命を狙われていつ死ぬかわからない。心配が尽きず「胸とどろくのみなり」だった伊達藩領地を無事に通過し、尾花沢へ。そして立石寺を巡る。
紅花に、少年時代を過ごした故郷・伊賀盆地でみた風景が蘇って心もうきうきと弾み、細い蝉の鳴き声が岩にしみ入るあたりの静けさに、「心澄みゆくのみおぼゆ」芭蕉。ここからの『おくのほそ道』後半は、生きのびた芭蕉の喜びが爆発していく…と。
自説にそって展開される光田和伸先生のお話には、系図や曽良の“旅日記”による里程表、地図等々多くの資料を添えて下さり、メモを取りながら聞き入った。とっても中味の濃い時間だった。芭蕉はきちんと古典の教育を受けている。―そう、やっぱり古典だ。古典は学ばなければ~。と、つい先日も友人との会話で「古典」の教養の大切さが話題となったのを思い出す。
帰りは京都御苑内を抜けて歩いた。目に優しい、心に優しい青葉の頃。夢中になった2時間の緊張がほぐれていく。
夢中になった緊張の2時間の後は
新緑の中に埋没されて
オゾンいっぱいですね。
緊張の余韻を引きずられて、いい時間ですね。
曾良旅日記には曾良にしかわからない師芭蕉が描かれているのでしょうか?
京都御苑、人影もありませんね。
静寂が漂っています。
新鮮に、なるほどなるほどと引き込まれた2時間でした。
隠密説、こうした読み方で今後の展開に興味がわいてきます。
余韻に浸りながら解放されていく時間に、御苑の緑が優しかったです。
旅程表に仕立て直されている(二人の女性の名で)資料ですが、作成には大変な苦労があるようで、まだまだ未定稿だと。
出て来る地名も立ち寄ったとは限らなかったり、「おくのほそ道」とのくい違いもあるようです。
曽良の句、芭蕉の発句あり、とか示されていますが…。
幕府の隠密だったという説で、芭蕉が曽良を護っている関係です。
俳句など作って書きとめていたりすれば、身に危険が及ぶところから、句数が少ない伊達藩領地内…。
そうか~、と楽しい時間でした。
素晴らしいお話しでしたね。
すっかり忘れていた芭蕉、深緑の季節を迎え、「心澄みゆくのみおぼゆ」芭蕉になりたいです。
光田先生はもう8年?ほど前、『徒然草』が自伝的恋愛小説だという説を打ちだされていました。
隠密説もですが、見方を変えるとまた違った味わい方ができ広がる気がします。
思いつきではなく、根拠を説明してのことで楽しいです。
マッチャンさんも、これからの季節には活動範囲がいっそう広がりますね。
青紅葉が陽を透かしてきれいでした。