白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

かげなし

2008-02-06 | 日常、思うこと
2月9日、出張のため大阪。その後、2泊。





***********************





相変わらず、業務繁忙の日が続き、
読書も楽器も遠いままに眠る。





幹部を車に乗せての出張や宴の類は
気疲れする酒を伴い、甚だ不快。





しかし、会議では役職連を抑えてなぜか
僕がプレゼンテーションをする羽目になる。





視察先の田舎のショッピングセンターの書店で
なぜかハーバーマスやデリダをみつけたために
衝動買いして、なんとか気を紛らせる。





このごろはやたらと、土地区画整理や都市計画、
開発行為に関する知識が備わってきた。
要らぬ知恵は頭に入れたくはないのだが、
食い扶持のため、とは、なんと情けないこと。





出張先の温泉で按摩を頼み、
身分を偽って、でたらめな事をさんざ話して
2時間を過ごすときも、
相手の側の、聞かずに聞いている振りをする
大げさな頷きを影で察して、
お気の毒に、と思う。





業界、団体、といったものとの接点も増えて、
重役が頭を下げてくるような立場になると、
かえって居心地の悪さを感じて仕方がない。
裏が巧妙に隠された顔ならまだいいとしても、
裏がにじみ出ている顔というものの恐ろしさは
いっそう間近に迫ってくるからだ。





夜遅くに、はや南中したオリオンを仰ぎ見て
旋律を頭蓋骨の中にさらさらと撒き、
指をもぞもぞと中空に動かすときに
やっと、生き生きとした呼吸をしているのを
感じる。





ゆっくりと風呂に浸かり、
寝酒を呷り、ふと、ひとのことを思うときに
胃のあたりがいっそう発熱する。





忘れられた鍵盤弾きのところに仕事はなく
副業はいっそう盛ん。
副業の場所やいま住む場所には友はなく、
聴き手もはや、霧の奥の、それはそれは遠い話。





心斎橋を歩いてもモーツァルトは響くまい。
部屋では静かに、ブルックナーの交響曲第7番が
ウィスキーの背景を包むように響く。
ダウランドの酒歌が転寝する瞼を弾きはじめて、
やっと眠りの床へ向かい、思い続ける。





ふとフーガがひらめいて、夜中1時に鍵盤を打ち、
うるさい、という一喝を喰らい、音は滅ぶ。





ピアノ弾き失格だな。
仕事もない。
かといって、どうしていいのかがわからない。





これを称して、精神活動上のニートといおうか。





副業に専心する人間の、うらやましいこと。
それを思う、浅ましさといったら。





影もなくなる。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿