白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

酔心心酔

2008-02-14 | 日常、思うこと
昨年来、かねてより愛飲していた奈良の地酒の質が
どうやら落ちてきたらしいことに気がついて、
様々、日本各地の地酒を探してきた。





料亭なだ万の子として生まれた俳人にして粋人の
楠本憲吉氏の「戒食録」という書籍を
とある古本屋でタダ同然で入手して、そいつをば
ぺらぺらとめくっていると、
果たして、酒の話に行き当たった。





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地酒の語は、古く江戸の頃から使われていた言葉という。
江戸の人々にとって、酒とはいわゆる「灘の生一本」、
兵庫県南東部の灘五郷、今津、魚崎、御影、西郷、西宮に
産するもののことであり、
「灘の生一本」こそ本場の酒、灘五郷以外の田舎の酒を
「地酒」といって区別していたようである。





つまり、「地酒」とは、その由来は地域独自のブランドとして
肯定的な謂われを有してはおらず、
むしろ、田舎の二流の酒としての蔑称に近い意味合いを
与えられていた語であるらしい。





古来、「灘の生一本」といわれる酒は、
宮水と呼ばれる夙川の伏流水由来の湧き水で仕込まれている。
六甲山由来の豊かなカルシウム分と、鳴尾浜付近の海水の
ミネラル分が宮水には多く含まれ、
これが、酵母菌の発育を実によく助ける、酒造りには最適の
水質であるそうだ。
無論、その水は硬水であり、したがって、灘の酒は辛口が多く、
味の繊細さに乏しいものが多い。
これに比して、日本全国各地の湧水は軟水が多いことから、
やや甘口の酒が多く産出されたようだ。





酒造は古今東西、権威あるものに委ねられてきた。
日本では寺社がこれを担い、西欧では教会がその任に当たった。
中世に入って、政治権力が宗教勢力から封建領主に移り、
地域経済の振興策、殖産興業施策としての酒造が奨励されるに至り
酒造は民間の手に移って行ったという。
酒造は冬の農閑期に行われることから、杜氏とて最初は地方からの
流浪者であったという。





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地酒がブランド化した理由は、大きく分けて2つある。
ひとつは、戦後の農業施策において、酒造米が政府統制の
下におかれたことで、
酒造メーカーそれぞれに配分される酒造米の量が限られ、
一定量以上の酒造が物理的に困難となったことにある。
結果、売り上げをいっそう伸ばそうとする酒造メーカーは
特に灘を初めとする大手業者に顕著であったのだが、
全国各地の地酒を買い、これを自社醸造の酒と混ぜてから
自社の製品ブランドを冠して販売する戦略に出たのである。





これによって、大手酒造メーカーの資金内部留保は大きく
膨らんだのだが、
蔵元独自の日本酒の味というものが損なわれ、日本酒の味が
どれも平準化し、均一化されて個性を失う結果となった。
「灘の生一本」という特産性が損なわれた結果として、
舌の肥えた消費者の食指が、大手メーカーからだんだんと離れ
未知の地方の「地酒」へと向かった。
それはいわばブレンド以前のシングルモルトを求める酒飲みの
心理と同じであって、
決してブレンデッド・ウィスキーの旨味を否定する行動では
ないのだが、日本人はどうにも純粋品種、純血性というものを
兎角求める性質が強いせいか、「地酒」という純粋へのこだわりが
どうしても強まってしまうのだろう。
日本酒が、清め、祈り、といった宗教儀式と未だ不可分である事を
省みれば、それも自然な心性といえるのかもしれない。





もう1つの理由は、戦後の酒造が、原酒を醸造アルコールや水、
糖で割って味をつけるという方法によって、効率的な大量生産の
体制を構築しようとしたことにある。
結果、戦後の日本酒は非常に甘口のものが多くなってしまい、
消費者の間に「日本酒は甘いもの」という認識が広まった。
軟水で仕込み、糖を足せば、酒の味は当然甘くなる。
その甘みの不自然さに、日本人の敏感な嗅覚と味覚が反応して
地酒一般に多い辛口のものを求める方向に消費者意識が向かった。





加えて、自分だけがその価値を知っている、ということによる
優越感を持とうとする卑しい根性が加わって、一気に地酒ブームが
起こった、ということも出来るかもしれない。





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かくいう僕もさもしい、卑しい根性の持ち主であるから
様々の酒を買ってみては、試してみた。
そうしてようやく、最近ひとつの酒に行き当たった。
広島県三原の「酔心」である。





その名前は、横山大観の愛飲酒ということもあってかねて
知ってはいた。
大観は「酔心」の当主と懇意になり、一生分の酒の提供を
受ける代わりに、謝意のしるしとして絵を毎年「酔心」に
送ることを約したそうで、
年に何度も4斗、5斗という常軌を逸した注文を重ねつつ
それに応じる酒造会社に大観コレクションを形成するほどの
絵を送り続けたそうだ。





先に述べた楠本氏の著作にも、色合い、光沢、香気、そして
味の濃やかさにおいて、「酔心」は抜群とあり、
粋人がそこまで手放しで褒めるなら一度試してみるか、と
これを購入して、試してみることにした。





それはヒヤで飲めば決して繊細な、洗練された風味ではなく、
雑味というべきような苦味や渋味、痺れもかすかに含んでいる
野趣ある酒なのだが、
燗をしたとたんに味わいがとたんに円やかになり、華やかな
香りと旨味、そして芳醇な余韻がいつまでも響くという、
昨今流行の端麗とは対極の、いわゆる「酒らしい酒」だった。
何よりも、酔い方が熱い。
気障な酔いではない、何か別のものが入っているのではないか、
と思うような、やや躁的の高揚のある快活で純朴な酔いが回る。





都会的な洗練とは遠いが、純朴で情熱的な田舎娘のような
まっすぐでけれんみのない酒であり、気に入った。





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一献。





アブサン、マデラ、シェリー、トカイ、酔心、マッカラン、
ピース、ブラックストーン、
これだけあれば緩慢な自殺でも出来ようものだな、はは、
と笑いながら、バレンタインデイの今日は、
バレンタインチェリーボーイ(過去チョコ貰い経験なし)の
渾名を汚さぬように、というわけではないのに
風邪を引いて寝込み、
雪舞う空見て寂寥きわまり起き出して、
ブルーマウンテンを手挽きのミルで砕き、作法じみた所作で
湯を沸かして紙ドリップで濃い目に珈琲を淹れ、
スコッチを注いでアイリッシュ珈琲にしてこれを飲み、
ようやくほっと、暖まる。





庭に一輪、白寒椿、メジロ蜜吸いがてらの枝遊び、
猫の恋遠く、不貞寝。





GNU HIGHの温度の夜が凍る前にせめてそこに
いてさえくれていたら、
これほど怯えることもないだろうにな。





YESっていう言葉で頁を終われたらいいのに。






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