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原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

生と死を考えるための本

2012-08-31 | 徒然なるままに
死は誰にも等しく訪れるもの。

親しい人や、愛する人がこの世を去るのは
本当に悲しいものだけれど、
それもそう遠くないうちに自分に廻ってくること。

生まれては死んで行く、という自然界の輪廻の中にいるのだなあ、ということを
なんだかひしひしと感じるようになった。


自分だけは死なない、と人間はどこかで思っているけれど
死は突然だし、病気になってから死を思うのはもっと辛い。

元気なうちに考えておくこと、
元気だからこそ手を打っておけることがたくさんある。


今まで読んだ中で
心に残ったものをあげてみます。

硬軟取り混ぜて。

また更新すると思います。


*******


「夜と霧」V.E.フランクル

「ライフ・レッスン」E.キューブラーロス

「対象喪失」小此木啓吾

「詩と死をむすぶもの」谷川俊太郎 徳永進

「異界からのサイン」松谷みよ子

「死ぬ気まんまん」佐野洋子

「臨死体験」立花隆


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薬師堂にて

2012-04-24 | 徒然なるままに



雨の週末、1泊2日で
友人と連れ立って仏像巡りをした。

ある寺に、薬師堂があり
阿弥陀如来さん、薬師如来さん、十二神将さんたちがいるとのことで行ってみた。

お寺から山に沿って少し登ったところにお堂があったが、鍵がかかっている。
庫裡にいきお寺の奥さんとおぼしき方に話を聞くと
そこにいた仏像さんたちは3月いっぱいで新しくできた美術館に収蔵されたという。

でもせっかくいらしたのですから、
お堂の中を見ていって下さい、と鍵を開けてくれ、
中に招き入れてくれた。

薬師さんの入っていた御厨子の前にはお花が飾ってあった。

奥さんが問わず語りにいろいろと話してくれた。

お師匠さんから40年前に「ここはひとが集う場所になるよ」と言われていたが
本当にさまざまなところから人が訪ねて来るようになり、
お堂でお弁当を食べたり、辛い気持で来た方同士で話したり
歌い出したり踊ったり、子供が走り回って遊んだり、
そんな場所だったそうだ。
霊能者のようなひとたちも、多く集まって来ていたらしい。

そしてK子さん(お寺の奥さん)はお堂の隅にあったオルガンで
シベリウスの「フィンランディア」の一節を弾き、
このお堂にいたときに浮かんで来たメロディと言葉で作った歌、
そして亡くなった父上の葬儀の時に歌ったという賛美歌を聴かせてくれた。

わたしは声と話し方にはとても敏感で、
そこにさまざまなものを感じてしまうのだが、
彼女のそれはとても気持のいいもので
目を閉じてその語りを聴いていた。
彼女のお師匠さん(特攻隊の生き残りで、坐禅の指導をしている方だそう)が
「出会いはすべて奇跡であるのだから一期一会を大切にしなさい」と言われたことなど、
さまざまな話をしてくださった。
とても暖かく、それでいて強い波動が出ているのを肌で感じた。
(人からそんな波動を感じることはとても珍しいかもしれない…)
ちっとも押し付けがましくなく、偉そうでもなく、
本当に自然に話されている。
ああ、こういうのが本当の法話だよなあ、と思った。

仏さんのいないお堂はがらんとしていたが空っぽな感じはなく、
不思議なことに暖かい気が充満していて
いつまでもいたくなるような、とても気持のいい空間だった。
住職さんは「(仏像は移動してしまったけれど)魂をちゃんと残していってくれた」と言っているとのこと。
本当にそうだなあ、と思った。

仏像はそこにいなくとも
そのエネルギーはまだそこにあった。




それも、この「場」を大切に守っている方がいるからだ。
お堂の入り口にも、中にも、ちゃんと花を飾って、中をお掃除して。

裏山には三十三観音の石仏があるそうで
途中まで登って雨のため足許が悪く断念した。
穏やかなエネルギーの場であることは、途中まででも感じられた。

本当に徳のある人は、市井の中にいる。
そう思うことはたびたびあるけれど
そういう方に久しぶりにお会いできました。
そしてお寺本来の「開かれた場」としての機能をきちんと持っているところに巡り会えたことが嬉しかった。
また訪れることを約束して、辞した。

かつてそこにいた仏像さんたちを美術館に見に行き、駐車場に戻ったら
隣の公民館から女性が出て来て、その日ゆがいたらしい筍をくれた。
地元の奥さん達らしかった。
なんだかこういう偶然が、本当に面白く、旅らしい感じがした。

これも仏像さん達のおかげでしょうか。
感謝。
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明日は仙台へ!

2012-04-06 | 徒然なるままに
明日は、昨年6月以来の仙台へ参ります。

あちらは今日は雪だったそう…

大好きな仙台の街。
そして大好きなチーム仙台の仲間たち。
ひとりひとりの個性が際立っていて、
大阪と同じくらい濃い(笑)

1年ちょっと経って、
街の空気はまた違うだろう。
きっと東京よりもずっと元気だろう。

もう少し先の春を待ち望む、
つぼみをふくらませているようなエネルギー。
じっと冬を耐え
いのちの花を開かせる、
そのつぼみのはじけそうな瞬間。

そんな時間が待っているような気がする。

ともに「今を生きる」ことを分かち合ってこよう。

「生きる歓び」を分かち合ってこよう。

明日は晴れますように…♬
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春よ、来い。

2012-03-28 | 徒然なるままに
さきほどNHKの「SONGS」を見た。
今回はユーミン。

昨年のツアーの締めくくりが仙台で、
そのライブの模様を映していた。
アンコールで挨拶をし、
最後の曲は「春よ来い」だった。

歌詞はこちら

動画です

復興祈りバージョン動画

(みんなの)春よ、来い

…久しぶりに泣きました。

この曲は個人的にも思い入れがある。

もう20年ほど前。
自分がこなごなになるような辛い出来事があり、
何もかもが失われ、
自分すらも喪失していたある年のこと。
朝の連続ドラマのテーマソングのこの曲を聞いた途端
久しぶりに涙が自然に流れ出し、止まらなくなった。

そして、涙を流してから
わたしの魂の回復が始まった。

そのことも思い出しながら、
あらためて東北の復興を思った。

そして、
今日本でいちばん希望に溢れている都市は仙台なのではないか、
とふと思った。

先日の祈りのカフェの際も
東北が光に包まれているヴィジョンがふと湧き上がって来たのだ。


昨年の春は
まだまだ不安が大きかった。

今も、日本各地は揺れ続けているし
関東も東北も余震が止まらない。

だからこそ、
今年の春は、やっぱり特別だ。

今年の桜は
多くの人の希望を誘うだろう。
そして同時に悲しみも思い起こすだろう。

亡くなった方を偲びつつ
それでもこれからを生きていこう、と思う人が
ひとりでも多くなることを思わずにはいられない。

春よ、来い。
早く、来い。

春になるだけで
希望を信じられる気持ちになるから。

そして
春の仙台でワークショップをできることが
本当に楽しみで、嬉しく思います。
特別なワークショップになると確信しています。







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いってらっしゃい、と言おう

2011-12-31 | 徒然なるままに

肉体に死がもたらされるときは、たしかに激しいショックが体験されますが、
それは存在のカタストロフ的な変化にほかならず、しだいに平安と安らぎの感覚がとりもどされ、
動物のたましいは神の領域へと、旅だっていくのです。~ 中沢新一「映像のエティック」

********************

11/21に書いた記事
末期がんの知人(62歳 ♂)が
12/4に他界した。

わたしが鍼灸院に連れて行ったのが11/19。
こちらの都合で、次は12/24ね、と話していたのだが。

11/30あたり急に具合が悪くなり、
一時持ち直したものの
いってしまった。

告別式の日は
朝から氷雨。
晴れた空のもとで送り出したい、と思っていたら
昼にはすっかり晴れた。

澄み切った空の下で
清々しい白いお骨になった。

悲しくはなかった。

あなたなりにやりきったんだよね、
と思えた。

精進落しの際、
彼の奥さんやお姉さんから話を聞いた。
次回、鍼灸院に行く時連れて行こうか?とお姉さんが言ったら
キョウコに連れて行ってもらうんだ、と話していたという。

亡くなった日、
意識の混濁の合間に
看護師さんが
「どなたか迎えにいらしていますか?」と聞いたら
「原先生」と答えたという。

(↑これはわたしの父のことで、
彼は小さいときから息子のような存在だった)

看護師さんは「普通はお母さんが迎えにくることが多いのですが…」と言っていたとのこと。

その話を聞いて、思わず笑ってしまった。
ああ、やっぱりなあ…と。

以前、彼に
「がんという病気の辛さは、治すための努力をすることと、
死ぬということを同時に考えなければならないこと」
という話をしたことがある。
そして、
「死ぬときにはきっとわたしのオヤジが迎えにくると思うよ(笑)」
とも言っていたから。

思いのほか早くにいってしまったことは
とても残念だけれど、
告知されて1年と7ヶ月ほど、
電話で/会って、いろいろなときを
共有させてもらった。
こういうプロセスがあったのが
(わたしにとって、ですが)よかった、としみじみ思う。

プロセスに立ち会うことは
家族以外にはなかなか体験できないが、
死に方は人それぞれなんだなあ、と思った。

葬儀のときも
葬儀の後も
今はどうしているかな?
まだ混乱しているだろうな、と思ったりしたが
徐々に落着いて行くでしょう。

死は終わりではない。

いってらっしゃい、だ。

然るべきタイミングで、わたしも旅に出るのだから。
いや、還るということかもしれないな。
魂の故郷へ。
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久しぶりに箱根へ

2011-12-15 | 徒然なるままに
先日、久しぶりに箱根に行って来ました。

箱根神社は15年近く前、ある合宿で訪れた際に不思議なことがあり、
それ以来何度もお参りしています。

湖から続くまっすぐな参道を吹き抜ける風に厳しさがあります。
もともとが箱根権現という修験道系の場だったからなのでしょう。
きりりと引き締まり、厳かさを感じます。
そこがなぜか好きなのです。



ここには九頭龍神社の分社もあります。
こちらも大好きな神社です。
九頭龍さんの敷地横には御神木が。



この樹の前にたたずんだ時の気感がすごかった。
足裏からまっすぐに、強いエネルギーが入って来ます。
鞍馬寺とはまた全然違います。
ここのは、ドガーン!としている感じ。


今回は初めて、
九頭龍神社の本社へもお詣りすることができました。
毎月の例大祭の日は縁結びを願って大勢の女性が来るので有名なところです。


例大祭のときは船が出ますが
陸路でも行かれます。
プリンスホテルの裏手から入って、
ゆっくり歩いて30分くらいでしょうか。
なかなかよいお散歩コースです。


ここが本社。九頭龍大明神。



掲げられている額もすてきです。



厳かな分社とは違い、
この辺り一帯になんだか生々しいエネルギーを感じました。

湖のいちばん近くには弁財天もお祀りされています。

そしてもうひとつ、こちらは白龍神社。



白い鳥居とお社というのはとても珍しいのでは?


さて、箱根神社の参拝の折りには
いつも最後に湖のほとりの鳥居のところに行きます。

今回はそこで不思議な写真を撮りました…

長くなるので続きはまた次回!

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末期がんに寄り添う決意

2011-11-21 | 徒然なるままに
自分のことではありませんが… 



62歳、末期膵臓がんの友人(♂)がいる。
子供の頃からの付き合いで、家族同様の仲である。

昨年4月の
告知後から相談を受けてきた。


抗がん剤のあと、ペプチドワクチン療法の治験を受けることができ、
小康状態が続いたが。


そのワクチンでは奏功しなくなり、肺に転移ができてしまった。
また、 
膵臓がんが十二指腸(?)を圧迫し、 固形物を摂れず、流動食になったのが先月。
そこで、体重ががっくりと落ちた。

電車で
病院に通える体力がなくなり、治験も打ち切られたのが先週。 

それで大変なショックを受けている。



地方に下宿している2人の子供の学費と生活費にお金がかかっていたので 
治療費を圧迫し、 

実の兄にお金を借りにいったら 
「家族全員で来て土下座しろ」 
「生活設計はどうなっているんだ」

嫁には「もういちど働きに出ろ」 
など、 
さまざまな「暴言」を吐かれ、 
本人は「とてもショックだった」と言う。



標準治療ではもう見捨てられた、と感じている彼に

 
少しでも体調を改善するために

代替医療や東洋医学、副作用もないし、べらぼうなお金ではないものもいろいろあるから
何でも使えばいいよ、
と伝えて来たが 
それが届くのにも時間がかかった。
(彼はバリバリの理数系だったから)



歩けることは歩けるが、 
痩せて面変わりしてしまった姿を 
近所の人に見られたくなく、
日課の散歩も取りやめてしまった。

(痩せた姿を見て、心ない発言を浴びせてこられることもあるそうで。出たくないのももっともなことだ)



が、歩かないことでも筋力が落ち、
家の中に引きこもりがちになると
どうしても考えは悪い方に行ってしまう。
新聞もテレビも見なくなり、
見舞いにくる身内の声も刺激が強すぎて鬱陶しいと感じているようだ。

先日、やっと車で連れ出して
知合いの鍼灸院に連れて行った。
待合室に入るとマスクを脱いで、
わたしに顔を見せる。
「こんなに痩せちゃったんだよ、ひどいだろ」という意味を伝えて来たのが分かった。

待ち時間の間、いろいろ話をし、コトバを引き出した。
そのうちに
固まっていた顔貌(特に目に表情が全くなく、焦点も遠いところに結ばれていた)
また表情筋(ほとんど動いていなかった)に
動きが出て来て、やっと笑顔が見えたりもした、
「わたしのいうことがうるせえと思ってるよね!」とわざと悪態をつくと、笑って言い返したりもした。
家族以外と話をしたかったんだ、ということも最後には言ってくれた。
隣で、奥さんは黙って頷いていた。

息子たちが卒業して、就職する来春まではなんとかがんばろう、と話し
小指を差し出した。
冷えきった指だったが、指切りげんまんをしてくれた。

治療の中でも、鍼灸師さんから示唆深いことをいわれた。

終わって、
おそらく内臓の問題から来ているであろう腰痛が
「少し楽になった」と言う。

家まで送って行き、
車に戻って帰ろうとすると
雨の中、玄関先で
わたしたちが見えなくなるまで手を振っていた。

………

彼は、さまざまなショックを受けて、
すべてにおいて意欲が低下しているので
うつ状態になりかかっているのを感じる。

経験があるのでわかるが、
そういうときは生きたくても、生きようという意欲すら低下することがある。
何もできない。興味もわかない。ただ息をしているだけのような状態になる。
(奥さんの話では、時々吠えているそうだが)

何かできるわけでもないが、
とにかく最期まで寄り添うことができたらと思っている。

父の末期がんも看取り、
そのあと自分もがんになって何回もの手術と投薬治療を受けた。
看取る側/経験者側、双方のの体験を検証しつつ、
何がいいのかをじっくり考えつつ、
本人の気持を聴き取りつつ、
沿って行こうと思う。

何もできないけれど。
看取ることはつらいけれど。

でも、このプロセスが
とても大事なものなのだとどこかで「分かって」いる自分がいるようだ。

死と死にまつわる問題は
必ず誰にもやってくる。
送る側も、行く側も、
生きているうちに(そして体力がなくなり、絶望にうちひしがれないうちに)
考えておくべきことだと思う。


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梅田の夜、鞍馬・貴船の午後。

2011-11-18 | 徒然なるままに
前回大阪に行ったときに
梅田のミュージック・バー、「ポレポレ」に連れて行ってもらった。
とても好きな店になりました。
で、今回も行くのを楽しみにしていたのでした。

かかる曲は店主の福助さんのセレクトで、そのどれもがツボにはまる。
ああ、まだまだ知らない世界があるなあと思うこともあるし、
仕事のあとのほっとした気分にとてもフィットすることもある。
だんだん喋るのが面倒になり、音の世界に身を浸す。
それがとても心地よい。
で、つい終電を逃してしまったりして…

翌日は案の定二日酔いだったけれど、
まろんさんがお灸をして、足ツボを刺激してくれたら本当に良くなりました。

そして鞍馬・貴船遠足へ!
鞍馬寺にはさまざまな仏さまがお祀りされていて
毘沙門天のお使いである「虎」が、駒犬のように鎮座。


お弁当も作ってもらいましたよ。わーいわーい。


暖かいこともあり、汗だくになって本殿まで上り、お弁当をいただきましたが
なんとおいしかったこと。

本殿の前にはエネルギースポットがあり、
そこに裸足で立ってみたら…
ものすごいエネルギーでした。
足裏から身体の中をぐるんぐるん蠢きながら上に突き抜けて行くのがよく分かった。
あんなにすごい気場は初めてかも。

そのあと、貴船でまったり。
紅葉ライトアップのイベントがあり、
夕方なのに人出が多い。

夜に神社にお参りすることができて
とてもラッキーでした。

貴船は去年の秋に来て
とても癒されたところ。

今年も水のせせらぎの音、あの空気感、
そして何よりも大好きな奥の院でじんわりとエネルギーを感じてきました。

しかし、左目のコンタクトレンズを落としてしまい。
どうも代わりに何かをもらってきたようです。

帰ってから一週間、
いつもなら疲れるはずの翌日も変に疲れておらず、
それが1週間続いています。
????

鞍馬の山の気、貴船の水の気、
それが合わさったときのパワーを身をもって感じています。


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「ワンネス」って

2011-10-08 | 徒然なるままに
世界中で地震が起きている。

日本でも、地震の範囲が広がっている。
地球は、地殻変動の時期に入っているのだと感じる。

目に見える部分でも
目に見えない部分でも
大きく変わろうとしている。

今までのように生きる、
ということとは別の次元で
何かが起きようとしている、
(あるいは起きている)
という感じがしている、

死を前にすると
本当に大切なことが見えてくる。

それに近いことを
今多くの人が体験するチャンスかな、と思います。

人や、社会や、環境だけでなく、
宇宙と地球との関わり。

地球の中で生かされている
ちっぽけな自分たち。

ビッグ・バンが宇宙の始まりなら、
わたしたちは宇宙のかけらでできているのだよね、
と昨日友人と話した。

ここにあるテーブルも椅子も
メニューもあなたもわたしも全部、
もとは宇宙のかけら。

そう思うと何だか楽しくなった。

スピ系のひとがよく言う
「ワンネス」という言葉はよくわからなかったけれど、

ああ、こういうことが「ワンネス」なのだなあと思えた。


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愛は人だけのものじゃない

2011-09-13 | 徒然なるままに
先日、知人からこんな話を聞いた。

名前は仮にYさんにしておく。

Yさんの住んでいたアパートに
時々猫がえさをねだりに来ており
他の部屋の人が与えていたそうだが
その人が引っ越してしまった。

それからYさんがえさをやるようになり、
冬を迎える頃
部屋の中に招き入れるようになった。

もともと野良なので
警戒心が強く、
部屋に入るようになってからも
いつも彼女と対角線上に位置していた、という。

また、彼女が実家に帰ったりして家を空けると
とても怒って噛み付いて来たという。
「それがね、いつも絶対に動脈の上なの」
と彼女は微笑みながら話す。
「野良だから、ツバメやネズミを捕って食べていたのも見たことがあるし
ここぞ、という場所を分かっていた野生の子だたんだよね」



その猫がしゃべったことが
2回、あったそうだ。

1回目は
彼女が仕事のことでへこんでいたとき。

「大丈夫?」
という声が
頭の中に直接響いて来たそうだ。

ふっと振返ると、猫が顔をなめてくれた。
「あんたなの?」と聞くと
猫は向きを変え、知らんぷりをしていたと言う。


2回目。

あるとき、
彼女が1週間ほど実家に帰ることになり、
猫を置いて行くのがしのびなかった彼女は
実家に連れて行った。
その間、気に食わなかったらしい猫があばれて大変だったそうだ。

そしてアパートに帰って来て1週間ほどした頃。
仕事をしていた彼女に
外に出してくれと猫がねだり、
この忙しいときに…
と思いながら玄関のドアを開けてやった。
猫は、外に出ると振返って

「ねえ、いなくなっても大丈夫?」
と言ったのだそうだ。

彼女は反射的に
「何言ってんの、大丈夫に決まってるじゃない」と答えた。



それっきり、猫は帰ってこなかった。



何週間も探したが全く見つからず、
大家さんに尋ねてみると
庭で猫が死んでいた日があったそうだ。

色や大きさなどの風体や
死亡の日時がいなくなったときとほぼ一緒だったので
彼女は「あの子だ…」と思ったという。


「…こんな話、誰にでもできるわけじゃないけどね」と
うちの猫を眺めながら、
Yさんはいつも通りにニコニコしながら語った。



その笑顔が、
あまりにいつもと変わらないので
わたしは猫の亡き後、彼女がどんなことを感じたのかを
聞くことができなかった。


**************


愛情は人との間だけでやりとりしているものではない。
言葉は交わさなくても
一緒にいたり、何年か過ごしているうちに育まれていくのだな。
心配しているつもりが、心配されたり。


切ないけれど、とても心に残った。



…さて、うちの猫はしゃべったことはないけれど、
ちょっとしたエピソードがあるので
それはまたいつか書いてみようと思う。


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5ヶ月、そしてお盆。

2011-08-12 | 徒然なるままに
合宿のあとのぼーっと感もまだ収まらないけれど、
ああ、今日で5ヶ月だ…と思った。

被災地を訪ねた時、
言葉を交わした被災者の方たち。

家族が流されて見つからない、という声を聞いた。
もう出てこないだろうけれど…と言いつつ、
諦めきれない気持が伝わって来た。
胸が詰まって、つらかった。
そのときの痛みは、
思い起こすだけで身体に反応を起こす。

その頃は百か日が近かった。

今頃は
初盆なのに…
と思っておられるかもしれない。

それでも、亡くなった方達は
また懐かしい家族や友人のもとに無事に帰れるといいな。

身体はあってもなくても、
抱き合って、泣いて、
声をかけ合って、
一緒に穏やかなひとときを過ごしてくれるといいな。


死はひとつの区切りではあるけれど
終わりではないし、
魂は死を通しても学んでいるのだから。


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からっぽな器になる。

2011-07-28 | 徒然なるままに
震災以後、
さまざまな感情を抱えて来た。

不安、恐怖、悲しみ、そして怒り。

自分のものだけでなく
ひとの感じていることも
自分の中に入って来た。

世界中の人たちのメッセージを
you tubeで見るたび
感謝の気持でいっぱいになり、
被災地の映像を見て、
被災地のひとの話を聞き、
被災地を訪れ、
やるせない思い、
無力感でいっぱいになった。
温かい気持も同時にもらった。

こんなにいろいろいろいろ感じている日々が
ずっと続いていたんだなあ、とあらためて思う。

そしてもうすぐ8月。
毎年、8月の初めの週末には
長野で合宿をしている。
おかげさまで、
今年で10年を迎える。

震災以後は、この合宿も無事に開けるかどうかと危ぶんでいた時期もあったけれど、
おかげさまで来週末を迎えられそうです。

たかだか2泊3日だし、
人数も20人に満たないし、
小さなイベントだけれど、
わたしにとっては
毎年タマシイを注ぎ込むような
大切な大切な行事です。
(終わるとバッタリ倒れるのも、変わらない…)



毎年、生きていることや身体への感謝を、とみなさんにお伝えしているけれど
今年はさらに、それを共有できればと思います。
感謝と祈り。

そしてそんなイベント(というより儀式に近いかもしれない)を迎えるにあたり、
自宅修行中。
わたしにとっての修行とは、
「からっぽな器になること」だ。

こうありたい、こうせねば、こうあるべき、こうあってほしい、
そういうある種の「欲」を手放し、
ただの「器」になる。

今年は内側のざわめきが大きくて
なかなかその状態になれなかったのだが、
やっとそれを日常的に感じられるようになって来た。

ただひたすらに掃除をしたり、
蝉の声と風の音を聞いたり、
猫のトイレをきれいにしたり、
かぼちゃを蒸かしたりしながら、
ときどき、台所で踊る。

肩も壊しているし、
思いきり動くことができないのがもどかしいが、
それも忘れて、ただ踊ってみる。

そういうときの踊りは、
柿田川湧水群の池の底から
水がわき出しているような感じで、
(ビジュアルだとこんなイメージなのです)
ただ気持がいい。

そしてただ、それだけである。

それが気持いい。

からっぽになると、
ふっと感じるもの、見えてくるものがある。


そしてそれこそが
信頼するに足るものなのだ。

はたから見たらおそらく、
ただぼんやりうろうろしているだけのようなこの時間が
わたしの「内部」と「身体」をつなぎ、
調整して行く。

来週に向けて。



来て下さる方達が
タマシイの息吹を取り戻し、
喜び、泣き、笑い、歌い、踊り、
内側から浄化される時間と空間を
今年も作って参ります。






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4ヶ月。

2011-07-12 | 徒然なるままに
今朝、何かの夢を見ていて
ああ、まだまだ4ヶ月しか経っていないんだなあ、と
なぜか思いつつ目が覚めた。



あの日から、4ヶ月。

とても早かったような気もするが、
あの頃東北では雪が舞っていたのだ。
その東北も今日、梅雨明けした。

まだ避難所を訪れたときのことが書けていないのが、
ずっとひっかかっている。

昨日のWSの帰り、
アシスタントをしてくれているヤヨイさんといろいろ話した。

避難所の話をした。
そこで出会った方とどんな話をしたかということを
自分のコトバで語った。

彼女はおそらくそのシーンをありありと想像しながら聞いてくれたのだと思う。

彼女の目に、涙が光る。

わたしのことばも、つまりがちになる。

そこにあったのは
避難所にいた方を憐れんでいるわけでもなく、
人としての共感、ということが近いだろうか。

誰がその立場になってもおかしくない。
人の痛みを想像するということは
そういうことなのだと思う。
それが共感だ。

きっとわたしもそんな風に話していたのだろう。

まだまだことばにならないことはたくさんあるが。

夕方のニュースを見ていたら
避難所で話をしてくれた女性がインタビューに答えていた。

あのとき、見せてくれた写真をカメラの前でも見せながら。



まだまだ4ヶ月。

これからも長いし、
家族を亡くされた方が
喪失感に向き合い始める時期と思う。

世間は原発のことで持ち切りだ。

町はすっかり震災前と同じような雰囲気になっているし、
テレビも、ニュースを除けば
地震が起きたことも、原発事故がまだ収束していないことも全く分からない能天気ぶりだ。
菅総理はついに収束までに「何十年」と発言した。

日本では史上四番目とされるこの大きな災害は、
被災地だけではなく
多くの人の心に傷を残している。

傷というものは生涯消えるものではない。
そして今回の事故では未来への大きな負の遺産も残してしまっている。


それでも、傷を抱えながら生きていこう。

だからこそ、それをバネにして生きようとするひともいるし、
新しい技術を開発するモチベーションを持つひともいる。
その傷に敬意を払うことで
周囲や、環境に対して
さらなる愛情を持っていくことができるから。

今日もいい天気だったから、
太平洋沿岸の海もさぞかし青く美しく輝いていたことだろう。

今日の自分は、ずっと胸の中に悼みと痛みをを抱えている。
でも、今日の蠍座の月のこうこうとした輝きも、とても美しいなあと感じた。

今夜は、
汚してしまった海へ、ごめんなさいと祈りを込めて眠ります。


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仙台で踊り、遠刈田で語る【2】

2011-06-22 | 徒然なるままに
5時頃に仙台を出発して
遠刈田温泉に向かった。

仙台WSに欠かさず出てくれているKちゃんと電話で話した時、
今度は一緒にゆっくり飲もう!とわたしがリクエストしていたのだが、
それならば、と園子さんが「ゆと森倶楽部」というすてきなリゾートホテルを提案してくれた。
そこに有志と泊まることになったのだ。
仙台から1時間半、蔵王がきれいに見える場所だ。

夕陽がピカピカしている。
田園風景を抜け、森の中を通る。
緩やかなアップダウンのあるこの地は、
のどかで、とても美しい風景だ。
園子さんが、あるときここで写真を撮ったらオーブがたくさん写っていた、と話してくれた。

でも、ここは県の南になるし、
福島との県境もそう遠くはない。
(今では放射性物質の飛散は遠近の問題ではなく、関東も一緒なのだが)
地震の被害は少なかったとしても
やはりもう、何かが違うのだ、と思うと本当に切ない。
土に根ざして、自然と共に暮らしている地域は、特に。


ホテルは、家族連れなどでずいぶんにぎわっていた。
ボランティアで来ている人の宿舎にも一部なっているようだった。


ホテルで南三陸町から来たSさんと合流した。
セッションには出られないけれど、
温泉はぜひ来たい、とのことで
久しぶりの再会を果たすことができた。

Sさんの消息はなかなかつかむことができなかったが、
ハワイ在住の「自分への愛をすすめる会」の細川さち子さんと
連絡を取り合って、さち子さんからSさんの無事を確認することができた。
(さち子さんとはわたしがハワイに行ったときに知り合ったのだが、
仙台で知り合ったSさんがさち子さんと知合いだったのも
不思議な縁だった)

Sさんは6歳の息子さんのMちゃんを伴っての参加だったが、
全く物怖じせず、明るくてとても人なつこい子だった。
「それまではママ、ママだったんだけどねえ」とSさん。
避難所暮らしでたくさんの人と関わるうちに、大分変わったと言う。


夕食後は、ラウンジでKちゃんがフルートを吹き、
初めてセッションに来てくれたKちゃんがピアノを弾き、
プチライブを楽しんだ。
SさんはMちゃんを寝かしつけにいき、一緒に寝てしまったようだった。

そして部屋では、皆でゆっくりと語り合った。
1月のセッションで初めてお会いしたCちゃんが
セッション後から描きはじめたという絵をスケッチブック3冊持って来て、見せてくれた。
Cちゃんは震災直後にも、描いた絵もメールで送ってくれていた。
3冊に描かれた絵を見るだけで、その変化の過程がよく分かった。
すごいスピードで変わりつつあることを感じた。


震災後は、自分のMLでわたしの文章を流したりしていて、
たくさんのひととメールで言葉をやり取りした。
誰だったろうか。
この震災は「日本のアセンションだ」と言ったのは。


この日泊まったチーム仙台の仲間たちは
とてもスピリチュアリティの意識があるひとたちで、
おそらくこの震災を境に、それぞれがまた変化をしているように感じた。

皆で話していて一致したのは、
やはり人間の驕りをいさめるという意味合いがあったということ
(注:東北の人に、という意味ではありません。この災害は、日本すべての問題だから)
起きたことは本当に辛く、大変だったけれど
日本の進化を促すものであったろう、ということだった。

そう感じている人はおそらく日本中にいるだろう。


震災後は時間の流れが速い。
今までの比ではない。
多くの人が言っていることだが、
変容を受け入れる人、そうではない人の差がはっきりと出てきているのを
わたしはたびたび感じている。

すべては、
今まで通りではないのだ。
今まで通りのことにしがみつくことはできないのだ。

そして、なかったことにもできないのだ。

いちばんのベースである「自分自身」をしっかりと見つめ、
自分の中に起こる何もかもを受け入れて行くこと。

本当につらいこともあるのだが、
それが誰にとっても今こそ必要なときだと思う。
しっかりとグラウンディングしながら。
この地球に、そして今の日本をこれ以上汚染することなく、
冷静に、踏みとどまるために。

それぞれが自分のことを観ることなしに、
この時代を通り抜けることはできない、と思う。

政府と東電の対応でも明らかなように、
嘘もはっきりと分かるようになってきている。
もちろん個人レベルでも。

震災の後はそれがくっきりと分かることが増えて来て
辛くもあったのだが、それも仕方のないことなのだろう。
すべては個々の意識の問題だから。

変容には必ず痛みが伴う。
痛みなどという言葉では表しきれないこともある。
ましてや「再生」の前には「死」を体験せねばならないのだ。


でも、このところ
少しずつ「ひらいて」きているひとが
周りに増えて来た。
とてもおもしろいな、今の時代だもんな、と思う。





夜更けまで、話が尽きなかった。
 

コメント (2)
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これをぜひ見てほしい

2011-06-20 | 徒然なるままに
もう3ヶ月。

まだ3ヶ月。


でも、

なかったことにしてはいけない。


絶対に、忘れてはいけないのだ。


NEW YORK TIMESより


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