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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 奥琵琶湖を訪ねて-③

2013年07月16日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて
15日午前6時、滋賀県北部には大雨警報が出されていた。前日から、リュックは、雨具ばかりが大半でふくらんでいた。カッパにリュックのカバー、足元へのスパッツや折り畳み傘…と詰めて、タオルもいつもより2枚余計に持った。きっといつものようにたいして使わないですむだろう…、などと心のどこかで思いながら。今回は、帰途にスーパー銭湯に立ち寄るとあって、着替えも一式含めてある。

途中参加して3回目の行程は菅浦から大浦園地までの10.5kmとあるが、葛籠尾崎展望台でお昼を済ませてからの出発である。すでに山の上。さらにそこからゆるやかな登り道を行くと、竹生島を眼下にする展望所に出た。


「遠くから眺めるとその形には古墳の手本となったものがある」「前方後円墳そのままである」と書かれた白洲正子さん。(「かくれ里」) 大正天皇は「青いタニシ」と讃えられたとか。そんな竹生島へ、子供たちを連れて彦根港から渡ったのは、彼らが小学生だった頃の事だ。船の中でお弁当を食べることを、ひどく喜んだ息子を思い出す。竹生島の形をし、小さな穴を覗くと弁財天が描かれている赤い根付けは未だに手元にある。

葛籠尾崎のある琵琶湖に長く突き出たこの半島は、手入れがなされてなくて荒れ放題だった。見事な大木が折れて頭上の木々に橋を架け、足元は枝を張ったままの倒木が道を塞いでいる。またいだりくぐったりを繰り返す、難儀な道だった。が、本当の危険個所は、このあと。一気に下る斜面に、丸太で作った苔むした階段は足を乗せると滑る。落ち葉の下にかくれた石も、雨で濡れた落ち葉でさえもが危険だった。小さな悲鳴に「大丈夫ですかー」と、前を向いたまま声だけをかけていたガイドさんが、いきなりスッテン、尻もち!! 菅浦集落の東よりに出た。

背後に山を背負い南は琵琶湖という集落は、東西に二つの四足門を設けてある。この村を通過する時は一列で、と記した立て看板があった。




休憩を繰り返しながら、大浦園地まではひたすら湖畔沿いの道を進むだけ。ガイドさんの説明はない。速いテンポでさっさと進んでいく。ガイド氏がだ。「ガイドさん、おさきにどーぞ」と言ってみたくもなるというものだ。実際そう言いながら、この湖面の美しさが心を捉えるものだから、写真を撮ったり振り返ったりと自由に楽しみながら歩かせてもらった。ではあっても、適度に遅れすぎないように続くのだから、出来のいい一団だったはずだ。


この先も湖岸を歩くことになるが、さて次回はどうしようか…。予定通り、午後3時30分、ゴール・イン!
コメント (10)
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