白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

会議は踊る

2009-01-24 | 日常、思うこと
官庁との不毛な折衝に忙殺される日々が続く中、
産学官のブレインストーミング方式の会合や、
講師を招いてのサロンミーティングに招かれた。
御屠蘇気分で赴いたのが運の尽きか、
円卓には、新聞やテレビやインターネットや雑誌等、
メディアでいろいろと見聞きをした名を持つひとや、
社会に世論や消費行動を形成するための操り糸を
巧みに動かしているひとが居並んでいる状況であり、
期せずして、大変な状況に身を置く羽目になった。





仮にも、この会合やミーティングの本旨の所在が
ある種の政治性に存するということならば、
僕のような社会的身分の人間をその場に交えるのは
カモフラージュには打ってつけなのだろうし、
笑いに砕けた参集者の顔にも、もっと甘くて馴れて
弛緩している関係性の影が浮かんでいるはずである。
ところが、そこには談論風発の活況どころか、
刺すか刺されるか、一歩間違えば大けがをしそうな
緊迫した空気が充溢していて、
どうやらこの会合やミーティングは、
本当に地域の key person が集まって
交流、否、接触、否、火花する場であるらしかった。
ウェルテルが夜会で向けられた視線を感じることは
幸いにして出来なかった。




会合やミーティングに招かれる講師陣の顔ぶれも、
政治家、企業経営者、大学教授、NPO主催者といった
多彩なものであり、
産学官、各方面からの参集者は自分の立場を超えて
自由に質疑応答、議論をすることが許されている。
当日の議題は、
世界的な信用収縮と投機資金の滞留が引き起こした
現下の急速な経済情勢の悪化のもとで
地域経済は果たして存立しうるか、というものである。
音楽に戯れ、哲学にかぶれてきた僕にとっては
それは禅問答どころか、さしづめアラビア語圏の街頭に
突如所持金もなく投げ出されてしまったようなもの、
ここのところ、自分の眼に映る人間のすべてが誰も彼も
僕よりもずっと優れて見えてたまらないので
無視してくれればいいものを、指名の声が掛かってしまい
汗顔、這々の体で、なんとか発言をした。





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現下の不況に関係なく、
地域経済の自立というものは大変に難しい。
ある種の産業核を中心にして公転している地域経済は
飛び出そうとしても必ず留め置かれる宿命にある。





ここ数年、地域産業の救世主として、
企業誘致施策が全国で展開されてきたけれども、
地域雇用の創出や税源創出、
地域商業や建設業などの地域経済に対する波及効果を
今こそ慎重に見直さなければならない。
企業に多額の奨励金を支給してきた自治体財政は、
大幅な法人税収の落ち込みに苦慮しているし、
雇用創出の面でも、派遣切りや雇い止めというかたちで
皮肉に報いられている。





ここ数年は、輸出特化型の成長戦略に対して
中小企業や地域経済がどれだけ応答し、下支えできるかが
一貫して問われてきた。
設備増強が技術革新よりも優先するような時代であり、
中小企業は内部留保の蓄積や基礎研究、人材育成を犠牲に
人件費や製造・輸送コストの圧縮を進めてきた。
この間、日本の技術革新は随分遅延したのではないかと
考えている。
事実、日本の国際的競争力はここ数年の落ち込みが激しい。





今後は、企業誘致という総花的な施策によらず、
地域資源の発掘と学術機関との連携による新産業への育成、
研究開発型の産業構造の構築や専門人材の育成等の施策を
重点的に講じることが必要になる。
宿命的に加工貿易国であり続ける以外にないのだから、
潜在需要を国内外に開拓し、高付加価値型の商品を開発し、
これを安定的かつ継続的に供給していくか、
そしてその過程で、継続的な技術革新を実行できるか、
こうした専門性の高い施策を関係諸機関の緊密な連携の下に
実現していくことが、大きな課題となるのではないか。





ただし、この思想は、20年前に法制化された
多極分散型国土形成促進法の理念にも通底している。
地域特性を生かした国土利用計画の立案と、
それに基づく産業集積の構築の実現を名目に、
バブル期には、全国各地に高速道路の建設整備計画や
産業用地の開発造成、研究開発施設整備が進められた。
しかし、その後の長期不況と国・地方の財政難によって
多くの計画が頓挫、棚上げにされることとなった。
今回の不況下において、地域資源の発掘と地域独自の
産業構造の構築を名目として、
およそ実現性・期待される効果の不足している事業に
莫大な公共投資を個別に行うような失敗を、
決して繰り返してはならない。
生命科学分野、情報通信分野、ナノテクノロジー分野、
オバマ政権が提唱するような環境関連分野の産業を
国家的戦略のもとに展開できる地域は限られている。





一案として、農林水産部門の法令において未だに残る
多くの規制を緩和して、
農業生産法人のような、新たな農業参画の担い手を
ビジネスモデルとして育成し、
食料自給率の向上のみならず、農業を有望な輸出産業に
転換していくことも考えられる。
こうした権能を有するのは国家以外にはなく、
そのイニシアティヴに可能性を委ねなければならない。
膨張した資本主義がひとつの臨界点を迎えている現在、
益の再分配という本来の国家の機能を強化して、
「小さな政府」のような、自己目的化した構造改革を
いったん停止することも重要なのではないか。





云々。





地域商業の振興については、一層問題が複雑である。
全国の地方都市の駅前に見られるシャッター通りは、
大店立地法の改正に伴う郊外型大規模小売店舗の
相次ぐ立地に起因するばかりのものではない。
資産運用や不動産収益に事業を拡大し、あるいは兼業し
金銭的に困窮していない商業者のなかには、
商業を営むこと、或いは地域における商業の役割に対し
危機感や使命感のようなものが乏しい事例がある。
また、旧戦災復興区域外に立地する商店街にあっては、
戦後の闇市に由来するような狭隘な土地区画に
個店が権利関係を整理せぬままに立地しているなど、
高度利用化を妨げている事例もある。





国は中心市街地活性化法において、都市計画法における
特別用途地区設定を活用して、商業地区の容積率を緩和し
高度利用化を促すなどの取り組みを始めている。
しかし、不動産市況の悪化にともに、保留床、あるいは
保留地の処分価格が大幅な下落となることが予想され、
全国の都市再開発組合や土地区画整理組合の資金計画が
大幅な修正を余儀なくされる事例も発生しつつある。
地域商業の環境面での機能強化、高度化による活性化は、
その見通しが一層悪化しているといえる。





現下の景況を踏まえた地域商業の活性化施策としては、
フィルムコミッションやコンベンションビューロー等の
観光客等の誘致の取り組みや、
地域資源を生かした高付加価値型商品開発と販売の展開を
組み合わせ、
観光商業モデルを構築し、イベントや生涯学習事業と併せ、
文化力発信型の賑わい創出によって商業振興を図るという、
ソフト面からのアプローチが現実的ではないだろうか。





いずれにせよ、「地域の特色を生かした施策」ばかりが
全国各地に乱立すれば、スーラの点描画のように、
鮮やかな赤も、ただの背景の一点に埋没することを
念頭に置かねばならないだろう。





云々。





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ずぶの素人の取ってつけたような長広舌は実に白々しい。
恥じ入って、汗顔で、僕が話を終えたあとに続いたのは、
NPOの若者の成長を我が子のことのように喜ぶ
企業経営者の涙と、
自分の愛する街に、仕事のないひとを溢れさせたくない、
そのほうが、産業の振興よりも先にあるはずだ、という
僕よりも幾つも若い女性の涙であって、
それは、確かに真実だと思う。





帰途、ネットカフェを覗いてみた。
マッサージシートのブースは、フラットシートという
宿泊に適した形態へと改装されており、
フラットシートの前には、いくつものスニーカーが
かかとをつぶして、並んでいた。






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