二代目モニカの日々・・・ときどき俳句

【日々のいろいろ、十七文字の世界】二代目モニカです✨日々の出来事やときどき俳句も🐰

響焔12月号〜聰俳句鑑賞

2021年11月29日 | 俳句

涸れ川のいちぶしじゅうに鉄塔も

「聰俳句鑑賞」を二年間担当してみてわかったことは、目にすること全てが俳句になるということだ。俳句だからといって何も特別なことを言う必要はない。日常のほんのひとこま、極々些細なことでいい。だけどその目にしたものの何を持ってくるかの選択が最初の関門。次にそれをどう詠むかが句の出来に関わってくるようだ。
 掲句、まず作者の目には「涸れ川」か見えた。そしてその先には「鉄塔」。さぁこれどう句にしようか。ただ並べるだけではつまらない。この「鉄塔」に拘りたい。だから「鉄塔」に焦点がいくように「いちぶしじゅう」という言葉を持ってきた。そうすることで「鉄塔」に意外性も出てくる。
 ハマり過ぎると共感重視の歌謡曲(大衆)。意外性で詩情ある俳句(文芸)か…。この続きはまたいつか…。



「聰俳句鑑賞」
担当の2年が終わりました。
読んでいただきありがとうございました。



徳島に行った友人から
お土産ていただきました。
「亥の子菓子」だそう。
亥の子とは、主に西日本で行われる収穫祭だそうです。
「へぇー」なんて言っていたら
なんと
「亥の子」は季語になってるのですね。
知らなかった〜。
黒糖の風味の懐かしい味のお菓子。
最近、こういう素朴な味が美味しく感じるようになりました。
もう私も来年は60歳ですからね…。
あっという間!






響焔11月号〜聰俳句鑑賞

2021年11月08日 | 俳句

黄落のどんづまりにて昼の酒

 昼に飲む酒は何故か贅沢な気持ちになる。世間が活動しているときにゆっくりと時間を使い酔うということは、そのあとは特別気を張る厄介事がない、ということ(という時に飲みたい!)。
 ではいつがいいだろう。まず桜どき。夏の海辺も最高だ。雪景色を見ながら、なんていうのも堪らない。そして晩秋。黄落の季節。外苑前の銀杏並木のカフェなどで堂々と飲むのもいいだろう。ところが作者は「黄落のどんづまり」で飲んだ。黄金色に染まる黄落の季節。晴れ晴れとしたイメージとは対照的な「どんづまり」という言葉。一気に「昼の酒」に説得力がでてきた。
 どこかの場所のどんづまりではなく「黄落のどんづまり」としたことで、得もいわれぬ詩情が出た。


先日、久しぶりの句会に出席しました。
私は仕事のため途中退席したので
名誉主宰の講評は聞くことができませんでしたが
後日送っていただいた資料で
すこしだけ句会の様子をうかがい知ることができました。
「事柄を言わない」
「物語にしない」
つまり
何が、何して、何とやらを書くことが俳句ではない
ということなのですね。

母がどうした、とか
友が遠方より来た、とか
吾子に何をしてあげた、とか
ご近所から何かをいただいた、とか
そういうことは日記に記しておけばいい。
読む側としても
「よかったですね。だから何?」
という感想しかありません。
「私も同じような経験があります」
これは詩の鑑賞とは違います。
世間話の域をでない。

俳句をどう捉えているかの違いはありますから
そういう句を
全否定はしてはいけない。
ただ私の求めているものとは違う、
そして私の師が伝えようとしていることとも違うと
改めて思いました。


さぁ、これからは
少しずつ句会が戻ってきます。
句会の報告の記事も書けると思います。
楽しみです♬