京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 うようよぞよぞよ沸き出で来る・・・

2011年01月27日 | 講座・講演
心を正し仲睦まじく暮らす正月(睦月)ももはや跡四日の余波(なごり)となった二十七日の午後一時前、四条佛教センターの4基のエスカレーターの内より、塗(と)渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸き出で来るのは、孰(いず)れも ―

などと、持って廻った書き出しの文体を模写しながら遊んでみるが、“くたばってしめー” そうになるややこしさ。ぞろぞろと受付に向かうのはいずれも、ジャーナリストが論じる「メディアから見た京都文化論」講座への参加者だ。
ホンの一部のおすそ分けを~。

               いずれも東本願寺御影堂
宗教を専門に取材する記者クラブ。
カトリックの総本山バチカン(160社が入る)と並び世界に二つしかなく、日本では唯一東西本願寺に記者室を持つ京都宗教記者会というクラブがあるという。9つの新聞社と3専門紙社、NHKとKBS(京都放送)が加盟している。
一般では入ることはできず本邦初公開となるクラブ内を、わざわざ撮ってきてくださった写真で拝見。設立以来という木の札に墨字で社名と記者名が書かれ掛けられていた。

ここにかつて在籍された司馬遼太郎氏は、よくカウチやお東の大師堂に寝転んでは瞑想にふけっていたそうだ。クラブに顔を出してもすぐに龍谷大学の図書館に直行して資料と首っぴき。間もなく直木賞受賞、わが道を行く人だったとか。昼寝をされていた司馬カウチ、後輩が真似ては寝転び、以後の長年の使用に耐えて頭部の部分はポマードが染みているという写真だった。

西本願寺のご法度は抗議会見すら行う厳しさで、中でも取材記事に「祈る」の言葉を用いることは禁句であることを、必ず後輩へ申し送らねばならなかったというエピソード。
もともと阿弥陀如来によって生まれながらに死後は浄土に救われるというのが真宗の教えであるから、「ご冥福をお祈りいたします」という表現もしない。「祈る」必要がないわけだ。祈るのは自力本願。真宗は他力本願である。
そのあたりの記者としての苦労、「念ずる」、故人を・先祖を「しのんだ」などと記事では言い換えられている。

この冬期の3回を導入として、5月からも宗教論を中心に継続されていくことを知った。月1回、興味深い裏話(価値あり)を聞けるなど楽しい1時間半、ご一緒にいかがですか?
コメント (8)
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