原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

【 病というプロセスを生きるということ 】

2022-08-23 | 身体/ダンスから学ぶこと
病を得たということと真摯に向き合い、
その苦しみも悲しみも引き受けることでしか
見えて来ないギフトというものがある。

病は健康の対極にあるものではなく
健康の中にも病は含まれている。
生きるものは必ずどこかで病う時があるのだから。
そしてそれを経過することが
身体全体にとって必要なことである場合がある。

病を自分に不利をもたらすもの、
生産的ではないと捉えることで
それは害毒にしか過ぎなくなってしまい
病というものを考える上での本質的な部分から遠ざかり
自分自身が引き裂かれることにつながることもある。

その体験を得て(決して楽ではないが)
その上で心身をどう捉え直すのかが必要。
それまでの自分の尺度では測れないことなのだ。

病はそれに真摯に向き合ったものに対しては
違う視野をもたらしてくれる。
今まで見えていなかった地平が見えて来る。
そこまでの道のりは苦しいものかもしれないが
それはその通過点の向こうにしか見えないのだ。

病という旅の途中で深い絶望に陥ったり
もう全てを投げ出したい、という気持ちになることもある。

しかしそれを食い止めるのは
自身の身体についてどこまで深く感じ、
思いやれるか、何をするのかということ。

身体についての思いを巡らしてたどりつくのが
本来の心ではないか。

病を癒すこともなかなかに辛いプロセスだが
その辛さのプロセスが病というものの本質なのかもしれない。
我々に、そういう体験を与えてくれるものとして。
そして気づいたら違う地平を見せてくれている。

怖いもの、悲しきもの、辛いもの。
そこから逃げていればそれはいつまでも遠ざけたいことになる。
しかしそれらも自分自身の一部であることを
他ならぬ自分自身が認めていくこと。
大きな意味での自然の営みの一部である病というものに、
自分自身が沿うことができるかどうか。

病を受け入れる覚悟をし
苦しみながらもその道を歩むとき
病は駆逐するものでもなく、敵でもなく
受け入れることで新しい何かを見せてくれるもの
ということに気づくのだろう。

※病という言葉を
自分自身が今持っている苦しみやテーマ、
「自分」「症状」ということにも置き換えても同様。

それらは決してマイナスな体験ではなく
それを受け取ることにより新たな豊かさにつながるのです。


(4年前に書いたものに加筆、訂正)

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