
西本願寺第21世大谷光尊師の次女として生まれ、やがて男爵・九條良致(よしむね)と結婚した九条武子。没後90年にあたり、龍谷大龍谷ミュージアムで特集展示「追慕抄 九條武子」が始まりました。
長谷川時雨は、「美人とは何よりもまず内面の放つ精神美」と認識し「いかなる階級からも真珠を見出してゆこう」と、多くの美人伝を綴ってきたようです。『評伝 長谷川時雨』(岩橋邦枝)を読んだことがありましたが、そんな彼女をして、「人間は悲しい。率直に言えば、それだけでつきる。九條武子と表題をかいたままで、幾日もなんにも書けない。白いダリアが一輪、目に浮かんできて、いつまでたっても、一字もかけない」と書き出させたそうです。このことは松岡正剛氏が書いておられます。
内面の美に加え、見た目の美しさも素晴らしい。フェイスラインの美しいこと。
真宗婦人会の総裁代理として各地を巡教し、女子教育にも尽力。東京・築地別院で関東大震災に見舞われながら、被災者や遺児、女性のためにと支援活動を続け、1928年2月7日、敗血症のために42歳で亡くなりました。
2歳年上の柳原白蓮との交流もあって、美貌のツーショット写真が展示されていました。
大正10年、別府の伝右衛門別邸に白蓮を訪ねたときでしょうか。
〈やわらかき 湯気に身をおく われもよし
今宵おぼろの 月影もよし〉
歌集「無憂華」「金鈴」「薫染」「白孔雀」の装丁も美しい。装丁は美しいのですが、収められた歌は…。
百人(ももたり)のわれにそしりの火はふるも
ひとりの人の涙にぞ足る
ただひとり生まれしゆえにひとりただ
死ねとしいふや落ちてゆく日は
〈慈善活動に込められた、み仏のこころ〉とあります。
ちょうどミュージアムの向かいにある西本願寺では、御正忌報恩講法要が務まっています。本願寺さんの報恩講に参拝するのは初めてのことでした。
法話をいただき、西洋音楽的な和声を伴った器楽が添えられた宗祖讃仰作法(音楽法要)では、頂礼文や正信念佛偈、恩徳讃(おんどくさん)などを唱和しました。恩徳讃はあらかじめ何度も練習でした。
如来大悲の恩徳は
身を粉(こ)にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
恩徳讃を唱えながら心に染むものがありました。そして、今日は新しい体験をひとつしました。楽しい毎日は自分で作る、こんな言葉が心にかかっているところでした。よい一年にしていきたいものです。