白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

もう一度出直すことに

2009-06-06 | 日常、思うこと
お客さんは、きっと喜んでくれていたのだと思います。
そう思いたいという部分も、甘えるように、あります。
共演してくれた方々や、この機会を設けていただいた
Hさんには、ひたすら、感謝するばかりです。
ほんとうにありがとうございます。





しかし、錆びという名の、音楽面での僕の腐食は、
思いのほかに進んでいました。
コード進行、拍数、小節数を数多く見失い、
どう弾いていいか分からなくなることもしばしば、
曲進行が僕の頭の働きをどんどん追い越していって、
挙句には指が痙攣して、どうにもなりませんでした。
コンボ演奏から離れて2年半になるというブランクは
あまりに大きいものでした。
本当に申し訳ない演奏をしてしまいました。
皆さんがどう言われるかはわかりませんが、これは
僕自身の問題で、僕自身にしか立ち向かえないこと。
とても悔しい。そんな自分自身に苛立ちが募ります。





思い返せば、この数年間は、自分の才能と努力に
限界を感じるばかりで、
まわりのどんなひとびとの演奏も上手だと感じ、
なんて自分は下手なのだろう、と思うこと頻り、
それに心動いていることがわかってはいながら、
どこかでそれを拒絶して、俺にはもっと出来る、
などというような思いをひそかに抱いている、
その臆病さゆえに、尊大と卑小の間を絶えず
揺れ動いてきたように思っています。
ずいぶん人を傷つけました。





本当に演奏したいと思う完全即興とはほど遠い
音を、媚びるように弾いてしまう、
そのたびに自己嫌悪に陥って、
これは俺の音ではないんだ、と思いこむほど、
そいつこそが自分の音楽の限界なのだ、
間違いなく自分の音楽なのだ、ということに
嫌というほどに思い至らされる。
それを受け入れたならば、自分の音が許せずに
おそらくは金槌でもって自分の指を砕くような
振る舞いにも出かねない。
自分自身をどうコントロールしてよいかが全く
わからなくなってきた結果、
楽器の弾き方、演奏のしかただけでなく、
音楽って何なのかを完全に見失っていました。





その挙句の、あの演奏でしたから、
どのように人から評されようと、僕自身には
音楽に対する申し訳なさ、悔しさ、
やり場のない怒りが残るばかり、
Hさんに赤坂見附まで送っていただいた後は
荒海の中の小舟のように感情に切り揉まれ
ひどく落ち込んで、そのまま夜が白むのを
じっと待っていました。





とりあえずは、一から、出直しです。
ボーナスが出たら、とりあえずは鍵盤を買おうと
思っています。
また音を試みる以外に、何もないのだから。





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そんな今日は、誰のせいでもなく自分のせいで、
墜落寸前の低空飛行を朝から続けていました。





新海誠の「秒速5センチメートル」を繰り返して、
youtubeで何度見たことか、数えられないけれど、
夕方近くに、山崎まさよしの

「One More Time One More Chance」

の詩を思い返していたとき、
突如フラッシュバックが起きて、10年間が一瞬にして
眼の裏側を駆け抜け、その瞬間に発作が起きました。
今の僕には、どうやら見てはいけないものだったのか、
それでも発作が軽くおさまったあとには、
孤独とせつなさとやりきれなさとかなしさとつらさと
名づけるのも間に合わないような速度の感情が、
また、昨日のことを思い出させました。





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夕食の買い物をしに、と、しびれの残る手足と、
昨日痙攣した指と、うなだれた首を引きずって
都会の孤独になるべく冷淡に歩きながら、
昨日の終演後、BIFF氏が駆けつけてくれたことを
思い出していました。





公私ともにこの一月ほどは休まらぬ日を送って、
母との外食のあと、タクシーを走らせたそうです。
4月、青山で一緒に食事をした際に、BIFF氏には
東京でもし演奏する機会があれば、聴衆として
きていただけないか、と、お願いをしていました。





氏は約束を守って、やってきてくれたのでした。
氏に、あのような演奏を聴かれなかったことは、
せめてもの救いだったのかもしれません。
それはつまり、氏に対して、僕のほうはまだ
約束を果たせていないということになります。





一から、出直します。






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