京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

何やらゆかしすみれ草

2023年04月05日 | 日々の暮らしの中で
   春草の中にもわきてむらさきの野辺のすみれのなつかしきかな
 
京都市北区の紫野(平安時代は天皇の狩猟地だった)の春の野辺を描いた名勝図絵に、江戸後期の伴蒿蹊(ばんこうけい)が詠んだ歌が添えられている。


1684年、芭蕉が関西に向かって出立し、京の伏見を経て大津へ向かう「小関越え」の途中に、ふとすみれを見かけた。(『野ざらし紀行』)
   山路来て何やらゆかしすみれ草

山路に咲くすみれを訪ね、この小関越えを歩きたいと思って友人に声をかけてきたが、どなたさまからも断られ続き。相棒がいないというだけでもう何年か見送ってきた。
体力ありそう、山歩き好きそう、よい返事がもらえるのではないか、と期待値高く見積もって、色眼鏡で見てしまったのだ。

思いがけない返事をくれたのは、私より少し年長のH子さんだった。
「いいなあ」と話に加わって、一緒に歩いてみたいと口にされた。

「歩き通せるかわからへんけど」
うーん、介抱しつつは問題ありよ。大丈夫かしら…。
人を見かけで判断してはいけない、と学んだはずなんだけど。




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2 コメント

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山路来て~ (Rei)
2023-04-06 10:06:58
この句は覚えていましたが、
詠み人は覚えていなくて
調べました。芭蕉でした
山路にひっそり咲くすみれを訪ねる、なかなかできないことです。
「小関越え」越えると言うことは峠でしょうか?
大変な道行を想像しました。
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小関越え Reiさん (kei)
2023-04-06 11:27:58
そんなにきつくはない、というとらえ方でいます。
歩いたことのある知人によると、一人でも歩けると言うのですが、
山道もあればこの年齢でも物騒、心細さがぬぐえません。
私自身の余力も年々減っていきます。
この時季なら春休みでしたし、娘家族と歩けばよかったと残念です。
多少の気ままも言えますし、気楽ですよね。
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