年もヒエには悩むことになった。しかし、除草剤は今年も結局使用しなかった。


【2020年の稲の生長記録の写真】


ここで最後に、2020年の稲の生長記録を写真でたどっておこう。

・2020年4月17日(金)代かき前
 

・2020年4月24日(金)畦塗り終了後 


・2020年5月17日(日) 田植え


・2020年6月14日(日) 分けつが進行中
 
  
・2020年 6月 26日(金) 分けつが進行中


・2020年 7月 10日(金) 分けつが進行中


・2020年 8月 11日(火)~8月 18日(火)出穂が順調


・2020年 9月 4日(金) 稲穂の生長


・2020年 10月 2日(金) 稲穂の熟成


・2020年 10月 5日(月) 四隅刈り


・2020年 10月 6日(火) 稲刈り