
夏木立(夏木)。夏の季語は多い。いかに涼しく過ごすかの工夫が多くの夏の季語を生んできた、と俳人・遊月ないさんが話すのを聞いたことがあった。脳ではなく五感で作る俳句。暮らしの中には季語があふれていることを思った。
少し遠目に、川べりに合歓の花が咲いていた。なんといってもまずは石垣りんの「ねむの花」と題した短い文章を思いだす(『焔に手をかざして』収)。
「少女の日、伊豆の山里で最初にこの花を見たときから、私の夢の花でした」とある。
「ねむは夕方といってもまだ明るいうちに、向き合った細かな葉をよせ合い、やがてぴったり重ねると、その葉先を垂れてねむります」
ベランダに置いた鉢植えの高さ1メートルほどの木に花が開くと、
「よい匂いが私の顔を引き寄せます」「匂いの中にはかすかに、どこかに通じる道があって、『目をつむればご案内しますよ』と、花に語りかけられている様な気がします」
なぜか何度も繰り返し読んでいる。たぶん、〈「目をつむればご案内しますよ」と、花に語りかけられている様な気がします〉の一節が心をとらえるのだと思う。
「花はみな他界への通路」と言われたのは前登志夫さん。氏が山住している吉野の村人は、合歓の木をネンブリと呼ぶと紹介し、「なんともなつかしい呼び名ではあるまいか」と書く。そして、八月の太陽の下でうな垂れる合歓の木に心をよせた。
「合歓の木よ、おまえも暑いか」 (『吉野山河抄』収)

この合歓の花、みなさんもうお休みモードだった?