涸れ川のいちぶしじゅうに鉄塔も
「聰俳句鑑賞」を二年間担当してみてわかったことは、目にすること全てが俳句になるということだ。俳句だからといって何も特別なことを言う必要はない。日常のほんのひとこま、極々些細なことでいい。だけどその目にしたものの何を持ってくるかの選択が最初の関門。次にそれをどう詠むかが句の出来に関わってくるようだ。
掲句、まず作者の目には「涸れ川」か見えた。そしてその先には「鉄塔」。さぁこれどう句にしようか。ただ並べるだけではつまらない。この「鉄塔」に拘りたい。だから「鉄塔」に焦点がいくように「いちぶしじゅう」という言葉を持ってきた。そうすることで「鉄塔」に意外性も出てくる。
ハマり過ぎると共感重視の歌謡曲(大衆)。意外性で詩情ある俳句(文芸)か…。この続きはまたいつか…。
「聰俳句鑑賞」
担当の2年が終わりました。
読んでいただきありがとうございました。
徳島に行った友人から
お土産ていただきました。
「亥の子菓子」だそう。
亥の子とは、主に西日本で行われる収穫祭だそうです。
「へぇー」なんて言っていたら
なんと
「亥の子」は季語になってるのですね。
知らなかった〜。
黒糖の風味の懐かしい味のお菓子。
最近、こういう素朴な味が美味しく感じるようになりました。
もう私も来年は60歳ですからね…。
あっという間!