水母浮く何も見えなくなったあとに
「好き!」一読そう思った。そして静かな景が広がった。
夏の海は、砂浜は海水浴、岩場は磯遊びで賑わう。でもそれもお盆まで、お盆を過ぎると水母が出るからだ。だから水母が浮いてくる頃の海は人影が少なくなってくる。誰もいない海。
誰もいなくなったから「何も見えなくなったあとに」と云っている。「誰もいない」から「何も見えない」への変換が心憎い。ここがいいなぁと思う。事実を云っているけれど、ちょっとした配慮によぅて詩情あふれる句に仕立てている。
こういう句に出会うと「ああ、なんでこう思わなかったのだろう」と悔しくなる。私だって見ているはずの景なのに。
どうやら詩情は、特別なことを云わなくても、当たり前とことから生み出されるようだ。作者の配慮によって。
皆さま、お久しぶりです
更新がすっかり滞ってしまって…
目がものすごく疲れます
スマホ疲れです
だめね、スマホ
時間があくとすぐにスマホに手が伸びる
YouTubeを見てしまう
Twitterを見てしまう
ゲームまではじめてしまう
気がつくとあっという間に1時間経っている
そして目が痛い
首が凝る
しまいには頭も重い…
やめましょう、こんな生活
私だけですね、きっと…
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