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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

日常は残らない

2022年07月19日 | 今日も生かされて
「よそ行きの写真より、断然ごちゃごちゃした日常の写真がおもしろい。母亡きあと、初めて実感した」と語っていたのは歌人の永田紅さん。「母」とは河野裕子さんで、歌人。2010年に亡くなった。

〈時間が終わったあとに懐かしく愛おしく価値をもつのは、そのような何でもない情景である。日常のこまごまが、過ぎた時間に形を与える。おしゃれに、素敵に見えるように撮る。人の目を意識したよそゆき。画面から追い出してしまったごちゃごちゃこそが、面白くて切ないのだ〉そして、「日常はよほど意識しないと残らない」とあった。

一日の終わりを穏やかな温かな言葉で締めくくろうと、今もこうして綴っている。なんでもない一日、何もなかったような一日から何を残そうか。

身辺にある日常の間に生起消滅する喜び悲しみの事実をすくえる感受の鮮度こそが求められるようだ。「年齢が生活に摩耗されることのない感受」を「生き方として求めていくことが大切」だと近藤芳美は言う(『短歌と人生』語録)。鮮度ね。

ラグビーの試合開始を前に国歌を歌って応援する二人。Tyler、調子乗りすぎ? 
 

兄弟ズボンをはき違えて、ぴちぴちのダボダボ。気づかないもんかねえ…。

昨夜からの雨が勢いを増して激しく降り続いた。行かんならん!という予定ではなく取りやめる。これ幸いと『橘曙覧「たのしみ」の思想』を手にした。
幕末の歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)の歌では「たのしみは」で始まる独楽吟が有名だろうか。ただひたすら自分の魂に忠実に生きた。いつも心穏やかで日常の喜びにあふれている。貧しい暮らしの中ででも楽しみを発見し、ユーモアを見いだしている精神の崇高さ。

雨が止んだら、待ち合わせの約束がある。
  たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき
コメント (2)
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