白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

洋行譚 7日目 前半

2010-07-17 | ドイツ・スイス 旅行記
写真はこちらからご覧ください。

6/19~6/22 am
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6/22pm~6/24am
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6/24pm~6/25am
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6/25pm~6/27
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6月25日(金)



前夜の酒が抜けきっていないまま、重く倦むように
眼を覚まして、テレビを点けてBBCを見た。
渋谷のスクランブル交差点で騒ぎ狂う日本人の姿が
映っていた。
帰国してから知った情報では、彼らは信号を守り、
「ルールに沿って」騒いでいたようなのだが、
実態を知らぬ異国滞在者の眼には、彼らの姿など、
暴徒以外の何物にも映らなかった。
BBCのキャスターの語り口には、普段は寡黙で、
礼儀正しい日本人が、狂熱的に大騒ぎしている姿への
若干の動揺と驚きが含まれているように感じられた。





一体なんだこのばか騒ぎは、と、半ば自己嫌悪の情と、
あきれたような溜息をしつつ、
ふ、と、時計に眼をやると、針は8時35分のあたりを
指していた。
駅での待ち合わせは9時である。
大慌てで身支度を整え、階下へ降り、やや急ぎ足で
市街地へでて、中央駅の大時計を目指して一心に歩いた。





大時計の傍らに、山歩き姿の旧友を視界に認めたとき、
ああ、今日は山登りをするのだったな、と思い出した。
ベルヴェストのリネンのジャケットにドレスシャツ、
インコテックスのウールのパンツに襟元用スカーフ、
クロケット&ジョーンズのウィングチップという、
およそ山登りに似つかわしくない我が身の格好に
少しならず後悔の念を感じたのとほぼ同時に、

「それ山登りの格好ちゃうやん(笑)」

と、旧友の突っ込みが入ってきた。
流石、大学時代、僕の勝手気儘でフリーダムな演奏に
数年も付き合わされていただけのことはある。
こちらに対するコール&レスポンスが、頗る早い。





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9時9分発、IC15、チューリッヒ発ミラノ行きは
2等車がほぼ満席または予約済みの状況で、
空席を探すのに一苦労した。
数分後、何とか座席を確保することが出来、腰を下ろす。
定刻通りに駅を滑り出た列車は、チューリッヒ湖の西岸を
南下していった。
チューリッヒ湖の東岸側は、ゴールドコーストと呼ばれ、
陽光燦々と降り注ぐ富豪の住処となっている。
これに対し、チューリッヒ湖の対岸、西岸側の地域に広がる
新興住宅地は、シルバーコーストと呼ばれている。
東岸の富豪たちは、この「シルバー」の語に「ネズミ色」の
暗喩を込めて、馬鹿にしているそうだ。





チューリッヒを出て20分、ツーク駅を過ぎたころ、
まるで硝子絵のような、幻想的でやや超現実的な映像が
眼に飛び込んできた。
湖水も空も、大地から遊離して結晶しているかのようだ。
鏡のような青い水面に反映する山が見えた。
旧友は、今からあの山に登るんだよ、と言った。













9時50分、アルト=ゴルダウ駅で降り、
1871年に開業したという、世界最古の登山鉄道で
リギ山に登る。
アルプスが観光資源となったのは、古いことではない。
ハンニバルやナポレオンの逸話にもあるように、
アルプスは壁だった。
この山からのアルプス眺望の美しさに注目した経営者が
この登山列車を完成し、
金融や精密機械、軍事力の輸出が主であったスイスの経済に、
観光という資源を加える契機を作ったのだそうだ。
メンデルスゾーンやワーグナーも何度かこの山に登っては、
その光景に嘆息したという。
とりわけ、メンデルスゾーンの嘆息は、アルプスの峰々の
向こう側の国、イタリアへの憧れと相まって、
彼の国の名を冠した交響曲へと結実している。





列車は、アプト式と呼ばれる、3本のレールを軌道とし、
そのうち中央のレールが歯車式となっている方式である。
急こう配に対応した方式で、日本でも見ることが出来る。
駅舎はスイス国鉄のレールを跨ぐように建てられている。
橋脚は錆ついて、老朽化が激しく、やや、怖さも感じる。











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10時15分、鉄道はゆっくりと走りだした。
ゆるやかな斜面は、程なく急こう配となって、
崖の際を、時速20kmほどでゆっくりと登っていく。
街並みはやがて森に隠れて、ツーク湖と湖畔の街、
その向こうへと広がる、遠い平原が望まれる。
山の斜面には、放牧された牛の群れも見える。













こうした風景は、日本人にとってはごく自然な流れで、
アルプスの少女ハイジの話題を導き出す。
ハイジの舞台は、スイスとオーストリアの国境らしい。
原作のハイジは長髪の赤毛、巻き髪の少女であり、
日本のアニメーション版を見せると、スイス人は挙って
「これはハイジではない」と否定をするそうだ。
標高1500mほどで、列車は90度方向を変え、
遥か、アルプスの峰々の姿が眼に映じた。
名高い、アイガーの北壁も見える。









山頂駅は、平日だというのに多くの人々で賑わっていた。
此処にきてようやく、日本人の団体観光客の姿を見た。
フランクフルトの空港以来のことになる。
山頂駅の標高は約1700mと、それほど高くはない。
しかし、独立峰であるために、視界を遮るものが無い。
北方向には、スイス北部の平原、遠くドイツの黒い森が
拡がっているのが見える。
南方向には、アイガー、ユングフラウなど、4000mの
峰々が、翼を広げた大鷲のように座している。
駅には、鉄道のレールで作られたモニュメントがあって、
「Take the A train」という名を付けられていた。
その名に反応して笑い合っているのは、ジャズに馴染んだ
日本人2人だけだった。













山頂へは、ここからさらに歩かなければならない。
出で立ちが甚だ登山に不向きなのに加えて、
これまでの旅の疲れが蓄積していたのだろうか、
歩いているうちに、だんだんと息苦しさと身体の重さを
感じてきた。
携えてきた薬を一服した後、旧友に症状を伝えると、
急に高度が変わったからな、と、水筒を渡された。
シグボトルで、吸いつくのは疲れるだろうと思ったのか、
旧友はボトルキャップを外してくれた。
中身はしそ茶だった。
死に際に、死に水ならぬ死に酒を、と、酒を飲まされた
横山大観が、そのまま復活してしまったという逸話を
思い出したほどに、効いた。













山頂の標高は約1800m、360度の眺望が碧空の下に
拡がっているさまは、絶景というほかにない。
言葉を失うというのは、おそらくこのことだろう。
壮大な山容、湖水、地平、緑、空、光の織りなす景観に
息を飲んだまま、阿呆のように呆然と立ち尽くすことも
しばしばだった。















小林秀雄が道頓堀で犬のようにふらついていて、突然に
モーツアルトの交響曲第40番の旋律に襲われたのとは
対照的に、
自然と口ずさみつつ頭の中に想ったのは、ブルックナーの
交響曲第7番だったことを告白しておく。




山頂で、天使のような子供を見かけた。
スイス人は、歩き始めたばかりの子供でも、
平気で山に連れてきてしまうらしい。
あたりには、珍しい高山植物も数多く咲いている。
6月の初旬まではタンポポの季節だったらしく、
無数の綿帽子が揺れては、何処かへと飛んでいった。







山頂駅近くへ降りて、ホテルのデッキで昼食を取った。
巨大なブルストとビールを、一気に平らげてしまった。
雲ひとつないスイスの空と涼風に吹かれつつ、
穏やかで眩しい山頂から、遥かアイガー北壁を眺めつつ、
昼酒をするというのは、代えがたい、至上の贅沢である。









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食後、しばらく、ハイキングを楽しむことにした。
山頂から、来た方向とは反対の、ルツェルン湖側へと
下山する道筋の中途、
登山電車のカルトバード駅までの約5kmほどである。
このころになると、身体の状況は快調になったのだが、
クロケット&ジョーンズの革靴で砂利道を歩くのは、
足にはかなりの負担になり、腰も痛む。
それでも、断崖絶壁の際を縫うような道から眺める
ルツェルンの遠望、ピラトゥスの山影に、
思わず、何度も嘆息して、そのたびに口を閉じ忘れる。
牛の群れ、洞窟があちこちに見える。
高齢者がスキー用のストックを手にゆっくりと山を登り、
あるいは下りる姿に、数多く出くわした。

















中途、碧空の天蓋に、2つの虹が架かった。



















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カルトバードの手前に、村がある。

















その木立と、家並、空、花々、影、十字架、風、匂い、
ふ、と、マーラーの交響曲第5番第4楽章の、
ハープのアルペジオと弦楽の旋律を聴いた。





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カルトバード駅から、鉄道に乗って、
一気に、ルツェルン湖畔の港町であるヴィッツナウまで
下りていく。







ヴィッツナウの港はひとで溢れていた。
湖を渡ってくる風が涼しく、爽快なこと、この上ない。









旧友に、3人の初老のスイス人が話しかけてきた。
どうやら、サッカー・ワールドカップでの日本の戦いを
褒めているらしい。
この日の夜には、スイス対ホンジュラスの試合が行われる
予定になっていた。





ここから、ルツェルンまでは、レイククルーズとなる。
船は、鏡盤を滑るように、繊細かつ慎重に岸を離れた。





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