
「筆を執(と)れば物書かれ、楽器を取れば音をたてんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、骰子(さい)を取れば攤(だ)うたん事を思ふ。心は必(ず)事に触れて来る。…… 」とは兼好さん(『徒然草』157段)
ペンを手に机の前に座りつづけても、どーも思うように筆は進まない。そんな繰り返しを乗り越えて、今日の午前中をもって、もちろんイッショウケンメイに仕上げて手放しました。気持ちは久しぶりの解放感を味わっています。
〈一生懸命に「ユトリ」を〉。
「ユトリを作るために「ムダを省く」ようなことはいただけない」、ですよね~。森毅先生、『一刀斎、最期の戯言』、心強かったです。
「『つまずき』という言葉を使うが、ぼくは嫌いだ。道が決まっているからつまずくと怪我をするのだ。つまずいて倒れ込んだ、そこが心の中の野原だったとしたら、…… 」
本当にそうでした。
つまずいてポロンと言葉が飛び出したり、その拍子に心の蔵の鍵が外れたのか、しまい込んでおいたらしい思いもあふれて出て、いいことありました。。行き詰まって道を変えて、違う風景をみました。
「ムダ」とか、「余分」とかの中に、けっこう宝物が隠れていることがあるんですよね。
後日でしか、検証できず、また気づかないことも多々ありますけど。
京都はいかがでしたか?
つまずいたように見えたこと、ありました。
けれども そこから始まりました🍀
ムダあっての ユトリ。
ムダってないのですね。
ありがとうございます
道を間違えて戻ってみたり、寄り道をしたら別な道があったりですが、
時には発見もあって、無駄ではなかったことに気づかされています。
ありがとうございます。
静かな夜でした。深夜再び降り出した雨音を耳にしながら眠りました。
「ムダあってのユトリ」、
揺れ幅も心の余裕も、広くとっておける方がいいのですね。
気づかされることが多いです。
ありがとうございます。
民話「わらしべ長者」を思い出しました。
転んでもただじゃぁおきない。何かを掴む。
転んで手に握ったものは藁のようにつまらないものでも、なんでも無駄なことはないのですね。
Keiさまが書かれるものは、何だろうと想像
しています。
さて、同居友人の手術、入院はかれこれ2週間
ちかくになり、残る2人で毎日病院に行きますが
一番辛いのは入院している友人なのに、私たちまで
ガタガタになってきました。しかしすぐに和解しましたが(笑)健康はありがたいことだ〜と心から思います。
「賽をとれば博打がしたくなる」むつかしいことお書きで・・・
イッショウケンメイ仕上げられ、達成感、開放感感じられたことでしょう。
足元覚束ない私は本当の「つまずき」に恐れおののいています。
そしてこの夏を無事乗り越えなければと
「決意」しました。
大分市に避難勧告の出された地域もあるようですが
わたしの住んでる所は大丈夫です。ただ雷がひどいですね。
コメント有難かったです。気をつけます。ではまた❤️
福岡県や大分県のひどい状況に驚かされています。
無駄にこそ意味がある…とですが、つまずき、こけた最中にはそれに気づかないことありますね。
構想を練って書き進めますが、行き詰まります。
間を置いて時を待ってみたり、それこそ広いものをしたことで先が開けたり…ほんと、大変な作業です。
やはり生活を共にされてきた年月がおありですよね。お互いを思いやり合う緊迫感に、少し風を入れて…。
この一節をよく耳にするのですが、うん、そうだ、確かに!と思える時ばかりでもなくって苦戦します。
実生活の中でのつまずきには気を付けなくてはなりませんよね。
私もそそっかしい方ですから要注意です。
体調の変化でふらっとするのも危険ですね。
無理なさらずに、夏を乗り越えてください。
お住まいの地域は心配ないとのご様子ですが、夜間は不安なことでしょう。
雷も、停電など起こらないといいですね。
お気を付けください。