白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

ユビハラキリ、ハタラキナガラ

2006-10-28 | 日常、思うこと
先日、職場で防災訓練なるものが行われた。
重要書類搬出、初期消火、避難誘導、といった
さまざまの訓練を100人体勢で行うもので、
僕は5階からはしご車で救出される役割を負っていた。



現在のはしご車は、ただはしごがスルスルと
伸び上がるだけのものではない。
屋上部分からの安全な救出を想定しているのか、
先端部分の数メートルが下方向に折れ曲がるように
設計されている。
さながらキリンの首のような形状のはしごの先端部には
人が乗るための籠状のブースが設けてあり、
そこに、はしごの高さ、方向、角度を調整する操縦台が
置かれていて、消防士はショベルカーの操縦のように
左右のレバーを操作して、救出に最適な位置へと
はしごを持っていくのである。



そのさまを、屋上壁から身を乗り出して食い入るように
眺め観ているうち、ぼくの番がやってきた。
僕の前に首をもたげた巨大なはしごへと上ろうとして
籠状のブースの四角の金属の柵に手を掛けて
いきおい飛び上がり、乗り移ろうとしたとき、
す、と左手薬指の腹に触れるものがあり、
続いてかすかな痛みを覚え、
見ると、指の腹が一閃に切れていて、血が滲んでいた。



幸いに傷は浅く、その日のうちに塞がったので
翌日にはピアノを弾くのに何ら支障もなかったので
安心したのだが、
ふと過去を顧みてみると、重要な演奏機会やバンドの
立ち上げを行おうとした際には
僕は必ずといっていいほど、手を負傷しているのである。



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一度目は大学1年のときだったか、
当時所属していたサークルの合宿を控えていた時期のこと。
体育の授業のローラーブレードで転倒したときに、
手首をあらぬ方向にひねって捻挫してしまい、
2週間ほど左手が使えなくなってしまった。
このときには、トロンボーンを吹いていたK君が
ほぼ同時期にスキー中に転倒し、
右肩を脱臼して演奏不能に陥ったという出来事もあり、
小豆島の合宿発表の場では、わざわざ栃木の実家にいた彼に
携帯電話越しにMCを務めてもらった記憶がある。




二度目は大学4年のときのことで、
大学での音楽生活を総括する意味で立ち上げたピアノトリオの
(このとき、初めてフランス語で「無名性」を意味する
 lanonymatという名称を使った)
初練習の直前のことだった。
ファミリーレストランの皿洗いのアルバイトをしていたぼくは
毎日、深夜4時ごろまでサービス残業を繰り返していた。
ある日、手は薬剤で荒れ、湯水でふやけていたところに
疲労による集中力の低下もあったのだろう、
深夜3時ごろ、セラミックの大皿を手を滑らせて落としてしまい、
飛び散った破片が僕の左手親指の腹をばっさりと切った。
急いで止血を試みたが一向に改善せず、
近くの総合病院の夜間窓口に駆け込んで処置をしてもらった。




結果、僕の左親指の腹はホチキス止めにされてしまい、
左手も包帯でぐるぐる巻きにされてしまい
3週間ほど満足に使えなくなってしまった。
そのおかげでバイトもクビにされてしまい
バンドの練習も出来ないという状態、
悶々とした日々を過ごしたことを覚えている。




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そして今回また、指を怪我したわけなのだが、
変わったジンクスというべきか、
こうした負傷があると、その後の演奏の場では
自分がいままで一度も弾いたことのないような
音使いが生まれたり、
一度も弾けなかったような早いパッセージが
弾けてしまったり、
ピアノとの共振感覚、自らが感じ、聴きたかった
音が、ピアノから聴こえてきたりすることが
不思議なほど多いのだ。




弾き終わって、充実感やら満足など感じることもないほど、
もっと言えば何を自分が行ったかという記憶すらないほど
没入していた時空からふと戻ってきて、
ただ、高温度の拍手のみが、がらんどうの自分の内部に
響いている、という状況が
幾たびも起こってきたのは、決まって手を負傷した後の
演奏なのだ。




演奏中のグリッサンドで指を怪我するようなこともあったが
それとは全く異質のものである。
どうしてそのようになるのか、とんと見当もつかないが、
よい兆しとして、こころに灯しておいてもよい出来事かもしれない。




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さて、昨今、経済学などかじったこともない
金融のずぶの素人、それも公職に就いて日の浅い青二才が
中小企業者支援政策の見直しやら具体的な政策の立案、
さらには法規の作成まで行っているというのは
実に危ういものだ、と思うことがある。
最近はさまざまな政策事例の研究のほか、現状数値を根拠に
さまざまな制度内容を適用して
支援策の費用対効果のシミュレーションを行い、
標準偏差を算出し、それに基づき個々の予算額・交付額を
試算するという毎日を送っていて、
それなりに、職務を誠実に行ってはいるのだが、



旧帝大の経済学部を卒業し、生保に勤めていた人間を
教育委員会の文化政策に携わらせる一方で、
一応は旧帝大の文学部(軽音楽部)を卒業したとはいえ
ただの哲学・芸術・文学・音楽好きのだだけ者を
金融政策に携わらせるというのは、
当人それなりに誠実に取り組んでいるとはいえ、
いかがなものだろうか。



まあ、飛び込み営業で名刺を破られ、追い出され、
会社に帰れば達成できるはずもない高いノルマの必達を命ぜられ、
自腹を切って売上をかさ上げしてもそれでも追いつかず、
挙句の果てに給与・賞与を切り詰められ、
サービス残業・土日出勤・謝罪行脚・パワーハラスメントに
追い詰められるような日々を送る民間営業マン生活を
一応は知っているので、
それに比べれば、やりがいというものは大きいのだけれど。




何のために労働するのだろう。
世の中や、人のために役立とうとすることを第一義とするとき、
いわれのない誹謗中傷や恫喝、侮辱を受けることも度々あり
時には彼らと喧嘩にもなるのだが、
仕事柄、感謝されることというのも多い職業でもあるわけで、
そうした言葉を受け取るときには、
身を引き締めつつも、率直にうれしさを覚えることもある。
感謝を受けることが、労働意欲の源泉ではないか。
これは僕の経験から得た感慨である。





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真面目さ、正直さが時として仇となり、
義憤が自らの首をしめ、立場を危うくし、
正しいことが必ずしも通ることのないことは
よく知っている。
ならば、それを求めることを放擲するとどうなるか。




そう、絶望的な期待こそが倫理の賭けられるところだ。
哲学者は眼の前の出来事に沈黙し考え込むしか出来ない。
彼が口を開いたとき、出来事はもう終わっている。
跡形もないものに話し掛ける空しさを知るのなら、
生活のなかに哲学を生きることだ。
労働のなかに哲学が在ることを認めても、
それが特定の立場にたつものでないように
保たれなければならない。




生きる哲学は党派によって語られはしない。
生活の言葉のなかに宿るものを大切にするならば、
この手の中にも哲学があることに気付くはずだ。
それが打ち切られるのは個々の死によってではない。
死によって冷え行く温度を感じるあたたかな手によって
それは確かに受け継がれる。
呼吸の痕跡を呼吸し、経年の痕跡をなぞるなかに
言葉にならないまま胸のあたりに渦巻くものを
そのままじっと抱えることだ。
謎を解かない、語らない哲学があってもいいではないか。
それが生活の中の哲学ではないか。




感じ入り、無言で居合わせることの美しさを知るのなら、
髪を優しく撫でられること、目蓋を優しく手で覆われることの
暖かさに、ことばが打ち負けることを知っておくことだ。



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今日は一日をバッハに費やした。
曇り空のバッハ。
きらめかぬバッハ。
そんな一日も、あってもいい。

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