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原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

ひみつのサロンに行ってきた

2015-08-25 | 徒然なるままに


女神山、青山WSのOG(?)でもある
ノブコさんのひみつのサロンに行ってきた。



ノブコさんは、
青山WS開始から何年か後
ブッククラブ回で置きチラシを見て
参加してくれたのが出会いで、
古参組(笑)の一人でもある。

彼女は元々インド舞踊をやっていて
教えることもしていた。
が、その後いろいろ大きな出来事があり
それを経過しつつ50歳を過ぎて勉強を始め
アロマセラピーのサロンを開いて9年ほどになる。
お招きにあずかり、初めて訪れたのだった。

「キョウコさんのダンスセラピーに出た後から
いろいろな大変なことが起こり始めたんです。
魂が動き始めたのね。
キョウコさんのせいですよ。ほほほ」と笑ったが、
話を聞きながらわたしもそう思った。
何か扉が開いたのだな、と思った。

ワークショップ、個人セッション、
そして女神山合宿にも何度か参加してくれたが
そのたびに彼女の持つプリミティブな生命力溢れるダンスを見てきた。
いや、立ち会ってきた、というべきかな。

「どんなに大変なことがあっても
このひとには生命力がある。だから大丈夫」
と、ダンスを見ていていつも思った。

そして、大変なことは本当にいくつも訪れてきたのだった。

しかし、それを受け止め
経過し、ノブコさんの現在がある。

前回お会いしたのは2013年だったが
変わらずに元気だったし、
いい意味で脂が抜けて
よい年の取り方をしているなあ、と思う。

生まれてきて、
いろいろなことがあって
悲しみや怒りや恨みやどうにもならないことや、
いろいろなものを背中のリュックに詰め込んでしまうが
それをまた手放していくのが人生の折り返し地点だよな、
とわたしはいつも思う。

ノブコさんは生命力の強い、濃い(笑)ひとだけれど
ずいぶん捨ててきたのだな、と思う。
なんだかさっぱりした雰囲気になった。
とてもすてきな年の重ね方だ。

ダンスでは、黒い魔女っぷりが際立っていたのだが
いまや立派な白魔女である。

トリートメントの手のひらも
ストロークもとても優しく、
ほわほわと半分眠っていた。

しかしノブコさんは、
久しぶりにたくさん話したいことがあるようで、
施術中もなかなか全部は眠らせてくれないのである。
「話を聞いてもらって、個人セッションしてもらっているようだわ、ほほほ」と笑うのである。
いやいや、わたしもしていただいていますよ。

こうして、久しぶりに会っても
本当に深い話ができるのが嬉しい。
そういうのはキョウコさんのところだからよ、と言ってくれる。

それはわたしもそう思っていて、
ワークショップを長年続けてきて
嬉しいことの筆頭だ。

辛さも苦しさも涙も鼻水も笑いも恥ずかしさも怒りも
いろいろさらけ出して踊っていると
皆、魂の仲間になる。



ノブコさんもわたしも、
乳がんスライバーだ。
ノブコさんは乳がんの先輩なのだ。

がんは術後が本当に辛い。
治療のために使う薬で心身共にバランスが崩れる。

「でもあれがあってよかったわって今は言える。
今までの大変なことも、今の仕事に全て役立っている。
無駄なものが何一つないのよね」と言う。
「ストロークしていると、毎回違う。これ、ダンスだな、と思う」。

うむ。



しかし、ここで断言する。

ノブコさんはもっと変わっていくのだと思う。
そしてまた、それを踊るのだ。共に。
黒魔女も復活!だ。

死ぬまで変化する。
死ぬまで生き切る。
年老いても、
身体が動かなくなってもだ。

うむ。






写真はノブコさんのセッションルームです。
優しい精霊がたくさんいそうな、
とてもいい雰囲気でした。

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旧暦新年の初夢。

2015-02-20 | 徒然なるままに
新年、あけましたね。

おめでとう、といえる材料が
このところの社会には少ないけれど
何か新しいよきことが始まるのを祈りつつ。

そういえば
元旦には夢は見なかったのだが、
旧暦新年の今朝、
こんな夢を見た。

********

青空である。
気持ちのいい晴れの空である。

そこに、大きな鯉のぼりが飛んでいる。

竿につながれていない
青い鯉のぼりが
見ている自分の方に向かって飛んでくる。
泳ぐというより、飛んでいるという方がふさわしい。
結構ダイナミックだ。


前から見ているので中まで見える。

胴体の中には十字に組んだ枠のようなものがあり
それが鯉のぼりの空間を維持している。
そこにもしかしたら風を送る扇風機の羽のようなものもあった気がする。

この鯉のぼりは自立しているのだ。
自力で飛ぶ気満々で、風を自らの体の中に送っているのだ。


この映像を見ながら少しドキドキした。
ピリッとする感じがあった。
その感じを持ちながら、目が覚めた。


新年の、初夢でした。


さて、今年はどんな年になるかな。

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震災と、生まれてきた子供たちのことを思う。

2015-01-16 | 徒然なるままに
阪神の震災からもう20年。
もう、なのか、まだ、なのか。

あの時、内科医だった亡父が
医師会の決定を待たずに
単身で神戸にボランティアに行ったことを後から聞いたのを思い出す。


東日本大震災からもう少しで4年、
という事実に軽くショックを受ける。

東日本の震災の後、
街中や電車で赤ちゃんを見るたびに
こんな大変な時に生まれてきてくれて
本当にありがとう、といつも思った。
泣きそうになったことも度々だった。

この4年の間に
生まれてきてくれた子供たち。
頑張って産んだお母さんたち。
不便な生活を強いられた被災地のお母さんたち。
本当にありがとう、と思います。

3月に姪の初産予定もあり、
今妊娠中のすべての女性に
安心して産んで育てられる環境を作っていくのが
今生きている我々の責務と思う。

社会的にも政治的にも厳しいことが多いけど、
そういう気持ちを忘れてはいけないと改めて思うので、
あえてここに書くことにします。


世界中の子どもたちが
生き生きと、人生を楽しめますように。
どんなことがあっても、
知恵を絞って乗り越えていけますように。

世界中の、「今」を生きる私たちが、
希望を失わずに
旅立つその時まで、今を生き続けますように。
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2015 年頭のご挨拶~護摩焚きで思ったことなど

2015-01-06 | 徒然なるままに
2015年となりました。

東京、青山にワークショップを常設して
今年で19年目となりました。

今まで多くの方の応援と助力をいただいて
こうして続けることができていること、
あらためて、心より感謝を申し上げます。

今後とも、一層の精進をしてまいりたいと思います。
本年もよろしくお願い致します。

さて、元旦は神木山等覚院にて
護摩供厳修を受けて参りました。



ここのお寺、
昨年の元旦にふらりと立ち寄って
上記のような行事を行っていると知り、
今年はぜひ参加しようと決めておりました。

ここのお寺はお不動様が有名ですが
秘仏としてお正月のみご開帳の薬師如来様、
阿弥陀如来様、毘沙門天様がいらっしゃいます。

それぞれの仏さまへのマントラ、
般若心経などを唱えながらの護摩焚きで
あっという間の1時間でした。

…昨年から何だかお不動様が気になっています。

ここのお不動様は上に載せたようなお姿。
とても迫力があります。


311以後、政治や社会の情勢が急速に変化しているのを
皆さんは感じていらっしゃるでしょうか。
そしてその変化は残念ながら、あまり好ましい方向ではありませんね。

誰もがどこかで不安を抱えていて
疑心暗鬼になっている。
そんな風に感じることがしばしばあります。

それぞれが、自分のいるところで
できることを倦まず弛まず続けていく。

自分の頭で考え、
自分の足で歩く。
耳をひらいてよく聞き、
曇りのない目でものを見る。
自分の言葉で語る。

そして自分自身で熟慮の上、決定する。

シンプルですが、
こうした「行為」を意識し続け
行っていくこと。

社会の中で、誰かの身の上に起きていることは
自分にもつながっていること。
いつも自分自身が「当事者」であれるかどうかです。

シンプルなことを続けていくのは簡単ではありません。
自分の意思と決意が必要であり、
既存の枠組みを壊していく、ということも含まれるかもしれません。

こんな時代に助力を与えてくれるのは
お不動様ではないか、と昨年からなぜか思っているのです。

不動明王はヒンドゥー教ではシヴァ神にあたるそうです。
(シヴァ神は破壊の神であり、踊りの神でもあります。
世界が終わりに近づいたとき、もう一度世界を作り直すために、
いまあるすべてを破壊して0に戻してしまうとか)

新しい何かが生まれ出るためには
古い何かとお別れすること。
そんな示唆があるかもしれません。

昨年末、
今年の日本を思っていつも使っているエンジェルカードを引いたところ
「birth」のカードが出ました。

新しい何かが生まれる年。
生まれてくるには、産みの苦しみもある年かと思います。

お不動様の厳しさ(と厳しさを包含している大きな愛)に触れて
そんなことを思う年頭でした。

ゆるやかなネットワーキングと
一人ではなく、多くの方と「智慧」を分かち合って
「行動」につなげていく。
もうそういうムーブメントは起きていますが
ますます大きなものとなっていくようにと思います。

新しき出会いと生まれ出ずる何かを楽しみにして。

今年もよろしくお願い致します。


原キョウコ


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その人の言葉から

2014-10-31 | 徒然なるままに
いる場所がないから、ここに来るのだ、とその人は言った。

嫌な場所だったら
あなたはここに来ることを選ばないでしょう?と私は言った。

もう自分はダメかもしれない、
たくさん傷つけられ、
行くべき医療機関にも行かれない、
ボロボロだ、と。

しかしその人は来た。

人が大勢集まる場に行くということ。
そこにとどまっているということ。
それは大変なエネルギーがいる。
それだけで、本当にすごいことだ、ということを
私は知っている。
そういう、多くの人を見てきたから。


これができない、あれができない、
「みんな」のようにはできない、
だから自分はダメなのだ、
とその人は言う。

時々私も落ち込むと(だいたい年2回くらい)そう思う。
しかし、10日もすると復活する。
そして、落ち込んでいる時も
「定期的疲れ」の時期に、弱っているからこんなことを思うのだ、
とどこかで観察している自分がいる。


いつまでも、
自分を貶めていてはいけないのだ。


親とか環境とか、それまでにどんなに人に貶められることがあったとしても
それを充分に感じたら
その被害的な立場から抜け出さなければいけない。

とあえて言い切りますよ!!


自分が自分を否定すること。
自分を貶めると、そのエネルギーは他者にも伝わる。
そしてまた、貶められるようなな方向づけが起きる。
これは誰かのせいということではない。
エネルギーの方向性ということ。

こういうことが「負の連鎖」の一つ。


誰がどう言おうが、
自分が自分を見捨ててはいけない。

自分が自分に、誰かからされたような無理と我慢を重ねてはいけない。

そこまでは、どんなに落ち込んでもいいし、
自棄になってもいい。
気のすむまでやればいい。
ただし、死ぬのはダメだよ。


どんになしんどい状態であろうか、
最後の最後は
自分を見捨ててはいけないのだ。

多分、それを伝えるときに
私はにこりともしない。
同情もしない。


自分を貶めるところにい続けることの無意味さや
危険性を伝える。


人には皆さまざまな課題が与えられている。
それを見極めて、そこに直面して、淡々と。
或いはぶち切れながらもチャレンジして。

誰かのせいにせず、
過去のせいにせず、
自分のやり方の「今」を模索していくのが
生きていくこと、と思う。

しかし、
自分の人生を選択できる、
人のチカラというものを
私は信じている。

いいことがひとつでもあれば、生きていく力に繋げられるから。
それをその人自身が認識することが生きるよすがになるから。

その力を信じる。


これまでも、今も。


信じている。


************

大阪WS、終了致しました。
参加の皆様、サポートして下さった皆様、
ありがとうございます。

次回は来春5月頃を予定しています。

また、関西合宿WSもそろそろ始動しようと思っています。

ぜひお越し下さい。

初めての方も、ダンスが苦手な方も、シャイな方も歓迎です。

ここは
身体だけでなく、
魂の集う場所でありますから、


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知らない誰かの手を握ったことの記憶

2014-06-06 | 徒然なるままに
ふと、夜の道を歩きながら思い出したことがあった。

もう10年以上前だろうか。
冬だった。
おそらく忘年会とか、そういう時期だったのだと思う。
わたしは、その頃とても重宝していた膝下までの丈の、茶色のダウンコートを着ていた。

渋谷、終電もそう遠くない時間だったと思う。
ハチ公前の喧噪から地下に入る階段の下に
人が倒れていた。

多分30代とか40代の、割と若い感じの男性だったと思う。

どこかから少し血を流していたのかもしれない。
そばには、駅員のような男性がいて
救急車の到着を待っていたようだった。
階段から足を滑らせて
打ち所が悪くて起きられないように見えた。

わたしはそのひとのそばを通ったときに
思わずしゃがんで様子を見たのだと思う。

そしてコートを脱いでその人に掛けた。
床はコンクリートに化粧タイルを貼ったような、都会によくあるもので、
そこに寝ているのはものすごく身体が冷えるだろうと思ったからだ。
そこに何の逡巡もなかった。

そして、そこに座ってその人の手を握った。
その人の手は冷えていたと思う。
私の手はかなり暖かい。
温めようとしたのだろう。

ここまで読んでお気づきの方もあるかもしれないが
私はただの酔っぱらいだったのである。
なので(?)何か考えることもなく
そういう行動をとっていたのだった。

もしかしたら「大丈夫ですよ」とか「もうすぐ救急車が来るみたいですよ」とか、
何か囁いていたような気がする。

その人も酔っぱらいだったのかは分からないが、
ずっと目をつぶっていた。

そして救急隊が来て
あ、もういいかなと手を放そうとしたときだったか。
一瞬、わずかに手を握り返してくれたような気がしたのだった。

コートを剥ぐときにちょっと申し訳ない気持ちになったけれど
そのコートを着て、階段を下りて地下に行き、電車に乗った。

雨に濡れた夜の道で滑りそうになった時
そのことをふと思い出したのだった。

いいことをしたとか、そんなつもりはもちろん毛頭ない。
迷惑だったかもしれない。
どちらでもいい。

でも何でああいう行動に出たのだろうと思い返したら
わたしは自分が倒れていたら同じことをしてほしいとあのとき思ったのだと思う。

死の床でも同じかもしれない。きっと。

ダンスセラピーのセッションでも
誰かの身体に触れたり、手を合わせたりすることがあるけれど。

何だかこういうことを思い出したので
また違った形でやってみることになると思う。




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指輪ホテル公演無事終了しました

2014-05-14 | 徒然なるままに
いちはらアートミックス参加作品、
指輪ホテル「あんなに愛しあったのに~小湊鐵道篇」
3/21~5/11までの毎土日祝日に上演。
おかげさまで大きな事故もなく
無事に20回公演を終了致しました。
おかげさまで、中盤からは満員御礼。

関係者のみなさま
見に来て下さったみなさま
本当にありがとうございました。
そして土地の神様と精霊に
改めて感謝。

今回の最年少出演者、9歳のまおちゃん。

ちょっとシャイで、
稽古場ではほとんど口をきかなかったけれど。

本番近くの電車稽古あたりからかな。
徐々に様子が変わってきて
本番に入ったらすっかりリラックスして
楽しめるようになってきました。

ある日列車に乗るときに私のことを見て
「なんかホグワーツの先生みたい」といいます。

その日から、本番開始の駅に着くまでの45分くらいの間
「授業」が始まりました。

最初の授業は「電車になる」ことからでした。

歌と踊りもやりました。

後半、お天気が持つかどうか怪しいなあ、
というときには
お祈りの仕方を教えて
ふたりでずっとお祈りしました。
そして、それは本当に通じました。

人前に出て謳ったり踊ったりしても
恥ずかしくない魔法もかけました。

昨日の閉会式では
作ったばかりの自己紹介ダンスを
ステージの上で披露しました。
ビックリした…!

ここ2ヶ月ほどの間で
本当にのびのびと明るく元気になって
いつもきらっきらの笑顔。
お客様からは「本当に小学生?」とも思われたみたいです。

最終日の夜、いちはらアートミックスの閉会式の時。
まおちゃんに
ホグワーツ魔法学校いちはら指輪ホテル分校(非公認)
魔女養成コース(小魔女クラス)の修了証と
お守りのローズクオーツとペガサスを贈りました。

それまで元気だったのに
急にうつむいてぼろぼろ涙をこぼしました。

そしてしばらく泣いていました。

みんなにも寄せ書きをしてもらい渡しました。

わたしが帰る時、
顔を上げて
「もしまた会う機会があるとしたら、
もっと成長したところを見せるから!」と
きりっとした口調で言いました。

きっとすてきなオトナになるね、
まおちゃん。

どんなことがあっても
いつも歌と踊りを忘れないで。
楽しむ心を忘れないで。

ありがとう、まおちゃん。

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7/21は投票日!

2013-07-21 | 徒然なるままに
WSを終えて、スタッフとミーティング飲み会をして
帰り道渋谷に向かった。

ハチ公前はいつものように賑やかだった。
「選挙に行こう」という意のプラカードを掲げている人がいた。
20時までは太郎/洋平が最後のフェスをやっていたらしかった。

23時過ぎのハチ公前にもその残党?がいた。
ジャンベを叩いて歌ったり踊ったりしていた。

そこにいた人と少し話した。
静岡から来た、という(おそらく20代の)男性がいた。
選挙を楽しんでいるようだった。

是非は別にしても
選挙に来ない層を巻き込んでいるのだなと感じるものがあった。

311の後の都知事選でも
前回の選挙でも
その結果にはほんとうにがっかりしたが、
今回は結果がどうあれ絶望はしない、諦めない、と思った。

少しずつ変わって来ていると思う。
それがマジョリティにならなくとも。

次代の子供たちや
この星に生きとし生けるものの
これからの長きに渡る時間を考えたら
息を長く、粘り強くやっていくしかない。

セラピーセッションで、
ひとが変わっていくプロセスに立ち会うのは
持続力と忍耐力がいることでもある。

今出た結果だけで一喜一憂するわけにはいかないのだ。

自分のやって来た仕事への姿勢と
社会に対する姿勢がつながった感じがした。

こうあってほしい、という未来。
諦めないし、
権力者に明け渡さない。委ねない。
それもあらためてはっきりと感じられた。

みなさん、
これからの子供たちや未来や地球環境のためを視野に入れて
選挙に行きましょう。
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2年ぶりに被災地へ その1

2013-06-11 | 徒然なるままに
仙台WSの翌日に、被災地を巡って来た。

震災のニュースが続々と入ってくる中、
WSに来て下さっていた仙台市内や周辺にお住まいの皆さんの様子がずっと気になっていて
その年の6月にやっと訪れることができたのだった。
市内でセッションを行い、有志で蔵王町の「ゆと森倶楽部」に宿泊した。
食事中に大きめの地震があったことをよく憶えている。

その翌日、南三陸は歌津に住んでいたSさんの案内で、南三陸を廻った。
志津川の港に入る手前の街で、風景が変わった。
坂を上っていっても、こんなところまで…という高さのところに津波の痕跡があった。
志津川の街も、通行のためにとりあえずまとめられるがれきはまとめてあるくらいで、
まだまだ破壊のエネルギーが街を覆っていた。
あの有名になった防災センターの鉄骨にも、
網や浮きがひっかかって絡んだままになっていた。
とてもいい天気の日で、潮と腐敗の混じったような匂いも強かった。

歌津の中学校の体育館が避難所になっていた。
Sさんは仮設住宅に入ったばかりだった。
避難所は思いのほかいい雰囲気で、
子供をあやしてくれるひともたくさんおり、
避難所を出るときは少し寂しかったと言う。

遠藤園子さんがクリスタルボウルの演奏を行い、
わたしはその間、避難所の方々にアロマオイルを配っていた。

ある年配の方の隣に行くと、彼女は問わず語りに話しはじめた。
妹さんが流されてしまってまだ見つからないこと。
夜、なかなか眠れない時に、避難所の体育館のテラスに行き
ひとりでそこで泣くこと。
そして、「みんな大変だからね。こんなこと言えん」と呟いた。
わたしのようなよそ者にしか話せないのだな、と思った。

あの日の海の美しさは、本当に忘れられない。

こんなに美しい海が…と何度も思い、
そしてそれが「自然」なのだとも思った。

まだ何もかもが生々しかったあのときから2年。

再び、沿岸部に行ってみようと思ったのだった。


<続く>

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何を信じて生きている?

2013-04-11 | 徒然なるままに
先日、GOMAさんのライブを見たあと、
同行の友人にいきなり
「きょんさん。何を信じているの?」と突然尋ねられた。

わたしは、
間髪置かずに
「音楽とダンスと祈り。」と
口からついて出た。

なんでそう答えたかはわからない。

ライブの後なので、
普通に喋るのも億劫なくらい。
言語野も働いていなかった。

そういうときの答えこそ、
そのままのことなのかもしれない。



国家ははなっから信じていない。

ココロもお天気のようなもので、毎日変わる。

人間も、変化するものだ。

自然は、宇宙や地球の都合であり、大きな災害もあって当然だ。



音楽は、正直だ。

ダンスも、正直だ。

自分がそうしたくない、
今はこの曲は好きじゃないとか、
今はこんなふうに踊れないとか、
いろいろ思ったりする。
でも、やってみるとそうでもなかったりもする。
え~、とか思いながらも気持よかったりする。


そういうことが、本当な気がするのだ。

(おもにだけれど)男の人はときどき、
「やると決めたからそうするのだ」と言う。
別にエライひとでなくても、
そういう発言をする。
ああ、エライなあ、とも思う。

でも、やると決めても
やれないこともあるし、
そっちもありなんじゃない?と言うこともある。


ともかく、
わたしは
「音楽とダンスと祈り」と
なぜか口から出たのだった。

どれも、変わらずに好きなものだ。
ワハハなのだ。

好きなことが信じられることなのかな。

信じるって、何だろうな。



みなさんは、どうですか?




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GOMA&JRSを見に行った。@渋谷WWW

2013-04-08 | 徒然なるままに
渋谷WWWにGOMA & jungle rhythm sectionを見に行った。
いや、聴きに行った、というべきか。

映画の「フラッシュバック・メモリーズ」を見ながら
ああ、この音で踊りたいなあと思っていたのだ。

会場はオールスタンディング。

7時過ぎ、バンドが登場して来ると会場は興奮状態。
ディジュのGOMAさんとドラム、パーカス、コンガの4人編成。
(このjrsがまたスゴくてシビレた…ものすごく手練な面々。)
演奏が始まるとやっぱり若者はタテに跳ぶのだった。


わたしはなんだか静かな気持で演奏を聴いていた。
音が、身体のどこに響くかを感じながら聴いていた。


最初と2曲目くらいまでは
胸のチャクラにすーっと入ってくるのが分かった。

切ないような、どこか静かな感じ。
悲しみとはまたちょっと違うけれども。
あんなにパワフルで、音数も多いのだけれども。

その後は、ただ音の振動の中に身を委ねた。
響いてくる音に身をまかせながら
リズムの中でゆらゆらと踊っていた。

そうしているだけで、
顔が勝手に笑ってくる。

クラブとか、ライブとかで何も考えずに踊っていると
時々そうなるんだ。

特に一体感を感じているわけでもなく、
感情が高揚しているわけでもなく、
気持はけっこうクールだったりするときに。

身体が喜ぶと顔も(顔の身体の一部だもの)勝手に笑うのだ。

目を閉じて、
外側の波動と身体の内側の波動に意識を向ける。
その境界が曖昧になっていく。
尾てい骨に響きが伝わる。

波動が、少しずつ浸透して、
身体中の細胞がしゅわしゅわと弾け、踊っているのがよくわかった。
炭酸水のように。

身体は細胞でできているんだなあ、というのがよく分かる。

なんかねえ、もうそれでいいよねえ。
それだけで。


…今日起きたときには
わずかな心地よいだるさがあって、
身体の中が透明になった感じがした。


やっぱり音楽と踊りはいい。
無条件にいい。


みんなに、踊りの気持よさを体験してもらいたいです。

どんな踊りでも。



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掛川で春を満喫する。

2013-04-06 | 徒然なるままに
今年からWSに来て下さっている静岡のEさんのご縁で、
先日静岡は藤枝/掛川に行って参りました。

静岡に着いて、
Eさんのご案内で川根温泉。
温泉は大好きでよく行くのだけれど、
ここは本当に湯質が素晴らしいところでした。
火山の恵み。そして土と水の恵み。
火山の噴火や地震という脅威もあるけれど、
これも表裏。
セットになっていることと改めて感じます。

今回はEさんのご実家にお世話になったのですが
彼女のお父様がわたしの大学時代の恩師の親友、という不思議な偶然もあり
すっかりリラックスさせていただきました。
お茶が本当に美味しかった。
初物のタケノコもいただきました♬


翌日は近辺をドライブ。
訪れる先では必ず神社仏閣にお詣りしますが、
今回はここ。






行ってみたらちょうど結婚式を挙げている最中で、
このおめでたい偶然も、なんだか嬉しい。


気の通りがよく、抜け感があり、
仙台の南の白鳥神社にもちょっと似ている感じがしました。
境内にある大きな楠と、大きな杉が、この地を長年見つめているようです。

目の前は田んぼ。





静岡はやはり、本当に穏やかな気の場所です。
恵まれた土地だな、と思います。


その後、
掛川にある「ヴィレッジ」で
シンギングボウルとリーディングのセッションを受け、
集まっていた皆さんとおしゃべりをしたり、
流れにまかせるままに過ごしたよい日々でした。





5月に
掛川/袋井/藤枝近辺でのWSを行うことになりました。

静岡、愛知の方
ぜひいらしてくださいませ。
日程などの詳細が決まり次第アップしますね。


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腹黒スイッチ

2013-03-17 | 徒然なるままに
参道と渋谷の間の南青山ゾーンには
オサレなお店が立ち並んでいるのだが
そこにもブラックホールみたいなとこはあるわけで
そういう居酒屋に
今日のダンスセラピーWSに参加したねずみ男が
「洞窟のような店があるのだ」と言って連れて行ってくれた

安い早い味は至ってふつう
たまごかけごはんとかキャベツの塩昆布とか
家でも作れるようなメニューばかり
だからオサレな南青山では異色のゾーンであるわけで
そこでうどんすき840円→今だけ特価640円とか
たこ焼き280円などを食べながら
ぐだぐだと今日起こったことやあれやこれやを話した

さまざまな話をしたのだけれど
最終的にはなぜか
自分の中の腹黒いスポットを大事にしようということになり
まぢめ妖怪の雪女は
腹黒スイッチを作る!と帰り道で宣言していた

なぜかこのWSにやってくるひとは
わたしの妖怪腹黒ポイントを見てとって
安心して
腹黒とかいろいろ出しているらしい

こういうWSはとかく
自分をさらけ出さなきゃとか
何か得て帰らなくちゃとか
いい子でいなくちゃとか
いろんな誤解を持たれるのだが
腹黒いところも鼻水も涙も出るなら出るがままにしていればいいのだ
それを誰も責めはしないのだし褒めもしない
でも共感することはある

雪女もやがて腹黒から色黒になるかもしれぬ

わたしはもともと腹黒の色黒なので
色は変わらぬ
白いのは今や髪くらいなものだ

腹黒さも後ろ暗さも怒りも悲しみも不安も
そのまま踊って
そのあとはワハハと笑えればいいと思った

ほんとだいじなんだ、
ワハハは。
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2012年の終わりに 感謝を込めて

2012-12-31 | 徒然なるままに
2012年も本日で終わり。

昨日の雨で、今年終わりの浄化がされたような気がします。


昨年は、津波と原発事故への悲しみ、怖れ、怒り、そしてそれに対処しようとする気持で
あっという間に過ぎてしまったのですが

今年は311を過ぎて
それでもこの世界でできることは何か、ということを思いつつ
改めて生きていくことを決意した一年でした。

母の死、友人の死、友人の大切な猫の死、
そして友人たちのお母様の死も片手では数えられなかった年でもありました。

昨年から「世界の変わり目」であることをひしひしと感じています。

変わり目にはいろいろな事が起こります。

それをどう捉えて行くかで
世界に対する自分のあり方が見えてきますね。

選挙の結果には愕然としたし、怒りもこみ上げましたが
不思議と絶望感はありませんでした。

昨年、今年と続いていることではありますが
来年はもっとそれぞれの生き方や考え方が明確に問われて行くような気がします。

自分がどうありたいのか。
それをしっかりと深いところまで見つめなければいけません。

見たくないものに、長いこと蓋をして来たのならば
それも自分の一部として認め、
必要のないことなら手放せばいい。
いつもそう思います。

自分を見る事なしには、社会とも対峙できない。
いよいよそういう時代に入っています。



さて、今年もワークショップを各地で行うことができました。

初めての博多では、九州のパワフルな女性達に出会えました。
参加の皆さま、ありがとうございました♬

8回目の仙台WSでは宇宙からのエネルギーにサポートされ

6回目の大阪WSでは参加された個々の方に静かだけれど確実な変容が起こり

今年から始まった臨床グループでは
ボディワークを併用することで
明らかに治療的な効果が上がっている方も見られました。

身体への働きかけに始まるわたしのWSでは
参加の方の心の変容が起き
「場」を生み出し
さらに大きな「something great」からのサポートをいただけるまでの
さまざまな「層」があることを
あらためて確認できました。

ひとり、という単位はとても小さく見えますが
身体は宇宙のようなもの。
ひとりの持つエネルギーはとても大きなものであり、
「something great」につながっています。

恐れずに、楽しみながら
そこへの回路を開くためのお手伝いができればと思っています。

今年の出会いもまた、とてもいいものばかりでした。

旅先で出会った
桑原薬師堂のK子さん。
大陽寺の住職のお母さん。
博多WSの後に福岡を案内して下さった君枝さん。
Twitterで出会った何人もの方たち。
訪ねたお寺や神社のエネルギーと、美しく厳しい自然。

来年も、いろいろなところを訪れたいと思っています。

日本各地でのWSのご依頼も受け付けております。
お気軽にどうぞ♬

社会的には厳しい状況が続きますが
内なる自分との対話を大切に、
生きていきましょう。

被災地の状況がもっとよくなることを祈りつつ。

みなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

感謝。













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介護を考えるための本

2012-09-27 | 徒然なるままに
先日、高校の同窓会がありました。

私の世代は
今は介護の問題を抱えている方が多いです。

私は、
6年前に父を
今年の2月に母を
見送りました。

介護ヘルパーさんを養成する学校で
教鞭をとってもいますが、
介護はそれが自分に近い存在であるほど
難しいと思います。
友人のケアマネと話していても、
原家族にはさまざまな歴史も愛憎もあるゆえ、
本当に難しいです。

最初にダンスセラピーのセッションをさせていただいた
東海大学病院の先生が
介護に関わる精神医学の本を
多く上梓されています。

ご家族の介護で悩んでいらっしゃる方には
何らかヒントになるかもしれません。

親だと思うと悲しくなることも
イライラすることも多いのですが、
加齢/病気としての側面を認識すると
違った意味でとらえることができます。


もし、機会があれば読んでみて下さいな。

とにかく、
一人で悩まないこと
抱え過ぎないことが
原則です。


「希望のケア学」
「ケアの心理学」

いずれも渡辺俊之著

コメント (1)
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