大寒の前後は寒さもひとしお厳しいといわれる。冬最後の節気だからその先はないということで、もうしばらくすれば春が立つ。週初めに身を切られるほどの寒さを体感し、その後に迎えた大寒の昨日、時折陽が差す曇り空の下で哲学の道を歩いていた。
すれ違う人はほとんどいない。見るべきものはなし、なのだろうか。
満開の桜を想像しながらも、眼前の冬木をやはり美しいと感じる。人通りの絶えたこの冬の道は好きだ。
立ち並ぶ冬木の桜、芽吹きの内なるエネルギーがなにかしら明るくこの疎水べりに小さな世界を作る息遣い、気配すら感じられる。…などと言ってはカッコつけすぎ?
ドウダンツツジの枝の先々は赤みを帯びた細く小さな芽が伸びていた。その芽の鋭さは、身の引き締まる緊張を感じさせる。
何もなさそうな冬景色にも、足を止め大きく息を吸いたくなる心温まる空間はちゃんと用意されているのではないか。草木はちゃんと春の準備を進めているのだ。
南から歩いてきた哲学の道から東へ入り、法然院を静かに通り抜けながら銀閣寺に立ち寄った。さすがに観光寺として賑わっている。若い男性ばかり6人ほどのグループが「いいなあ」と口々に言って写真を撮りあっていた。銀閣のたたずまいに惹かれるだけもよし、修復なった姿を確かめたいと思った私みたいなのもいるかもしれない。いずれにしても何かしらのご縁をいただいたことになろう。
法然院山門をはいると その向こう…
春はやってくる。新たな生命の胎動を待ちながら力を蓄え、心音に喜びを得る日も近いことだろう。