[個人史]: 親から子へ 躾(シツケ)
(失敗志向者の言動には敏感なので政治ネタにそれてしまいがちだ。個人の記録に戻ろう)
私が高校2年の時、
『親に面倒を見て貰っているくせに生意気云うな!』と父に云われ、
「なら、もう面倒は見てくれなくて良い」と家を出て 自活生活 に入った。
同時に最初の「勘当」宣告を受け、親からの経済的支援を絶たれた。
以来今日に至るまで父と私が一緒に過ごした時間は一ヶ月にも満たないだろう。
今となっては父と一緒に暮らした期間は短いものであったが、父は実に良い教えを私に残してくれたと感謝している。
その一つが、
『不正な金を得ようとするな!』である。
私が小学生で「カギっ子」の頃、遊ぶ金が欲しくて親の財布から小遣いを失敬した。
これがバレて、ひどく怒鳴りつけられたのだ。
もちろん盗んだ事を叱られるのは仕方が無い。
しかし父は、
「不正な手段で得た金は、不正な事にしか使われないし、『死に金』になる!』
と言い、
「金を活かす為には正直な方法で金を得なくてはならん!」
と説いたのだった。
この話は私の心に染みついて、
私が社会人になってからも、仕事に対する姿勢に活かされ続けた。
毎月の給料日には、「一生懸命、真面目に働いたぞ」と、給料袋(後年給与明細)を受け取るときも堂々として受け取ることができた。
だから「給料が安い」との愚痴も社長に向かって堂々として言えた。
(失敗志向者の言動には敏感なので政治ネタにそれてしまいがちだ。個人の記録に戻ろう)
私が高校2年の時、
『親に面倒を見て貰っているくせに生意気云うな!』と父に云われ、
「なら、もう面倒は見てくれなくて良い」と家を出て 自活生活 に入った。
同時に最初の「勘当」宣告を受け、親からの経済的支援を絶たれた。
以来今日に至るまで父と私が一緒に過ごした時間は一ヶ月にも満たないだろう。
今となっては父と一緒に暮らした期間は短いものであったが、父は実に良い教えを私に残してくれたと感謝している。
その一つが、
『不正な金を得ようとするな!』である。
私が小学生で「カギっ子」の頃、遊ぶ金が欲しくて親の財布から小遣いを失敬した。
これがバレて、ひどく怒鳴りつけられたのだ。
もちろん盗んだ事を叱られるのは仕方が無い。
しかし父は、
「不正な手段で得た金は、不正な事にしか使われないし、『死に金』になる!』
と言い、
「金を活かす為には正直な方法で金を得なくてはならん!」
と説いたのだった。
この話は私の心に染みついて、
私が社会人になってからも、仕事に対する姿勢に活かされ続けた。
毎月の給料日には、「一生懸命、真面目に働いたぞ」と、給料袋(後年給与明細)を受け取るときも堂々として受け取ることができた。
だから「給料が安い」との愚痴も社長に向かって堂々として言えた。