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原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

1991 汐留 維新派「少年街」の記憶

2016-06-20 | 徒然なるままに
http://ishinha.com/ishinhaworks/1991shounengai

維新派を見たのは東京、汐留。1991年。

昔ここは国鉄の引込み線基地だった。
殺風景なところだった。
今はクソくだらない高層ビルと高層マンションになっている。

大学の後輩で
今は和歌山で議員をしている玉ちゃんと
玉ちゃんの友達何人か(川谷拓ボンの息子もいて
お父さんにそっくりだった)もいた。

音楽をやっている内橋さんは
当時稽古に行っていた柴崎さんのスタジオfuryuで
柴ソロの時、音楽をやっていたし
(打ち上げで興がのった時
柴さんにおおさか回しされたのもなんだか覚えている)
出演者を見るとなんだ、
知り合いみんなこんなに出てたの?という感じだ。
「風の旅団」のさえちゃんも出ていたような気がする。



芝居がはねたあとは
打ち上げに混ざって、そのまま客席で飲んでいた。
秋だったな。冷えた記憶もあるから。
でも夜景が綺麗だった。
東京の夜景。


あれだけの大きな空間を大きな手でガッとつかんで
未来とも廃墟ともつかぬ異空間にしていた
松本雄吉さん。

なんだかすごいおっさんだった。
あんなにすごいおっさんは、もういないのではないか?
敬意を込めて。

いやでも出てきてほしいよ、まだ。
すごいおっさん。


同世代のアウトサイダーのおっさん、がんばれや。
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空になる

2016-04-28 | 徒然なるままに
呪、という文字がある。

のろい、と読む人が多いかもしれないが、

しゅ、とも読む。

まじない、とも読む。


「呪縛」のじゅ、である。


ことばにはそういう側面がある。

ことばで規定されたことには
誰かや自分に「まじない」や「のろい」をかけてしまうことがある。

だれかから発せられたコトバが
長い間、自分で自分を縛り付けていることがある。
気づかないうちに。

ただのコトバに縛り付けられていることに
気づくことがまず第一歩。

そしてそれは過去のものであり、
現在のものではない、と思うこと。

それをすることで
「呪」は手放されていく。

踊ることで、
どうぞ、たくさんのことを手放して下さい。

身体にはもっと空間をもたなければいけない。

新しい何かを受け入れるために。

ただただ、空っぽであることを感じるために。

誰かに罵倒されたことも、
愛していると言われたことも
手放すときがあるのだ。

過去は現在ではない。


過去で満たされた身体を持ち続ける必要がどこにあるのだろうか??


今、この瞬間を生きるために。
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身体と感覚と魂のつながり。

2016-04-08 | 徒然なるままに
乳児は快/不快を泣き声で伝えます。
生存に関わることだからです。

そして成長していく間で
躾けられ、
社会生活を営んでいく上で
快/不快という原初的な感覚だけでは
他者とともに生きていくことはできない、
というメッセージを叩き込まれます。

やがて身体感覚は麻痺していきます。
身体感覚が鋭敏なままであると
殊に都会での生活は営めなくなるからです。

しかし感覚鈍麻が長く続くと
不調の原因となります。
そのときには身体感覚を取り戻すことが必要になります。

その方法のひとつとして
わたしはダンスセラピーを行っています。

そして、取り戻した後には
もうひとつ先のステップがあるのです。

快/不快にとらわれないこと。
楽しい/楽しくないにとらわれないこと。
感情に左右されないこと。

よきことも悪しきことも実は同等の学びがあります。
それを受け入れること。
受け取ること。

そのステップに来て初めて
自分の魂が本来やりたかったこと
表現したかったことにたどり着くのだと思っています。
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静の中の動 動の中の静

2016-03-15 | 徒然なるままに
身体の中には

静かな湖のような空間を持つことが必要だ。

生きることや動くことに汲々としていると

身体の内に静けさを保てなくなる。

走り続けていると

自ら止まる、ということができなくなることがある。

止まるということが「強制終了」という「停止」になることが多いように思う。


静止と停止は全く別のものだ。

「静止」の中には

じっと止まっているように見えても

その中に

かそけき声があり
かそけき動きがある。



動いたあとに、

そっと身体の動きを止めてゆく。

指先から水が滴るように

その運動のエネルギーを水滴のように落としてゆく。

静止の状態を

じっと感じてみると

身体の内部感覚がじんわりと浮き上がってくる。


樹のように、
そこに立ち尽くす。


内と外とのエネルギーを交感し合い

「世界」の中に「存在」している身体を感じてみる。


身体の中に静かな空間を取り戻し、

そこを風が吹き渡っていけばよい。


いつでも身体の中には風の通り道をつくらなければならないのだ。


静なる空間は聖なる空間でもある。


それをいつでも取り戻せる身体であれば

動いていても静けさを感じることができ、

静かにしていても動きを感じることができる。


死と生も、本来そのような関係であると思うのだ。


新しい細胞が生まれ、古い細胞は毎日死んでゆく。


死と生を同時に孕んだ、われわれの身体を、

われわれは生きるのだ。
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舞踏の良さ

2016-02-24 | 徒然なるままに
舞踏の良さ。

生と死の間を行き来できること。
幽冥の境地を能とは違った形で表現すること。

そして人間以外の、
鬼にも幽霊にも妖怪にも羅漢にもなれること。

何にでもなれ、
どこにでも行かれ
そしてどこでも踊ることができる。
ビルの谷間でも
歩行者天国でも
山の中でも。

そうやろうと決めたならば。


*******

このところ、WSでは舞踏の手法を掘り起こし
今のアレンジを加えてやっておりますので
ご興味のある方はぜひいらしてください。

舞踏の奥深さにずっと潜りつつありますが
もっともっと潜っていきたい。
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無題

2016-02-23 | 徒然なるままに
わたしはそれほど重要じゃない。
わたしたちはそれほど重要じゃない。

重要なのは
わたしたちの幾多の体験を貫いて得た
血の通った叡智と
それが分かち合えるところ
世界の遠くまで見通すような視線

そして
ときおり
然るべき時に「場」に訪れてくれる
大きな温かなエネルギー。

たぶん、それが愛と呼ばれるもの。
愛と呼ばれる瞬間。
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生きること/体験するということ

2016-02-03 | 徒然なるままに
生きていればいるほど、
これはいいとか悪いとか
言えなくなっている感じがある。

そんなに短絡的に判断できない。

あの時は苦しかったり
きつかったり、ということが
結果的に自分を育ててくれた、ということもある。
その場だけでは判断できない。

しかし、自分がやってみようと思ったことや
続けたいと思ったことは
やはりそれなりの意味があるように思う。

そして失敗した、失ったと思うことでも同様である。
おそらくは、やった、ということが大事なだけなのだ。

大雑把に言うと、
体験するということが人生の意味なのだろうと思う。
体験をどのように捉えていくかは自分次第。
それも自分で作り上げていること。
何を基準にしてものを見ているのか。

様々な時を、
そういうことを問いつつ
生きている。
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身体と環境

2016-01-26 | 徒然なるままに
頭で考えることではなく、
身体と、身体だけでは表現/感知し得ない感覚で
受け取るものを、大事にしたい。
それだけでも充分な感じがある。

基準になるのは
人の溢れた土地の中での人間的な感情でも思考でもなく
自然や、もっと大きな環境の中に
この身がどうあるのか、ということ。

自然の中で生き延びている種は
人間の知恵など遥かに超えた
その種の精度の高さを示すのだろう。
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畏敬と畏怖と

2016-01-25 | 徒然なるままに









寒く、張り詰めた空気のなかで
空はきんと音がするほどの硬度を保つ。

季節のなかで
とりわけ富士山が美しく見えるのは冬だ。

昨年末までは暖かかったので
冠雪が少なく
何か物足りなさを感じていた。

このところの寒波で各地に雪。
そのタイミングで富士を見に行くことができた。

快晴である。
淀みも曇りもない青空の下の富士。

足柄峠、乙女峠、箱根恩賜公園、大観山の4ヶ所を移動して
富士の姿を見に行った。

大観山の頂上には
MAZDAスカイラウンジという
そこからは富士も相模湾も、遠くには
房総半島まで360°眺められる建物がある。

晴れてはいたが外は-4℃。
風が凪いでいたのでさほど寒さは感じなかったが
暖かい建物のなかで
じっくり富士を眺めることができた。
何も考えずに。

あの優美なフォルムのうちにある猛々しさ。
激しさを内に秘めながらの静けさ。
たおやかでいるようでありながらの厳しさ。

富士の魅力は
相反する要素をその懐に合わせもつからなのかもしれない、
とふと思った。

自然は厳しく優しい。

自然は厳しく豊かでもある。

自然のなかには常に生と死がある。


美しいものへの畏怖、畏敬。

美しいものは恐ろしいものである。

自然の中にはすべての要素がある。

ただ、ただ、それを味わった。



それを忘れないでいることだ、と思った。

人間がいかに愚かなものであることかも忘れてないけないのだ。

いついかなるときでも。







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よいお年を!

2015-12-31 | 徒然なるままに
今年も

新しき出会いがあり(ひともひと以外も)
新しく生まれ出たいのちとの出会いがあり
邂逅があり
懐かしきひとに会い
別れがあり

揺らぎながら
独りで立ちながら
踊りながら
誰かと共に仕事をしながら
誰かと共に喜びながら
腹を立てながら
眠りながら
お風呂に入りながら
山や川や古びた神社で踊りながら

今生きていること
まだ生かされていること
を感じながら
もうすぐ今年を終えます。

今年も仲良くしてくださった方
WSに来てくださった方
仕事を共にしてくださった方
遠くから思ってくださった方
まだ会えていない方
さまざまな出来事を分かち合えたみなさま
ありがとうございます。

どうぞよいお年を!
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夜半の下北沢にて

2015-12-27 | 徒然なるままに



初めての一人暮らしスタートは下北沢、もう30年ちょっと前のこと。

昨日、恩師岸田秀先生の年末恒例誕生パーティというか忘年会に行く前
少し時間があったので
下北に住んでいた頃よく通った店に立ち寄った。

わたしの実家から下北は歩いて行ける距離にあったけれど
一人暮らしの最初は
心細く、自分はこれからどうなっていくのだろうという不安が
常にあった。

時が経つにつれ、一人の時間にも慣れ
貧乏ながらも自由であることを少しずつ享受できるようになった。
やがて、友人たちのよく行く店に
わたしも足を運ぶようになった。
ロックマザー、という店である。

映画、音楽、芝居をやっている人たち
そしてそれを目指す人たち、
ふらりとこの町にやってきて暮らしている外国人、
雑多な人間が集まり、
飲み、食い、話し、議論をし、喧嘩をしているような町。

まだ何ものにもなっていなくて、
バイトをしながら好きなことを続けている人たちが
周りには多かった。

シェイクスピアの道化が表すものを教えてくれたのは
飲んだくれのイギリス人のパディで
その頃「十二夜」の道化の役をもらって
悩みに悩んでいたわたしには、
とてもありがたいことだった。

あの頃の生活を思い出すと
もう前世のように遠い感じがする。

が。
昨日立ち寄ったマザーの姉妹店で
大きなテーブルで相席だった若者たちの話を聞いていたら
ああ、この町は変わっていないなあと感じた。

何かを志していて、先が見えなくて
不安も野望もあって。

イントネーションから
南の方の出身だな、と推察される
斜め前に座っていた男子が連れに向かって
「俺はさあ、野良犬なんだよ」と話していた。

野良犬か。

懐かしいような響きだな、と思った。

自分もあの頃は野良猫のようだったかもしれない。
若かったし、本当にバカだった。
(バカは若者の特権と思っている)

しかし、バカかりし頃の自分に
「今はあなたの予測のつかない方向に行ってしまったし
いろいろあったけれど、まあなんとか生きている。
心配するな。頑張れ」と言ってやりたい気持ちにもなった。


野良犬、と自分のことを言っていた男子の言葉は
自分を卑下している感じには聞こえなかった。

この町には昔も今も
野良犬はいっぱいいるよ。

不器用さや無骨さや
思い通りにならないことをたくさん抱えて
葛藤しつつ生きている奴らが。

久しぶりに、夜の下北沢を歩いて
やっぱりそれを感じた。

小綺麗になってしまった場所や若者も多いけれど
そうでない者も生きられる場所が
ここにはあるよな、と思う。

どうぞ、そのまま。

葛藤を抱え、
ぶつかり合う人たちが
いられる場でありますように。



岸田先生は
82歳という年齢が信じられないくらい
本当に元気で、
ご機嫌でした。
何より。

恩師が元気でいてくれるのは
嬉しいことだな。





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猫の一周忌に起きたこと。

2015-12-03 | 徒然なるままに
  


昨年の11/22にうちの猫は他界した。19歳手前だった。

長年苦楽を共にしてきた存在がいなくなる、
というのは本当に悲しく辛いことだった。


しかしヤツは肉体がなくなったあとも
日中、棚から飛び降りる音
日中、廊下を静かに歩く気配
朝、夢の覚め際に
ベッドの下に歩いてくる姿を見せる
枕元に座っている
あるいは鳴く
などの手段(?)で、時折、その存在を表していた。


他界した直後に天川に行った時は
同行のまろんさんがふと振り返った時
天川神社の手水場の縁の上からこちらを見ていた
ということもあった。


今年の後半にはそういう現象もめっきり減っていたが
11/23の朝、食事の後片付けをしていたら
テーブルのところで一瞬、ぷん、と
猫のおしっこの匂いがした。


知っている人はわかるが
あれはかなり強烈なので
何かと間違えるわけもない。


あいつ…おしっこで表現とは…と思っていたら
今週、夢の中でわたしは誰かから
「猫がもうあちら側に行く」という知らせを受け
「そうか。寂しくなるけど仕方ないね。
たまには帰ってきて、と伝えてね」と話している夢を見た。


いよいよ本格的にあっちに行くのかと思っている。


が、本日自室でまろんさんと電話していたら
彼女が「あ!今猫の鳴き声が聞こえた」と言う。
わたしには聞こえなかったが、
かなりはっきり聞こえたので
新しく猫を飼い始めたのかと思った、と。


むむ…
さよならの挨拶だったのか、ここにいるというアピールなのか。
いずれかはわからないけれど、
きっとしかるべきところに行くのでしょう。

しかしスピリットは残るので
これからも時々何かを受け取れるかもしれない。
わたしが死んだら、こういうことを誰かにしてやろうと思う。

ペットを飼っている人は皆、
先立たれる日を密かに恐れていると思うが
肉体はなくなっても、
こういうことで様々サインを送ってくれていますよ。
(ある意味、お楽しみに…)


サインを受け取れるには
自分の五感や直感を磨くことが必要である。
ダンスセラピーで直感磨きしましょう(笑)(ちょっと宣伝)
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蠍座の新月の決意。

2015-11-12 | 徒然なるままに





僭越ながら。

本日、11/12、自分の誕生日であります。


ある方から伺いました。
「誕生日はその1年1年を生きていた魂の
ひとつひとつが集まる日。
今の年齢の数だけ集まるのです」、と。


さきほど0歳から54歳までの自分が集結し、
54歳から55歳の自分にバトンが手渡されました。


先日の大阪WSでも
「背中」をテーマにしましたが、
今わたしの背中のほうには
0~54歳までの自分がわらわらと居て(笑)
今こうして生き延びていることを
祝福してくれている感じがします。


もちろん、今の自分も
過去の自分に、よく生き延びてくれた!
と語っています。


今朝の夢ではマーカーまで引いてある大きな活字が出てきて(笑)
メッセージをもらいました。


自分がなぜここにいて、
こういう仕事をしているのか、
ということも(なぜか)はっきりと感じています。


わたしの仕事を
「満漢全席を中華定食にして提供している」という
言葉で表してくれた方もいて、
状況がどうあろうとも最善を尽くす自分の仕事に小さな誇りを持ちつつ、
魂の目的をこれからも生きていきたいと思います。


写真は、
わたしの決意表明をこの一枚で。
と共に、
昨年11/22に他界した最愛の猫を。
この世界に住む様々な有形無形の「存在」に
そしておつきあいしてくださる方々に
この素晴らしく美しい地球に
この特別な新月の日に。


感謝です。

これからもよろしくお願い致します。

and、あらためて、「決意表明」を込めて。
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今、生きているということ。

2015-11-06 | 徒然なるままに
今、生きているということ。

病に苦しむ人もいる。

自分を受け入れることができない人もいる。

自信がない人もいる。

誰かを憎んでいる人もいる。

いらいらして何かにあたりたい人もいる。

誰かのせいでこうなった、と思っている人もいる。

信頼を裏切る人がいる。

信頼を裏切られた人もいる。

何も信用できない、と思っている人もいる。

お金だけが頼りという人もいる。

孤独で孤独でたまらない人もいる。

世界なんて壊れてしまえばいい、と思っている人もいる。

傷つけられたので傷つけ返す人もいる。


そんなふうに、いろいろな時間を、生きている。


そういう理由を「生きたい」ならばそれも仕方ないのだろう。

けれど、今この瞬間を生きていること。

そこまで生き延びていることは
奇跡に近いものだ、と思う。

生まれ損ねた赤ちゃん。
重篤な病を抱えて生まれてくる赤ちゃん。
病や事故でその短い人生を終える子供。
戦争の犠牲者。
殺されてしまう人。

今も、この時に、世界中で何人の人が亡くなっているのだろうか。

そして、人間の欲望の犠牲となっている動物や植物。

いろいろ考え始めると、
世界は決して明るいものでも希望に満ちているものでもない。

けれども。

こうして生き延びている我々がいる。
そうしたいならば、
世界のために想いを馳せ、祈り、
生かされていることへの感謝を持つことができる。

わたしたちはさまざまなものの恩恵を受けて生きてきたし、生きている。

自分につながる祖先たち。
お世話をしてくれたひとたち。名前も知らなかったり、覚えていない人たち。

見えない存在たち。

いやなことをしてくる相手は何事かを教えてくれている存在でもある。
見方を変えれば。

そういうものに支えられて、教えられて、
かろうじて生きて(生かされて)いるのではないだろうか、
と思うことがふえた。

今まで生きてきたことは偶然ではない。

そして、何よりも
勝手な想いで一喜一憂して毎日をしのいできたわたしたちのベースとなってくれているのは
身体そのものであると思う。

今いちど、身体に感謝を。

そして生き延びさせてくれた全ての存在に感謝を。

という気持ちに、自ずとなれることがいちばんいいのだと思います。

そういうきっかけになるWSができたら、といつも思う。

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モノローグとダイアローグについて思う(序)

2015-09-08 | 徒然なるままに
最初はモノローグでいい。

相手の目も見なくてもいい。

しかし、
モノローグと思っていた言葉が、
誰かに受け取られる、
という体験を
今までもしていたはずだ。

モノローグを本当に一人きりでずっとやっていたら
それは妄言だ。

誰かが聞くモノローグ。

ある程度の安心感がなければ
それはできることではないのではないか。

そこから相手の目を見ることができるか。
ぴったり据える必要はない。

そこで言葉を引き取るように
下を向かずに。

自分の言葉を、
まるで恥ずかしいもののように
いけないことを言ったように
納めずに、
相手にそっと投げかけることができるか。

そして、相手の言葉を受け取り、
そこで初めて相手の様子をきちんと見て
ああ、この相手が自分の言葉を聞き、
受け取り、返しているのか、と認識できるか。
それまで自分のことで
一杯いっぱいで見えなかった相手のことが見えるか。

その認識が出来た時から
ダイアローグが始まるのではないか?

ダイアローグは
相手の存在を認めることだ。

お互いに聴き合い、
思ったことや感じたことを
キャッチボールできるかだ。

同じ言語を使っていても
通じていないことがある。
そこもちゃんと見ることができ、
そこに立ち戻ることができるかどうか。

ダイアローグの始まりは
ぎこちないかもしれないが、
始まらなければ
永遠に自分の世界の中に閉じ込められるだけだ。

扉を。
扉は自分から開けなければ!
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