友が逝って 49日が経ち
納骨法要の案内を
いただいたので参列しました。
小母さんや奥さんを労い
友だちと話したりして
なんだかんだの後に
導師の読経が始まりました。
そしてお定まりの説法。
おや。この坊さん、
なかなか良いことを言う。
いつもならそこで
アクビがでる流れだが
今回は最後まで聞けました。
いわく、
仏語には「薫習」という
言葉があるという。
「薫習」
=「くんじゅう」とは
いつも香を薫じていると
いつのまにかその部屋や
敷物にまで、香りが
染みついてしまうように、
人の精神や行いが
他の心の奥底まで
影響を与えていくこと。
すなわち、
優れた人に親しんでいると、
気がつかないうちに、
自分も同じようになれる。
・・・ということ。
なるほどね。
見賢思斉。や
以友輔仁。にも
通ずるものがあります。
日々の家庭生活で
しつけや思いやりの心は
親から子へ熏習されて育つもの。
私たちの心のありかたが
いかに大切なものか。
私は親として子供たちに
キチンと薫習できただろうか。
改めて考えさせられました。
それから友の納骨に立会い
私たちはその寺を後にしました。kyokukenzo
納骨法要の案内を
いただいたので参列しました。
小母さんや奥さんを労い
友だちと話したりして
なんだかんだの後に
導師の読経が始まりました。
そしてお定まりの説法。
おや。この坊さん、
なかなか良いことを言う。
いつもならそこで
アクビがでる流れだが
今回は最後まで聞けました。
いわく、
仏語には「薫習」という
言葉があるという。
「薫習」
=「くんじゅう」とは
いつも香を薫じていると
いつのまにかその部屋や
敷物にまで、香りが
染みついてしまうように、
人の精神や行いが
他の心の奥底まで
影響を与えていくこと。
すなわち、
優れた人に親しんでいると、
気がつかないうちに、
自分も同じようになれる。
・・・ということ。
なるほどね。
見賢思斉。や
以友輔仁。にも
通ずるものがあります。
日々の家庭生活で
しつけや思いやりの心は
親から子へ熏習されて育つもの。
私たちの心のありかたが
いかに大切なものか。
私は親として子供たちに
キチンと薫習できただろうか。
改めて考えさせられました。
それから友の納骨に立会い
私たちはその寺を後にしました。kyokukenzo