白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

Snow Leoperd

2008-02-11 | 日常、思うこと
2月9日の朝、出張のための身支度を終えて
靴を磨いているところに、窓越しに小雪の舞うのが
見えたために、上司に連絡を取り、
関ヶ原での大雪を勘案して、新幹線をあきらめて
近鉄特急を用いて大阪に向かうこととした。
駅までの道すがら、雪降りは少しずつ強さを増して
すっかりコートが白くなってしまった。
手土産を購い、駅へ入るころには鬢髪霜を頂いたような
按配で、上司は僕の姿を見てあたたかな缶コーヒーを
買ってきてくれた。





名古屋から桑名、四日市、白子、津、と、
三重県を南下していくうちも、雪は止む気配がない。
青山から名張を過ぎ、奈良県に入ったころから
車窓が真っ白に曇り始めた。
冷たい窓を手でぬぐい、外気を直に触れてみるような
試みの後に外を眺めると、三輪山のなだらかな四角錘の
山体はすっかり霧の中に覆われて、桜井から橿原の家並は
鎮められたように静けさのなかにあった。





難波駅から御堂筋線で梅田に出て、インデアンカレーを
食し、あまりの辛さに驚いた上司の水を飲む頻度の多さを
内心の悪戯っぽさを表に出さないように窺いながら
その味を堪能した後、阪急電車で関西学院に向かった。





甲東園はひどい雪で、タクシーのなかにはチェーンを巻いた
ものもあった。
関西学院で教授との打ち合わせを1時間ほどで済ませたあと、
西宮北口で上司と別れ、神戸方面に向かった。
西宮西部から芦屋にかけて、積雪の深度、雪降りの度合いが
いちばんひどく、神戸に入る頃にはずいぶん小康状態になった。
新神戸から三宮にかけての山並みは霧の中に隠れていたが、
急峻な六甲の山裾に広がる森は水墨の屏風絵のそれのようで、
新神戸付近のビルディングの形状、ボイラーから立ち上る蒸気を
渦を成して空の虚のなかに引き込んで行く雲の流転するさまは
次元の位相を歪めたように幻想的で不可思議な美しさだった。





三宮で地下鉄に乗り換え、西神中央に着いてみると
氷雨がぽつり、と降っているばかりで積雪もない。
僕の親戚もこの街に住んでいるのだが、
三宮から30分もかかるというあまりの遠さ、
六甲を縦貫するトンネルや丘陵をいくつも越え、
合間に沿線に見える田園風景をも眺め見てきたから、
ここは神戸ではない、という、ひとびとがよく漏らす感想を
確かにそうだ、という実感で迎え入れながら、
西神戸医療センターへ向かった。
脳腫瘍をわずらった後輩の見舞いを目的としてである。





事前予告も何もせずに行ったものだから彼は随分驚いていて
何をどうしてよいのやらわからないような、化かされたような
雰囲気を漂わせていたものの、
思ったよりも元気そうだったこともあり、こちらも安心した。
手土産とお茶をおやつにした後、彼の負担のことを考えて
40分ほどで面会を終え、帰途に着いた。





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三宮でJRに乗り換えるころにはすっかり雪も止んで、
神戸臨海の工場群からは無数の湯気や煙があがっていた。
雪に鎮められていた街が動き始めて、分厚い雪雲の中へと
巨大な蒸気に変化して渦のように消えて行くのなら、と
ぼんやりと考えながら、大阪に着き、
グランヴィアにチェックインの後、阪神百貨店でマデイラと
ローストビーフを購い、部屋で軽い食事を取った後、
身支度を整えて、石橋へ向かった。





大学時代の後輩5人と合流し、いつものように
「保呂酔」に入り、酒を酌み交わして他愛もない話をし、
時間は瞬刻のように過ぎた。
0時を回り、彼ら全員が翌日に箕面市での慰問演奏を
控えていたことから、0時半に解散して、タクシーを拾おうと
路頭、氷点下の宵闇へ出た。





しかし、ただの一台も空車のタクシーが通らない。
運悪く、この日は雪の影響で各タクシー会社が台数制限をかけ
配車センターも業務を予定よりも早く切り上げていたらしい。
時折場所を変えながら、まるで客の取れぬ夜鷹のような惨めさで
凍えながらあたりをうろついていた。





ようやくやってきた空車は対向車線側で、先客に拾われ、
こちら側をやってきた空車は僕の手前で予約車と表示を変えて
眼前で別の客を乗せて走り去った。
すっかり身体は冷え切ってしまい、元の場所に戻ってみると
さきほどまで空車待ちしていたはずの数人の姿もなく、
とうとう凍るような夜にたったひとり取り残されてしまったのが
身にしみて、
たまらず、午前1時半を過ぎた頃、保呂酔に戻った。





閉店準備をしていたところではあったが、タケさんを初めとする
店のひとびとは快く迎えてくれたばかりか、
客もあわせて4人が、タクシー会社への手配を試みてくれた。
冷え切った体は3合の熱燗とひとの情でもって温まった。
午前2時、とうとうタクシーはつかまらなかったため、タケさんは
僕に本店4階の従業員用休憩室で泊まっていくように勧めてくれた。
最初は固辞したけれども、彼は、ええから、気にせんと、と言って
僕を本店へと連れ出した。
学生時代から10年通って、はるばる名古屋から来ていることを
知っているからだろう。
本店4階の休憩室は散らかってはいたが、広さにして約18畳、
暖房、テレビ、ベッド、トイレの備わった場所だった。
タケさんに謝意を伝え、彼が階段を下りていってからしばらくして、
3階のラウンジの店員が尋ねてきて、どうぞ、といって飲み物を
置いていった。





情が沁みて、よく眠れた。





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2月10日、10時半に「保呂酔」をあとにして、
ホテルに戻り、身支度を整えたあと、高槻から甲子園口に
引っ越した妹の家を訪ね、荷物の片付けや整理などを手伝った。
武庫川に近い甲子園口は閑静な高級住宅街が広がる一方で
昔ながらの商店街も残る、趣きある地域で、
その環境のよさを羨ましがると、妹は得意げな顔をした。





紅茶と菓子でくつろいだ後、晩飯を食べに大阪に出た。
福島駅から聖天通を西へ向かい、しばらく行ったところに
目指すもつ鍋の店があった。
もつの塩焼き、ホイル焼き、鍋を汗だくになりながら食べ、
舌鼓を打った。
濃厚だがくせのない甘い脂をもつ良いもつはいくらでも
食べられるうえに、値段も安価で、野菜を一緒に多く摂れば
健康的ともいえる。
鍋の出汁は具材が煮込まれるほどに旨みを増し、〆の雑炊は
絶品だった。





7時半に妹と別れ、ホテルで身支度を整えた後、
成城石井でシェリーを購ったあと、9時にビッグマン前に
到着してしばらくすると、Mが後ろから声を掛けてきた。
シェリーを手にグランヴィアのバーへ入り、
マティーニやマッカラン、マルガリータ等を楽しみながら
大阪の夜景を眺め、会話に興じた。
バーでの最後のカクテルに、オリジナルのものを2つ頼むと、
彼女のカクテルはテキーラベースの珊瑚の色のもの、
一輪の小さなバラが添えられていた。
僕のカクテルはアブサンベースでありながら、バーテンダーが
気を利かせて、彼女のカクテルと全く同じ珊瑚の色をした
甘いカクテルに仕上がっていた。
おそらくカップルだと思ったのだろう。
彼女はそれを「社会見学」と言っていた。





部屋に戻り、一緒にブラックストーンやピース、マルボロを
吹かしてシェリーを飲み、
午前1時半、彼女をタクシーに乗せ、別れた。





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翌朝、目覚めると、
部屋のテーブルには、タバコを吸い慣れていない彼女が
あちこちに零したタバコの灰、
彼女の服にかかったタバコの灰をふき取ったタオル、
冷たくなったコーヒー、堆く積まれた灰皿の吸殻、
ほとんど空いてしまったシェリーの瓶、
握り潰されたブラックストーンのパッケージが並び、





ずっと密接していた距離感と、敬語を用いない密接した言葉と、
それでいて、あれだけ近くにいたのに感じた果てしない遠さが
むなしさと切なさとないまぜになって、重い頭を締め上げた。
幸せだったのだろう。
無邪気にはしゃいでいたときの楽しさや、過ぎて行く時間への
悔しさや、彼女の、減薬を祝う言葉や、僕の幸せを祈る言葉や、
さまざまの記憶のせいで、四肢が引き攣る。





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昼過ぎ、新幹線で帰宅後、午睡して、夢を見た。
昨日の夜の夢だった。





彼女を送る僕が発した言葉には、寸分の偽りもなかった。
それが虚空へ消えようが、ことばはもう誰のものでもない。
けれど・・・





「人間は天使でもなく、獣でもない。
そして不幸なことに、天使になろうとする人が獣になる。」
                   (パスカル)

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