白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

沖縄写真集、3

2009-10-24 | 日常、思うこと
糸満市バスターミナル。ここでタクシーを借り切り、
戦跡へ向かった。
台風の影響か、天候は暴風雨。









喜屋武岬、沖縄本島最南端の地にして、最後の激戦地。
無数の死体が転がっていたという。
海上からの艦砲射撃、陸空からの一斉掃射に倒れる者、
断崖から飛び降りる者、自爆して果てる者。
海の青はその日もとても美しく輝いていたのだろう。






















ひめゆりの塔。
この資料館には、亡くなった女学生の写真に、聞き取り調査で
判明した人物像、死の様子が記されたパネルが並べられている。
その数、200余り。
ひとつひとつ読んでいるうちに、その様子を胸の奥、瞼の裏に
思っているうちに、たまらない気持ちになった。
あまりのつらさに泣きだして、館を飛び出したひとも、
数多いという。













沖縄平和記念公園。
展示内容も凄絶だったのだが、最後の展示を終えて
来場者が向かう先は、一面の大海原を見渡せる回廊であり、
その空間演出に、思わず震えた。
平和の礎の石碑を、暴風雨のなかを歩いているうちに、
不意に、涙が出た。

























暴風を気にして、やや早く滞在を切り上げ、空港へ向かった。
摂氏29度の那覇から、摂氏14度の東京へ向かうのには、
少し、気後れもあったのだが、仕方がない。
この旅では、コザのさまざまの人たちだけではなく、
本土から来ていてたまたまこちらと居合わせたひととの間に
実は思いがけない縁があったりと、たくさんの偶然と好意に
助けられた。





混沌と複雑のなかに無理やりに自分の立ち位置を決めるより
何気ない所作ひとつのなかに自分が立ち現われているのだと
するのなら、論理や意味を求めてしまう性癖を一旦凍結、
あるいは真空パックにして、スポンジ化するのも一手、
そのほうが、楽に、しかし豊かに生きられるのかもしれない。
もっとも、こんなことを僕に助言してきた構成作家が、
どう見てもあまり楽そうに生きていないのも事実なのだが。





意味より先に音だ、そこにはそのひとがそのまま表れる、
と、コザのドラマーが言っていた。
漠として僕もそう思っていて、それゆえに怖くもある、
かのドラマーは、僕に沖縄に残れ、と言ってくれた。
彼にはまた、会いに行きたいと思っている。








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